第13話 にわか教師の稲講義
丸くてつるつるのマメと、皺くちゃのマメがあるとする。
このつるつるのマメのめしべに、皺くちゃのマメの花粉を受粉させ掛け合わせると、まず最初は全てつるつるのマメが誕生する。これが雑種第一世代とする。この雑種第一世代を交配した際に、対立するふたつの要素(対立遺伝子)のうち、多くの場合どちらかの形質要素が顕れる。顕れてくる方の情報を持ったほうを顕性遺伝といい、逆に顕れてこない情報を持った方を潜性遺伝という。
これを『顕潜の法則』という。
その次に、この雑種第一世代を種子として育てると、今度はつるつるのマメが三、皺くちゃのマメが一の割合で誕生する。第一世代では現れなかった潜性の性質が、雑種二世代目で現れるのだ。
つるつるのマメをAA、皺くちゃのマメをaaとして、それが組み合わされる事で誕生する子供は父と母の要素を貰い、Aaの要素を持つ。
さらに、このAa同士を掛け合わせると、生まれる子供の組み合わせはAA・Aa・Aa・aaとなる。前三つはAの顕性を持つためつるつるに、後のひとつは潜性のみを持つためしわくちゃになるのだ。
これを『分離の法則』という。
だが、それらの対立する要素というのは一つではない。例えば、つるつる(AA)で葉っぱの色が黄色(BB)のものと、皺くちゃ(aa)で葉っぱの色は緑色(bb)のもの、という対立要素を加えるとしよう。大文字のほうが顕性遺伝だ。
AABBの要素と、aabbの要素を持つマメを組み合わせると、AaBbという遺伝子を持つ、つるつるでかつ葉っぱが黄色の雑種第一世代のマメが誕生する。さらにこれをそれぞれ掛け合わせると、
丸くて黄色のマメが九
丸くて緑色のマメが三
皺くちゃで黄色のマメが三
皺くちゃで緑色のマメが一
という割合で誕生する。その際、Aまたはaと、Bまたはbは、他の遺伝子の影響を受けずに配分される。
これを『独立の法則』という(ただしこの法則に関しては例外は多い)
まあ、細かい所になるとまたちょっと違ったりもするのだけれども。
「グレゴール・ヨハン・メンデル師というヨーロッパ――紅毛人の国のひとつ、オーストリア国チェコ地方のキリシタンの僧が発見したこの法則は、新しい稲を作るにあたって知っておかなければならない法則なんだ」
メンデルの法則。
チェコスロバキアの偉大なる修道士先生が発見したその法則を、約三百年ほど先取りしてしまうちょっとした罪悪感から逃れるため、俺はあえて『メンデルの法則』という名前を冠して教える事にした。
「簡単に言うならば、種から種へと受け継がれる『遺伝』の法則だ」
近代遺伝学はここから始まった。そしてその知識は直接、稲作の品種改良に使われているのだ。
講義を受ける利助とヨシはといえば――ポカンとしている。
「動物でも、子どもは父親と母親の特徴を受け継ぐ。メンデルの法則は、植物でそれらがなぜ起きるのか、ということを理論的に解説したものなんだ」
「えっと……これが稲でも起こるってことなのか?」
利助が恐る恐る、という感じで答える。今まで彼らの常識にはなかった知識を浴びせられて、受け止めかねているようだった。
「そうだよ。利助、お前はなぜ稲が花を実らせるか、知っているか?」
「えっと、植物の種もみには雄と雌があって、雌の種を蒔くと芽が出て育つって……」
「残念、違うな」
利助の認識はこの時代の植物理解としては一般的だ。ざっくりとした講義になるが触れておこう。
「花には花粉を生み出すおしべと、それを受けとるめしべがある。稲は自家受粉植物といって、おしべとめしべが一つの稲の中にある。自分の中で生み出した花粉をめしべが受け取ることによって、花が咲き、最終的に稲穂という種になって、次の子孫となる。俺たちはその種を食っているというわけだ」
あらかじめ稲の花を大きく描いた絵を二人に配る。六本のおしべと一本のめしべがある。
「仮にこのおしべを切ってしまうと、めしべは花粉を受け取ることが出来ず、稲穂はまったく実らなくなる」
ひえ、と利助が声をあげて股を押さえる。種を切る残酷さを想像したのか。
「じゃあ、おしべを切った稲に、他の稲の花粉をつけたらどうなると思う? 稲には幾つもの品種があるだろう? 収量が多い『甲』という品種のめしべに、病気に強い『乙』という品種の花粉をつけると、いったいどんな品種が生まれると思う?」
