第三十三話 生意気
何か周りが騒がしい。その音に反応して節々の太く長い指がぴくりと動く。音の次に体の痛みが追いかけてきて、リュージュは跳ねるように目を覚ました。
「いってえ……。ここは、どこだ?」
軋む体を無理やり起こし、周りを見渡す。有難いことに体は拘束されていない。相手はリュージュが回復治癒の力を持っていることを知らないらしい。
だが、それほど楽観はできない。ここはどう見ても牢獄だったからだ。頑丈そうな金属の格子状の檻、小さな扉はロックがかかっている。
「物理的の方がなんぼか楽に開けられるのにな」
リュージュはガシャガシャと音をさせて扉を揺するが、鍵穴すらないので開ける手立てがなかった。リュージュを起こした騒がしい音はどんどんと遠ざかっている。ここにいた見張りの連中もどこかへ出払ったのか。
「とりあえず、体力回復しよう。そっからだ」
静かに目を閉じて、体の中へエネルギーを巡回させる。血管、指先の毛細血管まで行き渡させると、ゆっくりではあるが、力が満ち、痛みが和らいでいく。掌の龍が身体中を跳ねまわる。青いオーラが龍の形となって、リュージュを包み込んだ。
しかし、こうしている間にも阿修羅や白龍のことが気になって仕方がなかった。二人のことだから、大丈夫だとは思うが。いや、大丈夫だったら、助けにきてくれるはずだ。それがないということは、少なくとも苦戦している。
「せめて逃げていてくれればいいんだけど……」
気を失っている間も治癒は自然にしている。数分でリュージュは力を回復させた。血と汗と変装のメイクが流れ、ぐちゃぐちゃになった顔を手持ちの手巾で拭い、ざんばら髪をいつものように束ねた。
ようやく自分を取り戻したようにほっと一つ息をつくと、改めて周りを見た。正面の通路を挟んで二つ並んでいる同じような牢は、見たところ無人だ。だが、リュージュの房から見えない所にも牢がありそうだ。
「誰かいるか?! カルラ?!」
檻の前までいって声をかけてみたが、返事はない。ここには今、リュージュ一人のようだ。
「何とかして、ここから出ないと!」
耳飾りの通信機は既に取り上げられている。阿修羅達との連絡もできないリュージュはもう一度座禅と組むと、意識を巡らせていく。
――――必ず、必ずここを抜け出る道があるはずだ。
リュージュは静かに瞳を閉じると集中する。彼を中心に思念波が、ゆっくりと這うように円を描いて広がっていった。
足音が近づく。生い茂った葉を分けるカサカサという音とともに、遠慮ない足音が聞こえてくる。
「おい! いたか?」
「いや、こっちにはいないな」
「いったいどこ行きやがった! 見つけないと満賢様にどやされるぞ!」
阿修羅は息をひそめて彼らが遠ざかるのを待っていた。宝賢、満賢兄弟邸の広大な敷地にある森の中。阿修羅と白龍、クルルは大木の洞の中にいた。
「行ったようだ」
「あ、阿修羅王……」
洞の中に横たわっていた白龍が起きようと動く。だが、思うように動かせない体を、彼は持て余すようにどうと再び地面に付けた。
「動くな、白龍。おまえ、酷い出血だ……。すまない。私のせいだ」
白龍は宝賢から受けた二度の攻撃で傷だらけだった。あの時、空を飛んだはいいが、傷ついた翼では敷地を出ることが叶わなかった。急激に高度が下がっていき、もがくように森の中へと不時着した。たまらず人型に変化したが、衣服に滲む血は彼の白い衣を赤く染めていた。
「戦いの中で己を忘れてしまった。おまえに……こんな酷い怪我を……」
阿修羅の涙が頬を伝う。膝の上で握られた両の拳はふるふると震えていた。
「大丈夫ですよ。私は丈夫ですから」
白龍は横になったまま笑ってみせた。そして、阿修羅の震える拳にそっと手を置く。
「シッダールタに念を送っているのだが、うまくいかないのだ。あいつなら、治癒してくれるんだが……」
