第18話 作りたいものはたくさん
高信が関わっている以上、目の前のこの少年を自分の家臣として取り立てるのは規定事項だった。
浪岡の家臣を受け入れる事は、かの家との関係を深めるためにも高信にとってもそして自分にとってもメリットが大きい事だった。
だがそれ以上に、鍛冶が出来る、と聞いた瞬間、俺はこの家臣になりたいと言ってきた青年を採用することに決めた。
今欲しい人材が向こうから来たのだ、逃がす手はない。しかも森宗一族といえば“現代”では作刀が青森の文化財にもなっている刀匠だ。是が非でもほしい。
とりあえず片づけをしてから城に向かおう、という事になり、納屋を大雑把に片づけていると、弘宗が奇妙なものを見るように傍らの農具を持ち上げた。
「……この道具は、すべて鶴様が作ったものなのですか?」
「ああそうだよ!」
弘宗が見ていたものを、鶴は持ち上げて見せた。
手を広げたほどの長さの横木に、太めの楕円の鉄輪を連ねた鎖を何列にも取りつけたものだ。
「鎖式除草具。大きめの鎖をずらずら並べてこれをひっぱると雑草が取れるんだ。結構単純だけど、これが意外に馬鹿に出来ない。水田は除草除草の繰り返しだからな」
これは“現代”でもよく機械が入らない小規模な田んぼや自然農法系の水田で使われたりしている。単純かつ作りやすいので、普及させやすさという点でもおろそかに出来ない除草具だ。
それから俺はもうひとつの農具を見せる。
斜めに立てた二本の棒の先に、平らなスノコのような部分がある農具だ。本来ならスノコの先に刃の付いた回転部が二か所あるのだが、今は回転部を取り付ける円柱の横棒だけがある。
「これは手押しの中耕除草具の試作品、これがあるとないとじゃ、正条植での雑草取りの手間が数倍変わるんだよねぇ。やっぱり手と鎌だけじゃ大変だよ」
そもそも、等間隔に稲を植える正条植とは、本来除草具もセットで考えるべき手法だと思っている。
正条植にすることで除草がしやすくなるのは確かなのだが、適切な除草具が無ければ、結局のところ手作業で除草をしなければならなくなるわけで、その手間は乱雑植で除草する時と大きく変わらない。正条植にすることで規格されたサイズの除草具を入れやすくなり、相乗効果で除草を効果的に行えるようになるのだ。
手法と技術が合致することが、最終的に生産性を高める事に寄与する。
さらにいえば、立ったまま除草できるのは負担が全然違う。腰を下げて長時間ひたすら雑草を抜き、稲の世話をしなければならない稲作農家にとって、長く腰痛は職業病だ。その意味でも、立ったまま除草が出来る除草具というのは不可欠なのだ。
「けど肝心の刃の部分が作れなくてなぁ。鍛冶が居ないではさすがに作れないんだ」
設計は出来ている。現代にいた頃、納屋にはこういう昔の農具が仕舞い込まれていて、時々持ち出して使ったりバラして遊んだりしたこともある。
しかし、この戦国時代の技術で再現できるもの、となると結構ハードルが上がるし、こうやって必要な技術が手元にない場合もある。
「森宗殿、本当に良い時に来てくれた。今除草具を完成させないと時期的に間に合わないからね、というか、もう遅いくらいだ。石川の鍛冶屋ももちろんいるんだけど、彼らには今雁爪の作成の方を任せていて他に手が回らないんだ」
「は? はぁ……」
困惑そのものという顔でこちらを見てくる森宗。
具運の所から来たのであれば、確実にこちらを探るために送り込まれてきたのだろう。それくらいは想像がつく。それどころか、鍛冶屋というのもこちらが必要としている事を調べたうえで送り込んできた可能性だってある。
しかし、未来に関する記憶以外は別に懐の痛むものは無いのだ。むしろ農具や技術の類は積極的に広めてほしいくらいだし。
