第二十一話 コンプレックス
阿修羅は仏陀達と別れてから、上階を目指した。出来るだけ機関室からクベーラの軍勢を遠ざけたかったのと、クベーラ本人を見つけるためだ。
二つ目の目的はすぐにも果たせた。阿修羅が次々と押し寄せる敵を斬り捨てる先に、仁王立ちする奴の姿があったからだ。
「貴様ぁ! いつの間にここに!!」
配下の部下を従えたクベーラ王は、自慢の三叉槍を片手に階段の踊り場の阿修羅を見降ろし叫んだ。少し天然パーマの入った髪を逆立て、鼻息荒く歯ぎしりをしている。
「ふん、大人しく待っているのは性に合わなくてな。シッダールタも救出したし、ここで心置きなくおまえを地獄に送ってやれるとういものだ。あ、そうそう、この天車も既に私の手の内にある。さっさと降りてもらおうか」
阿修羅は余裕の笑みを浮かべてそう言い放った。クベーラが瞬間湯沸かし器よろしく真っ赤になったのを合図に双方獲物を構えた。だが、その時、クベーラ王の一団が消えてしまった。『おい、どういうことだー!?』という声が残されたので、クベーラ自身も予想外のことだったらしい。
「ふふふ、男共の戦って、がさつでいけいないよねえ」
「おまえは!?」
代わりにその場に湧き出るように現れたのは、豊満な胸の谷間をこれ見よがしに襟元を深く開け、チャイナ風の真っ赤なドレスを纏ったシュリーだった。
「ふううん、ホントにその幼児体型のどこがいいんだろうね。阿修羅琴は持ってきたのかい? さっさとお渡しよ。小娘!」
シュリーは手に持った扇で仰ぎながら、その妖しい瞳で阿修羅を舐めるように見た。
「なに……」
阿修羅はシュリーを睨みつけながらゆっくりと階段を上がる。こいつの顔は忘れたくても忘れない。あのモニターで見た時と同じ、人を食った笑みを浮かべている。しかも、今、聞き捨てならないことを言った。
「おまえたちに渡すものなどない。貴様、その胸にある風船みたいなのが自慢とはね。頭の中もそれと同じで空っぽだろうな」
阿修羅は負けじと応戦する。巨乳には大いにコンプレックスを持っている彼女。仏陀に触れたことだけでも許せないのに、自分の体型を馬鹿にされては捨て置けない。
「なんですって! 貧乳娘がえらそうな口叩くんじゃないよ!」
「ひ、貧乳だと! 貴様、言ってはならぬことを!」
カアっと頭に血が上る。阿修羅は階段を駆け上るとシュリーに斬りかかった。武器を持たない者に斬りつけるのは抵抗があったが、許せない。ただし刃は寝かせて振り下ろす。
「え?!」
だが、その瞬間、シュリーは阿修羅の前から忽然と消えた。
「はあっはは! こっちだよ!」
声のする方を振り向くと階下のフロアにシュリーが笑っている。ボアのついた桃色の扇を顔の前でくねらせている。
「貴様、そんな洒落た術を使えたのか?」
阿修羅はシュリーを睨みながらゆっくりと階段を降りる。そして、ふっと呼吸をすると電光石火の速さでシュリーに迫る。彼女が息つく暇も持たせぬ勢いで攻めに出た。
だが、彼女の腕を掴もうとしたところで、フッと消えた。刹那阿修羅は背後に殺気を感じる。こともあろうに阿修羅はシュリーに背中を取られたのだ。
凄まじい殺気を感じた阿修羅は、前へと跳ぶ。その後ろを何十本もの鏢が追っかけてきた。空中で反転し、それを剣ではたき落とす。鏢はいくつもの甲高い金属音をたてて床に散らばった。
※鏢とは、くないのような形状の武器。
「ふん、さすが阿修羅王だね。今の攻撃を躱すとは」
普通ならバックを取られたところでゲームオーバーだ。シュリーに飛び道具があるとは迂闊だったが、持ち前の反射神経で阿修羅は間一髪で攻撃を防いだ。
「暗器か。ずる賢い貴様らしいな。武器を持っていたのなら、話しは早い。遠慮なくやらせてもらおう」
しかし、あの瞬時に移動する術は厄介だな。そう阿修羅が思っていたところに、救いの声がした。
――――阿修羅! あの扇だ。あれに仕掛けがあるのだ。カルマンがそう言ってる。
仏陀の声だった。インカムをオフにしてしまった阿修羅に仏陀が心に直接声をかけた。仏陀達は、機関室のモニターで二人の戦いを見ていた。
――――シッダールタ!
――――扇を奪え!
これもまた、まさかあの双子の『道具』じゃあるまいな。阿修羅はチッと小さく舌打ちすると口角をあげにやりと笑う。
「何がおかしいのさ、鉄板胸!」
「誰が鉄板胸だ!」
真っ赤になって抗議する阿修羅に向かって、シュリーはまたイヤらしい笑みを口元に湛えた。
「仏陀ってさあ。実は巨乳好きだって知ってたかい? あいつときたら、私に興味なさそうだったのに、しっかりこの胸を……」
――――ご、誤解だ! 阿修羅、あれは不可抗……。
慌てた仏陀の声が阿修羅の脳に響いたが、彼女はそれを意識下にシャットダウンした。話は後で、ゆっくり聞かせてもらおう。その前に……。
「黙れ、この腐れデカ乳女!!」
みなまで言う前に阿修羅は扇を目掛けて短剣を投げつける。馬鹿にした笑いが、ひっと喉に空気が流れる音に変わる。扇の根元に刺さった短剣の重さに速度が加わり、シュリーの手元から遠く飛ばされていった。
「覚悟しろ!」
短剣とともに阿修羅もシュリーに迫り、剣を振り上げた。悔しそうに唇を噛むシュリー。だが、目はもう一度妖しく光ると、両手を胸の前に合わせ、印を結んだ。
「何!?」
オン・マカ・シュリエイ・ソワカ
その瞬間、無数の鋭い鏢が阿修羅の目の前を襲った。
つづく