第三話 流道の先
流道から吐き出されたそこには?
一方、白龍は人型に変化して、阿修羅の帰りを待っていた。
「ん? 妙だな」
突然途絶えた阿修羅の気配に白龍は戸惑った。元々阿修羅の愛馬であった白龍は、耳と鼻が人の何千倍と利く。阿修羅がここを去ってからも、ずっと彼女の気配を追っていた。だが、今それが突然消えた。
阿修羅が眠気に襲われて連れ去られ、目が覚めるまでは十分も満たない間だった。なので白龍にとって待っていた時間はそれほど長くない。
「王のことだから、大丈夫と思うけど」
白龍は暗闇の中へと歩を進めた。
光の穴から吐き出された阿修羅は、体を器用に回転させて、美しい着地を決めた。
「ここは? どこだ? うわ! なんだよ!」
突然斬りかかってきた悪鬼に阿修羅は蹴りをお見舞いする。周りは大勢の族が軍と戦闘真っ最中である。河がそばを流れている。広い河原のようだった。振返ると穴は消えている。
――ちっ! 途中で流れを変えられたか――
しかし、それもさらに高度な術が必要となる。
――これは、甘く見てられないな――
はっと前を見ると、例の豚悪鬼が走り去る姿が見えた。指には包帯を巻いている。
「貴様! 待て!」
追おうとするが、悪鬼どもが行く手を阻むよう群がってくる。
「邪魔だ!」
右を蹴り、左は殴打、残りは回し蹴りを決めてアッパーカット。阿修羅はそれらをまるで舞っているような優雅な動きで、あっという間に地に落とした。
そして一匹の悪鬼の腕をとってねじり倒すと、武器を奪い、豚悪鬼の後を追う。
「阿修羅! 阿修羅じゃないか?!」
ふいに聞き覚えのある声がした。声のする方を振り返る。
「リュージュ? どういうことだ。これは」
激戦真っ只中のリュージュは血の付いた剣を一振りすると阿修羅の元にかけよる。相変わらず彫りの深いイケメンぶりである。
「どうした? なんでここにいるんだ? まさか援軍じゃないよな」
「説明している暇はない。あの豚を追っているのだ! おまえも来い!」
リュージュは阿修羅が追う先を見る。確かに豚みたいな悪鬼がスタコラ逃げている。
「全く、相変わらず人使い荒いなあ」
戦闘の途中で抜けるのは心外だったが、王の命令となれば仕方ない。リュージュは阿修羅の後を追った。
ここはリュージュが鎮圧に出ていた修羅界南区。既に大方の反乱分子は戦闘不能になっている。
逃げる豚悪鬼の後姿に追いつくと、阿修羅は思い切り飛び蹴りを背中に喰らわした。
「おい、豚野郎、私から逃げられるとでも思ってるのか?」
そのまま石ころのように転がる豚悪鬼。尻もちをついて振り返る。阿修羅は無表情のまま、その剣先を喉元に突きつけた。
「お、俺様は豚じゃない! ピカラという歴とした名前がある!」
完全に動けなくなっても、精一杯虚勢を張る。
「ふうん。ピカラね。まあ、なんでもいいよ」
ふんっと鼻で笑う阿修羅。悪い癖だ。
「リュージュ、こいつを拘束しろ。うんと強い呪術入りでな」
「え? ああ、わかった」
リュージュはこの修羅界に来てまだ間もない。だが半人前ながらも、固縛の術くらいは使えた。腰に付けた小さな用具入れから拘束具を出すと、ピカラの手首、足首に巻いた。
「で、ピカタさんは誰に頼まれてこんなことをしでかしたんだ? 貴様の力では到底できない芸当だろう」
阿修羅は剣をピカラの頭にトントンと叩きながら言った。名前が肉料理になっているのはもちろん素である。
「ピカタじゃない! ピカラだ! お、オレ様が一人でやったんだよ」
「嘘つけ!」
怒りのオーラが剣を通して、まるで雷のようにピカラの頭上で破裂した。
「ひえっ!」
「ふざけるな。貴様ごときの悪鬼に私があんな辱めに合うとはとても思えん。しかも『流道』を作るなどできるわけがないわ!」
「え? あんな辱めってどんな?」
妙なところにツッコミをいれてくるリュージュだった。
「それはどうでもいい!」
しかもついでに怒られた。
「へっへ。強がっちゃいるけど、オレ様の術で磔になってたじゃないか。もうちょっと楽しみたかったのにな~」