利助が恐る恐る、といった様子で答える。
「収量が多く取れて病気に強い品種?」
「そう、正確にはそれが取れる可能性が高くなるという事だ。さっき言ったようにどの要素が発現するかは分からないから、逆に収量が少なくなったりする場合もあるのだけれども、少なくともその要素を兼ね備えた米が生まれる可能性が高くなるんだ。これを人工交配育種という」
品種改良において必要な知識だ。
といっても、これを実施する前にやらなければならないことがある。
「この人工交配と、純系選抜を並行して行う」
「純系選抜?」
「今田んぼに生えている米は、仮に一つの品種の中であっても、さっき言った『要素』がかなりバラバラな状態なんだ」
さっきの模式で言えば、AaBbやaaBbやAaBBの遺伝子を持った種が混在している状態だ。それを可能な限りAABBに近づける作業を行わなければならない。
『収量が多い』『病気に強い』『早く育つ』『寒さに強い・弱い』『暑さに強い・弱い』『穂数の多少』『穂重の軽重』『背の高低』『肥料応答性が高低』『脱粒性』『芒の有無』などなど、ひとつの種に色んな要素が存在している。『甲』の稲を作るうちに、いずれかの要素が強いかを観察し、選抜して、数年かけて同じ要素の稲を育てて、これらの性格を揃えていくのが、『純系選抜』だ。
その後、人工交配によって別に純系選抜を行っていた『乙』の品種と掛け合わせることで、より目星をつけた要素を発現しやすい稲を作る。
さっきのマメの例で言えば、『つるつるのマメ』『皺くちゃのマメ』という要素に統一されるように種子を選抜していくのだ。
この時代、“現代”の稲に比べて遺伝的には雑多なのだ。純系選抜をして稲の性格を揃える事で、他の遺伝要素が発現することを抑える必要がある。
「もちろん、さっき言った先祖返りの稲も時々現れる。いわゆる『飛び稲』ってやつだな。それには他には見ない特異な要素を持ち合わせている場合がある。これもきちんと観察して有用な要素を持っているのであれば採取し、育てる必要がある」
突然変異の稲から、後代に名の残る品種が生まれた例も多い。飛び稲は宝になる可能性があるのだ。
ちなみに、現代の育種だと、遺伝学を利用した様々な方法が実行されていて、人工的に『飛び稲』を生み出したり、望む形質の種を生み出したりするのだけれども、この時代でそれを再現するのはほぼ無理なので、基本的な育種方法で進めていくつもりだ。
「なかなか難しいし、時間もかかる、稲を見る力量が問われるし、根気がいる仕事だ。しかも多くの記録をつけないといけない」
一つの品種を作り上げるのは、数年から十年はかかる長大な事業だ。戦国の世でそれを行うのはおそらく大変な仕事になる、が、少しでもこれを行わなければならない。
「利助、ヨシ、二人にはこの学問を学び、新しい稲を作るんだ」
「な、何をすればいいんですか」
気圧されたようにヨシが問う。
「幾つもあるけど、まずやってもらいたいのは『観察』だ。二人には稲の状態をひたすら観察し、記録をつけ、そして稲を選抜する手伝いをしてもらう。ふたりとも、絵心はあるか?」
こうして、にわか教師の稲講義が時々催されることとなった。
永禄三年(一五六〇)二月二十五日
春彼岸を過ぎてだんだん日が長くなる季節。俺は城を抜け出して作業小屋に向かった。
道脇にはまだ雪が積まれている。外はまだ肌寒いが、自分の中に沸き立つ高揚感が、その寒さを忘れさせた。
久しぶりに、本当に久しぶりに米を作れる。今年の稲作が始まるのだ。
「利助、ヨシ、寒くはないか」
二人組に声をかける。彼らの背には今日使う道具が背負われている。
「大丈夫、です」
ヨシが頷いた。彼女も買った当初に比べれば血色も良くなったし肉もついてきた。良い傾向だ。
「今日はまだ温いほうだ」
「兵六もすまんな。お前の家の分の種もみ作業も始まってるんだろう?」
「いんや、まず鶴様の仕事を見てからやろうと思ってらから」
稲作はまず、種もみの選別から始まり、それを水につけて催芽――芽を出させた後、苗代で生長させて田に植え付ける――という過程を取る。種もみを直接田に撒く直播という方法もあるが、この地域はだいたい苗代で育てて田に植え付ける移植栽培だ。
