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第11話 協力者たち


 横木を地面に並べただけのずるずるの山道を上り切ると、そこには城と見まがうほどにごつい山門が姿を現す。

 山門を守るように立つ物々しい僧兵たちとすれ違って山門をくぐれば、目の前には山門にも劣らぬ堂宇が幾つも並んでおり、僧兵や武士たち、さらには参詣する老若男女たちの姿があちこちにいて、まるで市場のようににぎにぎしい。

 この寺の名前は乳井(にゅうい)福王寺(ふくおうじ)という。


「ほう、子供の教育をしたいと」

 筋骨隆々、とはこのことか。僧体の袈裟もはち切れそうな、すさまじく立派な体つきの中年男は、こちらをぎろりと睨む。

 福王寺玄蕃泰岳(たいがく)、またの苗字を乳井ともいい、この近辺の羽黒修験の元締め・福王寺を統括する男だ。

 修験というが、その実態は津軽中に名をとどろかす武闘派勢力だ。隣接する津軽の大勢力の一つ・大光寺氏を相手に一歩も引かず、しばしば境目争いをしている。

 隣領という事で石川とはつかず離れずながら比較的話をする関係を築いている勢力だ。


「はい、子どもに文字と算術を教えてほしいのです」

 この時代、修験者は教育者としての一面も持っている。近隣でも相応の大きさを持つ福王寺には人も揃っているだろう。

「武家でもない地下の子に教えるのですか。それはまた奇特なことで」

 声色には明確な呆れがある。はたから見れば子どもの道楽だ。呆れもするだろう。

「必要があるのです。彼らが読み書きを覚えねば、私のやりたいことが出来ないのです」

「やりたいこと、ですか? 差し支えなければ聞いてみても」

「この地を豊穣の地にする」

 にわかに大きいことを言い出した子供を、乳井は怪訝に見つめてくる。


「お坊様、今年の土地の有様はご覧になられておられましょう」

「……それはもちろん。私も別当にして一城の物主。村々の皆の窮状は誰よりも知っております」

 福王寺は深く深くため息をついた。重苦しく、苦いため息だ。

「皆作徳(余剰)を得るどころか、来年の飢えに気もそぞろになっておる。このままでは端境期には酷いことになりましょう」

 また人が死にます、と福王寺はさらりと言う。

「その人死にを少しでも減らせるかもしれない方法がある、とすれば、お坊様はいかがしますか?」

「世迷いごとかどうかをまず疑いますな。世には外法というものもございます故」

 にべもない。いや、正しい反応だと思う。

 だからこそ、説得しなければならない。


「稲に正法も外法もありませぬ、ただ稲の理があるのみです」

「ほう……」

 小生意気にも抗弁してきた十歳の子供に、乳井が目を細める。

「この奥国は、米を作るのに向いていません」

 それは、この北国に住む過去の、今の、そして未来の農民たちが直面してきた事実だ。

「まず、まだまだ拓けていない土地が多い津軽では、水手が揃っていません。ため池など灌漑設備を備え水を絶やさぬようにせねば、今年のように枯田が広がるばかりです。さらに」

 今年は干ばつだった。だが、この北国ではさらに困難がある。


「この地で干ばつよりも酷いのが、寒さです」

 冷害。北日本に稲作が到来して以来、稲作民を苦しめ続けてきた災害だ。

 江戸時代、幾度にもわたって吹き付けた冷たい風――ヤマセは、五穀を枯らし、幾十万の命を枯らしてきた。

 奥羽山脈に多少は守られた津軽などまだよいほうだ。南部の本国である糠部――北日本太平洋側などは作期である春から夏にかけてヤマセが吹き付け、その頻度は津軽以上だ。

「この地のヤマセは稲に悪い。西国ではこのような冷たい風は滅多に吹かないそうですよ」

「なるほど、では鶴丸殿はその冷たい風を止める術を見つけたとでもおっしゃられるか?」

「まさか。ヤマセを止める事は出来ない。干ばつだって、自分には防ぐことはできない。だが、稲が少しでも生き延びて穂を実らせる方法はあるのですよ、福王寺様」


 この地方は、これから幾度となく干ばつと冷害に襲われる。そのたびに人が飢え、死んでいく。

 それを少しでも減らす知識が、自分にはあるのだ。

「お前がそれを知るというのか」

「貴方や、この地の民よりも多くの稲の理を知っております。俺はそれを使い、暑さにも、そして寒さにも強い稲を作り、この国を豊穣にするのです」

「それと子どもに学問を教える事がどう繋がる」

「俺の知識を、知恵を、最大限に活かすためです。俺一人では手が足りない。知を共有し、共に働き、共に考える者が俺には必要なのです。御坊様たちとて、御釈迦様の教理を共に学び、知を研鑽してお互いを高め合うでしょう?」

