表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

85/112

第三十五話 ~記憶の旅編 4~



 亜空間に出た『黄金の天車』は、カルマンの技術により天界からも修羅界からも地獄界からも、そして仏陀からも一切を遮断された。文字通り孤立無援の一人旅だ。

 阿修羅はリュージュに助けられた直後、意識を失ってからずっと、天車の一室で眠り続けていた。


「阿修羅はまだ目覚めないのか?」


 阿修羅が眠る部屋にリュージュが訪ねてきた。天車に乗ってすぐ、片っ端からけが人を治癒しまくった。お陰で阿修羅はもちろん、白龍も他の兵士達もあっという間に回復することができた。

 この天車にはほとんどの修羅王軍の兵士が乗り込んだ。誰もが阿修羅とともに戦うことを選んだのである。それは白龍やリュージュにとって何も特別のことではなかった。


「うん。まだ眠ったままだよ。傷はもうすっかり治っているし、心の臓もしっかりと打ってるのに……」


 そばに付き添っているクルルが小声で答えた。静かな寝息をたてて眠る阿修羅は、白い肌が透けるようだ。肌触りが良さそうな真っ白の布団が僅かに上下し、生きているのを教えてくれる。


「そうか。一体、何が起こっているんだ。まるで今の俺達は逃亡者のようだ」

「リュージュさん、これはどうやら阿修羅王と帝釈天に関わることのようです。まだ何もわからないですが、あの男。ずっと思わせぶりなことばかり言ってましたから」


 背後からいつの間に来たのか白龍が声をかけた。阿修羅が眠る部屋にはとっかえひっかえ誰かが様子を見に来ていた。彼らはみな、美しい眠り姫の覚醒を待っていた。





 約束の十二年間、帝釈天は石になったごとく日々を過ごした。王としての職務は果たしたものの、それ以外では人と交わることはない。天界軍の将軍である阿修羅とも顔を合わせようとせず、軍の任務については全て阿修羅に一任された。


「どうだ、サティア。あの男は本当に誓いを守っているのか?」


 あの誓いの日以来、阿修羅は部下にそれとなく探らせていた。完璧とはいかないまでも、梵天に全てを預けるのは心もとなく、やはり信頼のおける情報が欲しかった。


「はい。私どもが探った様子では間違いないようです」

「そうか……」


 そう言うと、思いもかけず安堵の感情が胸に沸いてきた。阿修羅はほっとしている自分に狼狽えた。


 ――――あの男のことなど、どうでもいいはずなのに。


 あれから阿修羅自身も帝釈天と会うことがなかった。今までは毎日のように華やら贈り物やらを贈り付け、それだけでは足りず、自ら出向いて来ては歯の浮くようなセリフを浴びせていた。うんざりを通りこして滑稽にまで思っていたのに。


 それがあの日から糸を切ったようにぷつりと断たれる。済々していたはずなのに、誓いが成就する日を心待ちにしている自分がいた。


 そして、十二年の時が満ちた。これから最後の一年が始まる。その開始を告げるように、帝釈天が阿修羅の館に現れた。


 それは最後に屋敷に訪れた日とは全く異なり、王の出で立ちだった。結われたゴールドブラウンの髪には王の印である宝冠をいただき、黄金のマントの下には、刺繍が施された黒の上下を凛々しく着こなしていた。


 帝釈天は阿修羅を一目見るなり、大きく息をつき、その場に傅いた。


「再び貴方様をまみえる日が来たこと、心から嬉しく思っております」

「久しいな、帝釈天。だがこれからは誘惑も多かろう。おまえの飢えも限界ではないのか?」


 対する阿修羅は、敢えて普段の装いだった。長い髪をつむじの位置で束ね、耳には大きな金の輪のイヤリングが揺れている。細い首と鎖骨を隠すように襟のつまったロングドレスは無地の濃紺。だがその装いと裏腹に、阿修羅は久しぶりに会う帝釈天に心が騒ぐのを止められなかった。