広めれば広めるほど、この北国は豊かになる。少なくとも、自分の方法が成功すれば。
「やってもらいたいことがたくさんあるんだ、しばらく暇はさせないよ」
「あの、鶴様、もしかして……」
自分がやらされることに気付いたのか、森宗は困った顔になった。
仮にも身分も誇りも高い刀匠が農具を作らされるのは抵抗があるのか。だがゴメン、遠慮はしないよ。
具運の命令で来たのであれば、一定程度の成果を出すまですぐさま辞めるみたいな事にはならないだろうし。
「うん、さっそくで悪いんだけれども相談に乗ってほしい」
自分でもわかるくらい、満面の笑みを浮かべていた。森宗は顔が引きつっていた。
「他にもいっぱい、作りたいものはあるんだ。鍛冶が必要な道具はたくさんある。家臣になったからには存分に付き合ってもらうよ」
数日後
完成した試製・中耕除草具をもって、俺は田んぼの除草作業を行っていた。
田んぼの条に沿って除草具を押す。押す。時々引いてまた押す。それによって草が巻き切られて泥に巻き込まれていく。なかなかよく出来た除草具なのだ。正条植で植えられた田んぼであれば作業は腰を折り曲げて作業するよりも早く進むし、疲労も少ない。あくまで比較的、というだけで重労働には変わりないけど。
「あー、良い……」
中耕除草具の出来は良い。鍛冶である森宗の協力を得てを草を断ち切る刃の部分や駆動部分がつつがなく完成したのは森宗の腕あってこそだ。
後は幾つか試作を繰り返して問題を洗い出し、量産体制を整える。中耕除草具は条間を除草する道具なので、株間を除草できる株間除草機も作りたい。
出来るだけ安く、そして色んな種類の農具を充実させていく。そして普及の下準備をする。
普及、というのは難しい。技術を単に導入しても、土地の事情とかみ合わなければ受け入れてもらえないこともある。この中耕除草具にしても、正条植でないとなかなか効果が出づらい道具だ。なので、仕組みもセットで進めていく必要がある。
「鶴様は本当に農家みたいなことをするのですね……」
あぜ道にしゃがみこんだ森宗が、呆れたように声をかけてくる。
「今回は助かったよ、森宗。おかげでこの農具も完成しそうだ」
「お力になれたなら幸いですが……」
「出来る事があるって強いよな」
万感の思いをもって呟く。
「俺には田んぼを豊かにして、稲を実らせる知識があるんだけど、こういう農具を作れなきゃそれを活かすことが出来ない。森宗が来てくれて本当に嬉しいよ」
「……こんなしがない鍛冶仕事でお喜びいただけるのでしたら」
(しがない、ね……)
自分の技術に対する皮肉か自虐か、あるいは仮にも武門の鍛冶に農具――下人の道具を打たせた嫌味なのか、彼の言葉に乗った負の感情の正体は分からない。
だから俺はあえてそれを無視して明るく言った。
「技術を手に持っているのは本当に誇るべきことだ。羨ましいよ」
「……そうですか?」
「俺なんて知識ばかりでちっとも技術が伴わないからなぁ。いまだに代掻きは不出来で利助にもかなわないし、田の見立ても兵六にはかなわない」
「……鶴様は、武士でしょう? 武士が農民の知識を持っても仕方ないのでは?」
お、バッサリときたな。
「農事だって武士の大切な仕事だぞ。武士なんて大規模な農地経営者みたいなもんだからな」
「しかし、武士は戦う事が本分です。農事にかまけるのは本末転倒ではありませんか?」
直球で来るなこいつ。
そしてそれは、この世界に来て周囲からそれとなく向けられてきたことだ。
今生の父も母も守役も、兵六や利助たちだって自分の行いを理解してくれてはいないだろう。
だから、繰り返し語るのだ。
