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第16話 守役と父

「金浜、鶴の様子はどうだ?」

 奥亭に呼び出されて高信からそう聞かれた時、金浜信門は、来たるべきものが来たのだと思った。

 金浜の主――石川高信は、奥亭の向こうにある津軽平野を眺めている。そこに広がる田んぼのどこかには鶴丸がいる。

「息災でございます」

「息災、な。お前、ずいぶんとこき使われているそうではないか」

 高信は笑った。

「浪岡はずいぶん興味を持っているようだ。あっちでの顔見世で随分と語り草になっているそうだぞ、あいつ。『暑さにも寒さにも耐える新たな米を作る』だったか」


 さもあらん、と金浜は頷いた。

 浪岡の重臣が集まった前で堂々と金策を無心し、己が“野望”を披露したのだ、話題にもなる。

「儂が時々しか居ないのでなかなか目を届かせることが出来ずにいたが、よくよく聞けば、鶴の奴、奇妙な事をやっているようだな」

 高信は現在、基本的には本領である田子に嫡子である信直君と共にいる。岩手郡にも領地を持っているし、まだまだ領内が不穏な中、比較的安定している津軽に常時滞在できる状態ではないのだ。自然、石川城に住む鶴に対しては放任状態だった。

 無論、鶴がやってきたことは金浜が常時報告しているが、今まで口を出してこなかったのが不思議なくらいだ。

「ね子に管理させている収益を持ち出し、浪岡や九郎から銭を借りてきて、下人の子どもを買ったかと思えば、紙の職人を雇い入れ、農民の土地を借りて田で妙な事をやりはじめたと。お前の報告には淡々と書かれていたが、子どもの酔狂と言うには随分積極的ではないか」


 酔狂。確かにはた目に見たら酔狂だろう。何をやっているのか、理解するのは至難だ。

「去年の凶作の影響はまだ続いている、無駄な出費の愚はお前たちも理解しているはずだ、それでもお前やね子はそれを許したと言う事だろう。出費するに足る何かを、お前たちは見出したのだろうが、俺にはどうもあいつが何をやりたいのかが分からん」

 高信は唇をひん曲げて金浜に問いかける。石川領の為政者として、なにより未来の武人の父親として当然の疑問だった。

「あいつは何をしようとしているのだ?」

 なぜ自分がそれを説明しなければならないのか、と金浜は何度自分に問いかけたか分からない自問をこの時も頭に浮かべた。


 守役である以上、庇護下にある者の事を親から聞かれるのは当然のことだ。だが、鶴の行いを理解しきれない自分がもどかしい。

 鶴丸は、奇妙な人間である。米が好きで、米を育てるために血道をあげているのは分かるが、その理が説明できるか、金浜ははなはだ心もとなかった。

 だが、『鶴を見守る』と決めた以上、その責の一端を担うのは自分だ。

 なにより、自分は鶴の守役であり、今現在の最側近なのだから。


「冷害や干ばつに負けぬ、新しい稲を作るのだと、鶴様は言っておられました」

「ほう……そんな事が出来るのか?」

「鶴様は出来ると確信しておられました。しかし、それを実際に普及させるためには費えが必要なのです」

「普及だと?」

「はい。新しい農法というのは、新しいやり方と新しい道具とが絡み合ってこそ、その効果を十全に発揮するものだそうです。ですが、そのやり方や道具は、今鶴様の頭の中にしかありません。

 農法を普及させるには、その農法を行う農民自身が、そのやり方と道具を理解しなければなりません。物を形にし、それを大きく広めるために、まず様々な“試し”が必要なのだと」


 鶴が金浜に明確に言ったことではないが、金浜が見たところ、鶴はただ単に農業をするのみならず、『仕組み』を徐々に変えていこうとしているように見える。

 新しい保温折衷苗代というやり方だけではない。田を乾かすやり方や、正条植という、稲の植え方をわざわざ変えたりするなど、ただ稲の育ちを良くするだけではない、稲作の仕組み全体に目を配っているように思える。

「それにしても百数十貫文も費やすようなことなのか、それは」

「それほどに大きなことなのだと鶴様は判断しておられるのでしょう」

 さて、高信に今の鶴をどう説明したものか。金浜はわずかに思案し、自分の考えを述べることにした。


「鶴様は幼いです。ですが、とても聡い人間です。そして明敏な目を持っている。その目は、我らが見ているものとは違うものが見えるのでしょう」

 長年、あの奇妙な少年を見てきて出た結論がそれだった。

 人とは違うものが見えている人間――ひとはそれを天賦と呼ぶのだろう。稲に限って、彼はそのような才を持っていたのだと金浜は理解している。


「違うものとは、稲の事か」

「はい、あの方は自分が年齢からみて分不相応の事をやっているのも理解しているでしょう。ですが、その方が無理を押して方々に乞い、行うというからには、彼に見えているのはよほど違う世界なのでしょう。そしてその違いを、彼は形にすることが出来る。そしてそれが、未来の石川領、いえ、南部領に資することであるなら、今ここで多少の銭を費やしてでも行わせた方が彼のためであると考えました」

