第六話 尋問
「いいよ。もうその短剣しまっても」
箱が二人の足を押す。贓物が体の上部へと押し上げられる気色の悪さに、トバシュは青くなっていた。クルルにそう言われたが、果たしてこのまま短剣をしまっていいのか思案する。気分がすぐれないせいもあって頭の回転が鈍る。だが、次にこの扉が開いたら、おそらく声の主、『白龍』と言ったか? が待っているのだろう。
「これはどういう了見ですか?」
しかし、呑気に考えている間に、扉が開いてしまった。だらしなく短剣を持ったままのトバシュは、『あ!』という暇もなく、右手を蹴られた。黒髪を後ろで束ねた男が、扉の開いたと同時に侵入し、短剣を蹴り飛ばすとトバシュを拘束した。
「い、いてて!」
腕を捩じられたトバシュはうめき声をあげる。
「はい、いっちょ上がり。で、これどうするんだ?」
リュージュが拘束具で後ろ手に縛ると、ポイっとトバシュを館へ押し出す。たまらず床に転がるトバシュ。
「あー、リュージュ、そんなに手荒にしなくても……」
クルルが見かねてそう言うと、白龍がにらみつける。ごめんなさい。と小さな声が続いた。
「どういうことか、説明してください。私は研究施設を見ておいでと言いましたが、客人を招けとは言ってませんよ」
「うーん、僕もよくわかってないんだけどね」
クルルは今日、修羅王軍本部のロビーであったことを説明した。二人は呆れた顔をしてその話を聞いている。白龍は、今朝送られてきた軍の報告書を見て、この縛り上げられた男が何者なのかを理解した。
「とりあえず、場所を変えましょう。王がお待ちです。リュージュさん、お手数ですけど、この人を会議室にお連れしてください」
王がお待ち。リュージュにぐいっと腕をつかまれたトバシュは、まだ危機が終わってないことを悟った。やはりここに来たのは間違いだった。これから、王、つまりは阿修羅王と対峙するのか。いったいどんな怖い相手なのだろう。トバシュはガタガタ震えながら、引きずられていった。
会議室、と呼ばれた部屋に入る。ガラス張りの壁から柔らかい日の光が入ってくる。大きなデスクに数脚の椅子が並ぶ近代的かつ衛生的な部屋だ。トバシュはずっと暗い修羅界にいたので、陽の光に慣れていない。眩しくて、つい目をつぶってしまった。
「おまえがトバシュか。で、どうして修羅王軍本部にいたのだ」
声がする方に恐る恐る目を開ける。声は威厳を持ってはいたが、思っていたのと違う。ずっと高音で耳にすんなり入ってくる。
「え? あ、あなたが阿修羅王?」
そこには、涼やかな瞳でこちらを見つめる、小顔で華奢な美少女がいた。椅子に深々と座り、腕を胸の前で組んでいる。ようやく目が慣れてきたトバシュは、その少女の美しさに唖然とした。大きな机で、随分距離をおいて座っているが、目鼻立ちが整っているのはここからでもよくわかった。
阿修羅王と言えば、修羅界最強の鬼。悪名高き夜叉を次々倒す猛者だと聞いていた。その風評から、てっきり化け物級の男と思い込んでいたのだ。
「何を寝言言っている。さっさと答えろ」
しかし、気は短そうだ。トバシュは他にどうすることもできないので、数日前、自分の身に起きたことを話し始めた。その途中で阿修羅王が顎をふいっと上げると、背後にいたリュージュが後ろ手に縛っていた拘束具を外した。
「あ、ありがてえ」
手首を労わっていると、クルルが飲み物を出してきた。綺麗な色をしたお茶だ。修羅界に来てから、滅多に飲食をしなかったトバシュは、なんだか天界にいたころを思い出し、泣けてきた。
「泣くことはないだろう。ここは天界と同じだ。ところで、その連中がどうして天界の者だと思ったのだ? 修羅界の守備隊とは思わなかったのか?」
阿修羅王が自分も紅茶を飲みながら尋ねた。
「はあ、一人は少し前にワシの所に来たことがあったんで。ワシが昔作った『魔鏡』のことで」
突然、陶器が乱暴に置かれる音が聞こえた。一瞬割れたのかと身構えたが、可愛いチューリップの描かれた陶器は無事だった。
「『魔鏡』だと?!」「おまえが作ったってほんとかよ!」
阿修羅とリュージュが同時に声を上げた。トバシュはきょとんとしている。さっきまでは阿修羅から遠くに座らされていたのだが、椅子をすぐ近くまで移動させられた。目の前に阿修羅の顔がある。改めて彼女の持つ迫力にトバシュは顔が熱くなり、自然と動悸が激しくなる。
「もう一度聞く。『魔鏡・雷光』を作ったのはおまえなのか?」
「はあ、と言っても、天界にいた時に造ったんで。材料が修羅界では入りにくいんで、あんなものはここでは作れん。でも、良いもの作るには金がいるから……」