いつもよりずっと心細そうにしているのはそのせいか。勝手な憶測ではあるが、白龍は軽くため息をついた。頼みの治癒者、リュージュもこうなるとどうなっているのか怪しい。
――――これほどの力を持っているとは、ぬかりましたね。
体内の燃えるような痛みはさすがの白龍にも応えた。皮膚の裂傷だけじゃなく、内臓まであの光の槍のようなものは到達していた。そこからとめどなく血が流れていくのがわかる。阿修羅が応急処置で止血をしてくれたようだが、あまり効果がない。
「あ! 僕、少しならできるよ。待ってて」
恐怖で茫然としていたクルルが突然声を上げる。ゆったりした衣装の中から何かを取り出した。
「本当か!? 何か持っているのか?」
「ごめん。怖くてすっかり忘れてた」
取り出したのは、塗り薬のようなものだった。止血のための包帯を取ると、クルルは白龍の傷の深いところにそれを塗っていく。すると不思議。流れていた血がゆるゆると固まっていく。
「この傷は随分深いね。ちょっと時間かかるかも……」
最も深い傷のところはゆっくりと塗りこんでいく。確かにそこは一番重症のところだ。だが、他の傷が随分癒され明らかに楽になった。
「ありがとう。凄いですね、その傷薬は」
白龍は、改めて起き上がってクルルに礼を言う。木の壁にもたれ一息ついた。
「これは僕たち鳥族に伝わる秘伝の傷薬なんだ。鳥族は脆弱だからね」
「助かったよ、クルル。白龍、大丈夫か?」
いつもなら、いい薬があるならさっさと出さないか! と怒鳴りそうなものだが、そんな素振りを少しも見せなかった。代わりに心配そうな顔で阿修羅が白龍の顔を覗いている。阿修羅自身も体中に裂傷を負っている。満賢との戦いだけでない、あの光の攻撃も少なからず受けたのだろう。
「王も薬を……」
「いや、私は大丈夫だ。それより、あの攻撃は何なのだろうな。初めて見た」
先ほどは消え入りそうな表情だったが、いくらか冷静さを取り戻していた。白龍は仏陀と連絡を取れないことに消沈していたと勘ぐったが、実際は彼が血まみれの大怪我をした(自分がさせた)事に相当堪えていた。クルルの傷薬のおかけで起き上がることの出来た白龍を見て、少しは安心したようだった。
「なにか、鏡のようなものを持っていましたね。痛みと同時に電撃のようなものも感じました」
「そうだな……」
阿修羅は白龍の目を見つめた。何かを探るように、伝えるようなその瞳に、白龍は思わず胸を射抜かれる。すると、ふっとその目が和らいで、ほほ笑んだ。
「良かった。生気が戻ってきているな。いつも以上に白いが……」
「阿修羅王」
白龍が何かを言おうとするのを制するように阿修羅は立ち上がった。
「リュージュを救出に行く。おそらくあいつもあの宝賢の攻撃にやられている」
「では私も!」
「馬鹿を言うな。おまえはクルルと一緒にここに残って回復に努めろ。そして、私が来て欲しいときに飛んで来れるようにしてくれ」
いつもの阿修羅王に戻ったように見えた。たとえそれが、白龍達を安心させるためのはったりであったとしても。少なくとも虚勢を張るくらいの元気は出てきたわけだ。自らに言い聞かせるように語気を強め、阿修羅は目を見据えた。
「そう、ですね。……それでは、これをお持ちください」
白龍はリュージュの剣を渡す。阿修羅はそれを受け取ると背中に背負った。
「クルル、白龍を頼んだぞ。もしもの時は、おまえだけでも鳥になって逃げろ」
クルルはじっと阿修羅の言葉を飲み込むように聞き、やがて首を横に振った。
「逃げるときは一緒だよ。絶対戻って来て」
「ふ、生意気なやつだな」
思いもかけなかったクルルの言葉に苦い笑みをこぼした。改めて阿修羅は白龍に顔を向ける。無言で頷くと白龍も応えるように頷いた。そして背を向け洞から出ると、足音も立てず瞬く間に闇に紛れていった。
つづく