第1話 北の果てへ
連載では初投稿です。色々調べて書いたつもりですが、間違い等あると思います。その際は温かく見守っていただけると幸いです。よろしくお願いします。
永禄八年(一五六五)。この年は東日本全体に冷害が襲う未曽有の年になった。
本州の北端、糠部・津軽の地は、セミも鳴かぬほど寒い寒い夏を過ぎ、実りの秋になっても田の八分は実の入らぬ枯れ稲が広がる景色が現出した。
来る飢えにおびえるその地を、一人の武士の少年が歩き回っていた。
「枯れぬ稲が欲しいんだ」
少年はそう言ってその年の稲の様子を事細かに聞き取ると、わずかに実った貴重な稲を、それに数倍する粟と稗と相当以上の銭で買い取った。身なりの良い武士の子が一体何をしたいのか、農民たちはいぶかしがりながらも、飢えを少しでも避けられるならと種もみの分を取り置いて取引に応じた。
「お侍様、いったいどちら様で?」
少年の素性を怪しみ問いかける者に、少年はその都度名乗った。
「俺は石川十郎。石川の津軽郡代、石川左衛門尉高信の息子だ」
後に『稲大将』として語り継がれた武将・石川十郎慶信の、一番最初に語られる逸話である。
北国の片隅にある、ちょっとだけ歴史のある農家の生まれだった。
土木会社に勤めながら、山間の地で田と畑と鶏を世話し、冬場には除雪仕事で年を過ごす。父と母は畜産メインで色々な副業、妹は会社勤めの、田舎のよくいる兼業農家だ。土地ばかり広いのを幸いに、色んな有機農法にも手を出してみたり、かと思ったら流行りの農法を試してみたり。
稼ぎは忙しいなりにそれなりで、けど家族も別に働いていたから困ったことはなかった。結婚はどうにも縁がなくて出来ていなかったから、親からめちゃくちゃ圧力をかけられるのでそこだけは辟易していたけど、それ以外はそれなりの生活をしていたと思う。
その日も、いつものような日常だったのだ。
「お疲れ―」
「うーす、またなー」
除雪の仕事を終え、同僚と別れて自分の軽トラに戻り、積もった雪を払ってエンジンを入れた。
暖房を全開にしてしばし車内とエンジンが温まるのを待つ。かじかんだ指先をカイロをこすって温める。
冬が長い北国にあって、除雪は立派な公共事業だが、正直苦手だ。氷点下の中、除雪車で田舎の狭い道路をひたすら走る。時には人力で屋根の雪下ろしもする。精神にも肉体にも負担がかかる仕事だ。
「あー、早く米作りしてぇなぁ……」
除雪車で雪道を走るより、田植え機で田んぼを走りたい。稲作だって重労働には違いないけど、雪かきよりはよほど複雑で考えがいがあって好きだ。
農業は、とくに稲作は奥深い。昔はそれを極めようと大学進学を目指して勉強もしたこともあるけど、家庭の懐事情の関係で結局進学せず、普通の農家に収まった。
それでも、米作りは今も飽きもせずに続けている。多分、性に合っていたのだろう。
他はモノにならなかったが、米作りだけは日も忘れて熱中できる仕事だ。いずれは広めの田を買ってもっと本格的に仕事をしたいと思っている。
春を待ち遠しく思いながら、行きがけに買った歴史本を手に取りぱらぱらとめくる。地元の戦国時代について詳しく書かれた、いわゆる郷土史本という奴だ。
戦国時代、この地域は南部氏という武家が治めていた。北国なのに南部とはこれいかに、とはよくネタにされるが、苗字がそうなのだから仕方ない。元々は甲斐国(今の山梨県だ)南部郷にいた武家の一団が、本州の果てまで来て一大名にまで成長したものだ。
人気の高い戦国時代にあっても、南部氏に関する本はかなり少なく、新しい本が出るのは貴重なのだ。この前大手出版社から本が出た時は歓喜に震えたものだ。
「センセイ、相変わらず筆が滑ってるなー」
