第二十七話 身の上話
※ここまでのあらすじ
修羅界を中心に起こる異変は、「八大夜叉大将」という悪鬼神が中心になっていることを知った阿修羅達は、密厳、無比力、散支の三人の夜叉大将を倒した。地獄界の王、夜魔天のおかげで新たな敵の名を得るが……。
無比力夜叉はカルラが仕留めた。正確に言うと、地獄界からの助っ人の皆様に助けられながらだが。
「カルラ、白龍、よくやった。おまえ達のおかげで二人の夜叉大将の動きを止めることができた」
対散支、無比力夜叉との戦いの翌日、修羅王邸の軍議室で阿修羅は二人の労をねぎらった。いつも真面目なカルラだが、今日はさすがに嬉しそうだ。
「それにしても、今回は地獄界に世話になったな。いつかきちんと礼をしないと」
散支夜叉は夜魔天が地獄界へと連れていった。夜魔天からは、天界には無事であることを内密にするようにと言われている。阿修羅本人も解せないことがあったので、正直に報告するつもりはなかった。
――――宝賢と満賢兄弟か。悪鬼神の序列から言っても、この二人が八大夜叉のヘッドで間違いないだろう。浄玻璃鏡を分析すれば、色々わかるだろう。
うまくすれば、残る八大夜叉のメンツもわかる。阿修羅はそう考えていた。
「僕のことはどうするつもりだ!」
軍議室には場違いな、水色の洒落た服を着た少年がいた。クルルだ。ブラウスに付いたスパンコールがキラキラと光っている。
「ああ、ピー、いや、クルルは別にここにいなくてもいいぞ? 好きなところに行けば?」
阿修羅はクルルを天界にも畜生界にも送らなかった。シンダラのパシリだったようだが、さほど信用されていたわけでもない。敢えて捕らえて天界に送ることもない。かといって地獄や畜生界に送るのも不憫に思い、そのまま放置していた。
ここにいるのは、紛れもなく本人の意志だ。自分のボスであったシンダラも今は天界軍の監視下にある。散支と共に地獄界に行くこともできたが、ここを選んだ。
「そんな、好きなところと言われても……」
クルルはぶつくさ言いながら、上目遣いで阿修羅を見る。
「いつまでも意地悪言ってないで。クルル、おまえはここにいればいいよ」
その様子を見かねた白龍が助け舟を出す。
「そ、そんなに言うならいてやってもいいよ!」
「その代わり、ご存じのことは全部話してもらいますよ」
口元を綻ばせながら、しかしマジな目でクルルに釘を刺した。
「なあ、白龍。俺気になっていることがあるんだ」
軍議室に人がいなくなってから、リュージュは白龍に声をかけた。飲みかけのコーヒーが入ったカップを右手でくるくる回している様は、まるで恋バナをしかける女子高生のようだ。
「何をですか? 阿修羅王の胸が大きくなったとか?」
「え、そうなの? て違うわ!」
白龍はリュージュをからかうのが楽しいらしい。くすくすと肩を揺らしながら笑っている。
「ったくもう、真面目に聞けよ」
「真面目な話なんですか?」
意外、といった表情で白龍はリュージュの斜め前に座った。銀髪の上で耳がピクピクと動いている。興味を持ったことが一目瞭然でわかってしまう。
「夜魔天様って、阿修羅のことを可愛がってるよな。悪い意味じゃなく。あの人が阿修羅に好意を持っているのはわかるけど、それだけじゃない気がして。この間、向こうに行ったとき、側近たちが『天界に睨まれている』って言ってたし」
そんな白龍の興味にはお構いなしに、リュージュは目をカップに置いたまま話す。
「ああ、そうですね」
こんな話がリュージュから聞けるとは意外だった。彼を地獄界に行かせたのは悪くなかったと、改めて思う。
「私もわからないのです。夜魔天様が好意を持っているのは間違いない。そのうえ、阿修羅王も夜魔天には優しい。ここに来てすぐ、初めてお会いした時からお二人は意気投合されていました。今でもそうですが、あの二人にはどこか不思議な縁を感じます」
「そうか。白龍も知らないことがあるんだな。帝釈天とも何かあったのかな」
「帝釈天? あの方がどうしました?」
白龍は先日目の当たりにした、厚顔な神の舐める様な視線を思い出し、思わずぶるっとした。
「夜魔天様が帝釈天には気をつけろと言ったんだ。阿修羅と会わせたくないような口ぶりだった」
「それは……。なるほど」
阿修羅は帝釈天を嫌っていた。それはわかる。あの神はいかにも色好きな男だ。帝釈天が阿修羅を見る時、その目が獲物を見る目のようだと感覚的に気付いていたのだろう。
「しかも節操がない。確かに会わせたくないですね」
「え? なんか言った?」
