第三話 逃亡者
嵐の前の静けさがしばらく続きます。多分。
阿修羅達が八大夜叉大将を倒した夜から数える事三日目。修羅界の片隅で小さな異変が起こっていた。
場所は修羅界の南側、海の近く。ここらでは中程度の屋敷だ。そこに住む若者(と言っても、見た目の話。若作りをしているだけで、そもそも年齢など無意味である)は、住処よりも広い工房を持っていて、ひなが一日、そこで何やら不可思議な物を作っていた。
ここでは家を綺麗にする道具や、暇つぶしに役立つ便利な道具を作ったり壊したりしていたが、本来は武器を作る工匠であった。
髪は深い緑で寝ぐせなのか重力を完全に無視して逆立ち、山嵐のようである。一見忍者のような繋ぎに見えるが、作業がしやすいことを第一に考えた機能的な衣装を身に着けている。痩身ではあるが刀身を打つからなのか、鍛えた体は鋼のようであった。太い眉毛の下にやや眠そうな緑の瞳が二つ、小ぶりな鼻と唇は、人に安心感を与える癒し系だ。
彼は一人ぼっちでこの屋敷に住んでいた。朝を起きると、工房へ行き、気が向くまでなにやら作っている。めったに人も寄り付かないここで、誰とも話さず、黙々と機械や道具に向かっていた。
そんな彼の所に、突然天界から役人たちがやってきた。役人に見えたがどうやら軍人のようだ。自分を捕まえに来たと彼は瞬時に理解した。
元より彼は天界の住人だったが、危険なものを売りさばいたという咎を受けて修羅界に落とされた。ここでも本来なら武器を製造してはいけないことになっている。てっきり隠れて製造していたのがバレたと思ったのだ。まあ、彼らの訪問は捕獲が目的だったのだから、当たらずしも遠からずだが。
工匠はまずは抵抗せずに天界人たちを工房に招いた。そして、何食わぬ顔をして仕掛けに手を伸ばす。天界から来た軍人たちは、工匠が作った罠にまんまと嵌り、檻の中に閉じ込められてしまった。
工匠はすぐさま屋敷を出た。どこに逃げたらいいのかわからなかったが、とにかくこの場を離れよう。男は便利な道具をいくつか鞄に詰め込む。無論自分で作ったものだ。その中に姿を消す道具があった。腕輪と首輪、足輪をそれぞれ装着すると、おや不思議。男の姿は文字通り消え失せた。結界の術と同じ効果なのだが、匂いや音も消してくれる便利なアイテムであった。
檻に閉じ込められた天界人たちは、二度と彼の消息を掴むことはできなかった。
この工匠は名を『トバシュ』という。
最近目立つ事件が少なくなり、すっかり平和な日々が戻って来た感のある修羅界。修羅王軍本部も開店休業状態である。
「カルラ、今日は修羅王邸に行くのか?」
朝の見回りから本部に帰って来た軍幹部、上級将校のカルラに、同じく幹部のスバーフが尋ねた。
「いやあ? そんな予定はないが、何か報告することでもあったか?」
「いや、別に何もない。ここんとこ、阿修羅王にお会いしてないから。たまにはご尊顔を拝したいかと」
カルラは見回りの報告書を端末に手早く打ち込むと、あの激闘を思い出した。あれからまだ一週間も経っていないが、随分と昔のように思う。
宝賢の無慈悲で必殺の攻撃を受けながら、一歩も引かずに向かっていく阿修羅王とリュージュ。
カッコよかった。特に阿修羅王の髪が解かれてからは、目を奪われた。長い髪を細い体に絡ませながら戦う姿は、まるで戦の女神のようだ。
自分達はその後ろでオロオロするしかなかった。格が違い過ぎた。自分達が乱入したところで、二人の邪魔になっただけだろう。そう思うことにしている。
「そうだな。平和なのはいいが。たまには俺たちのことも思い出して欲しいよな」
カルラは独り言のように呟いた。隣でスバーフが頷いている。修羅王軍は、まるで五輪が終わった選手村のように気が抜けていた。
「そう言えば、南の海岸端に住んでた職人がいなくなっていたな。屋敷のなかが酷く荒らされていて。なんかあったのかな」
今朝の見回りで気になったことだ。そこに住んでいたのは、表向きは便利な道具を作る職人だったが、裏ではよからぬ武器を作っているという噂もあった。それを悪鬼神たちが手に入れて、悪さをすると困る。
八大夜叉との戦いが本格化するまでは、彼も要注意人物だったのだが、一連の騒ぎですっかりノーマークになっていた。
久しぶりに館に行ってみればもぬけの殻。おまけに工房も屋敷も台風一過のごとく荒らされていた。
ただ、このような事件は修羅界では日常茶飯事。特に工房には、悪鬼たちが欲しいものが文字通り山のようにあるのだ。略奪に入ることなど不思議でも何でもない。家主がいなくなったことを知った悪鬼が、盗みに入ったとも十分に考えられる。屋敷にはこれといったものは何も残っていなかったので、根こそぎ持っていかれたのだろう。
気になるのは職人の行方だが、そのうち見つかると思われた。どのみち死なないのだ。
「こんなことを阿修羅王に報告したら、怒られるかな。白龍殿への定期報告だけでいいかな」
「怒られてもいいから、報告に行きたい」
スバーフが冗談でもなさそうに言う。カルラは口の端だけで笑うと「まあ、俺たちマジな親衛隊だよな」と返した。
だが、彼らは割と早く、報告をしなかったことを後悔するハメになる。
不毛な会話をカルラとスバーフがしていた同じ本部、ロビーにあるソファーの上で体を横たえていた男がいた。緑の髪が山嵐のように逆立ち、首、手首、足首にそれぞれ同じ模様の輪を付けていた。持っていた鞄の中に手を突っ込み思案顔だ。
言うまでもなく、トバシュである。彼は天界の追手から逃げていたのだが、修羅王軍に助けを求めようとこの本部を訪れた。だが、考えてみれば修羅界も同様に自分を追っているかもしれないと思い当たり、姿を現せずにいた。そこに休まることのない逃亡生活。寝心地の良さそうなソファーをみつけて、見えないのを良いことにふらふらと入ってきてしまった。
「疲れたなあ。武器ばかり持ってきてしまった。疲れを取る便利グッズも持ってくればよかったのぉ。これからどうしたらいいんじゃろう。って痛い!」
「え? なんかいるの?」
姿は見えなくても実体はある。そこまでは消すことができない。改良点だなとトバシュは思ったが、そんな場合でもなさそうだ。自分が寝そべっているソファーに誰かが突然腰を下ろしてきた。トバシュには悪いが、ここはロビーでソファーなのだから当たり前だ。
慌てる工匠の上で小さいおしりをもそもそしているのは、この場所に不相応な水色の髪をした子供だった。
つづく
新キャラの登場です。
彼は敵になるのか、それとも?