第三十七話 禁断の術
※ここまでのあらすじ
修羅界で不穏な動きをしていたのは『八大夜叉大将』という力を持った悪鬼神たちだった。そのリーダー格、宝賢、満賢の館に乗り込む阿修羅達。人質だったカリティを無事救出したが、魔鏡『雷光』に大苦戦し、ついにリュージュがその光の刃に晒された。
辺りが一瞬、昼間のように明るくなった。宝賢が放った雷光は、阿修羅に向かって伸びていく。阿修羅は当に覚悟していた。今、逃げることなく目の前の満賢を殺れば、自分に向けて雷光を放っている宝賢をリュージュが殺れる。そう計算していた。
だが、それはあまりにも愚かな計算だった。
「終わりだ、満賢!」
言葉が放たれるよりも速く満賢の懐深く飛びこみ瞬時に逆立つ。敵の肩に自分の脚を絡ませ腹筋のバネで体を起こすと短剣を眉間に一気に突き立てた。兄に助けを求める満賢の声もむなしく響く。
同時にピシピシと音をたてて光の刃が阿修羅の背中を走っていく。壮絶な痛みを待った。だが、すぐにその異変に気付いた。
「この野郎! 邪魔するなあ!」
宝賢の叫び声が耳をつんざく。振り向いた阿修羅の目に飛び込んで来たのは。
「! リュージュー! おまえ何をしているか!」
全身が総毛立つ。膝から崩れていく満賢の胸を蹴って、阿修羅はリュージュの元へ跳ぶ。宝賢の雷光を自らの体で防ぐ、愚かな男の元へ。
雷光が途切れると、リュージュは血の塊となって、どうっと倒れ落ちた。
「リュージュ! しっかりしろ!」
「よくも満賢を!」
宝賢が呻くのを気にも留めず、阿修羅はリュージュに駆け寄り抱きかかえた。
辛うじて息はあるようだが、気を失っている。酷い有様だ。其処らじゅうの肉がそげ、焦げたような匂いがする。阿修羅が抱える手や腕にべっとりと血が垂れていた。
動揺を隠せない阿修羅の背後に、弟を殺られ怒り狂った宝賢が迫っていた。はっと見上げるとそこには憤りに震える手の中、魔鏡『雷光』があった。
「二人仲良く死ね!」
リュージュを抱きかかえる阿修羅に向かって、一直線に雷光が放たれる。真っすぐにそれは死刑宣告をするように光り輝いた。
戦意というものを、阿修羅はただの一度も失ったことはなかった。どんな劣勢であったとしても。
この日、この時までは。
所どころの肉が吹き飛んでしまっている男の体を抱きしめて、阿修羅は一歩も動けなかった。
「結界……」
熱い……。熱風と雷に撃たれたような衝撃を全身に受けた。だが、それは一瞬のこと。空気が揺れた様な感覚が阿修羅の周りで起きた。同時にふわっと体が浮く。突然空間が切り取られたように二人は宝賢の目の前から姿を消した。
「な! 何?! どこへ行った!」
魔鏡を持ったまま、宝賢は見失った敵を探した。だが、忽然と消えた二人の姿はどこにも見えない。
「くそ、結界を張って逃げたか! だが、二人とも相当の深手を負ってるはずだ」
数秒宝賢はきょろきょろと辺りを見回すが、すぐに弟のことを思い出した。そうだった。今はとにかく満賢を何とかしないと。宝賢は倒れている弟に駆け寄る。
「誰か! 誰かいないか?!」
屋敷中に響き渡るような大声で宝賢は助けを呼んだ。
俺は夢を見ているのか。いつもやられて傷を負っても、寝ている間に回復した。だが、今は痛みがちっとも引かない。それなのに目を覚ますこともできない。熱い。燃えるように体が熱い。
「……ジュ……」
俺は夢を見ているのか。いつも聞いていたい声が聞こえる気がする。おかしいな。泣いているのか。おまえ、泣いて……?
