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第12話 試行錯誤の開始

永禄二年(一五五九)九月二十日




 掘る、掘る、掘る。

 他の田から少し離れた、大きく三つの区画に分かれた合計三反ほどの田んぼだ。

 二つの区画は上流側に、もうひとつは道を挟んで少し離れた山際にある。そのうち、上流側の区画のひとつで、俺は兵六と利助・ヨシと共に田にひたすら溝を切っていた。

 この季節になると、空気は刺すような冷たさになってくる。そろそろ雪もちらつき始めている。もう半月もすれば本格的な冬になるだろう。

 近くの湧水から水を引いているので水利はかなり良いが、山際の区画は日当たりはあまり良くない。稲刈りの終わった水田だが、今年は干ばつの影響でいつもより乾いている。土は熟しているが耕盤は薄く、水はけが良いとは言えない、いわゆる湿田だ。今年の干ばつでも水量のおかげで少しは穂が成った場所でもある。


 刈り入れを終えたその田んぼに、今年干ばつのせいで枯れ落ちて使えなくなった稲の残骸を肥料として刻んで撒いて、溝を掘り始めた。

 溝を掘っているのは、いわゆる明渠――水田から水を抜いて乾田化するため、そして水路を整備するためだ。

「すまない兵六、付き合ってもらって」

「いいってことで。石川様の御子に何かあったら困るからなぁ。それに、一反とはいえ一条の溝を切るのはなかなか重労働だもの」

 田んぼの基本単位である一反(段)はこの時代だと約三百六十坪、現代の数値にして約一.一八九ヘクタール、正方形に換算すると一辺が約三十三メートルという所か。

 しかもこの時代はまだ田んぼが四角に区画整理されておらずうにょうにょと曲がりくねっている。鍬と先のみに鉄がついた木のスコップで土を掘るのはなかなかの重労働だ。本当なら小型ショベルカーや溝切機とかでスパッと切ってしまいたいところだが、残念ながらそんな機械は戦国時代にはない。ああ文明の利器が欲しい!


「溝切して地下水を落としてあげれば、田が乾きやすくなるし、しっかり乾かせば耕盤がしっかりして水漏れもしづらくなる。全ての田んぼにやる事は出来ないだろうが、この田んぼで色々試してみたいんだ。手間だが頼む」


 戦国時代の田んぼはほとんどが『湿田』だ。地下水位が高く、水を抜いても湿っている田んぼだ。場所によっては腰や胸まで沈むほどの強湿田となり、その田植えの効率はとても悪い。

 乾田はその逆、水を抜いてあげればきちんと乾いてくれる田んぼだ。きちんと整備してあげれば収量は増える(乾土効果という)し、馬鋤のような大型農具も入れられるようになる。ただし、しっかりした施肥は必須になってくるし、用水が整っている場所でないと出来ない。それに、灌漑設備が整っていないこの時代、干ばつも高い頻度で起きる。そういう時、湿田のほうが良い場合もある。


 乾田はまた排水の便も重要になってくる。

 この時代の田んぼは、田んぼと田んぼが直接繋がって水をやり取りする構造が多い。これでは水のやりくりが自由にならないし排水にも手間がかかる。そのため、田の横に用排水のための水路を掘る。用水路の設計は均等に水が入るように綿密にやらねば水争いの原因になったりもする。またこの時代の用水路は土を掘っただけで三面コンクリートで覆ったりはしていないので水が水路の土面に染みてしまって効率が悪いので、やれるなら石でも敷いてみようかと思っている。


 土地土地や社会、そして環境のありようによって、最適の方法は変わってくるが、三つ借りた田んぼのうち、それぞれに違うやり方で稲を育て、この時代で出来る幾つかの方法を導入して、どれが合うか、何をすべきなのか試すのが、この田んぼでの目的だ。

 いかに素晴らしい理論をあてはめても、現実にはうまくいかないことは多々ある。まずは現実を観察しつつ、様々な方法を試してみるのだ。


 俺は土堀りの手を一旦止めて、兵六に礼を言う。

「兵六、あらためてこの田を貸してくれてありがとう。ここでしっかり成果を出して還元してみせるから、どうか許してほしい」

「おらえも鶴様に『田を貸してほしい』と言われた時は驚いたなぁ」

 兵六はハハハと笑った。

「本当なら石川様の御子とはいえ断る筋の話だもの。だども、鶴様だからね」

 兵六は目を細める。それは笑みのようにも、こちらの心底を伺っているようにも見えて、少し体が固まった。


「鶴様、あの時、酢を撒けって言ったでしょ?」

「……ああ」

 確かに言った。だが、結構破れかぶれで言った提案だった。

「さすがに全部の田には撒けないから、二町くらいに数回に分けて撒いてみたの。そしたらその田んぼね、周りの田がやられる中で生き残ったのよ。おかげで村のいくつかの家はなんとか生きていけそうだ」