「飢え? まさか。貴方様と同じ空気を吸えるだけで私は至福でございます。いえ、これは独り言。忘れて下さい」


 この長い時をかけた帝釈天の(はかりごと)は、まんまと成功した。まだ天界に生まれ出でて若い阿修羅は、恋の駆け引きも男の企みも知らない。さんざに迫られた後に、気配すら断たれた年月。再び会った時には、心惹かれずにはいられなかった。


 帝釈天にとっても、これは賭けだった。会わない日々に忘れられることもある。また、他に言い寄る男も現れるかもしれない。だが、帝釈天には勝算はあった。己ほどの(おとこ)は天界に存在しない。揺るぎない自信があったからだ。




 最後の一年が過ぎた頃、帝釈天が阿修羅の屋敷の庭で愛を語るようになるのは必然だった。阿修羅の言う通り、その一年が最も帝釈天には辛かった。それまでの十二年も苦しかったが、見ることも聞くことも禁じた故、(まつりごと)や学問に逃げ道があった。だが、この一年は阿修羅だけでなく、他の誘惑も多かった。美しい女神達の中には、おふざけ気分で(そそのか)してくる輩もいたからだ。

 だが、結果として帝釈天は耐え抜いた。略奪も叶わない阿修羅を手に入れるためには、この方法しかないと信じていたから。



「美しい音色だな。銀の弦から奏でる音はまるで月の雫のようだ」


 ある満月の夜、阿修羅は蓮池を眺めるあずまやで、帝釈天に竪琴を披露した。腕の中に納まる大きさで、卵型の底を持ち、白銀のフレームに赤や緑の宝石が埋め込まれている。持ち手の細工も美しい見事な竪琴だ。細い指で奏でられる珠玉の歌は固い蕾の蓮華も酔いしれる。月もうっとりと聴いているように見えた。


「これは、私の一族に伝わる琴だ。『阿修羅琴』と呼ぶ」


 帝釈天は柔らかな笑みを阿修羅に向け、琴を奏でる様子を静かに見つめていた。大切な琴を披露する意味がわからぬ無粋な男ではない。(おもむろ)に跪くと、十三年越しの言葉を阿修羅に告げた。


「蓮池に咲く華も、おまえの前では恥ずかしかろう。夜空に浮かぶ白月も、おまえの前では雲に隠れたくなるだろう」


 竪琴の弦をつま弾くのを止めて、阿修羅は帝釈天を見つめる。流れるような黒髪が風にゆるやかに靡いている。白銀のカチューシャに月の光が宿り、同じように白銀のドレスはドレープにそって光沢を放つ。遠慮がちに開けられた胸元には白いデコルテに黄金の瓔珞が輝いていた。


「何が始まったのだ?」


 ふふっと笑みを作ると、頬を染め、目の前で(ひざまづ)いている大男を覗き込んだ。


「最後まで聞いてくれ。私は今、おまえに求婚しているのだよ。阿修羅」

「求婚……?」


 切れ長の明眸をさらに見開く阿修羅に、帝釈天は大きく頷く。


「私と共に天界を治め、悠久の時を渡ろう。私はおまえだけのものだ」


 帝釈天は阿修羅の白い手を取る。長い指の先には桃色の爪に色とりどりの華模様があしらわれていた。その指先にそっと口づけると、薬指に阿修羅の瞳と同じ血のような宝玉が咲く指輪がはめられていた。



 帝釈天の不義をサティアから聞いた凱旋の日。それは彼の求婚を受けた満月の夜から、半年の時が経っていた。




つづく


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] んなっ!(*//艸//)♡ 相手が帝釈天じゃなかったら本当に最高のプロポーズなのにっ!月夜の柔らかい笑み以降の彼に不覚にもときめきっぱなしでした……泣 不義とな!!!半年で!?まさか阿修…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