雷にでも撃たれたように、リュージュは跳ね起きた。と、同時に体中が痛みで悲鳴を上げる。
「い、てえ」
「リュージュ! 気が付いたか?」
「阿修羅!? 無事か……?」
リュージュの目の前に血だらけの阿修羅がいた。慌てて阿修羅の腕を右手で触れようとした。だが、それが思うようにいかなかった。
「な!」
リュージュの右手ががくんと腕にぶら下がった。手首の肉がもげて、辛うじて皮一枚で繋がっている状態だ。阿修羅が慌ててその手を支え、腕にくっつけようとした。リュージュも追うように左手を添える。
「そうか。だから回復できなかったのか。こりゃひでえな。……あ、ここは?」
いつの間にか今までのバルコニーとは全く別の場所にいた。リュージュは周りを見渡す。不思議な空間だ。白い繭のような狭いところに入れられている。閉じた世界で、周りには白い柔らかそうな壁以外、何も見えない。
「ここは私が張った結界の中だ。かなり強固に張ったので、多分外部からは何の接触もできないと思う。あの場合、そうするよりなかった」
そう言う阿修羅も体の至る所から血が流れている。肩口の傷が最も深いようだ。そこからは止めどなく鮮血が流れ落ちていた。
「もうしゃべるな。待ってろ、すぐ助けるから」
リュージュは左手で右手首を今度はしっかりと抑える。まずはここを繋げなくてはどうにもならない。右掌におわす龍王の力を得るために。
急がなければ。リュージュは焦る気持ちを抑えて、気を集中させる。
どうしてこんなことのなってしまったのか。俺があの光に飛び込んだのが間違いだったのか? イヤ、阿修羅が雷光にさらされて、吹き飛ばされると知りながら、飛び込めずにいられるわけはない。すぐに癒せると思っていた。まさか、右手がこんな有様になるなんて。
言い訳をするように、リュージュはそう思いを巡らせた。
あの時、あの瞬間、阿修羅はそんなリュージュの想いを想像することが出来なかった。冷静に勝利を考えれば、自分が咄嗟に立てた作戦に彼も従うと思っていた。たとえ自分がボロボロになったとしても、死ぬわけではない。時間がかかっても、リュージュの癒しの力で復活できる。
だが、光の中に飛び込んでいく彼の姿を目の当たりにして、阿修羅は不思議と愚か者と思わなかった。それよりもその行動を読めなかった自分を恥じた。ずっと知っていたはずなのに。この男が、こんな時にどう行動するのか。わかっていたはずなのに、気付かないふりをしていたのか。
リュージュは龍王の印がもたらすエネルギーが少しずつ体中を巡っていくのを感じた。あちこちがぼろぼろだ。多分内臓もぐちゃぐちゃになっている。そこに着実に治癒力が届いていく。
だが、ゆっくり癒している時間はない。五割くらい戻したら、阿修羅を治療しないと。ありったけの力で体液を循環させる。その時間は、ほんの五分くらいだった。
だが、阿修羅にとって、その五分は長かった。
かなりの出血からの貧血で、頭がぼんやりとしていた。強い結界を張ったために、こちらからも外部の様子がわからない。この繭のような結界は誰にも可視化できないが、あのままバルコニーにいるのだ。もし結界が解けた途端、再度あの攻撃を受けたらひとたまりもない。
結界はいきなり張ったものだ。強力ではあるが、急ごしらえのため術者が気を失うと解けてしまう恐れがあった。そう思うと、意識を失うことは許されない。
「だめだ。意識が飛びそうだ。ザマないな。ふふ」
阿修羅は自嘲的に笑う。目の前で血まみれのリュージュが精神統一して傷を治している。右手首がくっついてきているのが見えた。
「良かった……。だが、準備だけはしておいた方がよさそうだ」
体中に走る痛みに耐えながら、阿修羅は座り直し、呪文を口にしだした。
それは禁忌の呪文。長い呪文を唱え終えたら、阿修羅が例え意識を失おうと例え首を刎ねられようと結界は破れない。だが、それは大きな危険を伴う。意識を失ってしまうと、そのまま目覚めない可能性もあるからだ。
リュージュの回復が間に合うか、それともこの呪文を唱え終えるか。阿修羅は賭けに出た。
――――まだだ。まだ意識を失うな。
それから、恐らくは五分も満たない僅かな時間の後、リュージュは体に行き渡る生きた水を感じて身を震わせた。それは脅えではなく、生気が戻って来た証だった。まだ弱々しいが、龍がリュージュの背後で首をもたげている。
「よし、このくらいで大丈夫だろう。阿修羅、待たせた……!」
目を開けたリュージュはそこにあった光景に驚愕し、一瞬声を失った。目の前で阿修羅が禁断の呪文を唱えていた。術者ならば、その呪文が何を意味するかすぐに理解できる。長い呪文は最後の一文に差し掛かっている。
「やめろー!」
リュージュは弾かれたように跳んで駆け寄ると、阿修羅の体をぐっと抱き上げた。右手の龍の痣を最も重症の右肩に当て、左手で背中から抱きかかえる。そして、呪文を説く唇は、戸惑いもせず自らの唇で塞いだ。
呪文をそのまま呑み込むように、リュージュは阿修羅の唇を食む。癒しのオーラで包み込みながら強く強く抱きしめると、ほとんど気を失いかけていた阿修羅がぴくりと反応した。寸でのところで呪文は閉じられた。
間に合った……。青いオーラが二人を包む。自然と頬に涙が伝った。
阿修羅はそのままリュージュに体を預け、唇を離すことはなかった。
つづく
反撃は可能か?
次回を待て!