第六十話 エピローグ3 阿修羅組の今
宮殿と見紛う修羅王邸の白い壁。その壁が途切れた奥、森の樹々に挟まれるようにそれは建っていた。倉庫というには大きく、工場というには小さい。シャッターを開け放したそこからは、今日も何かを作る軽快な音が聞こえる。
「やっぱり、マヤ殿は凄いな! せやけど、ようやく表舞台で勝負できるわ! 負けへんで」
「兄者が負けるわけはない。もう隠れなくて良くなって儂も嬉しいぞ!」
戦闘機一機が優に入るほど広い工房だったが、今は不可思議な機器とともに試作品が所狭しと積まれている。既に足の踏み場がないほどだ。
その中で金髪碧眼の工匠、カルマンは上機嫌で双子の弟、寝ぐせ跳ねまくりのトバシュと共に作業をしていた。
「チームツイン、復活やな!」
「え……?」
――――復活って。いつその前があったんじゃろう?
トバシュは黙って首を傾げたが、細かいことはどうでもいいかと、また目の前の作業に没頭する。
マヤというのは、阿修羅の一族で天才と言われる工匠である。二千年前に、修羅王邸や修羅界そのものを造ってしまうほどの腕である。一度は敵側にいた身ではあるが、今や彼の作る道具は天界御用達となっていた。
元々トバシュが天界から修羅界に堕ち、カルマンが身を隠すことになったのは、トバシュが阿修羅のお抱え工匠であったとみなされたからだ。帝釈天との戦いが始まってからすぐ、トバシュは阿修羅側の人間とされて修羅界に堕とされた。だが、阿修羅琴により、その事を忘れてしまったため、自分が何故修羅界に行ったのかわからなくなった。因みに今もそのわけを知らない。
当然カルマンも同様だが、こちらは薄々気がついてはいる。勘の良さは天性のものだろう。そのカルマンは、身を隠していた間、悶々とした日々を送っていた。もちろん色んな道具を作っては秘密裏に売買していたが、表立っての行動はできない。そんな自分を後目に突如表舞台に上がった『天才工匠マヤ』。真っ向勝負したいとずっと切望していた。それがついに実現したのである。
「これは、梵天はんに売りにいこかな。あっちにこそ必要なもんやろ」
自信作を眺めながらカルマンは悦に入っている。阿修羅のお陰で、二人とも天界へフリーパスとなった。
梵天からは天界での住居、工房も用意すると言われたが、二人は断っていた。修羅王邸内で暮らすことを選択したのだ。ここには空き室は呆れるほどあるし、工房も十分な設備が揃っている。天界から材料調達できるようになったので、機能的には十分だ。
「二人とも、ランチできたよ!」
「お! ええタイミングや」「今日はなんじゃろ?」
彼らがここを選択した理由の一つは、『食事』だった。本来食事は摂らなくても問題がない。人間界以外では、飲食は必要ないのである。だが、天界人の多くはただの嗜好品として食事、飲酒をしている。これは修羅界においては稀なことである。よほど財力に余裕がない限り、食べることを習慣にするものはいなかった。双子は天界にいた時から、あまり飲食には興味がなかったのだが、修羅王邸に来てからそれが一変した。
もちろん毎食、食事が出るわけではない。多忙や不在を理由で食事がないことは当然だったが、特に何もない日は白龍、それに今や料理担当となったクルルが振る舞ってくれていた。
食事というのは、『何を食べるかより誰と食べるか』が重要だ。双子が修羅王邸を選択したのは、そういうことだろう。
「ランチはカレーだよ。今日は僕が作ったからね!」
「そりゃ楽しみやな」「カレー、好きじゃ」
帝釈天との戦も終わり、修羅界もずっと平和になった。クルルは『黄金の天車』から戻ってから、自分がここで役立つ存在になるにはどうしたらいいか考えた。そこで思いついたのが料理当番である。今まで白龍の手伝いはしていたが、実際に作ったことはなかった。それからというもの、料理に精を出している。厳しい料理長の元、腕は随分上がったと言えるだろう。白龍も簡単なものはクルルに任せ、自分は本来の業務に時間をかけられるようになっていた。
