第四十話 死闘
さあ! 戦の時間だ!
いよいよ時が迫っていた。体力も気力も戻った。今ないのは確かな戦略だけだ。尤もそこは大事なことなのだが。
「準備はいいか。結界を解くぞ」
阿修羅が声をかける。リュージュは辛うじて結界に持ち込めた唯一の武器、自身の片刃の剣を構えると頷いてみせた。
結界が解かれたら、そこはもう即戦場だ。誰もいないということはあり得ないだろう。もしかしたら、宝賢が手ぐすね引いて待ち伏せているかもしれない。いや、多分その可能性が高い。
「ああ。おまえは俺の後ろにいろ」
リュージュが阿修羅の一歩前に出た。だが自分の前に人がいることを阿修羅は許さない。あからさまにむっとした。
「悪いな。そういう趣味はない」
言いながら、再びリュージュの前にでた。
「おい! だけど……」
「剣などなくても戦える。出るぞ!」
もう一度何か言いかけたが、阿修羅はさっさと結界を解くべく唇に指を持っていった。リュージュは仕方なく身構える。
――――はっ!
阿修羅が鋭く息を吐く。何もなかった周囲の景色が、幕を落としたように一瞬にして眼前に広がった。
「ああ!」
あろうことか、すぐ目の前に宝賢がいた。まるで待ち構えていたように仁王立ちしている。だが、宝賢も突然の出現に驚いた。目と口を開き、数秒固まる。
「リュージュ、動け!」
そう叫ぶと同時に、阿修羅は宝賢の顔に回し蹴りをお見舞いしていた。宝賢の鼻血が噴き出て飛ぶ。彼女を前にして、数秒固まるなど死を意味する。もし剣があったなら、確実に首を落とされていただろう。強烈な蹴りを受け、たまらずよろけた宝賢にリュージュが跳びかかる。
「くらえ!」「ええい! させるか!」
二人は同時に叫ぶ。宝賢の手に中で『雷光』が光を放つ。
「げ! くそ!」
慌てて体を捩じると、寸でのところでその光の槍から逃げた。やはりおいそれと近づけない。リュージュは後方に着地すると阿修羅の位置を確かめる。すると、間髪入れず宝賢に仕掛けている。両サイドから波状攻撃を続ける作戦らしい。正攻法だが今はこれが最も確実性が高い。
右から左から、間断なく攻め続ける。雷光は飛び道具だが、一方向にしか発射できない。光の攻撃を避けながら、交互に攻めて敵の攻撃を振りまわし、息を合わせて同時に攻める。速さが勝負だ。
だが一度被弾すると、致命傷になる。同時に攻撃すればどちらかが餌食になる可能性もあるのだから、どうしても攻撃は及び腰になってしまう。
「雷光にはガス欠ないのか!」
息が上がって来たリュージュが叫ぶ。絶えず動いていないと雷光の的になるので、休む間がない。それにしても雷光はどこからあのエネルギーを得ているのか。連続攻撃を以ってしてもそれは無尽蔵に光を発射させてくる。
「だから魔鏡なのよ! そろそろ足が動かないだろう!」
勝ち誇ったように宝賢がリュージュに鏡を向ける。慌てたリュージュは射程距離から逃れようと跳んだ。そこに阿修羅が宝賢の右腕めがけて走る。驚くべきことにこちらは全く疲れ知らずだ。
「かかりおったな! 馬鹿めが!」
リュージュに向けられたと思った鏡は、阿修羅の方へと向けられた。単調な攻めに宝賢も慣れてきた。剣を持つリュージュを退かせて、丸腰の阿修羅をまずは仕留める。それが咄嗟に考えた宝賢の策のようだ。
「阿修羅!」
阿修羅は自分に向けられた鏡を凝視る。光がまるで湧き水のように鏡に満ちてくる。それが刃となって放たれるまで半秒もない。クルっとバク転し、辛うじてその刃をかわすが、頭部に衝撃と熱を感じた。
