第四話 天界の二人
※ここまでのあらすじ
修羅界を治める王、阿修羅は側近のリュージュ、白龍とともに日々争いごとを鎮静していた。
ある日、一人の悪鬼に拘束されてしまう阿修羅。仏陀の助けも借りて難なく解き、悪鬼を捉えたが、
なんと自白を迫ったところで何者かに口封じをされてしまった。
修羅界にとんでもない戦が仕掛けられている! そう直観した阿修羅は天界へと向かった。
第四話 天界の二人
「帝釈天様。阿修羅王から例の悪鬼が送られてきました」
天界、帝釈天が長を務める六界懲罰省。所謂天界の警察庁のようなもの。
人間界以外の五界で、手に負えない犯罪者や界を跨ぐ悪事の疑いがある場合、各界の王や司法を司る者は報告の義務がある。
帝釈天は天界の軍部と警察の長を兼任していた。
優に二メートルはあるかと思われる巨体、恰幅もあるが無駄な肉はついておらず、肉戦タイプの神だ。
だが、その横綱のような体に纏うのは、天界人が多く身に付ける白地に金縁の美しい衣。そのうえ宝石類もがちゃがちゃと付けている派手な男だった。
阿修羅は、今回起こった不可解な事態に、ピカラを帝釈天の元に送った。
「後程、阿修羅王も天界に来られるとのことです」
「そうか。ご苦労だったな。その悪鬼はP―35の房に入れておいてくれ」
帝釈天は天界の万華鏡を覗く。こちらは修羅界王邸にあるものよりも一回り大きく、精度も高い。
「ふふ。阿修羅が来るか。梵天には黙っておくかな」
万華鏡で修羅界を覗きながら、帝釈天は顎を大きな右手で擦る。
「誰に黙っておくのかな」
勤務場所とはいえ、長官の部屋である。そんなに簡単には入れないのだが、例外はあった。
「あ、これは梵天様」
帝釈天は恭しく首を垂れた。
「貴方は少し阿修羅王に固執しすぎる。あれをあまり刺激しないでもらいたい」
梵天と呼ばれたやや丸みのある神は、部屋に備え付けの豪華なソファーに座る。
帝釈天の秘書がささっとお茶を持ってきた。梵天は天界の最高神である。六界の長であり司法の長だ。身長は帝釈天よりだいぶ低いが、優雅な身のこなしと知的なふるまいは、最高神たる尊敬を受けるに値する。
「いや、それは失礼しました。性ですかね。美しいモノを見るとつい。以後気を付けます」
お茶をすすりながら、梵天は帝釈天の目を見る。何事も見透かされるような目である。ゆっくりと帝釈天は目を反らした。
「ところで、修羅界から送られてきた、その罪人はどうなのだ」
「そうですね。確かに気になるところです。何でも、諜報部隊の拷問中に首を折られたと」
向かい側の椅子に座ると、帝釈天も湯飲みを手にする。
「ふむ。つまり、暴露しそうになったら、首が折れるように術がかけられていたということか」
「そのようですな。もうすぐ阿修羅王自らこちらに出向くということです。同席されますか?」
「そのために来たのだが?」
梵天は表情も変えずに言った。この世界で起こっている不審なことは、漏れなく耳に入っている。そう言いたげだ。帝釈天は誰にも聞こえないように舌打ちをした。
「じゃあ、行ってくる」
修羅王邸、阿修羅は剣をしっかりと腰に携えると流道の前に立った。
「おう、気をつけてな」
ようやく顔の腫れも引き、いつもの元気を取り戻したリュージュが声をかけた。座禅を組んで、なにやら呪文らしきものを唱えている。
「ああ、おまえもしっかり鍛錬しておけよ。今度の敵は強敵らしいからな」
どことなく弾む声で答えると、流道の中へ消えていった。
「どう思う? 白龍」
一緒に鍛錬をしていた白龍にリュージュが尋ねる。
「王はここに来て数年。暇こそなかったですが、物足りなかったのかもしれません。何せ、向かうところ敵無しですから。昨日の失態も油断からでしょう」
失態。と聞いて、リュージュはまた頬の痛みを思い出した。