「遅いぞー、双子」
作業着姿の双子が、吹き抜けで解放感のあるリビングに行くと、そこには既にいつもの面々が揃っている。リュージュは大盛りの二杯目をよそっていた。
「リュージュさん、早すぎじゃよ!」
慌てて二人はテーブルに着く。ソーシャルディスタンスが十二分に取れる大きなテーブルに白いお皿のカレーライスとサラダ、炭酸水が並んでいた。
「全く、ここはもう体育会系の合宿所になりましたね」
長い銀髪を緩めに束ねた白龍が、カレーライスと福神漬けを一緒に匙に乗せ、ため息交じりに言う。その向こうには、素知らぬ顔でサラダを口に運ぶこの家の主がいた。流れるような黒髪をポニーテールにし、いつもの露出度高めの衣装、胸元には瓔珞が輝いている。
「いいではないか。賑やかなのも悪くない。クルル、腕を上げたな」
「わあ! 本当? 嬉しいなあ」
聞いてないのかと思ったら、ちゃっかり会話に参加してきた。白龍は目を細めてその様子を見た。
「そりゃあ、私の指導ですから。でも、クルルはよくやっていますね」
「うむ、そうだな。それはそうと、夜魔天殿は今夜来られるのだな?」
夜魔天は、阿修羅達が『黄金の天車』に乗り込み全ての通信を断ってから、地獄に引き取った帝釈天、クベーラ王配下の連中の処分に忙殺されていた。帝釈天が敗北した後も、それはずっと続いている。もちろん梵天や阿修羅の動向を探り、後方支援は怠らなかった。
「はい、今宵は私も腕を奮いますよ」
「唐揚げを頼む」
「承知しています」
その夜、数人の供を伴って夜魔天が来訪した。いつも以上にナイスミドルな風体の彼は、青みがかった長めの上着を粋に着こなしている。連れの供たちも今回世話になった側近たちだ。修羅王邸は一気に人口密度が高くなり、テラスでは夜が更けるまで笑い声が絶えなかった。
「夜魔天殿。長い年月、世話になったな」
大騒ぎのテラスから少し離れた、庭の中のあづまやに阿修羅は夜魔天といた。丸いテーブルには食後のデザートと紅茶が置かれている。
「いえ、無下なお願いをいたしました」
夜魔天は梵天とは違い、自分にも阿修羅琴の術をかけさせた。自分の行いを後悔し、計画を無駄にするのを恐れたからだ。だから、阿修羅が修羅界に戻ってから彼女と仲良くなったことも、帝釈天を危険に思ったことも、何かしら感じたことがあっただけで、知っていたからではない。
だが、阿修羅が『黄金の天車』に隠れた時、梵天から全てを知らされ、思い出したのである。
「何を言われる。あの知謀があったからこそ、今日のこの平和がある。何度礼を言っても足りないくらいだ」
「何よりも……、仏陀殿との出会いですね」
夜魔天は好物の甘いものを既に食べ終え、修羅王邸特注の紅茶に口をつける。阿修羅はそれを明眸に収めながらゆっくりと頷いた。
「全てはその日のために……。あいつにとっても、そうであったろう」
修羅王邸の夜空に月が昇っている。ちょうどレモンの形をした青い月が、満天の星空と競うように輝いている。修羅王邸は亜空間に浮かんだ惑星のようなものなので、夜空は人間界の空を映すスクリーンだ。
――――いつか見た星空。このような満ち足りた気持ちで見上げる日がくるとは……。
背後から仲間たちの笑い声が聞こえてくる。涼やかな風が遠くに見える蓮池から、甘い香りを運んできた。今は固い蕾の蓮華も夜明けとともに桃色の花びらを誇らしげに開くだろう。阿修羅は白地に金で縁どられたカップを持ち上げ、香しい香りを楽しむように傾けた。
つづく
エピローグ4 はお待ちかね、阿修羅とリュージュのその後です。