郷土史をやっている郷土史家という人たちは、貴重な発見や鋭い指摘をする一方で、思い入れが深すぎて筆が滑る事が時々ある。学術顔負けの研究をする人がいるかと思えば、趣味が昂じて書いちゃいましたみたいな人もいて、正直そういう玉石を楽しむのも郷土史の楽しみなのだ。今回の本もそんな感じだった。
歴史の本は好きだ。地元の歴史にちょっと名前が出てくる程度の古い家に生まれたからか、子供の頃から歴史の本、とくに郷土史に触れる機会は多かった。おかげで子供の頃は社会の歴史の授業はそれなりに点数が取れるのが自慢で、大人になってからも本を買う程度には続く趣味になった。
思ったよりも読みふけってしまい、残りはあとでと本を助手席に放って軽トラを発進させた。
家に帰る道は暗い。田舎にありがちで街灯の数が少なく、軽く吹雪いただけで前の様子も定かではなくなる。道路は圧雪アイスバーンとなり路肩に積まれた雪のせいで狭くなる。冬の雪国は徒歩だろうと車だろうと人間の活動に向いてない。だから細心の注意が必須になる。
それでも、避けきれないものはある。
ちょうど緩いカーブに差し掛かった時だった。
見通しの悪い対向車線から大型トラックが走ってきたかと思うと、車線から飛び出したのだ。
「!」
おそらくスリップしたんだろう。
避ける余裕もなく目の前にトラックの前面が広がったかと思うと、すさまじい衝撃が車と自分を揺さぶった。
車が吹き飛ばされ、ごろごろ横転し、止まったと思ったら、自分の体はぐちゃぐちゃになった車体に挟まれる形で動かなくなった。
えずきそうなガソリンと排気の臭いが周りに充満している。身を刺す外気が一層体に染みてどんどん体の熱を奪っていく。
空は真っ黒な曇天で、雪がしんしんと降りしきっている。
「くそったれぇ……」
口から洩れたのは、そんなありきたりな罵りとおびただしい血だった。
そしてそのまま自分は意識を失った。
次に目を覚ました時は酷く混乱した。
自分を見下ろす若い女性が、優しげに眼を細めている。先ほどまでの事を思い出した。
(死なずに済んだのか……)
安堵の思いが胸に湧く。よかった。
女性がとても柔らかな笑みを浮かべてこちらを見つめている。看護師さんだろうか。気恥ずかしくて女性に声をかけようとするが、「あぁ」という言葉にもならないような鳴き声しか口から出ない。
「おおよしよし」
そこで俺は心臓が飛び出るほど驚いた。
女性は自分を‘持ち上げる’と、よしよしとあやしたのだ。
どういう事だ、と女性と周りを見回し、自分が動かした腕を見て驚いた。
小さい。
恐ろしいほどに小さいのだ。
それから自分の体を見回してみてまた驚く。
何もかもが小さくなっている。
どういうことだ、と驚きをこぼそうとしても、出てくるのは鳴き声だけ。まだ声帯が発達していないのだ。
ここで自分が赤子になっていることを理解し、そして認めるのに、もう少しだけ時間が必要になった。
南部家、という武家がある。
現代でいうところの東北地方の北端、青森県や岩手県・秋田県の一部を主な領地とし、『三日月の丸くなるまで南部領』と謳われた大名だ。
戦国時代には三戸という家が宗主としてその分家や八戸氏、九戸氏、一戸氏、七戸氏、久慈氏などの一族・諸豪族をまとめあげ、地域を支配していた。
その三戸南部氏の分家の一つに、石川という家がある。
戦国時代の三戸南部家第二十三代当主・南部安信の血縁・石川高信を祖とする家だ。
この家からは、後の当主となる南部信直が誕生している。この当時、南部家の中でも相当威勢の高かった家だ。
天文十九年、西暦にして一五五〇年の夏、自分はその家に生まれた。
本来存在しないはずの男子・鶴丸として。