「いえ、リュージュさん、私も同感ですよ。これから天界に行くのに貴方も供をしたほうがいいでしょう」
「え? 俺が? それはいいけど。おまえじゃないの?」
白龍はリュージュを一瞥して言った。
「どう見ても帝釈天のタイプじゃないから、貴方が行くべきです」
何のことかすぐにはわからなかったが、リュージュは頷いた。
リュージュの名誉のために断っておくが、彼は生国であるインド国特有の、彫りが深い二枚目である。肌は小麦色、長身で引き締まった肉体の持ち主だ。
帝釈天の好みは白肌の色気満載の美女から中性的透明感のある美人。男らしさが満ちるリュージュは幸か不幸か、彼のタイプではない。
そんな話をリュージュとした後、白龍はクルルの尋問を始めた。尋問と言っても、世間話のようだったが。
「クルルはどうして修羅界に来たのかな」
取調室のようなところではなく、リビングルームでお茶を飲みながら白龍は話を聞く。元々自分のことを話したくて仕方なさそうなクルルだ。リラックスさせた方が自分から話すだろうと踏んでいた。
「僕は元々天界で飼われていたんだ。綺麗で優しい奥方様のご寵愛を受けて、幸せに暮らしてた」
クルルは搾りたてのリンゴジュースを美味しそうにごくんと飲んでそう言った。
天界にいる鳥や猫などの愛玩動物は、たいてい神が人間界で生を全うした魂を連れてくる。そこで人語を授けたり、変化の力も場合によっては授けることもできる。
いずれも天界行政の許可を下りればの話だが。少なくとも天界で暮らせるには、それ相応の善行を地上でしていないければならない。躾のいい小動物に限るというわけだ。断っておくが、シンダラとかショウトラは間違っても愛玩動物ではない。
クルルも御多分に洩れず、鳥としての生を全うした時に天界に連れてこられた。白龍と同じように、人型にもなれるし、鳥のままでもいられる。クルルはご主人様の希望通り、鳥として天界で暮らしていた。
「でも……。ある日、奥方様がいなくなってしまった。何故かはわからない。旦那様はとても悲しまれて……」
「それが散支夜叉か?」
「そうだよ。僕は奥様に飼われてたから、散支様とはあまり接点がなくて。でも、いきなり修羅界に堕とされた時は一緒に連れていってくれた」
クルルはどうして修羅界に堕とされたのかは知らなかった。修羅界では長い間をひっそりと暮らしていたようだ。
「でも、ある日を境にすっかり変わってしまった。突然やってきたシンダラ様が、僕を従者にしたんだ。僕は人型に変身して、シンダラ様のお世話をすることになった」
それはあまり楽しい日々ではなかった。人使いの粗いシンダラは、クルルを雑用係としてしか見ていなかった。鳥の習性なのかわからないが、それでもクルルは主人となった人のために懸命に働いた。だが、報われることは少なかった。
「それからすぐ、散支様の所へ無比力様とサンチラがやって来たんだ。サンチラが僕にこのお屋敷でスパイしろって命令して。どうなることかと思ったけど」
「どうだった?」
「家人が馬鹿ばっかだったんで楽しかったよ」
乾いた板を割るような軽快な音がした。
「痛て!」
白龍がスリッパでクルルの頭を叩いた。クルルは両手で頭を撫でる。
「言葉を慎みなさい」
クルルはちぇっと軽く舌打ちして、その舌をぺろっと出した。テーブルの上に汗をかいているグラスを取って、残りのジュースを飲む。
「おまえ、知ってて僕を軍本部のスパイに行かせたんだな」
修羅王軍が本部奪還のために『ピーちゃん』をスパイに送り込んだ時のことだ。顔色を覗くように白龍の顔を見上げる。
「そうですよ。多分、悪い方には転ばないと踏んでいました」
「だから、『貴方には、お安い御用だと思います』 なんて言ったのか」
白龍はその問いに優しげな笑みで返した。あの時、白龍はこう言ってクルルを敵陣に送った。
『貴方にはお安い御用のことだと思います。貴方だけが頼りです。私たちを助けてくださいね』
クルルは自分が頼られることが嬉しかった。シンダラの従者になっても、いつも怒られてばかり。本部の中にいるサンチラは大嫌いだし、飛べるところは飛んでやれ、と思ったのが阿修羅達には功を奏した。見事本部を奪回できたのは、クルルの働きがあってのことだ。
「奥方様はどうしていなくなってしまったんだろう。時が満ちて、転生されてしまったのかな。もう一度会いたい」
「奥方様か……」
白龍は散支がなぜ不本意ながら宝賢、満賢兄弟とともに八大夜叉を名乗ったか、その謎が解けたような気がした。
つづく
読んでくださってありがとうございます!
次回から第一章のクライマックスに入ります。