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第17話 家臣

永禄三年(一五六〇)五月二十九日




 その日、一人の少年が石川城下に入ったのは、そろそろ梅雨に入った五月の末の事だった。

「……本当に、ここにいるのか?」

 梅雨入りしたといっても、その日はよく晴れていた。

 石川城下の三斎市からも離れて、目の前に広がるのは見事な田んぼだ。あぜ道では農民たちが伸びてきた稲の間を行き来して、田仕事に精を出している。

 のどかな景色だ。少年の探し人はここのどこかにいるらしい。

 こんな広い場所から探せと言うのか。少年は少々ならず憂鬱になった。


 まだ二十歳前の、まだ若い侍だ。ぽつぽつ火傷痕がある整った顔には汗が浮かび、旅の疲れを示す皺が浮かんでいる。

 素直に従者たちに探させればよかったのだが、従者たちは今頃石川城で荷解きをしている。石川城に入り、主人からの用向きを伝えて石川の御曹司様の場所を聞いたら『城の下にいる』というので、てっきり市にでもいるのかと思ったから、早めに直接顔を合わせたいとわざわざ城下に降りてきたのだが。

「大丈夫ですよ、居る場所はだいたい決まっていますから」

 案内役――石川の御子の守役を務めているという金浜殿が、げんなりした少年の顔を見て、慣れた風に笑った。

「今の時間なら自分の田んぼにいるでしょう。参りましょう」

 自分の田んぼ、というのは御曹司が借りている田んぼの事だそうだ。彼はそこでいつも米を作っているという。


(噂には聞いていたけど……)

 酔狂という感想しかない。そりゃあ自分だって土地を本分とする武士だ、“稼業”の傍ら、田畑を耕すことだってあるが。

(武士の本分は戦場で功名を上げる事だろう)

 ちくりと胸が痛む。その『武士の本分』は、自分に刺さってくる言葉だった。

(石川の御曹司……いったいどんな子供なんだ)

 ある目的のため、主君である浪岡具運から命ぜられて、石川鶴に会うために彼はここに来た。


『あれは面白い方だよ』

 具運は石川の御曹司をことのほか買っていた。具運だけでなく、その叔父の具信もまた、高く評価していた。

 一方で、世間で流れる噂は様々だ。あまり良くないものをあげれば、『あの石川の御子でありながら土いじりに精を出す不心得者』というのがメインだろうか。いつも蜂にたかられているという風聞から、『蜂の子』なんて呼び方も浪岡では流れている。

 主君の評価と世間の評価がどうにも一致しないのが、少年にとって混乱の元だった。しかも元服前の、自分よりも年下の少年がそんな不名誉な事を言われていること自体、尋常ではない。