「失敗したらいかがする」

「大人になって失敗したほうが、被害が大きいと判断しました。もし失敗したとしても、元服前ならばあきらめもつきましょう」

 高信は守役の言葉に黙り込む。


「守役から見て――」

 金浜は言葉を選びながら言う。

「忌憚ない言い方をすれば、鶴様の武人としての才は良と言っていいですが、特筆するものでもないと思います」

「随分はっきり言うな」

 高信が鼻白むのもあえて無視して、金浜は続ける。

「確かに器用で、戦技も教え込めばしっかり覚える力があります。ですが、武人としての闘争心が少ない。人を殺す覚悟が据わらない。これは武人として大成するのに大きな壁になるでしょう」

 性根が基本的に優しい鶴は、戦稽古の時もどこかで力を抜いてしまう所があった。人を傷つけるのが恐ろしいと思うのは、たとえ武人の子でもあることだ。だが、いつまでもそのままではいけない。


「あくまで私個人の意見ですが、今、農事に関わることで、鶴様の武人としての弱点を超えることが出来るのではないか、と考えております」

「どういう事だ」

「武人の強さは、畢竟、戦場にあって覚悟を決められるかどうかが肝要です。どんな場所にあっても恐れず敵陣に飛びこみ、顔なじみの将士が死ぬと分かっても死命を下せる、それは覚悟が決まるか否かです。そして今、形は違うとはいえ鶴様はその覚悟をもって農事に関わっていると私は見ました」

 鶴は、自分が失敗すれば今回の件に巻き込んだ者たちが飢え、最悪死ぬ事を理解している。その他人の生き死にを背負って農事にあたっている。


戦心(いくさごころ)が無くとも、覚悟があれば良い武将になれます。今回の農事が、その覚悟を鶴様に植え付けてくれると私は考えます。成功しても失敗しても、その経験は将来の糧となりましょう」

「……その割には随分と楽しんでいるようだがな」

「その辺は性分としか言いようがないでしょう。私はそちらの才能も十二分に活かすべきだとも思っています」

「……あいつをよく見ているな、金浜。お前を守役にして良かった」

「恐れ入ります。その言葉だけでも報われるというものです」

 全くの本心で金浜は頭を下げた。


「鶴は……去年の凶作を夢見で当てた」

「はい」

「あやつの言葉を真に受けたわけではないが、多少五穀を蓄えた。おかげで我が領内は餓人が他よりも少なく済んだ。……あやつのもつ力は、神がかりのものだと思うか」

「いえ、夢見の事は分かりませぬが、おそらくそういうものではないでしょう。本当にただ単に『米数寄』なのだと思います、鶴様は」

「ふ、くくく……米数寄か」

 高信は命じた。

「鶴の所に案内せよ」




 石川高信は津軽郡代である。

 津軽で直接支配する領地はそれほどでもないが、本国糠部の田子や岩手にも領地を持ち、今まで培ってきた武威をもって津軽の南部系諸領主をその統制下に置き、その威令は南部氏領内のみならず、秋田・仙北など近国にも響いている。

 豪放磊落な武将であり、典型的な領主であるそんな彼にとり、理解が及ばない存在が、自分の二男だった。


 金浜と共に息子が管理している田んぼに向かう。

 今日は田植えだ。鶴は田んぼの中で稲を受け渡す作業をしていた。こちらが近づくと顔を上げ、ここに来るはずのない人間の姿に目を丸くした。

 鶴が金浜に目で問うと、金浜は神妙な顔で頷き返す。それで意図は通じたのか、鶴は強張った顔で高信を迎えた。

「おう、泥だらけだな鶴」

「親父殿」

「お前の仕事ぶりを見たいと思ってな、ちょいと寄らせてもらったぞ」

 高信は田んぼを見回した。

「ここがお前の借りている田か」 

「はい」

「確かによう育っておるな」

「恐悦です」

 ほめられて喜ぶでもなく頭を下げる。むしろ、褒められて警戒している。そういう所がまずもって子供らしくない。


 思えば奇妙な子だったと、石川高信は思い返す。

 長じて鶴はすくすくと育っていった。子供ながらに算術が得意で、槍や刀の腕は平凡でも、じっくりとよく考え最終的にその技術を自分の身につける聡さがある、なかなか利発な子供だった。兄の亀九郎もだが、良い子に恵まれたと育ちぶりを見ては親として安心したものだ。


