第2話 戦国時代の津軽はカラフル
永禄元年(一五五八)七月
水の張られた田んぼ。稲株の回りに両手を突っ込み、ぐるぐると回す。泥が巻き上がり、稲株の回りに生えていた雑草をとっていく。
夏も盛りの季節、このみちのくの端の端である津軽でも、外にいるだけで汗が吹き出す暑さになる。そんな中で田に入り、腰を曲げての雑草取りは体力をぐんぐん奪われる重労働だ。
(除草剤が欲しい……いや、なんなら中耕除草具だけでもいい。プリーズ除草具……)
前世の文明の利器に思いをはせ、田んぼの草取りを止めて腰をぐっと伸ばし、顔を上げる。
体をほぐすように遠くを見れば、山の上に築かれた大きな建物が見える。今の自分――鶴丸が住む場所、石川城だ。
石川城は津軽地方――現代でいう所の本州最北端・青森県西部――の平野部である津軽平野の南、平野と山岳地域の接点にある、南部氏の津軽支配の要となる城だ。
別名大仏ヶ鼻城。横から見るとたしかに平野から大仏の鼻が生えたようなシルエットをしている。
俺は生まれてすぐそこへ母親ともども引き取られた。父――津軽郡代・石川高信は本領田子を拠点としながら各地を飛び回っており、年に一度帰ってくるか来ないか程度。その間、母――ね子さんは守役と共に俺こと鶴丸を育て上げた。
ね子さんは津軽の小さな領主の娘だ。津軽に根強く勢力を張る葛西一族の末流のさらに末に連なる娘で、その身分もそこらの農民たちに毛が生えた程度。
石川高信は当時南部領の南、岩手郡での抗争に従事していたが、その抗争がひと段落して津軽を巡検した際、母を見染めて俺が生まれたという。
――これは史実にはないことだ。
史実では、石川高信の息子は南部信直と浪岡政信の二人だ。天文十九年(一五五〇)に生まれた鶴丸なる子供はいない。いや、もしかしたら歴史書に乗ってない子供がいたかもしれないが、だとしても歴史上で活躍したとかそういう話はない。
いったいぜんたい、何故自分はこの世界に生まれたのだ、などと考えても答えが出るはずもない。
農家の長男坊が、何の因果で戦国時代の武家に生まれなければならないのか。
「何も出来ねえよ……」
「鶴様ぁ、何ぼやっとしてらんだ?」
農民の男が声をかけてきた。城前の領主田を耕している農民――兵六だ。仮にも武将の子息である鶴丸のわがままを聞き、田に入ることを許してくれている。
俺は兵六を見て――最近挨拶のように言う事にしていることを言う。
「兵六……俺は夢を見たんだ」
「はあ、またその話ですか」
兵六は呆れたようにため息をつく。
「信じてくれよ兵六、一か月も同じ夢を見ているんだぞ、何かのお告げとでも思わないとおかしいじゃないか」
俺は大きな手振りで表現する。
「そりゃあ、鶴様がほかしてるわけじゃねえのは分かるんだども、それだけで信じるわけにもいかねえしなぁ」
兵六が困ったように言う。そりゃあ、突然そんなことを言われたら困るだろう。
「来年は凶作になる。年の初めは大雨が降って、田植えの時期から今度は雨が降らなくて田が枯れる。凶作が来るんだ」
だなんて子どもに言われても、どうしたらいいか分からない。自分だって兵六の立場ならそうだろう。
ま、別に夢で見たわけではないけれど。
弘治から永禄に改元された事を知った時、歴史好きとして真っ先に思ったのが翌年の事だった。
――史実では、永禄二年は奥羽地方、そして全国で凶作が起こった年だ。
ここ津軽地方では稲が育つ時期に雨が全く降らない干ばつが長期化し、凶作が発生する。このまま史実通りに進めばほぼ確実に起こる出来事だ。
だが、そんな未来の事を子どもがただただ言ったところで「何言ってんだこいつ?」と思われるだけだ。
だから、苦肉の策として思いついたのが、『夢見』と言う事でまわりにこうやって伝えることだった。
この時代の人たちは信心深く、神意をとても大事にする。『夢占』というのも一種の宗教行為として受け入れているし、幸いというか、一応領主の子どもである自分は貴種という立場なので、こんなガキの言葉でも大人たちが耳を傾けてくれるのだが、それでもやはり実感が無いのだろう。
「兵六も今年の収穫は多少なりとも貯めておきなよ、悪いことは言わないから」
「まあ……今年は良い作柄になりそうだし、作徳(余剰)も多くなりそうだから構わねえすけどねぇ」
兵六が空を見上げる。さんさんと照りつける太陽。昨冬は雪が多くて雪解け水も多く、雨も適度だったから水量も十分で、稲の育ちも上々だ。なかなかの豊作になるのではないだろうか。
「今年は稲の伸びが良いなぁ」
「ほんだなぁ、これは鶴様のおかげだぁ。良い時に肥料撒くとやっぱりよく伸びるで」
「大げさだぁ、ちょうどいい時期が来たら肥料を足してやるだけだもの」
「ワラシなのにきちんと稲の様子を見ているのが凄いんでさぁ」
人のよさそうな丸顔を皺くちゃにして兵六は笑う。