『その目で確かめてきなさい。そして探りなさい』

 と具運は少年に役目を命じる際に言った。

『お主にはその術と力があるのだから』


 確かめれば何かわかるのだろうか……少年は不安なままここに来た。

 少年と金浜はやがて、少し上った谷間に近い田んぼにやってきた。ふと少年はこぼした。

「……ここの田んぼは、他よりも育っていますね」

「ここが鶴様の田んぼですよ」

 稲の細かな違いはよく分からないけれども、この面の田んぼの稲だけ稲が他より整然と並んでいて美しさすらある。だが、それ以外何が違うのか、どうにも分からない。

 農を営む人間の中には、食物を育てる事に長ける篤農と呼ばれる人々がいるが、御曹司はその類の人間なのだろうか。


 良く育った田んぼを眺めていると、田んぼの片隅で何やら稲を丹念に見ている者たちがいた。

「お、ちょうどよい」

 と彼らに向かって金浜殿が近づいていく。

「……これは随分伸びてるな。これからの育ち次第だけど、これはちょっと注意しておこう」

「そうだね。あとさっき水口で二株だけ伸びがいいのがあった」

「本当? じゃあそれも見てこよう。こっちが終わったらそっちに行こう」

 男女の子供が、こちらにも気づかないほど熱心に稲を見比べては、赤色のこよりをつけ、帳面に何か記入している。

「……あれは何をしているのだ?」

「良い米になりそうな稲を選んでいるのですよ。おーい!」

 大声をかけられた二人がびくりとこちらを向く。

「利助、ヨシ、精が出るな」

 二人は金浜を見て慌てて頭を下げた。


「金浜様、お疲れ様です。気づきませんで失礼いたしました」

「かまわん、鶴様はどこにおられる」

「奥の納屋で兵六さんとなにやらモノを作っております」

「そうか、相変わらずのようだな。……仕事中にすまんが、先触れを頼む。仮にも客人と顔を合わせるのに、その、な……」

 金浜殿が言葉を濁すと、ふたりは「あぁ……」と得心したような呆れたような顔をした。

「すまんヨシ、すぐ戻るからあと頼む」

「分かった」

 と、男子のほうが小屋のある方へ走っていった。


 男子の向かった先へついていきながら、少年は首をかしげる。

「あのふたりは?」

「鶴様が直々にお買いになられた下人です」

「下人を買ったって……鶴様はまだ、えと、元服前の方ですよね?」

「ええ、そうです」

 元服前の子どもが下人買いに関わるなどお世辞にも褒められたものではない。

 金浜殿も渋面をしており、決して歓迎したわけではないのは分かる。が、彼は守役だ。買うのを知らなかったわけではあるまい。

 態度に出ていたのだろう、金浜殿は苦笑した。

「はしたないと思われるか?」

「あ、いえ、その……守役として、お止めにならなかったのですか?」

「ははは、これは手厳しい」

「あ、いえ、金浜殿を批判したわけでは」

「拙者には鶴様が理解できませぬ」

 慌てる少年に、金浜はこともなげに言った。


「あの方は元々気儘な方でしたが、ここ最近は私の考えの範疇を超えた事ばかり行います。特に米の事ではおかしな行いばかり、武士の名分も世間体もお構いなし。ですが、それは彼なりの理を持って行っていることなのです」

 ……自分が仕える人物相手に気儘だとかおかしなだとか、この金浜殿もなかなか口が悪いな、と少年はあっけにとられながら聞いていた。

「あの方はわたしの常識では推し量れぬものを少々持っております。ですので、私はそれを見届けると決めております。故に、よほど危ない行いでない限りは鶴様の行いに口を挟まぬと決めているのです」

 恬淡とした金浜になぜか気圧される。守役をして分からないと言わしめる人物。ますます、少年の中で鶴がどんな人間なのか像が結ばなくなっていった。

(まず会ってみなければ)


「あの納屋です」

 納屋の入口には先ほどの男子と、老年に差し掛かったいかにも農夫という雰囲気の男が待っていた。

「金浜様、お疲れ様です」

「うん、鶴様は中か?」

「はい。客人が来たと言っても熱中して聞いておりませぬ。少々ならず荒れております故、ご勘弁を」

「仕方ないな……」

 金浜殿は納屋の戸をわざと乱暴に開け、怒鳴った。

「鶴様! お客人ですぞ!」

 中にいた子どもが跳ね上がった。じゃらららと手に持っていた何かが音を立てて落ちた。

 少年は部屋の中を覗き見て――目を疑った。


「なんだこれ……」

 小屋の中に散らばる様々なモノが視界に飛び込んでくる。

 一見して、どれも何かの道具のようだ。見慣れないものばかりで何の用途に使うのか、さっぱりわからないものも多い。どれもこれも未完成なようで、組み立ての材料がそこかしこに転がっていて、納屋の中はなるほど散らかっている。