「そのために童を買ったというのか」

「人は俺を笑うでしょう。ですが、笑われてもやらねばならないことが、この世にはあると思っています」


 福王寺の目の色が変わった。俺の本気を、多分悟ってくれた。

 目の前の子どもは、自分の夢想じみて見える大それた願いのために大金を使って人を買い、それを育てるつもりの人間なのだ。

 福王寺は俺に向き直り、問うた。

「それを出来るとお思いか、まだ年端もいかぬ御身が」

「出来る出来ないではなく、成さねばならぬことです。今は子どもですが、いずれ大人になります。ですが、それでは遅すぎる」

「道は険しいでしょう、それでもやりますか」

「この戦世を武士として生き抜くよりは、幾分簡単だと思います」

 これは割と本気で思ってる。命のやり取りをせねばならぬ武士よりも、土いじりのほうがよっぽど楽だ。


「はははっ! 武士より楽と申されるか!」

 福王寺が大声で笑った。長く長く大きく笑った。耳が痛くなりそうだ。

 不意に、笑い声が止まった。堂内が静けさに満ちる。

「――そなたには、いったい何が見えておられるのだ?」

「稲の理が。それを形にする手段が。そして今よりも少しだけ諸人の腹が満ちる未来が」

「その理、この津軽の地の厳しい風土に打ち勝てると言えましょうか」

「難しい。ですが、十のうち九負けていたものが、十のうち三つ勝つ事は出来ると思っております。その分だけ、飢えて死ぬものは減りましょう」

 福王寺は俺を見下ろした。じっと見つめ返す。

 沈黙は、どれくらい続いただろうか。


「――ようございましょう。うちの僧の中でも良い者を送らせていただこう」

「――かたじけない」

 俺は深々と頭を下げた。

「貴殿の言われる稲の理が外法でないのか否か、拙僧には皆目見当もつかん。貴殿の成果、ぜひとも我らにも見せていただきたい」

「三年でまずはその成果を見せて差し上げます。それで判断していただければ」

「石川殿の御子息と縁を結ぶことが出来るのは我々としても良い事と思っておりましたが……」

 乳井はその禿頭をぼりぼりと掻いた。

「なかなか判じ難い方ですな」

 面と向かって言う言葉ではないな、と俺は苦笑した。




 乳井から派遣されてきた修験者は、俊加という二十代の若い僧であった。

「私に師事するからには厳しういきますからね、御覚悟めされませ」

 俊加はそう言ってからりと笑う。つられて笑ってしまいそうな明るさだ。

 さっそく子ども二人に引き合わせると、俊加はにこにことしたまま顔を近づけ、二人の子どもを見定める。利助はヨシを後ろにかばって逆毛だった猫のように睨みつける。

「な、なんだいお坊様!」

「ほほ、なかなか良い相をしていると思ってな。よろしく」

「お坊様にはお前らに文字と算術を教えてもらう。きちんとついていけよ」


「あの、鶴様。我々は、いったい何をさせられるのでしょうか?」

 ヨシがこわごわと問うてくる。

「からくり、って言ってたよな。いったいなんなんだよ?」

「まずは文字と算学だ。その後、稲についての知識を学んでもらう」

「稲……ですか?」

「ああ。君らには米を作ってもらう」

「なんだ、田を作れっていうのか? 俺もヨシも農家だぞ、そんなの赤ん坊の時からやってらい」

 利助が口をとがらす。


「ただ単に稲作をするわけじゃない。米が育つその理を知り、新しい米を作るんだ」

「新しい米……?」

「ああ、新しい米だ。暑さに負けず、寒さに強く、育ちが早く、病気に克ち、多く採れ、そして美味い稲だ。米には品種というものがあるだろう? つまりは新しい品種を、俺が教える新しい方法で模索してもらう」

 子ども二人はきょとんと眼を丸くしている。

「なんでそんなことするんだ?」

「今年のように米が枯れて飢える人が出ないようにするためだ」


 これはきちんと伝えないといけない、と俺は二人に向き直る。

「米は万人が食べる大事な食い物だ。だが、今年のように枯れれば人は飢えて死ぬ。君たちみたいに心ならずも売られる人も出てくる。それは本来、あっちゃいけないことだと思っている」

