第十六話 ネーミングセンス
修羅王邸の倉庫兼工房は、既に戦闘状態である。空にいるのはどこからともなく現れた新たな敵、と思われる獣人である。すでに矢が放たれている。
「おまえは何者だ!」
その矢を悉く打ち払った阿修羅が聞く。真っ青な空に白い翼が映えるそいつは、上半身は見事な肉体を惜しげもなくさらす、つまり裸。ローウェストパンツなのは鍛えた腹筋を見せたいのだろうか。
「俺か? 俺はクベーラ王の懐刀、天夜叉様だ!」
大体自分の名前に様を付ける奴は大したヤツではないことが定石だ。阿修羅達は一斉に鼻白む。まあ、上半身裸ってところでこいつの頭の中身はわかるってものだ。と阿修羅は勝手に思っていた。
「おまえ達が目を向いて驚いてた『黄金の天車』に乗ってたんだ。俺様がこっそりここに残ったの、気が付かなかったろ?」
「誰もそんなことは聞いてはおらんが、まあ、話したいなら好きにしろ」
阿修羅は鼻で笑ってそう返した。この手の夜叉を適当にあしらい、頭に血を昇らせるのは得意だ。
「な、なにを! おい、カルマンとトバシュ! おまえ達、阿修羅王に手を貸すとはどういう了見だ! 天車を好きにされてたまるか!」
馬鹿にされたことがわかっただけでも賢いところがあるようだ。どうやらこいつは修羅王邸を見張る役目として降りてきたらしい。だが、カルマンたちが阿修羅側に付き、天車に攻撃をすることを知っては、黙って見過ごすわけにいかなくなったということか。
「クベーラ王にはなんの義理もあらへんで」
カルマンは無碍もない。天夜叉は『なんだと!』と叫ぶと再び矢を番えた。
「はい、ご苦労様!」
「え? うわ!」
いつの間にか白龍に乗った阿修羅が天夜叉のすぐそばにいた。そして無情にも天夜叉の両翼を叩き斬ってしまった。
「ぎぇああー!」
断末魔の叫びをあげ、そのまま大地に墜落した。それをリュージュ達があっさり拘束する。既に気絶していた奴の翼の後からは鮮血が流れ出ている。
「あの翼は再生するのか?」
同じ獣人である白龍に阿修羅は尋ねる。単に興味からである。
「生えてきますよ。ただし、斬られたのは相当な痛みですね。腕とか脚と同じですよ。ちょっと気の毒です」
あっという間の登場時間だった天夜叉だが、また出番はあるのだろうか? それはまだわからない。
「阿修羅、どうする? こいつ」
「そうだな。聞きたいことはあるが、今は時間がない。クベーラに何か伝えているとまずいから、カルラ達に尋問させよう」
阿修羅は剣についた血をさっと振り落とすと、鞘に納める。
「やっぱりトバシュの打った剣はええ切れ味やな」
「え! 本当か兄者! あ、でも使い手がいいんじゃよ……」
「おい、急ぐぞ!」
そんなことを話している場合ではない。阿修羅の一言で、連中はそそくさと出発にかかる。白龍に阿修羅が乗り、リュージュの愛馬にカルマンとリュージュが騎乗することとなった。
「あ、リュージュさん、これ頼まれたものですじゃ。付けて行ってください。『観月ありさ』です」
そういって、トバシュがサポーター状の腕輪を渡す。
「なんやそのネーミング! 傷を治療するんやろ、『癒しの腕輪』とかにせんかい!」
双子兄弟の言葉遣いの差と同様に、ネーミングセンスも著しい差があった。
「え、だって兄者……」
カルマンの前で、思わずもじもじするトバシュ。だが、そんな兄弟の会話に構わず、阿修羅が訝し気に尋ねた。
「どういうことだ。傷の治療なら、リュージュがいれば事足りる。おまえ、どうしてこんなものを……」
探るような目でリュージュを見る阿修羅。リュージュはその目を直視できず、横を向いたまま応じた。
「いいんだ。付けていってくれ。この間のように俺が間に合わないと困る。そう思って作ってもらったんだ」
阿修羅と白龍はその説明に納得したわけではない。だが、言い争う時間も惜しく、不承不承ながらその腕輪を取り付けた。
「この腕輪はワシらに元々ある治癒力を数十倍高めてくれるもんです。血の巡りに直接作用して、深手でもすぐに治してくれるはずですじゃ」
修羅界や天界の住人は、人間と比べれば、治癒力の高さは圧倒的だ。にしても致命傷を受けたときは、治癒に時間がかかる。トバシュの作品、『観月ありさ』は、それすらも短時間で治癒してしまうという優れモノだ。尤も、死に値するような場合はどれほどの効果があるかはやってみないと分からない。
トバシュの説明を半身で聞き、阿修羅は再びリュージュを睨みつけた。それでも彫の深い男は目を逸らし、沈黙していた。
元々修羅王邸は亜空間に鎮座しているのだが、重力はもちろん、地面、樹々なども配した一つの小さな星のようなものだ。阿修羅達はその囲まれた空間を出て、『黄金の天車』が潜む、亜空間へと飛び出した。
見える景色は捻じ曲げられた空間を表すような、様々な色が交じり流れていく不可思議なもの。星空も太陽もなにもない。後ろを振り向くと、緑に囲まれた修羅王邸がぽつんと浮かんでいるのが見える。
「なあ、あんさん」
リュージュの後ろでカルマンが声をかける。
「ん? なんだ? もう着いたのか?」
「まさか、まだですわ。あんさん、これでええのですか? あのお方に何も告げてないようですけど」
「なんのことだ?」
リュージュは内心、狼狽えながら、努めて落ち着いて対応しようとした。
「トバシュと話してて大体のことは理解してます。あんさん、あのお方に惚れてはるんでしょ?」
カルマンは何故か名前を伏せているが、もちろん、あのお方というのは阿修羅のことだ。リュージュは目の中に飛び込んでくる、色とりどりの空間に酔いを感じながら小さなため息をついた。
「いいんだ。これで……」
カルマンは、そう呟くリュージュの声を天馬が掻く風とともに聴いた。事情は知らないまでも、この男にはどこか信頼できる温かさを感じる。人見知りの激しい(というか、ほとんどひきこもりの)トバシュが懐くはずだなと思うのだった。
つづく
カルマンの関西弁風な言い方は、某小学生探偵(見かけは〇〇な方)に登場する、西の名探偵さんを思い浮かべて書いてます。