「宝賢に売ったと」
「え! よくご存じで! あの人には他言は無用て言ったんですけど」
どれだけあの鏡に苦労させられたか! ふざけるなよ! と背後からリュージュがトバシュの頭を小突く。だが、トバシュはわけがわからない。小突かれた頭をなぜながら三人の顔を代わる代わる見ていた。
阿修羅が何やら白龍に耳打ちすると、彼はすっと退室した。阿修羅はなおもトバシュに迫る。
「おまえ、他にはどんなものを造った? 天界を追い出されたのは何を造ったからだ?」
「それは……。実はワシもよくわからんで。気が付いたら修羅界におったんです。天界の偉い人からは、危険な武器を製造販売したから、と言われましたが、実際それが何なのか。でもまあ、武器はたっぷり造ってきたんで、そうかなあと思って」
「呆れた奴だな」
トバシュは大きな目を細めて笑った。
「どんな所でも、ワシはものづくりさえできれば楽しいんで。自信作と言やあ、帝釈天様がお持ちの金剛杵でさ。雷を呼んでイカヅチを落とします」
「ヴァジュラか! あれもおまえの作品か!」
え? 阿修羅はつい口から出た言葉に、自分で驚いた。帝釈天に対しては嫌悪感を持っていたが、今まで戦ったことはない。ヴァジュラも今初めて聞いた単語のはずだ。
「どうした? 阿修羅」
「ああ、いや。何でもない。なんか聞いたことがある気がして。しかも凄く嫌な言葉として」
「どうしました?」
座の空気が変な方向に流れているのを察知した白龍が声をかける。手には阿修羅王の剣があった。
「いや、何でもない。トバシュ、この剣に見覚えはないか?」
阿修羅はトバシュの前に彼女の剣を置いた。トバシュは一瞥すると、それに飛びつくように手にし、鞘から半身だけ抜いた。
「ああ! これは! ワシが天界にいたころ、もう随分と昔の話ですが、打ったものです」
「やはりな」
阿修羅は合点がいったように頷く。聞けば魔鏡と同じ鉱物が配合されているらしい。トバシュ自身もこの二つの武器が弾き合うとは予想していなかった。が、あり得ることだと満足そうに言った。
阿修羅の剣については、先代の修羅王が持っていたが、トバシュはその受け渡しには立ち会っていないとのことだった。先代の修羅王は剣を置いてどこにいったのか。人間界にでも転生したのだろうか。
その後、夜が更けるまでトバシュは三人に根掘り葉掘り聞かれた。漸く解放され、眠ることが許されたのは、深夜だった。
トバシュからは有用な情報が取り出せたが、まだ味方と決まったわけではない。とりあえず、修羅王邸にある独房に入れた。クルルが可哀そうに思ったのか、お菓子と飲み物を差し入れていた。
「さあ、私達も休みますか」
リビングでコーヒーを飲んでいるリュージュに白龍が声をかけた。
「阿修羅王はもう部屋ですか?」
「いや、トバシュの言ってた武器、今誰が持っているのか調べるとか言って軍議室に行ったぞ」
「軍議室……」
その単語を聞いて、白龍は何か忘れ物をしているような気分に襲われた。それを記憶の棲み処から掘り起こして……。
「しまった!」
慌てて駆けだす白龍。「なんだよ? どうした?」 ただ事ではない空気を察して、リュージュもカップを置いて追いかけた。
「阿修羅王?! 何かわかりましたか?」
軍議室に二人して駆け込みながら、何事もなかったように声をかける白龍。後ろではリュージュが何事かと首を傾げている。
「入ってくるな……」
「あ、阿修羅王?」
「入ってくるな! おまえ達! 出ていけ!」
嵐のような剣幕で、阿修羅は白龍達を押し出すとドアを力任せに閉めた。追い出された二人は扉に駆け寄る。
「阿修羅王! 大丈夫です。それは気にすることでは……」
「黙れ! おまえ、知っていてのか! 許さん!」
白龍の言葉を最後まで聞かずに、扉の向こうから、阿修羅が叫ぶ。まるで修羅場と化したこの場に、リュージュは狼狽える。いったい阿修羅に何があったのか。あいつがあれほど取り乱しているのを初めて見た。白龍に思わず飛び掛かる。
「おまえ、阿修羅になにしたんだよ! 阿修羅? 俺だよ。ここを開けてくれ」
「入ってくるなと言っている!」
扉の向こうで阿修羅が大声で泣き出すのが聞こえた。それはずっと我慢していたものが堰を切ったように溢れ出て、行先もわからず暴れくるっているかのようだった。
つづく
インド神話における天界の工匠としては、工巧神トヴァシュトリが有名です。
帝釈天の金剛杵を造ったとされています。
トヴァシュトリでは読みにくし発音しにくいので、本作ではトバシュとさせていただきました。
なお神話では、名工はもう一人いるようです。