「え? そうなの? 俺も見たか……」
その後の言葉をリュージュは発することはできなかった。鈍い音がし、その場で気を失った。
「貴様、よほど痛い目にあいたいらしいな。私を見かけ通りと思うなよ」
見かけって、十分恐ろしいですが。と声に出ない言葉がピカラの脳裏に走った。
捕らえたピカラを連れ、修羅王邸に戻ってきたのは、出陣してから半日経ったころだった。館には既に白龍が戻っていた。
「はい、王の剣ですよ」
誰ともわからない剣を携えていた阿修羅は、自分の剣に飛びついた。
「白龍! これどこにあった?」
「阿修羅王が消えた洞窟の中ですよ。ぽつんと置いてありました」
「そうか……」
聞けば、洞窟には何の痕跡もなかったらしい。小屋はおろか、『流道』の穴もなくなっていた。白龍はそれ以上追えないと諦めて、館に戻ってきた。
館には修羅界のみならず六界を臨める『万華鏡』がある。そこで阿修羅王の無事を確認して待っていたということだった。
「で、ピカラとかいうのは吐きましたか?」
「いや、おまえんとこの諜報部に任せた」
ああは言ったが、阿修羅は拷問は苦手である。常勝阿修羅にとって、普通に戦っていても圧倒的に強いのに、無抵抗な相手を痛めつけるのは趣味じゃない。
「はあ。それはいいですけど。リュージュさんのあの落ち込みはなんなのです?」
いつものように三人で食事をしているが、リュージュが全く声を発しない。俯いて黙って食べている。
「顔を上げると、見られて困るものがあるんだろ」
阿修羅は口の端だけで笑みをつくると、気にせず肉にぱくつく。あの時、思い切り殴られたリュージュの頬は、まだおたふく風邪のように腫れていた。
「あ、この唐揚げ上手いな」
「そうですか。それは良かった」
彼らにとって食事はおやつのようなものだ。実際は食べる必要もない。だが、戦ったあとは何となく腹が減った気持ちになる。美味しいものが食べたい。という気分にもなる。
そういう時のために食事を作るのも白龍の仕事だった。もちろん白龍は菜食主義なので唐揚げは食べないが、主が喜ぶものは何でも作る。
この広い修羅王邸で生活を共にする三人だったが、所謂家事は白龍が一手に引き受けていた。彼が働きすぎと言われる所以だ。
「阿修羅王! 大変です!」
その楽しい食事の時間、諜報部の連中が館になだれ込んできた。
「なんだ? 今食事中だぞ!」
そう言ったのは、白龍である。
自分の作ったご飯を美味しそうに食べているのを邪魔されたくなかったのもあるが、諜報部は自分の直下の部下たちだ。
「す、すみません」
「ああ、構わない。何があった」
左手に持っていた酒を飲み干すと、白龍に目配せをし、阿修羅はそう声をかけた。
「王の命令で事情聴取していたピカラですが」
「おう、何か吐いたか?」
伝えに来た諜報部の男は、やや言葉に詰まった。
「いえ、それが。もう少しで何かを言いそうになったとき、突然首が折れて……」
「なに!」
阿修羅と白龍は同時に立ち上がった。リュージュは少しだけ頭を上げた。
「これは、どういうことだろう」
ピカラを取り調べていた部屋に行くと(要するに拷問部屋なのだが)、当の本人がだらしなく首を垂れて座っていた。
諜報部が行う拷問は、物理的なものでなく、精神的に追い詰めていく術を使う。見た目に傷はないが、その威力は殴るよりはるかに高い。
「命じた者の名前をもう少しで言いそうだったのですが」
「他には何か言わなかったか?」
阿修羅はピカラに近づき、様子を見ながら問う。ヤツの首は呪術と共に折られていた。元にもどすにはこの術を掛けた者に解除させるしかなさそうだ。
「自分でやったとの一点張りでしたが、最後に、我々では手の届かない方のご指示だと」
「へえ?」
振り向いた阿修羅の赤い目が輝く。
「それは、誰のことだろうな」
その場にいた諜報部員はもちろん、リュージュも白龍も鳥肌がたった。強敵に期待するオーラは瞳と同じく赤く揺れていた。
つづく
今回登場のリュージュ。イラストは神谷吏祐先生から頂きました!