 そうか……効果あったのか……。

 なんとなく、後ろめたいような、救われた気持ちが湧く。

 兵六は笑った。

「もちろん、偶然かもしれねえ。どれくらい酢の効果があったかもわからねえよ。けどね、補肥の事もそうだけど、あんたの言葉なら信じてもいいな、って思ったの。そして、いくつも学べるって」

 兵六はゆっくりと頭を下げた。

「オレにもあんたの仕事手伝わせてけで。そしてオレの家族や村がもっと豊かにしたいの」

「……そうか。なら、俺からもう一つ頼みたい」


 改めて兵六に向き直り、自分も頭を下げる。そう考えてくれると言うなら、一歩踏み込んでもいいと思った。

「兵六、俺の知識はまだまだ未完成だ。失敗もすると思う。その時に、なんで失敗したのか一緒に考えてほしい。その代わり、俺の知識を最大限伝えると約束するよ」

「わがった、鶴様の思し召しのままに、だよ」

「利助、ヨシ。お前たちもな。よろしく頼む」

「そんな! めっそうもない事です!」

 ヨシがあわてて首を振る。利助はおののくように顔をしかめた。

「あん……鶴様って、地下にも頭を下げるんだな」

「? お前たちは俺の米作りの仲間だ。仲間なら武士だろうが地下だろうが頭を下げるのは当たり前だ」

「……お前は俺の主君だろ。主君が下人にそんな頭を下げるもんじゃない」

「そんだな、あまり石川の御曹司とあろう方が軽々に頭を下げるのはまずいかもしんねえな」

「いいんだよ、米以外の事じゃ滅多に頭を下げないんだから」

「本当に米数寄なんですね、鶴様は」

 ヨシが口をほころばせ、つられて皆も笑った。




永禄二年(一五五九)十一月一日



「……よし、大分乾いているな。よしよし」

 地面を踏みしめて、土を握り、圃場の乾き具合を確認する。二か月半をかけて水を抜いた田んぼは、乾田化したばかりとは思えないくらい乾いていた。今年の干ばつで予想以上に水が抜けていたらしい。

「やぁ、この田は冬でもドロドロだったもんだが、こんなに乾くもんなんすな。まるで乾いた板みてえだ」

 兵六が目を丸くしている。

「本当は水漏れを防ぐために地面をもっと固めたいんだけどな」

 ここはこなれた土壌だが、この地方は火山灰土が多い。火山灰土は水漏れがしやすいので、“現代”では他から粘土質の土を運んで入れたり(客土という)、重機や重りを載せた車で踏みしめたりしたものだ。牛や馬に地面を踏みしめさせたりして効果は出るものだろうか。土がめちゃくちゃになるか。


 あとはベントナイト――水に触れると膨らむ作用を持つ土を施用する方法もある。実は津軽地方では黒石の山中に産地があるのだが、残念ながら南部氏の一族・一戸氏の分流である浅瀬石千徳(あせいしせんとく)氏の領地の中にあるので軽々しく手を出せないし、そもそも正確な場所も分からないし、掘り出せるかも分からないのでこれは後回し。

「これ以上固めたら石になっちまいませんか」

「水を入れれば変わらないよ。春になったらこの土を出来るだけ深く耕すことになる」

 うへぇ、と兵六が顔をしかめた。乾田を人力で深く耕起するのは文字通りの重労働であり、大変な作業だ。農家は一様に嫌がるだろうなぁ。

 そのためにも馬耕を取り入れて出来るだけ深く耕起できるようにしなければならないけれど、馬用の田起し機なんてすぐには作れないからなぁ。出来るだけ早い時期に試作をしておきたい。


 と、道の向こうかえっちらおっちらと利助とヨシたちが二人で抱えるような俵を運んできた。

 自分の指示で上流の区画の、乾田化した田とは別の田に運ばせる。

「おつかれ、じゃあ撒いていこう」

 へい、と兵六が頷く。利助が俵を破ると、中身を見て首をかしげる。

「これ、米ぬかか?」

「そう、米を精米して出てきたゴミ――いわゆる米ぬかだ」

「肥料にするのか? けど稲刈り後すぐなんて早すぎないか?」

「これは肥料というより、エサだ」

「エサ?」


 この土地の土を知る兵六の指示の下、土の状態を見ながら厚薄をつけて柄杓とカマスで米ぬかを蒔いていく。

「冬の間、兵六に頼んでこの田には水を入れ続ける。そうするとイトミミズが増える。イトミミズは藁や米ぬかをエサにして糞を吐く。その糞が肥料になって、春の田植時に良い肥になるんだ」

 冬季湛水農法と呼ばれる方法だ。“現代”において有機農業の有力な方法論として脚光を浴びたやり方だが、実のところを言えば冬季湛水自体は江戸時代の農書にも見られる、古くて新しい農法だったりする。


