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第19話 石川鶴の願い

永禄三年(一五六〇)八月二十五日



 稲刈りをそろそろに控えたその日、俺は表亭の執務部屋に向かった。

「親父殿。ちょっと俺の田んぼを見てほしい」

 そう切り出した時、執務中の親父――石川高信は胡乱な顔をした。

「ああ、おまえの“やりたいこと“の事か。成果は出たのか?」

「はい」

 ようやくお披露目ができる。これで親父を納得させることが、俺の成すべきことの第一歩なのだ。


「まあかまわんが……」

 高信は気乗りしなさそうな顔をしている。いかん、機嫌の悪い時に来てしまったか。

 俺の懸念などどこ吹くそぶりで、高信は書きかけの書状を脇に置き、のっそり立ち上がった。

「その結果を見せてくれるからには、俺にも頼みたいことがあるんだろう?」

「はい。……それは、実際に見てもらってからお答えしたく思います」

 高信が自分を睨む。その眼光はずいぶんと鋭く、まるで“敵“を見据える目だ。

 今まで、息子の奇妙な行動を疑っていたのは知っていた。正直申し訳ない気持ちはある。だが、やっと成果を示せるのだ。

 だからこそ、その問いには真摯に答えないといけない、と俺は高信の視線を受け止める。


「俺は……武家としてはそぐわないが、武家でないとできないことをやりたいと思っている。その為にある程度儘になる立場が欲しい」

「ほう。そりゃなんだ?」

「俺の才覚で、今よりも豊かな奥国を作る」

「ほう……」

 親父の目がぎょろりと広がった。

「まずは、俺の結果を見てくれ」


 と、俺は親父を自分の田んぼに誘った。

 高信を連れ出し、歩いて自分の田に行く。そろそろ気温が下がる秋口、トンボが躍る良い天気だ。

 ほどなく到着する。そこにあるのは、そろそろ収穫時期を迎える稲がそよぐ田んぼだった。

「……ずいぶん整然とした田んぼだな」

 高信が妙なものを見たように呟く。

「正条植って言って、これをやると米に栄養が行きわたるし、風通しも良くなって病気になりにくくなるんだ」

 その田んぼは、稲が等間隔に間をあけて植えられている。“現代”の人間から見ればこちらの方が見慣れているのだが、乱雑な密植を主とする田んぼを見慣れている人間からすれば異様な感じがするかもしれない。


「それより親父、稲穂を見てくれ」

 高信は稲穂を持った。そして目を張る。

「重い……籾が多く実っている……」

 気づいてくれたようだ。

 そう、ここの田だけ実り方が他の田と違う。

「まだまだ推計だけど、ここの田は一反につき二石前後は収穫することができそうだ」

「二石だと……!」

 高信は驚愕の声を上げた。


 この時代、田んぼは生産量で一番とれる上々田からあまり取れない下々田まで等級がつけられる。

 津軽地方の反当収量――一反あたり収穫できる米の量は、上々田でも一反につき一・五石、平均となると〇・七石も取れない程度なのだ。

 そしてこの田は土はこなれているが並程度の中田、例年ならよほど取れても一石だ。二石という数字がどれだけ異常な事なのか理解できよう。

「お前、何をどうやったのだ。特別に育つ米でも見つけたのか」

「いや、作り方を工夫するとこれだけの育ちになる。特に苗代と肥料と品種が重要なんだ」

「苗代?」

「ああ、保温折衷苗代って名前をつけてある」


 俺は保温折衷苗代について説明した。農業を専門としているわけではない親父殿にわかるよう、かなり噛み砕いての説明だったが、高信は十分にその重要性を理解してくれたようだった。

「どうやって見つけた、こんなやり方」

「腐って暖かくなった土に偶然生えていた稲を育てたら良く成長した。本当に偶然だったんだ、親父殿」

 この辺はちょっと嘘だ。まあ、‘史実’でもそういう感じで見つけられた技術だったりする。

「稲を見つけた時から色々試行錯誤した。油紙を使うのもそうだ」

「お前まさか、紙職人を雇った時から」

 その通りだった。紙を作り始めたのも、元々は自前の油紙が欲しかったからだ。

「この技術が南部の農家全員に広がれば、この北の地でも稲はもっとよく育つようになる。我ら武士も民ももっと豊かになる。しかしまだ足りない、新しい稲が必要なんだ――今度はこっちに来てくれ」