 その奥に子供がいる。上半身裸の汗だくだ。子どもは金浜の姿を見て「あちゃー」みたいな顔をしていた。

「すまんすまん、すっかり気づかなんだ」

「さっさと服くらい着なさいませ」

 子どもはばつが悪そうな顔でいそいそと服を着て、少年を見て目を丸くした。

「この方が、えーと、お客人?」

「そうです、浪岡から来られました」

「浪岡から。それはわざわざ。こんな見苦しい所をみせてしまい申し訳ない」

「いえ……」


 少年は子どもをさっと観察した。

 その辺で見るような普通の子どもだ。特徴と言えばそのくりくりと大きい瞳くらいなもので、それだって取り立てて目立つようなものではない。

(このひとが、『面白い方』……)

 まずは挨拶だ。

 少年は、深く深く頭を下げた。

森宗(もりむね)弥三郎弘宗(ひろむね)と申します。浪岡より、貴方の家臣になりたく参りました」



 浪岡譜代家臣 強清水(こわしみず)家の一族・森宗弥三郎弘宗。

 それが浪岡から来た青年の名前だった。

「強清水と言えば浪岡の御譜代の御家か。苗字が違うようだが」

 子ども――鶴が目を丸くする。

「私は庶子でして。森宗は強清水家が刀匠として名乗る時の苗字です」

「なるほど庶子か。俺も庶子だ」

 自分の主君となる子どもはからからと軽く笑った。

「ん? 待て、刀匠ってことは、弘宗殿も鍛冶が出来るのか?」

「……はい、強清水家では、嫡子庶子問わず、一通りの鍛冶仕事は仕込まれます。私も未熟ながら小刀のひとつくらいなら打つことが出来ます」

 言いよどむ。正直な話をすれば、鍛冶仕事は好きではない。


 強清水・森宗は武家でありながら鍛冶を務める珍しい家だ。弘宗から見て七代ほど前の当主が、その鍛冶の腕を認められ、浪岡家に乞われてこの地に来住したのだという。強清水の一族は多くの武具を作り、中でもその槍は薄く軽く丈夫と評判の『浪岡鑓』と語られるほど評判となり、その地位も高まった。今では浪岡の一族を受け入れ、一族の末席ともなった。今もなお、当主を含めた一族は武家であると同時に鍛冶でもある。


 だが、それ故に強清水は、森宗は口さがない者たちから『鍛冶屋風情』と陰口を叩かれ続けてきた。

 特に、とくに地位が高いわけではない庶子に対する風当たりは強かった。

『そんな焼けダコだらけで戦などできるのか?』

 弘宗の顔や手には、小さい頃から刀を打ち続けたことでできた火傷跡がまだらにある。嘲笑交じりに言われた言葉は、弘宗の心に刺さった。

 鍛冶の仕事が下賤な仕事とは全く思わないが、どこかで引け目を感じているのだ。


(この石川の少年はどう思うのだろうか――)

 少しの警戒と共に弘宗が鶴を見ると――鶴は目を輝かせてぐいぐいと近づいてきた。

「そうか、鍛冶が出来るのか……」

 控えめに言っても鶴は興奮していた。子どもらしからぬ迫力、と言えば聞こえはいいが、目はちょっと興奮し過ぎてギラギラしすぎてるし控えめに言って気持ち悪い。

「え、あ、はい……」

「鶴様、森宗殿が引いてます」

 金浜が手のひらで鶴を押し戻しついでに鼻面を叩いた。


 勢いを止められた鶴は鼻をさすりながら、改めて森宗に向き直った。

「それで、いきなり俺の家臣になりたいなんて酔狂だな。俺はまだ知行も持ってない元服前の子どもだぞ」

「具運様のご紹介です。石川殿にも許可はいただいています」

 金浜が口添える。まったく知らなかったのか、鶴は「そうなの?!」と驚いた。

「先に息子に話を通せよ親父様……」

 ひとつだけため息をついて、少年は頷いた。

「そういうことなら、今日から君は俺の家臣だ。その代わり、色々やってもらうよ」

 そうして森宗弘宗はあっさりと石川鶴の家臣となった。


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