津軽は雪深い国だ。雪が完全に融けるのは四月になってからというのもざらなこの地域、苗代を作るのも雪が解けてからになるわけだ。
ましてこの時代、田植えはもっと遅い。“現代”と違い、苗代を早く育てる技術が確立していないのだ。
遅く植えつけられる分、熟成する期間を取ることが出来ずに収量が減り、成熟が進まないまま冷害などを受けようものなら受精不良を起こして不稔――種子が実らない――が発生してしまう。苗半作というが、この北日本の地においては苗をすぐに植える必要があるのだ。江戸時代では、その技術は足りなかった。
そしてそれは、『技術』で多少は解決することが出来るのだ。
「今年は、白米に関しては端午の節句前に田植えをするぞ」
三人を前にして宣言する。
兵六が目を丸くし、利助がいぶかるように、ヨシはぽかんとしていた。
この時代この地方では、田植えと言えば端午の節句、つまりは五月五日(旧暦なので、新暦に換算すると五月下旬)の後、早くとも五月半ば(新暦で六月上旬)から行われる事が多い。早稲であっても端午の節句前に植えるのはまれだ。それは、寒さゆえに苗の生育がそこまでかかるからだ。常識的には難しい。
津軽は寒い。故に赤米のような早稲種すら晩期に植え付けるようなギリギリの田植えをしてきたのだ。
「そったに早くすること、出来るのすか?」
「出来る。正直もっと早くしたいところだけど今回はな」
早く植える事による効果として、生育の遅れによって起こる遅延型冷害を避けられる可能性が上がること、生育期間の延長により、より熟期を長く取ることなど、幾つかある。
「まあ見てろ兵六。今日は籾を選ぶぞ」
作業小屋で保管していた種もみを引っ張り出す。
今年作る品種は『比内奥稲』『越前白坊』だ。それ以外に、『東日流早稲』と『三戸早稲』という品種も別に兵六の田んぼで作ってもらう。それぞれに特徴がある。
『比内奥稲』は津軽の南隣にある比内郡で生まれたとされる稲だ。晩成種であり、土のこなれた田んぼならば大きな収量を上げることが出来る。ここ津軽でもポピュラーな品種だ。だが、寒さにはあまり強くなく、飢饉の際にはよく枯れてしまうと言われる稲だ。
もうひとつの『越前白坊』は早種の稲だ。収量はそこそこだが、寒さに関しては白米の中では強く、育ちも早い。また種子の先に芒――毛状の突起が無いので処理がしやすい。だから『坊主』などと名がついている。
この二つを掛け合わせて、新しい品種を作る。
まず目指すのは、早稲でかつ寒さに強く、収量が多い白米だ。
ちなみに冷害に強いという意味では、この時代いわゆる赤米のほうがかなり強かったりする。赤米は早稲が多く、熟するのが早く早めに収穫できるのが利点だ。
しかし、赤米は収量が少なく、また品質(ありていにいえば味)という面でも不人気なのだ。なにより安く買い叩かれるため、農民はどうしても白米を作りたがる。
農民たちが晩稲で寒さに弱いが収量の多い品種を育てがちなのは、純粋にそれが直接生活に響くからだ。なので、そこを穴埋めできる冷害に強い白米を作り出せれば、全体の生活向上に繋がる。
兵六に作ってもらう赤米、『東日流早稲』と『三戸早稲』は、品種改良まで手を伸ばしていたらさすがにキャパオーバーなので、純系選抜を優先してもらう。寒さと収量を中心に稲を見極めてもらうつもりだった。
ちなみに『三戸早稲』は、信直兄上に「田子で育てられている寒さに強い赤米の早稲」があれば送ってくれるよういくつかの条件を依頼して送ってもらったものだ。田子のある糠部の方が冷えるし、そこで育った稲なら良い素性の稲が育つと思ったからだ。
水の張った桶を準備して、俺はそこにさらさらと白い結晶を流し込んだ。
「鶴様、この水は?」
「塩水だ」
深めの桶の中に、塩を溶かした水が満ちている。
鶴丸はその塩水の中に種もみをざらざらと流し込む。そうすると、一部の種もみが水面にわらわらと浮かび上がる。
「塩水選って言って、ある程度の濃さにした塩水につけると、こうやって重みのある実の詰まった種もみは沈んで、中身が入っていない種もみは浮いてしまう。これで発芽が良い籾を選べるんだ」