刹那、金属が堅い石にぶつかったような高い乾いた音がした。バルコニーの床に、何かが散らばり、輝くきらめきが床を飛び跳ねた。
「あ!」
阿修羅の髪飾りが光の刃を受けて、散らばった。パサリと髪が肩に落ちた。束ねていた髪が解かれ、長い髪が小さな顔を囲むように揺れている。髪飾りは赤い宝石を白い床に散らばせ、金でできた本体は黒く焦げていた。
「大丈夫か!?」
リュージュは叫びながらも体は宝賢へと向かっている。片刃の剣を降りかざすが、敵もさるもの、間一髪で鏡を向けてくる。近づきすぎると雷光から逃げることもできない。踏みとどまってまた防御態勢を取ることになってしまった。
この緊迫した状況のなかで、ふいに阿修羅の攻撃が止まってしまった。何かを探しているのか。ほんの数秒だが、動きが止まる。リュージュは不振に思ったが、何か理由があると感じ一人宝賢に向かっていった。
「宝賢! 俺が相手だ! こっち向け!」
リュージュが跳び込んでくるのを見て、宝賢はリュージュに鏡を向け直した。リュージュは早々に体を翻すと光の射程から逃れる。
「ええい、小賢しい! 覚悟しろ!」
おそらく何かに気が付いたのだろう。そう予想したリュージュは逃げに徹する。時間稼ぎだ。攻めに転じなければ体力も温存できる。右に左に上にとリュージュは飛び跳ねた。
「ちょこまかと逃げおって! 観念しろ!」
宝賢が魔鏡を持つ右手を再びぐいっと前に出す。まるで手筒砲のように短い攻撃を連続的に撃ってきた。
「うわっ! なんだよ、反則だ!」
一対一になったことで、宝賢は新たな技を繰り出してきた。彼も使いながら気が付いたようだ。逃げ場がどんどん狭まられ、リュージュは次第に追い詰められた。宝賢はこれが最後と言わんばかりに、魔鏡をかざす!
だが、そこに一つの影が走った。目にも止まらぬ速さで残像だけが瞳に映る。それは長い髪を風に飛ばし、宝賢めがけて突っ込んでいく。阿修羅だ。その手にはきりりと光る両刃の剣が握られていた。針のような殺気が宝賢を刺す。
「むうう!」
宝賢は慌てて鏡を阿修羅に向ける。だが間に合わない。阿修羅は目にも止まらない速さで宝賢の懐に入った。そのままの勢いで鎧の隙間に剣を捩じりこむ。
「うぐ!」
「やった! 阿修羅ぁ!」
宝賢が低く呻いた。が、素早く足で阿修羅の腹を捉え、彼女を蹴りだす。腹を抉られるような痛みに顔をしかめ、阿修羅はバルコニーに打ち付けられた。手ごたえはあったが、浅かったか。バルコニー上を回転すると体勢を取りさっと身構える。その阿修羅に魔鏡が吠えた!
「阿修羅! 避けろ!」
リュージュの叫び声が聞こえる。ついでに足音も。
――――あの愚か者は、また私をかばうつもりか。そう思うとなんだか顔がにやけてくる。こんな場面で笑えるのはおまえのお陰だな。
阿修羅の口元が少し緩んでいる。笑っているのか? 駆け寄りながらリュージュは戸惑った。あいつが諦めるわけがない。なぜ笑う?!
瞬時の出来事だ。魔鏡『雷光』の光は容赦なく阿修羅を捉え走っていく。阿修羅はその光に対して微動だにしなかった。息を吐いて身構えると、剣を自分の体の正面に上げ、くるりと手首を返し持ちかえた。体全体は真っ赤なオーラが滾り覆っている。それは一つの燃え盛る炎のようだった。解き放たれた長い髪は火柱のように天を突く。
「阿修羅あ!」
月のない空は厚い雲に覆われ、風もそよがない。重たい空気がこの大陸を圧している。どこかで波の音がする。修羅界の片隅で繰り広げられた死闘は、今まさに最後の時を迎えていた。
つづく
次回決着!