 次に俺が案内したのは、三つある田んぼのうち一番離れた、もっと山べりにある小さな田だ。ここだけ水路も独立させている。

 ここの稲は白米と赤米が植えられている。とはいえ、他の田に比べると稲は歯抜けのようにまばらに生えている。

「スカスカではないか。……いや」

 高信は他の水路を流れる水に手を差し込んだ。さすが親父殿、気づいた。

 ここの湧水はそこそこ冷たい上に、山際にあるので陽の光で暖まらず、夏でも冷たい。わざとそのような田を選んだのだ。

「ここは水が冷たい。冷害の時となるべく同じような条件で作っている。スカスカに見えるのは、枯れた稲を抜き取ったからだ」

 そう、ここは『冷害』をなるべく再現した場所なのだ。いもち病などが発生しやすくなるので、病原菌の入った水が他の田んぼに行かないように、用水路も他と繋がらないように改良した特別製だ。

「本当は実地で試さないといけないけど、実際に冷害が起こすことはできませんから……利助! ヨシ!」

 俺は作業していた二人を大声で呼ぶ。ふたりは高信を見て駆け寄り、頭を下げた。


「この田んぼで稲を育ててもらっている者たちです。彼らが筆頭になって、寒さに強く、かつ、収量が多い、『特別な米』を作ってもらっています」

「特別な米、だと?」

「理屈については後で報告しますが、人工交配という手段を使う事によって、この奥国に適した育ちが早く、寒さに強く、病気に克ち、収量の多い稲を生み出すことが可能になるんです。冷害にもある程度耐え、収量の多い米が」

「……本当なのか?」

 高信は目を見開いた。

 冷害になっても枯れない米――それは稲作を作る農家のみならず、この北奥羽の為政者にとっても“夢”だ。


 米を売った銭が年貢の基本でもあるこの時代、冷害による収穫量減少は、即税収の低下に繋がる。税収が低下すれば領国の活動にも直接的な影響が出る。なにより南部領は、その冷害が特に発生しやすい土地柄だ。

 もしそんな稲があれば――安定的とまではいかずとも、少量でも収穫できるようになると言うだけで、領主も、もちろん農民たちの負担は軽くなる。

「ただし、これには時間がかかります。今回この冷たさでも育った稲からさらに素質の良い種を選抜し、それを育ててさらに選抜し、どうしても数年からもしかしたら十年以上かかります。さらに水路やため池の整備なども必要です。途方もなく時間がかかるでしょう。ですが、だからこそ時間が欲しいのです。それが成就すれば、南部は文字通り奥国の豊穣の国になる」

「……これが、今よりも豊かな奥国を作る方策か」

「はい、これ以外にも腹案は幾つもあります。それを全部実行できれば、南部領はもっと豊かになります」


 俺は高信に向き直る。

「南部領だけではない、このみちのく全ての者たちが、稲の出来栄えで飢えることが無くなる世を、飢饉から来る諸々の悲劇に遭わなくて済む世を、俺は作りたい」

 高信は、じっとこちらを見つめていた。

「それは、稲を変えるだけでそんなことが出来るのか」

「出来ない。稲だけを変えるだけじゃそれは出来ない。でも、稲が出来るまでの仕組みまで変えれば、それは近づける。その第一歩が、この稲作の技術なんです」

 農業とは、ただ作物を作ればいいだけじゃない。ため池や水路を整備し、多くの肥料を準備し、様々な道具を揃え、土地を整える。大規模なインフラ整備の上に成り立つ産業だ。

 もちろん、それが負担になる場合は多々ある。出来る範囲で、それを進める。

 自分一代で完結する事でも絶対無い。だが、自分の知識があれば、その道筋をつけることは、きっと出来る。


「そのためには、もっと実験せねばならない。今の田んぼだけでは手狭なのです」

 高信は俺が何を望んでいるかに気づいたようだった。

「そのために場所が欲しいというのか」

「場所と銭が。この稲作の技術は難しいものじゃない。いずれ津軽にも糠部にも秋田にも広がりましょう。だが、最初はなるべく南部家に広がるようにしたい。それに」


 南部氏の領国――南部藩は後の江戸時代において、ひたすら凶作に苦しめられてきた藩だ。

 その災害対応はお世辞にも良いものとは言えず、悪政との批判も多かった。農家の一人として、自分も南部家を知った時は怒りを覚えた。

 転生して分かった事がある。この時代の過酷さは、技術の未熟さによって引き起こされた面も多数あるのだと。

 もしこの時代でも応用できる程度の技術があれば、飢えに苦しまずに済んだ人たちが大勢いたのだ。

 そして自分はその技術を、知識を、多少ながらも持っている。

「飢えに怯える人間を少しでも減らすことができるなら」

 ガリガリに飢えた童を減らすことができるなら。


「今は収量が多いのはどれも育ちが遅い晩成種です。この寒い最奥の地では、晩成種はいざ飢饉になった時危険だ。だからまずは、もっと早く育って、かつ多くの米が取れる品種を作るんです」