 だが、米に対するこだわりだけが妙なほど強い子だった。

 武家が田を耕すのは別に不思議でもなんでもない。南部氏の親類一家である八戸氏などは、頑健な体を作るためという理由で、与えた知行地に必ず知行主が耕すための手作地を設けさせ、当主や重臣すらも自ら田畑を耕すことを奨励している。高信自身、多少の農事はする。


 だが、鶴の場合は、農家一般の領分まで踏み込んでいるようだった。八戸家の例で言うなら、体を鍛えるためという武士としての目的ではなく、農事をもって儲けるという農民としての目的のために血道をあげているように見える。武士という身分から見れば、本末転倒なのだ。


 郡代職を持つ家の子がそのようなことに熱中していることに対して、『身分不相応だ』とはっきり眉をひそめる者もいた。だが、高信はそれを認めた。農事は国の基だ、実際に農民たちと接し、世の実際を詳しく知るのも勉強だと思ったのだ。


 鶴は懇意の農家の助けを得ながら、熱意をもってやっているようだった。高信はそれ以上の興味を持たなかった。元服する頃になれば、鶴の身分では否が応でも農事からは離れなければならない。それまでの手慰みだ。

 だが、その熱はさらに加速しているようだった。銭を持ち出してまで下人を買い、人を雇い、田を借りてまで何かをしようとしている。しかも、普段なら止めに入るべき守役の金浜や母親のね子までそれに協力しているという。


 高信は、自分の息子がただ良い息子ではなく、武辺者たる自分とは全く違うたぐいの人間だと気付いたのは、彼のそんななりふり構わない行動が理解できなくなったからだ。


 そうは思っても、高信は息子の奇行をその時点では止めようとしなかった。

 一見、数寄に耽溺しているかのような彼の行動は、何か目標があっての行いのようだった。彼なりの、そしてかなり強固な理を持って動いているのが分かったからこそ、高信は息子を止めなかった。

 ただその理がなんなのか、仮にも津軽郡代として津軽を支配する高信にも、彼の意図がやはり分からなかった。

 米の作り方を変えようとしているのは、金浜の説明でなんとなく分かった。大それたことを考えているのも。だが、何故それをするのか、それが分からない。

 鶴丸が何をやりたいのか、何をしようとしているのか。そして、そんな思惑を子供の身空で思いつき、実行出来る源泉はなんなのか、高信には皆目見当もつかなかった。


 なにより、浪岡が鶴に興味を示した。

 あの利に聡い表裏の御仁が興味を持ち、あまつさえ一つの提案をしてくるほどだ。事ここに至って、高信も息子がやっていることに向き合わなければならなくなった。何事かが起きるその前に。

 なので、問うた。


「お前、何をする気なのだ」

 直接的だが、心底を探るような物言いになったのは、高信の畏れによるものだ。正直に言って、この時の高信は息子が少々気味悪かったのだ。

「……やりたいことがあるのです」

 父の厳しい言葉に、鶴丸はそう答えた。そして高信はその答えに自分の考えが正しかったことを確信する。

「やりたいこととはなんだ?」

「……俺の試みが実を結んだら報告いたします。ですので、いま少し……秋まで待っていただきたいのです。それは、父上にとっても価値のあることだと確信しているのです」

 と、鶴丸は大人びた顔をして、真剣な顔で頭を下げてきた。


「それが南部を害する可能性はあるか」

「いいえ、成就すれば、南部を豊かにすることでしょう、間違いなく。失敗しても、私一人が損をするだけです」

 少年は、高信をじっと見つめて言った。

 腹を据えた武人の目だ。

 邪魔をする者はすべからく斬り捨てる、と心に決めた目が自分に向けられる事に、高信は不覚にも高揚した。

 この小僧は、俺を倒そうとしているのだ。


「……よかろう、待ってやる。もし、その行いが失敗するようなら、お前が借りた金はもちろん、持ち出した金もお前が返せ」

「はい!」

 思えば、この時こそ高信が鶴をひとりの武士として認めた時だったかもしれない。

 気味が悪い、という気持ちは消えない。高信にとっても価値のあること、という言葉を信じる事も出来ない。だが、同時に高信の胸の中で興味がわいた。そう、興味だ。

(もしかしたら、この息子は武士や農民の領分を越えた、計り知れない何かを形に出来るのかもしれない)

 それはおそらく、金浜やね子が感じたものと近しいものだ。


 高信はあぜ道に座り込み、田んぼを見た。

 日は高く、良い天気だ。困ったように眉根を寄せる鶴に、高信は問いかけた。

「ここの米は美味くなるか」

「はい、例年よりも熟期が長く取れますので、良く肥えた米をお出しできると思います」

 鶴はころっと表情を変え、無邪気な笑顔でそのまま米の事を語りだした。

 なるほど、米数寄だ、と高信は苦笑しながら息子のよく分からない語りを聞いていた。


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