 イトミミズは米ぬかや稲わら、田に残った稲株を分解し、トロトロ層と呼ばれる窒素をたっぷり含んだ層を形成する。さらに土壌に固定されているリンも分解して放出する。これらが肥料分となって稲の生長を助ける。水田の土を肥えさせる方法のひとつとして、冬季湛水の有効性を昔の人たちは経験で知っていたのだ。


 この時代、肥料の自給には限界がある。銭を使って購入する肥料は『金肥』と呼ばれ、現金収入の少ない農家にとっては大きな負担だ。江戸時代にはいわゆる魚粕が肥料になったし、南部領なら大豆粕などは比較的手に入りやすい。だが、今はそういう肥料を手に入れるのにも一苦労だ。流通量がまだまだ少なくて値段が高いのだ。


 自給できる肥料と言えばいわゆる糞肥、とくに人糞――人肥だが、これには個人的に抵抗があるし、他にも用途があるのでそっちに使いたかったりする。


 出来るなら化学肥料をドバドバ入れた現代農法だってやってみたいものだが、化学肥料を作る知識は自分にはほとんど無い。ハーバー&ボッシュ法などこの時代でどう再現すればいいというのか。大豆粕など有機肥料を使うにしても、資力が弱い地元の農家が行えない方法で米作りをしても意味がない。

 ともあれ、自給できる肥料は自給しなければならない。結果を出すためには採れる手段を出来るだけ取らねばならないのだ。


 注意すべきは稲の品種だ。この時代の米は対肥応答性――肥料をどれだけ種もみに吸収できるか――が弱く、つまり肥料を吸収しづらい。肥料をやりすぎても穂の部分に養分がいかず、いたずらに草部分ばかりが延びてしまったり、ひ弱な稲が出来てしまったりする。それを念頭にして育てる稲を選抜し、将来的には品種改良を行わねばならない。


 利助とヨシは何度も往復して糠俵を運ぶ。ヨシなどはさすがにへとへとになって地面に座り込んだ。

「兵六、撒き具合はこんなものでいいかな?」

「んだすな。んだば、水を入れてきます」

 兵六は水止めのほうへ歩いていった。

「ヨシ、悪いな。これでも飲んで休め」

「すみません……」

 木筒を受け取り飲むと、ヨシはちょっと驚いたように目を瞬かせた。

「あ、甘い……」

「美味いだろ、蜂蜜水」

「蜂蜜って……そんな高いもの!」

 ヨシが顔を青ざめさせている。高級品をいきなり飲まされたら驚くか。

「あはは、俺の私物だし気にせず飲んで飲んで」

「の、飲めませんよ!」

「利助も飲め」


「……俺は気にしないからな」

 と、差し出した木筒を受け取り豪快に飲む。

「ほら、利助が飲んでるんだし、ヨシも」

「うぅ……」

 ヨシは気まずそうに木筒を見詰めていたが、やがて口をつけて飲んだ。ふは、と満足げなため息をつく。

「……美味しいです」

「ヨシ、俺の分も飲むか?」

 すっと利助が自分の分を差し出す。ぷっとヨシが口をとがらす。

「……わたし、そんな食いしんぼじゃない」

 ははは、と利助が顔をほころばせる。「なに笑うのよー!」とヨシが食って掛かる。

 そんなじゃれ合いが、彼らの本来の距離なのだろう。

 微笑ましいものを横で眺めていると、やがて、田んぼに水が流れ込み、圃場にすーっと広がっていくのが見えた。


 澄んだ水がちょろちょろと流れる音を畦道で聞きながら、利助が不意に問いかけてきた。

「……鶴様の話なら、これで収穫は増えるかもしれないけど、寒さに強い稲を作ることが出来るか?」

 思わずにやりとする。良く察してくれる。

 たしかに、冬季湛水農法は正確には冷害対策ではない。

「これは収穫を増やすための下準備。寒さ対策は苗を作る時に本格的にやる。それまでに、皆には稲の事を色々勉強してもらう」

「まずなにを学べばいいんだ?」

「そうだな。品種改良の基礎を学んでもらう。まずは」

 植物について習う時、小学生でも必ず勉強する“現代”の常識。すなわち。

「メンデルの法則だ」


ここからかなり時間が飛び飛びで進んでいきます。

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[気になる点] 白米を頻繁に食べるのは公家とかだけで、武士でも一分づきの玄米みたいな状態の米か食うのが日常なんじゃねえかな?そうだと米糠をまとまった量簡単に用意しているのに違和感がある。 [一言] 米…
[良い点] 一石のコメがとれる一反の田からはじめ、百姓の意見を頼ることでなろうらしからぬ堅実かつ現実的な改革が描写できそうな点。 [気になる点] 「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」とはいうものの、仲間…
[気になる点] 冷害に強いイネの作り方は知ってるけど、ネタバレはやめておこうかな。 油紙って大量に手に入るの?むしろで代用できるんだろうか?
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