「お前……そんなことを考えていやがったのか」

「この技術はまだ未熟だ。だからまだ、育てる時間が欲しい。俺はやりたいことがいくつもある。だから親父殿」

 俺は頭を下げる。

「俺にこれの実験をやらせてくれ。俺はこれをまっとうすることで、国を豊かにする」

「…………」

 高信の。津軽を支配する男からの視線を頭に感じる。

「頭を上げろ、鶴」


 高信の顔を見れば、髭面をにやにやとさせていた。

「てめえ、面白い事やらかしたいんだな?」

「……面白いことというより、俺のやれることで、南部郡中を変えられるならやってみたい」

「てことは、まだまだ隠してる何かはあるわけだな?」

「モノになるかどうかは分からないけど、やってみたいと思っている事ならかなりある」

「いいだろう。お前の技術を石川と田子で広め、やり方を確立してみせろ」

 高信は楽し気に笑った。

「一町ほどの田と人を貸してやる、そこで好きにやってみろ。それから、来年は領主田の耕作者に指導する権限をお前に与えてやる。お前の農事の知識を、希望する者たちに伝授しろ」

「――本当ですか?!」

 望外の、というよりもあまりに大きなものを与えられたことに俺は一瞬呆然とした。


 領主田は広い。石川の家臣たちに分けられた領地を除けば、石川領の三割から四割が石川の直轄領になる。石川領の石高が推計三千石ほどなので、一千石以上の領地をいきなり任されたようなものだ。

「農事の事は分からんが、一年程度で物になるものでもあるまいし、今まで通りのやり方で農事をやってきた農民たちにも、お前の方法を教え込まないといけないだろうからな。もちろん、年貢等の管理の大部分は今まで通りこちらが行う。お前は技術の普及に力を注げ」