「武士だからって戦い向きとは限らないだろう。自分の身分と向き不向きが噛み合ってないなら、向く道を選ぶか、向かない道をあえて歩くか、それをできるだけ噛み合わせる道を選ぶかしかないじゃないか」
この時代は身分社会だ。生まれた時からどう生きるかがある程度決まっていて、そこから外れすぎると制裁を受ける。自然、自分と身分をすり合わせなければならない。
「俺は武士やりながら農家やるって決めたんだ。修験の聖になって村々に伝道するなんてのも考えたんだがな、武士だったら、自分の家臣や領民に自分のやり方を普及させることが出来るし、田畑の整備も領主として進める事が出来る。そういう立場でしかやれないこともあると思っている。そんで、その生き方を親父殿に認めさせるためにこうやって田んぼ作ってるんだ」
「親父……石川様ですか?」
「ああ。でもこのままだと俺のやりたいことはいつか取り上げられるだろうからね、その前に結果を上げるんだ」
「やりたいこと、ですか」
「新しい米を作る。寒さに克ち、多収量で、美味い米を作る。そして、飢えに苦しむことのない国を作るのが、俺のやりたいことさ」
森宗はポカンとした顔をしていた。この顔も、まあよく見る顔だ。
「理解できなくてもいいけど、しばらく付き合ってもらうぞ。まずはこの除草具を百機ほど作る」
俺はえっ、と目を剥いた森宗に笑みを浮かべてみせた。
「貴方のその鍛冶の腕がどうしても必要なんだ、俺の家臣になりたいと言って来たんだ、否やは言うなよ」
永禄三年(一五六〇)六月二十九日
稲はすくすくと伸び、雑草も伸びる。
この時期になると、稲に混じっていた稗がガンガン伸びてくる。それを一つひとつ抜いていく。こればかりは手作業なのでしんどい。抜いた稗は普通に数束分の量になったりするのでおろそかにも出来ない。
そろそろ田んぼに張っていた水を切る中干しの時期に入り、もう少しすれば出穂――稲から芽が出る時期になる。
稲はそうして花粉を飛ばし、自家受粉させる。
並ぶ稲穂を眺めながら、利助につぶやく。
「利助、そろそろ出穂する」
「ああ、そうだな」
「準備するぞ」
「? 何を?」
「人工交配だ」
「暑い……」
真夏の閉め切った部屋ともなれば、まだ朝方とはいえ部屋はサウナさながらの蒸し熱さになる。
汗がだらだらと垂れるのに耐え、熱中症にならないように水を頻繁に飲みながら、俺と利助は作業をしていた。ちなみにふたりともふんどし一丁である。
目の前にあるのは稲の株束だ。
「よし、慎重に切るんだ」
ちょき、ちょき……。
小さな糸切用のはさみを持ち、先を細くした毛抜きで米粒となる花弁を慎重にめくって、一本一本それぞれにある、六本あるおしべを慎重に切除していく。あまりに小さいので時々めしべまで切り損じてしまうが、それは諦めてどんどん進めていく。交配受粉作業は時間との勝負だ。
言うは易しだが、考えてみてほしい、サウナの中で文字通り米粒ほどの大きさの花弁を開き、さらに小さいおしべを切っていかなければならないのだ。このきつさ、頭が茹で上がりそうになる。
おしべを切除した後は、開いていない稲の花を見つけては切っていく。花が咲いていない、ということはもう自家受粉を終えた可能性が高い。残したまま受粉させたら、交配受粉させた種と混ざってしまうのでこれも遠慮なく切っていく。
実のところ、おしべを切るやり方は昔ながらの稲の交配受粉方法だ。技術が進んだ現代では、母親となる稲を四十三度のお湯に七分漬け、それによって花粉を殺してしまう事で、より受粉率が高い交配稲を作ることが出来る。
だが、この時代には温度計が無いので正確な温度を測れない。温度計は、無いのだ。
……あぁぁ! 温度計が欲しいッぃぃぃぃぃぃぃぃっぃぃっぃ!