「つまり今は、嬉しくて仕方ないってわけか」
白龍は頷きながら答える。
「オーラを見ればわかります。いつもは透明か水色ですが、今は赤が混ざっています。戦闘態勢の時は真っ赤に燃え上がりますが、それに近いってわけですよ」
――ついでに言うと、仏陀様といる時は、桃色からこれまた真っ赤になるんですけどね――
と心で付け加えた。
阿修羅は自らの凄まじいオーラをコントロールすることで、攻撃や防御をより強烈なものにできた。攻撃ではオーラを剣に乗せ、滅多にやらないが、炎や光、雷といったものに変化させられる。
また守備では、狙われたところに集中させることで、打撃を防ぐ。ピカラに腹を蹴られたときも、阿修羅はオーラを瞬時に腹に集中させたので、大した痛みはなかったのだ。
ちなみに、今リュージュが鍛錬しているのもオーラの固定とコントロールである。阿修羅は人間であった時も、このオーラの量が尋常でなかった。そのためあれほど圧倒的に強かったのだ。
元々の素養が違うので、リュージュにとっては簡単な修行ではなかった。
「リュージュさんは、阿修羅王のオーラよりも仏陀様のものに近いですね。術もそちら系の方が簡単に取得できるかもですよ?」
白龍は常々そう言っていたが、仏陀に教えを乞うのはもう難しい。
「師の教団に入って、短いながらもお世話になったんだがな。あまり優等生じゃなかったのかもなあ」
リュージュはそう言うと、また精神集中に入っていった。
「邪魔するぞ」
阿修羅は流道を抜けて天界に到着すると、ノックもせずに帝釈天たちのいる執務室に入っていった。
「おお、阿修羅王。ようこそおいでになりました」
梵天がまずは挨拶をする。常に阿修羅に対して敬語だが、絶対自分が上だと思っていることにはとうに気付いていた。
「悪鬼はすでに独房に入れております。さあ、こちらへ」
今度は帝釈天が相も変わらず慇懃無礼に阿修羅を案内する。一人用のソファーに座ると、阿修羅は前置きもせずに本題に入る。
「あの豚野郎を操ってるやつは、かなり出来る奴のようだ。あいつだけじゃない。今回、修羅界の南と西に展開してきた悪鬼どもの数は数万を超える」
「由々しきことですね」
梵天が相槌を打った。
「阿修羅王の手に負えませぬか?」
帝釈天の言葉に阿修羅と梵天の両方が厳しい目を向けた。
「何を言うかと思ったら。そんな泣き言を言いにここに来たわけではない。」
軽く鼻で笑って阿修羅は続けた。
「これから修羅界はかつてない戦局になる。今までの悪鬼同士の小競り合いじゃない。歴とした反乱だ。この世界の均衡を破壊しようとしている奴がいる」
「なるほど。しかし何故そのようなことが言えるのですか?」
「梵天、私が思うにこれは天界の誰かが手を貸している。そうでなければ辻褄が合わない。修羅界の悪鬼神を私は重々把握している。その中にもちろん当てがないわけではないが、彼らだけでは無理がある」
悪鬼神。
それは天界の神が、物や異性を巡って醜い争いに終始したことの咎を受け、修羅界に堕ちた者のことを指す。修羅界にはたくさんの悪鬼神が存在していた。彼らは普通の悪鬼たちとは違い、比較できないほどの知恵と力、財力を持っている。
修羅界の館に住み、来世では人間界か天界に転生できるよう努力するのが通常なのだが、一度堕ちた修羅の道から逃れられない者もいる。阿修羅達はそのような悪鬼神には特別に目を配っていた。
「天界が? いやいやそれはないだろう!」
そう声を上げたのは帝釈天だ。
「ふふ。そう言うと思った。私は警告に来たのさ。おまえたちは平和ぼけしてるからな」
言いながら、組んだ長い足を組みなおす。それをちらっと帝釈天が目の淵に入れた。