 二人がうつむく。彼らはこの世の理不尽を直接浴びた身だ。

「だから、枯れづらい米を作る。そしてこの地を豊かな地にする。腹いっぱい米が食える国だ」

「腹いっぱい米が食える国……」

「そのために俺は色々やろうと思っている。そのための様々な道具や仕組みや仕掛け――つまりからくりを作る手伝いを、君たちにはしてもらいたい」

 この二人にやってもらう事は品種改良も含めて幾つもあるが、そのためにはまず基礎が必要だ。読み書きと、さらに算学が出来る事が必要不可欠になってくる。

「せっかく二人とも買ったんだ、きっちり働いてもらうからな?」


「……なんか、話が大きすぎるけど……あんたの願いが成就すると、人が飢える事が無くなるのか?」

「多少はな」

「無理だろ、そんなの」

 物おじせずに彼は言う。

「寒けりゃ草は枯れる。稲だって。俺と年も違わないのに、なんでお前に枯れない稲を作れるっていうんだ」

 道理だ。きちんとこちらの目指すところを把握したようだ。

「じゃあ、どれくらい寒いと稲が枯れるか知ってるか?」

「どれくらいって……」

「植えてから何日間、何度の平均気温が続くと枯れるか、君は知ってる?」

「へ、平均気温……? し、知らない……」

 この時代、平均気温なんて概念はない。だが、それを知っているか知らないかだけでも米作りは断然変わってくる。正確な温度は米作りには必須の概念なのだ。

 でもこの時代って温度計が無いんだよな。絶対欲しいんだけれど、手作りで作れるものかなぁ。その辺もいつか手をつけよう。


「稲の生理はもしかしたら君の方が知っているかもしれない。けれども、稲が何故育っていくのか、その知識と技術に関しては俺の方がよく知っているんだよ。そしてそれをきちんと稲に落とし込めば、枯れづらい稲は作れるんだ」

「なんでそんなことをお前が知ってるんだ」

「米を四六時中眺めてたら突然気づいた」

「なんだそりゃ、仏様にでも授けられたっていうのか」

「そりゃいいな、次からそう言う事にするよ」

 実は未来から来た人間です、なんて言ったって冗談か何かにしか取られないしな。


「……鶴様の願いが成就すれば、わたしたちみたいに、売られることが無くなりますか」

 押し黙った利助にかわり、ヨシが聞いてくる。ああ、と頷く。

「ちゃんと働けば、いずれ家にも帰れますか……?」

 不安そうに聞くヨシにちくりと胸が痛む。

 親に売られた、まだ元服前の子どもなのだ。

「約束しよう。成果が出るのは数年かかるが、もし成果が出ても出なくてもお前たちを故郷に帰れるように取り計らおう。真面目に努めれば一人でも生計が成り立つだけの技術と相応の銭が身につけられるだろう。できればここで働き続けてほしいが、いずれ故郷に帰ることも許そう」


「――なら、なんでもやります。ここで働かせてください」

 ヨシは胸を張って言った。

「――俺もだ、働かせてくれ」

 利助がきっと顔を上げた。

「あんたに買われた以上、働くしかないけど。あんたの与太話が本当なら、腹いっぱい飯を食えるんだろ」

「ああ、保証する。今までの働き方とはだいぶ違うから面食らうかもしれないが、ついて来てもらうぞ」


 じゃあその前に。

「俊加様、この二人、よろしくお願いいたします」

「いやはや、殿から話は聞いていましたが」

 俊加は苦笑した。

「私も学ぶものがありそうで、とても楽しみになってきましたよ」




 俊加に二人を預けると、自分は城下の領主田に向かい、兵六を探す。

 兵六は畦にしゃがみこんで田を見つめていた。

 その視線の先には、枯れた稲が風にゆらゆら頼りなく揺れている。

 周りを見渡せば、いつもは色とりどりの稲穂が揺れる水田のうち、半分以上は茶色く枯れている。酷い光景だ。

「……兵六、頼みがあるんだ」

「なんですか、藪から棒に」

「来年から、幾つか俺の企てに付き合ってもらいたいんだ」

 にっと笑ってみせる。兵六はぎょっとして周りを見回した。

「……何か、よからぬことでも始めるんですか?」

 兵六がその禿げ上がった頭を撫でて深刻そうな顔で問い返してくる。なんか違う意味で受け取っている?

「ご謀反とかは勘弁ですぜ。そったなのは偉い人たちとやってくだせえ」

「え? あ! ああいやそういうのじゃない!」

「そうなんで? 若君を抱き込んでご謀反なんてよく聞く話じゃねえですか」

「そんなバカなことに兵六を付き合わせないよ、もっと大事なことだ」

 俺は息を吸い込む。謀反への誘いではないが、農家である兵六にこれを言うのは、同じくらいに勇気がいる。


「田を貸してほしい。俺に、米を作らせてほしい」


次回から農業パートです。次回掲載は1~2日間が空きます。

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― 新着の感想 ―
策謀とか武略とかではない面白さ 戦国ものといえば、戦に勝ってばんばん領土を広げる話をよく読んでたので、こういう面白さもあるなのだなあと感じました。
[気になる点]  普通、植物の品種改良の場合、①不作の時に結実する、変異種を探して増やす。②かけ合わせで品種改良する。  ところが、②の「かけ合わせ」による稲の品種改良ですが、稲は自家受粉するために…
[一言] 米作る話でこんなに心打たれることある?
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