第二十三話 過去を映す鏡
夜魔天の登場
こいつも巨漢だった。
大体、神とか王とか称されるのはでかくなくてはならないのか。阿修羅王一人が普通体型。いや、モデル体型とでも言っておこうか。
リュージュは白龍からの親書を携えて、地獄界の王、夜魔天に謁見した。顔がいかつい巨漢の王は、噂とは大分違う笑顔で迎えてくれた。
「先日は、不慮の出来事とはいえ、こちらに無断に侵入し、大変申し訳ございませんでした」
そう挨拶するリュージュにも、大したことではないと一笑に付した。
「阿修羅王はお元気かな?」
などと聞きながら、白龍からの親書に目を通す。進むにつれて、その顔は少し難しそうな表情へと変わって行く。リュージュが通された部屋は夜魔天の執務室のようだ。体の大きさに合わせた天井も高く、机も椅子も何もかも大きい。当然のことながら部屋自体も広々とし、そこには何人もの部下達が事務作業に追われていた。
「ふむ。なるほど。これは、私も出向かないとな」
夜魔天は読み終えると、いきなり立ち上がった。すぐにも修羅界に行くつもりだろうか。慌てたのは周囲にいた彼の側近達だ。
「え? 大王様、本気ですか? こちらの仕事はどうされるつもりですか!」
と、喧々囂々諫めの言葉を叫んだが、当の王は全く意に介さず準備を始めていた。
――――どこの王も我儘で、下っ端は苦労するな。
リュージュは他人事のようにその様子を眺めていた。
「夜魔天様は阿修羅王様に格別甘いから」「天界に睨まれてるっていうのに」
夜魔天の側近たちが忙しそうにしながら愚痴っている。『天界に睨まれている』。少し気になる言葉だった。
さらに、さあ修羅界へと夜魔天を連れて戻る道すがら。流道で二人きりになったとき、夜魔天はリュージュにこう言った。
「最近、阿修羅王は天界の帝釈天とはお会いになってますか?」
「え? はい。大抵は梵天様がご一緒のようですが。この間はお二人でお見舞いに来られました」
いきなりの質問に驚いたが、隠す必要もないだろうと正直に答えた。
「そうですか……。リュージュさん、貴方は王と近い方と聞いております」
「はい、白龍と二人、直属の配下です。館にも三人同居しておりますので」
「それは羨まし……。あ、いえ」
思わず零れた本音にリュージュは聞こえないふりをした。そして再び口を開いて飛び出したのは驚きの忠告だった。
「帝釈天様には、気を付けて下さい。ワケは聞かないで」
何気ない会話のようだった。流道で二人並んで、前を向いて立っている。夜魔天は真正面を見たままそう言った。
頭上から空気のように流れてきたその言葉に、リュージュは一瞬凍り付いた。これは相当に危険な忠告ではなかろうか。夜魔天もかなり上位の神だろうが、帝釈天はさらにその上だろう。
軽く動揺したまま、修羅王邸の玄関に到着する。先ほどの様子から打って変わってご機嫌な夜魔天。その視線の先には阿修羅が笑顔で出迎えていた。
側近たちがいかに窮状を訴えようと、行くと言って聞かなかった地獄界の王は、いつもの執務服ではなく黄色を基調にした衣に青の帯、共に宝石が散りばめられた豪勢ないでたちだ。本人にしてみればかなり洒落たつもりだろう。
見た目は年長者を装いあごひげなど蓄えているが、人懐こい笑顔も見せるワイルドとダンディを兼ね備えた神だった。
「阿修羅王、ご機嫌はいかがかな」
修羅王邸玄関口で、珍しく客を出迎えた阿修羅の顔を見て、相好を崩す。
――――ああ、なるほどね。どうりでどうしても行くと言い張るわけだ。
誰もが認めている。夜魔天は阿修羅のファンだった。その事実はここまで彼を連れてきたリュージュも一目で納得できた。
「ようこそ夜魔天、この度は世話をかけるな。助かる」
それを知ってか知らずか、阿修羅は天界コンビ(梵天と帝釈天のこと)と話す時とは全く異なる、満面の笑みで迎えている。
「阿修羅王の頼みとあれば。何なりと」
「さあ。邸内に入られよ。作戦を説明する」
夜魔天。一般的には閻魔の方が親しみのある呼び名かもしれない。六界の最下層、地獄界の王である。もちろん阿修羅よりも当然年長。
だがその話しぶりは、阿修羅王の方が上位者のようである。天界コンビでもそうだが、この関係性にリュージュのみならず、白龍も首をかしげるところだった。
エントランスでの社交辞令の後、阿修羅王、夜魔天、白龍、そしてリュージュの四人は軍議室へと入った。
会議机の上には夜魔天用のオレンジジュースが置いてある。白龍によると、好物らしい。そんなことまで調べてあるのはさすがである。
夜魔天はジュースを一息で飲み干すと、大きな手にも余るような包みを懐から大事そうに取り出した。
「ご依頼のものはこちらですね」
包みをほどき、『依頼のもの』が、皆の目の前に現れる。色は翡翠色、お盆ぐらいの大きさで、周りを牡丹や桜といった花々のレリーフが飾る鏡だった。
「これが噂の浄玻璃鏡か」
「じょうはりきょう?!」
阿修羅の第一声にリュージュが驚いて繰り返す。
「これは、その出張用。持ち出しサイズですがね。本体は2畳ほどの大きさがあるので」
浄玻璃鏡とは、地獄の関所にある鏡のことだ。ここで罪を犯した人間の嘘を見破る。この鏡には、その人物の一生の全てが映し出されるという。当然犯した罪もあぶりだされる。
だが、既に転生を果たしている修羅界の住人については違う。転生してからの全ての行動を映すという。
「これを散支のところに持ち込みましょう」
「八大夜叉大将のメンツとボスがわかるってことか!」
白龍から説明を聞いたリュージュが頷きながら鏡を見る。
「リュージュ、不用意に覗くとお前のここでの生活態度が全部バレるぞ」
「別に隠し立てするようなことは何もないよ」
クスクスと笑いながら声をかける阿修羅。リュージュは慌てて背筋を伸ばした。鏡に映るのを避けはしたが、思い当たるようなことはリュージュにはない。修行も怠らず、阿修羅の役に立とうと、一生懸命頑張ってきたつもりだ。だがそんなことよりも、和んだ瞳を向けて笑う阿修羅にリュージュはどきまぎした。
人間界であれほど女心を弄んだ色男が、実年齢で十歳近く年下の言動に狼狽えている。こと阿修羅に関しては、昔取った杵柄が全く用を為さないリュージュだった。
つづく