……ふう。
いや本当に正確な温度計が欲しい。
比較的ざっくりした温度でもかまわない種もみの温湯消毒と違い、出来るだけ厳密な温度管理をしないといけないので次善の策としてこれでやったけど、こんなに汗だくになって作業するくらいなら、温湯式のほうが絶対楽だ。
それでも、この昔ながらの人工交配を試したのは、この時代の人間が再現をできる手法で人工交配法が出来るか試したかったからだ。温湯法では、温度計が無いと再現が出来ない可能性がある。それでは意味が無いのだ。
それでも、次にやる時はなんとか温度を試したうえで温湯式をやってみよう。暑すぎる。
「鶴様、作業しろ」
「はい」
利助に促されて、苦行の様な作業を再開する。
今回交配するのは自分たちが作った『越前白坊』と『比内奥稲』だ。開花時期を合わせるために田植え時期を微妙にずらしながら、その中でも育ちが早くて良いものや、水が冷たい水口場所でもしっかり育っていた株を利助やヨシとともに選抜してもらった。
寒さに強く育ちが早い『越前白坊』と、収量が多い『比内奥稲』を掛け合わせていく。いまはこのひとつだけだが、軌道に乗ればもっと多くの品種を作っていく。そうできればいいが。
本当ならもっと純系選抜をした上で交配をやったほうが稲の性質が統一できていいのだが、とにかくひとつでも交配種を作って実験を進めたかった。なるべく混栽されていない、性質が安定してそうな稲を選んだから大丈夫だろうとは思うが。
新しい品種を作るには十年かかると言われる。一番求める性質に近い稲を選抜し、また交配して、また選別し、性質が安定するまでその工程を繰り返していく作業だ。
今は戦乱の時代だ。いつ自分がここからいなくなるかも分からない。その前に、ひとつでも結果をどうにかして出したかったのだ。
利助は丁寧に作業を進めている。根気のいる作業で根を上げないのは利助の凄い所だと思う。
「おしべは金玉――って考えると、それをちょんぎるのはなんかぞっとしないな」
「あはは、そうかも」
「……植物がどうやって子を成すかなんて、考えもしなかった」
そりゃそうだろうなぁ。理化学が生まれていないこの時代、生命が生まれる過程なんて分からないわけだし。
「人も、同じように子供を成すんだろ? ていうことは、植物もまた人と同じで生きている、ってことになるんじゃないか?」
「そうだな」
「じゃあ米を食べるのも、殺生にならないんだろうか……」
利助は少し深刻そうに呟いた。
あー、そうか。
この時代の殺生忌避感というのは強い。それなのに、主食の稲まで生き物で、殺生して食っていると考えてしまったら微妙な気分にもなるか。
「なに、たとえ殺したって『命をいただきありがとうございます』って感謝して食ってりゃいいのさ。米だろうが獣の肉だろうが、命をいただくってのはそういうもんだ」
俺はそう言ってごまかした。
「いのちをいただく……」
利助は俺の言葉を少し反芻しているようだった。
やがて、おしべと一部の花を切り終えた『越前白坊』を引き上げる。
「ねえ! 『比内奥稲』の花、咲いたよ!」
ちょうどいいタイミングで、扉越しに外にいるヨシが大声を上げた。
部屋に風が入らないように扉をいちいち締めて外に出て、ヨシが見ていた『比内奥稲』の株束を受け取る。ヨシが笑った。
「あはは、鶴様汗臭い」
「水浴びしたい……けど、また後でだな」
今はそれよりも早く受粉させなければならない。稲の花は一~二時間、半刻から一刻ですぐ閉じてしまう。そうなる前に『越前白坊』との交配を終えなければならない。
風でふきとばないよう慎重に部屋に戻り、『比内奥稲』の稲の先を持って、黄色い花粉を『越前白坊』のめしべに振りかけていく。受粉が成功する率はこの手法だと正直かなり低いのだが、それでもおろそかにはしない。
受粉させた稲株は、来年の種もみにする。どんな性質の稲が誕生するのかは育てないと分からないが、今から楽しみで仕方がない。
「これが、始まりの一粒になればいいなぁ」
俺は汗をぬぐいながら花粉の付いた稲を見つめた。