第二十三話 転生の罠
リュージュはいつか見たことのある場所にいた。自分の体の十倍はあるかと思われる大きな赤い門。その上には大屋根が付いている。門の左右には、どこに果てるともわからない壁が面々と連なっていた。
ぼんやりとそこに立っていると、ぎしぎしと耳障りな音を鳴らしながら扉が開いていった。
「またここに来たってわけか。ああ、阿修羅は大丈夫かなあ」
前にここに来たのは、リュージュが人間としての死を迎えた時だ。リュージュは仏陀の弟子として、他の修行僧とともに諸国を回っていた。だが、流行り病に罹り、あっけなく命を落としてしまった。そして気が付いたら、この扉の前にいた。
「あれからまだ、一年経ってないってのに。おかしくないか?」
リュージュはぶつくさ言いながら門をくぐると、これまた天の山くらいに聳える宮殿へと足を進ませる。その足取りはおぼつかない。いつか人間界に転生するのはいいとしても、今はまだここに居たい。もう一度この道を遡って、修羅界に行けないだろうか。後ろを振り返るとそれはもうできないことを知る。門は固く閉じられ、そこへ至る道も無くなっていた。
「はい、次の方」
宮殿に入ると、前と同じように列に並ぶ。学校の体育館くらいの広さはあるだろうか。太い丸柱が何本も天井を支えるそのフロアは、相変わらずたくさんの人でごった返している。
「えっと、リュージュさんね。修羅界から……。あれ?」
受付の役人が首を傾げている。グレーの詰襟に八角形のつばの付いた帽子をかぶっている。どうやらそれがここの制服のようだ。
「なんだよ。なにが、あれ? なんだ。おいっ!」
どうしたっていうんだ。これ以上もうなんかあるなら、ストレスでどうにかなりそうだ。リュージュは受付のカウンターに顔を思い切り近づけると、脅すようにそう言った。
「あ、いえ。そこの部屋で待っていてくれませんか。ちょっと調べてきます」
「はあ?」
リュージュはフロアの端に並ぶ面談室の一つに連れて行かれ、体よく放置された。ワケがわからないリュージュはドアをそっと開けて周りを見渡す。やはり、俺がここに連れてこられたのは、間違いだったんじゃないか。いや、間違いであって欲しい。そうだ、間違いだったに違いない。
リュージュは部屋を抜け出し、宮殿の中をうろうろしだした。どこかにここから修羅界に戻れる道があるんじゃないか。そう思うといてもたってもいられなくなった。いつしか小走りになるリュージュは長い廊下を抜け、階段を昇り、また降りて、それらしい場所はないか探し回った。
一方、仏陀は天界に居て、梵天に詰め寄っていた。梵天は囚われていたはずの仏陀が目の前に現れて面食らっていたが、驚いている場合ではなかった。
「リュージュを転生させるとはどういうことですか!? 私は100年はここにいさせるようお願いしたはずだ。少なくとも、私が……」
「ま、待ってください。仏陀殿。一体なんの話をされているのか」
仏陀の話は梵天にとっても寝耳に水の話だった。何が起こっているのか、天界の創造神が何も知らないのはいかがなものか。
「何も知らないと? では、クベーラ王が私と引き換えに阿修羅琴を欲しがったこともご存じなかったですか?」
仏陀は息もせずに捲し立てていたのを止め、今度は凄みを聞かせて梵天に迫った。その凄みに効果があったかどうかはわからないが、『阿修羅琴』の単語を聞いた梵天の顔色が変わった。
「仏陀殿。これは由々しきことです。今までの一連の大事、誰が糸を引いていたかわかりました」
一大事を前にしたごとく神妙な顔をした梵天に仏陀は鼻白んだ。
「それは……。まさか今まで気が付かれていなかったとは驚いた。もう既にご存じで泳がしておられるとばかり思ってましたよ」
そう言うとため息をついた。しかし、阿修羅琴のことを知らなかったのは、おそらく阿修羅達が黙っていたのだろう。あいつたちが梵天も疑っていたとしたら、それは仕方ない。私とて、共犯を疑わなかったわけではない。クベーラ王が自分と引き換えに欲した物。それを聞いて初めて、これは帝釈天の単独と判断できた。そう仏陀は脳裏で思いを巡らす。
「それで、帝釈天殿はどこに」
「今、クベーラ王の探索に天界軍を率いて亜空間に……」
軍を率いている。そう聞いた仏陀の顔色が今度は変わった。このままでは全面戦争になりかねない。いや、もう限りなくその可能性は高くなった。クベーラ王が阿修羅と戦っていることを帝釈天が知らないわけはない。
「こうしてはいられない。私は黄金の天車に戻ります。リュージュのこと、お願いします。それと、天界に残っている軍を集合させてください。帝釈天側につかせてはなりませんぞ!」
梵天が頷くのを目の端で確認すると、仏陀は音もなく姿を消す。梵天は丸い体を揺らしながら、側近たちに指示を出した。梵天は帝釈天が不在の今、政治も軍も治めるべく天界の中心にいた。だが、実際は何が今まで起こっていたのか全く知らずにいたことになる。
「帝釈天。いつの間に……。しかもまた同じ過ちを犯すとは……。愚か者が!」
梵天は、いつもは帝釈天が差配している六界懲罰省の長官室にいた。そこで帝釈天の位置を確かめる。
「帝釈天を捕らえよ! 今すぐに追うのだ! これ以上奴に勝手をさせるな!」
梵天は全軍に号令をかける。また、帝釈天に付き従っている軍勢にも奴が裏切者であることを知らしめた。だが、それは予想通り何の役にも立たなかった。帝釈天が今回連れて行った部下達は、全て彼に忠心を誓う兵ばかりだった。既に彼はこの事態を想定していた。
つづく
リュージュは修羅界に戻れるのか?
次回は阿修羅VSクベーラ王!