浮いてきた種もみをざるですくい取りながら鶴丸は説明してくれる。
「しかもな、いもち病に侵された種もある程度取り除いてくれる。なかなかのすぐれものなんだよ」
兵六・利助・ヨシが沈んだ種もみと浮かんだ種もみを触り比べる。
「確かに、沈んだ種もみは実が詰まってらな」
単純な工夫だが、確かにこれなら良い種もみを選ぶことが出来る。個人的にはほんの少し濃く塩水を作ると、種もみがさらに厳選されて良いと思っている。ただし塩代がバカにならないので、その辺も塩梅だ。
品種ごとにそれを繰り返し、種もみを厳選していく。これだけでも収穫は五分くらい伸びると言われるが、それはこれからの作業をしっかり押さえた上だと思っている。
種もみを選んで一度念入りに洗い流す。その間、ふたつの大きな鍋でお湯を沸かす。人が二・三人すっぽり入ってしまう様な大きな鍋だ。その下にガンガン火を焚いて炭を放り込んで沸騰させる。
「お湯、沸いたぞ」
「おう、ちゃんと水の量は計算したな」
「ああ。これ、何をする気なんだ?」
「お湯で病気の元を茹で殺すんだよ」
「病気の元?」
「そう、いもち病とか苗立枯病とかな」
種もみをお湯で消毒する。温湯消毒というやつだ。
いもち病・もみ枯細菌・苗立枯れ病……。種もみには様々な病原菌のモトがついている。温湯消毒によって、これらをある程度殺菌するのだ。
ぐつぐつと煮える水に、片方の大鍋(甲)には同量より少し少なめの水を、もう片方の鍋(乙)には倍量程度の水を流し込む。
本当は温度計があれば一発なのだが、残念ながらこの時代そんな文明の利器はない。だが、水の温度は(沸騰する水温(百度)×水の量+流し込む水の温度×水の量)÷二つの水の量の合計で目分量ながら調整することが出来る。
例えば百度の水十リットルに十度の二十リットルを流し込むとすると(100×10000ml+10×20000ml)÷(10000+20000)なので四十℃となる。
もちろん、ここには温度計が無いので水温を正確には測れないし、容器の温度なども関わってくるので、ある程度概算になる。
流し込む水温を仮に十三℃と仮定して、(100×6000ml+13×5000ml)÷(6000+5000)=60.4545……となるので、これを基準に水の様子を見ながら温度を確認していく。六十℃をあまりに超えると今度は芽が出なくなったりするのでこの按配が難しい。標高で沸騰温度も変わるし、蒸発分もあるのでその辺は勘でやるしかない。
まず、水温をひと肌程度に下げた乙の鍋に、先ほど選別した種もみをくぐらせる。冷たいまま種もみをいきなり高い温度の水に入れると、水から温度を奪って水温を下げてしまうのだ。
ある程度まんべんなく、種もみをくゆらせてから、軽くぬるま湯を切って今度は甲の鍋に種もみを移す。
「こうやって温湯に数分つける」
本当は温度計があれば最高なのだけれども、この時代温度計は存在しないのでどうしようもないので目分量だ。六十℃からあまり高くても低くても駄目なので、この辺は試行錯誤になる。簡易でもいいから温度計を作れればいいのだけれども。
本当は催芽の時に酢酸による消毒も出来ればいいのだけれども、温度管理がさすがに厳しいので、この場合はギリギリ出来そうな温湯消毒で我慢する。この時代で再現できる技術をまず優先して試していかなければならない。
数字を数えて十分(これも正確な時計が無いから目分量だ)、お湯から種もみを引き出すとまた水につけて冷ます。その後は、湧水を貯めた池に沈めて『浸種』――水を十分に含ませて芽だしの準備を行うのだ。温湯消毒した種もみは、浸種の際あまり低い温度(十℃以下)では発芽率が悪くなるので注意する。さいわい、この田んぼは冬でもそれなりの温度な湧水を使えるので、その辺の心配はせずに済む。
漬ける目安としては、吸わせる水の積算温度が百二十度/日とか言われているけれども、温度計が無いので(略)
「ああああぁ、温度計が欲しい! あと正確な時計!」
「うわびっくりした。いきなり叫ぶな鶴様」
「はい」
利助に怒られながらその日の作業を終え、水につけた種もみを準備する。
この後、浸種を終えて芽が出てきたら苗代づくりだ。