そりゃ、前世では補肥――稲の生長の中途で肥料を足す事――の時期や塩梅は祖父や父から実地で叩き込まれた。稲の育ちが弱いと悩んでいた兵六に、その知識をちょっとひけらかしただけだ。品種も田んぼの素性も違う――江戸期以前の品種は耐肥性が弱かったりする――から、上手くいった時はほっとした。良い出来になりそうだ。
俺からしたら、領主の子息とはいえ子どものいう事に耳を傾けてくれる兵六は本当に奇特な大人だと思う。いつも世話になってばかりだ。
こうやって、城の大手門から出て坂を下りた所にある水田まで出て、兵六の許可を得て田んぼで泥仕事をするのが、今の俺の趣味だった。
「鶴丸」
不意に声をかけられる。向こうのあぜ道を見れば、色鮮やかな着物を着た女性――母のね子さんが守役の武士と共にこっちを見えている。城から降りてきたらしい。
田んぼの泥の中を歩いてあぜ道に戻る。ね子さんの服を汚さないようにちょっとだけ距離を取って田の水で手足を洗う。
「何しておったの?」
「雑草を抜きながら稲を見ておりました」
「……いつも思うのだけれど、稲なんか見て面白いかい?」
「はい、とても」
即答する。
この世に米以上に面白いものがあるだろうか、いや、ない。
やはり田は良い。
七月(この時代は旧暦なので、新暦で直すとだいたい八月だ)は稲もぐんぐん伸びて生長を見るのが楽しい時期だ。
この時代の稲は背が高い。子供の自分の背を超えるほど高い稲もしばしばで、奥に行けば姿が隠れてしまうほどだ。
穂の色も赤米が多いため、水田は赤・白・緑とカラフルで、“現代“のように区画整理もされていないから、城から見おろすとまだら模様のじゅうたんが広がっているようでこれがまた美しい。
米は一つひとつの素性が違う。米ごとに色んな特徴がある。それを観察するだけでも面白くて仕方ない。
「鶴様は米数寄かもしれませんな」
隣にいた男ぶりの良い武士が快活に笑う。彼は金浜信門。俺の守役だ。
「あら、米数寄なんて妙な言葉」
ね子さんがころころ笑う。今生の母親に対してこう言うのもなんだが、ね子さんは可愛い。まだ二十代の盛りを迎えた年頃だものな。
「お前は変なものに興味を持つのねぇ」
「米は我ら侍にとっても基、茶器などに入れあげるよりはよほどよろしかろうと思います」
金浜も笑う。この人は粗野な侍たちにあって一つひとつの仕草が実にダンディだ。
「母様、金浜、米ほど面白いものはありませんよ。皆その魅力に気づいていないだけです」
「そうですか、あいにく、儂の故郷は米がろくに取れぬ閉伊の海沿いでしてな。山畑で取れる稗や魚ばかり取って食ろうておりました。こんなに米が育つところなど、津軽に来るまでちゃんと見たこともございません故」
あー、閉伊だとたしかに田畑もこっちに比べれば狭いだろうしなぁ。
もともと金浜は父親の金浜圓斎の代から高信に仕える重臣だ。津軽に来たのも、圓斎が死去してからだと聞く。
「母様、今日はおめかしですね」
ね子さんは今日は鶴の刺繍も鮮やかな上着を羽織り、いつもはハネ気味の癖髪を丁寧に結っている。口には紅なんて引いちゃって、いつものあどけなさに加えてはかなげな美しさまでかもし出されている。
「そうでしょう? 今日は殿が帰ってくるから、少しはね」
「親父殿が?」
「ええ、先触れがさっき来てね。鶴丸も呼ばないと、と思って」
ね子さんが笑みを浮かべた。
「鶴丸も準備なさい。殿は細かいことはさして気になされない方だけれども、息子が出迎えれば喜びましょう。そんな草だらけ泥だらけではさすがにあいがしかられてしまいますわ」
そうか、親父殿が来るのか。ならば早急に――隠れねば。
「はーい」
と俺は返事をしてすばやく立ち上がり、そのまま稲穂の茂みに向かって走り出そうとし、
「鶴様」
逃げ込もうとした俺の肩を金浜がガシリとつかむ。痛い痛いめっちゃ力が入ってる。
「どこに行かれます。まさか殿が御滞在する間、“また”かくれんぼで逃げ切る気ではございませんな?」
「いやまさかそんな」
「貴方を探すのはほんっとーに骨が折れるのですぞ」
にっこにこの笑顔だけど目が笑ってない。いやまあこの前はやりすぎたと思ったけどさ。
「さ、行きましょう」
「ちょっと待って、兵六に断わりだけ入れてくるから離して!」
そう言ってようやく許してもらう。
「別に殿が嫌いなわけでもないのに逃げるんだもの、変な子よねぇ」
ね子さんがころころ笑う。いやそりゃ別に嫌いじゃないんだけど荒っぽいんだものあの人。宴会に出るのも面倒だし。
それより、今は正直米を見ていたほうが楽しい。
いや、見ているだけでは足りない。作りたい。
「あー、田んぼ弄りしたい……」
カラフルな稲穂の広がりを振り返りながら小声でひとりごちる。刀を振るうよりもよほどそっちのほうが性に合う。転生する立場をきっと間違えたのだ、自分は。