「ありがとうございます」

「それから、これからやる事には俺に一声かけろ。なるべく便宜を図ってやる」

 よし、言質が取れた。


「なら、これとは別に早めに手を付けたいことがひとつあるんだ」

「さっそくか、なんだ」

 俺は唇を舐めて湿らせた。これは米作りとは外れるが、武家であればむしろこちらに食いつく事柄だろう。

「親父殿、火薬の原料が作れる方法があるんだ。場所と予算が欲しい」

 この言葉に、高信の目の色が文字通り変わった。




永禄三年(一五六〇)九月三日




 奥羽の収穫の季節は九月。“現代”の暦で言えば九月末~十月に入る頃に行われる。北国ではすでに肌寒い時期に入り、もう一月もすれば雪が降る。

 ぎりぎりまで稲を成長させて、冬に入るギリギリに収穫をする。北国の稲作は、そんな余裕の無さで代々続けられてきた。自分たちの収穫は早いくらいだ。

 黄色い稲穂が広がり、その上を色とりどりのトンボが乱舞している。

 農家をやっていると見慣れてしまうのだが、それでもやっぱりこの光景は美しいと思うのだ。


「あやまあ、ずいぶん頭を下げてらこと」

 収穫のために集まったタカメさんら娘たちが目を丸くしている。

 稲穂の頭が重みにずっしり垂れている。

 米粒が多く大きく実っている証拠だ。他の田んぼに比べても、明らかに成長が良いのが一目でわかる田だ。

 女たちだけではない。村の男たちもずらずらと集まってきている。この田んぼの育ち具合を一目見せようと、兵六が声をかけたのだ。

「今年はよく出来た」

 我ながら会心の笑みを浮かべていたと思う。笑みが抑えきれない。


 久々に一から米を作ってこの出来が出来たのだ。幸い、鳥虫害や病害も少なく済み、豊作と言っていい量だ。

 他の田んぼは去年の凶作を引きずって平年よりも少ないくらいなので、尚の事この田んぼの盛況ぶりは目立つのだろう。

「収穫はどれくらいになるべか?」

「脱穀してからになるけど、この量なら『比内奥稲』の田んぼは一反で二石ってところになると思う」

 この時代の津軽の最上田クラスを超える収穫だ。


「よう実りましたなぁ……」

 兵六が呆然とした声を上げた。自分の田の収穫が倍近くになったのだ。

「なんとも、自信を無くすで、鶴様。俺ここを拓いて何十年も米作ってきたのに、鶴様のほうが収穫あげてるんだもの」

「やり方を変えれば俺でも収穫取れるんだ、兵六だったらもっと収穫できるよ。落ち込むようなことじゃない」

 収穫を増やすのは、しっかり世話が出来てやり方を間違えなければ理屈上は出来る。いや、それだって当たり前だけれども難しいしちゃんと田んぼを見てなきゃならないし時に大失敗したりするから難しいのだが、収穫を増やすのは努力と手段次第で出来るのだと思っている。

「それに、それだけこの土地が練れて力があるってことだよ。ここまで育ったのは兵六がこの土地を良く作り上げてきたからだ」

 いくらやり方を変えたからといって、土が育っていなければここまで収穫できない。兵六がこの田んぼの土を育て上げてきたからこそ、二石もの収穫が得られたのだ。

「へえ、ありがてえお言葉で……」

 兵六は俺の言葉に、深々と頭を下げた。


 難しいのは、冷害や干ばつに負けない稲を作ることだ。こればかりは一朝一夕に解決することではない。

 実際、『越前白坊』を植えた冬季湛水田はもう少し収量が低かった。品種の特性もあるだろうが、それ以外にも原因が無いか調べ、最適な栽培方法を探していくのもこれから行っていかなければならない。

 自分の知識を動員して、解決方法を広げていくのだ。

 ……もちろん、米作りだけじゃなく、自分や今生の家族の安全を確保する手段も取っていかなければならないのだけれども。


「さあ、稼いでけで! 終わったら豪華なメシも準備してっから!」

 おう、という男声と、はーい! という女の声が返ってくる。

 俺はまず稲の一角に移動する。わずかに離して植えられたそこは、『越前白坊』と『比内奥稲』を交配をした稲の圃場だ。

 良く伸びている。そしてよく実っている。

 この稲が、種もみとなり、新しい米が作られていく。

 俺は右手に鎌を持ち、稲を左手に持って根元から切り取った。

 よく乾いた稲は、見た目と同じくずっしりと重かった。ついでに株を抜けば、長く立派な根っこがもさもさと生えている。よしよし、狙い通り。


「鶴様、鶴様」

 声に振り向くと、数人の男たちを連れた兵六がいた。

「どうした?」

「この者たちが、この田が育った秘訣を知りたいと申しまして」

 よし、と俺は心の中で手を握った。こういう自発的な申し出を、内心待っていた。


 技術を普及させるとはいっても、上から今までのやり方を変えろと命じても農民というのは容易に応じたりしない。それは“現代”にいた時でもよく見聞きしている。

 たとえ成功すると言われても、新しいやり方をして失敗でもしたら収穫が無くなり、一年の収入が断たれ、飢えるのだ。農家は保守的というが、その保守性は故無い事ではない。

 地道な普及活動と、実用性を目の前で見せていく事が必要になる。そのために、自ら習いたいと言い出す人たちは貴重だった。

 しかも、子どもの自分にわざわざ聞きに来るくらい熱心な者たちだ。ここはぜひとも味方につけたい。


「いいよ、今日は無理だが、四・五日もすれば時間が取れる、ぜひ小屋に来てくれ」

 技術を広めるには、他にも協力者が必要だ。例えば利助たちの手習いの師匠となっている俊加殿、そして出来ればその直上の上司である福王寺殿にも声をかけて来てもらうよう頼んでみよう。

 修験者は古来より技術者であり、技術の伝播者であった。それは農業技術も例外ではない。技術の普及に彼らは絶対に必要だった。もし彼らがこの技術の普及に協力してくれるなら、保温折衷苗代の普及は早まるだろう。

 まずは津軽に、南部に広めていこう。


書きため分がこの辺で途切れるのと、割と切りが良さげなので、ここでいったん止めです。次回更新はなるべく早めにしたいなぁ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 待つのもまた一興。そろそろ読みたい
[一言] 面白かったので、続き楽しみにしてます。
[一言] 小説家になろうの読者には、実際に農家専門にお仕事をしている人も多いと思います。 様々な意見はありますが、作者さんの文章力は大変引き込まれ、大変面白いです。 気長に続編をお待ちしております。
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