「修羅界を落とし、その軍力を以て天界を手に入れる。奴らの狙いが天界にあれば当然の道筋だ。もちろん、修羅界を好きにはさせん。ただ、天界に潜んでいる敵がいるとすれば、内側から崩されることも大いに考えられる。おまえ達が先に反乱分子にやられては困るのでな」
天界の帝釈天の軍団は六界最大最強。修羅王軍が一千万と言われても、帝釈天の軍はその十倍の一億を超える。
士気も高い精鋭軍団を誇る。だが、それ故に逆に裏切られたら現体制の転覆は容易いだろう。
「帝釈天、貴様の部下たちの様子をしっかりと見張っておくんだな。もし怪しい奴がいたら、私が直接手を下してやってもいい」
そう言うと、阿修羅は立ち上がった。
「じゃあ、そういうことで。警告はしたからな」
長居は無用と言わんばかりに阿修羅は部屋を出ようとする。
「阿修羅王!」
梵天が呼び止める。
「なんだ」
半身に腰を浮かした梵天が、居住まいを正しながら声をかけた。
「承知いたしました。ご注進、しかと承りましたので。王はくれぐれもご無理なさらないよう」
梵天が頭を下げると、帝釈天もそれに倣った。
「その茶番も大概にしろ」
二人並んで首を垂れる姿にしらけた阿修羅は、そう言い残すと再び流道の中へと消えていった。
――相変わらず、こういうことには鋭い奴だな――
「どう思うかね。帝釈天」
梵天は再び座り直すと帝釈天に向かってそう言った。
「まあ、王の言うことは一理ありますね。誰かが修羅界の悪鬼神を操っていても不思議はない」
「そうだな……。狙いが天界なら、敵はここにるはずだ。即刻内偵を始めるように」
「はっ!」
梵天が体をゆさゆさと揺らしながら退出する。再び頭を下げた帝釈天は、その足音が消えるまで床を睨んでいた。
阿修羅が修羅界に戻ると、リュージュと白龍は定期の修羅界見回りに出ていた。白龍直下の諜報部隊から下りてくる情報を元に、不穏な兆しがあるところを確認に行くのである。
地道な作業なので、もっぱら白龍とリュージュに任せきりである。リュージュ曰く、人使いが荒い。ということだ。
阿修羅は一人ベッドに横たわる。このところ目まぐるしく変わる状況に少々疲労を感じていた。
身体はなんともない。人間としての生を終えてから幾年の時が流れたが、戦略や敵の出方等を考える機会はなかった。それが一度に色々謎が沸き上がってきて、久しぶりにフル回転だ。脳が悲鳴を上げている。
人間であった頃は、常に先手を打って勝利してきた。阿修羅は優秀な軍師でもあった。
だが、今回は地上での戦いとはかなり様相がちがう。敵の目的は何なのか。戦力はいかほどか? 何もつかめていない。姿の見えない相手に対して、必要なのは情報だ。
今現在、白龍の諜報部隊にはかなり動いてもらっているが、心もとない。これまでは、「何処かでいざこざが起きている」くらいのことしか調査してこなかったのだから無理もない。
ふう、と阿修羅はため息をつく。瞼を閉じるといつの間にかウトウトとする。だが、疲労からの頭痛が深い眠りを妨げる。
『阿修羅……。大丈夫か?』
ベッドで寝がえりを打っていると、仏陀が現れる。
実際、それは阿修羅の夢なのか。夢の中に仏陀が入り込んでいるのかわからない。はっきりと触れる感じがするときは、後者の方な気がする。
『ああ、シッダールタ。どうかな。少し疲れた』
悟りを得る前の名前、シッダールタと阿修羅は呼ぶ。それは何があっても変わらない。
仏陀は阿修羅の隣に横になると、腕を差し出す。その腕に頭を乗せると、阿修羅は彼の厚い胸に顔を埋めた。
『少し眠るがいい。傍にいるから』
『うん』
仏陀は阿修羅の額にキスをする。それがおまじないのように、阿修羅の頭痛はすっとほどけ、深い眠りに落ちていった。
つづく
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