第五十二話 必殺
天界の一日はとてつもなく長い。善見城に一斉攻撃をかけてから、どのくらい経ったのだろうか。太陽も今は雷雲に閉ざされているため、全く時間の感覚がつかめない。ただ、両軍の兵士とも肩で息をするほど疲弊し、人も馬もそこらじゅうから血を流し、文字通り傷だらけだ。
それでも、彼らは前へ前へと何かに駆り立てられるように進んで行く。じりじりと修羅王軍は帝釈天本陣に迫っていた。その先陣を切る阿修羅は、金剛杵を翳す帝釈天の姿をついに朱色に輝く瞳に捉えることができた。
同時に、帝釈天も必殺の剣を振るう阿修羅の姿を双眸に捉えた。二人はお互いの敵と対峙しながら、お互いの動きを目だけで追った。帝釈天軍の兵士たちは、束になって先陣を行く阿修羅とリュージュに襲い掛かる。帝釈天の前に詰める親衛隊は、逆に後ろへと後退し、自らの王を守ろうと固い壁を作っていた。
「もうすぐだ! あと少し! みんな、押せ! 押し込め!」
龍王ナーガの背に乗るリュージュがありったけの大声で叫んだ。多くの敵兵がナーガの長い胴に取りつき、刃を叩きつけてくる。ナーガはそれを身をよじりながら振り落とす。リュージュは片刃の剣で向かってくる敵を薙ぎ散らし、道を作る。横目で阿修羅の無事を確認しながら、少しでも彼女の負担を削ごうと懸命に戦った。
――――帝釈天が見える。俺は雷撃が利かない分、まだ戦える!
ナーガも帝釈天を視覚に捉えたようだ。武者震いのようにぶるっと長い身を振動させた。勢いに拍車をかけ、ナーガは前へと空を大きく掻く。リュージュはその波に乗るように体を合わせ、同時に帝釈天の位置を確かめる。
――――腰に大剣を帯びている。あれだけのモノを使うのならよほどの手練れと思わないといけないな。あれ? あれは……。
その時、帝釈天の後ろで異彩を放っているある武器に目がいった。たった一本なのだが、槍立てに収まり切れないそれは、まるで生き物のように存在感を醸し出している。稲光が闇をつんざく度に鈍く光り、存在を主張する。何かとてつもない魔力のようなものが備わっている。リュージュのアンテナは危険領域まで振り切っていた。
――――なんてデカい槍だ。見たこともないほど太くて長い。あれは帝釈天の武器か? 阿修羅は見えているだろうか。
だが、ぼんやり考えている余裕はない。雨後の筍のようにリュージュを狙う敵は湧いて出る。遅れを取るのは命取り。リュージュは再び肉弾戦の中へ埋没していった。
帝釈天はじりじりと追い詰められていた。雷撃が思うほど打撃を与えていない。通常なら兵士の数は全滅とまでいかないまでも、これほど押し込まれることはないはずだ。それなのに、修羅王軍もその後ろを追う天界軍も、半分も戦力を落とさず本陣へと歩を進めている。相当疲弊はしているようだが、敵陣深く切り込んでいけば希望が見えてくる。しぶとく残っている修羅王軍の兵士たちは、雷雨と血飛沫にまみれながらも眼力は衰えず、前を見据えて戦っている。
――――雷撃を弱める何かがあるのだ。忌々しいあの双子! あいつらか! そしてあの龍王め! あいつが壁になってるのだ。太古の恨みをまだ捨てきれぬとみえる。いっそこの必殺の槍をぶち込んでやろうか!
帝釈天は一発必中の槍を阿修羅に向けることに決心がつかないでいた。彼女の息の根を止めてしまうのは、やはり忍びない。阿修羅琴も手に入らないだろう。それなら邪魔なあの龍王と背に乗るリュージュを一緒くたに葬るのも悪くない。金剛杵を操りながら、帝釈天は次の展開を考える。このままでは負ける。どうする? どうすればいい?
――――焦るな。まだ勝機はある!
遥か彼方に見えていたポニーテールが、今は肉眼ではっきりと見える。彼女に群がる自軍の兵たちは、次から次へと薙ぎ払われ散っていく。ここに来るのはもう時間の問題だろう。目の前には真っ黒な塊、強固な布陣を引く帝釈天の親衛隊達が微動だにせず、目の玉だけを動かしている。それは大波を掻き分けるように進んでくる白馬と龍を追っていた。
「帝釈天様、一旦退却されますか? 須弥山まで下がればまだ……」
一命をとりとめた四天王の一人、バクシャ(広目天)が本陣に這うように駆け込んで来た。血と埃にまみれた武具は、激戦の凄まじさを物語っている。だが、帝釈天は一瞥して吐き捨てる。
「何の用だ。貴様らには失望した」
「お言葉ですが!」
「そんな大怪我で何が出来ると言うのだ。退却したければ、勝手に下がってろ!」
バクシャの言葉に被せるように帝釈天が返す。だが、もう視線は彼には向いていなかった。バクシャの右膝から下は『天車』の砲弾で吹き飛ばされている。完治までは数日を要するだろう。
バクシャは茫然として自らの王を見る。帝釈天は自分の言葉はおろか、存在すら興味がないのだ。ここにいる兵士は自分達同様捨て駒で、帝釈天のために命を捨てるなど当たり前と思っているのだろう。
――――このような王のために戦ってきたのか……。
静かにバクシャは本陣を後にする。剣を失った右脚の代わりに立てて、背中を丸めひょこひょこと去って行った。
「見えたぞ! 本陣だ!」
倒しても倒しても群がってくる敵をついに倒し尽した。背後ではまだ断末魔の叫びが聞こえるが、とにかく目の前には帝釈天を取り囲む分厚い親衛隊の黒い壁だけになった。前後に分かれてしまったため、間には何もない空間が生まれている。
太い大河ほどの距離のむこうに、本陣とそれを護る親衛隊があった。本陣はちょうど善見城に取り込むように聳える山を背にした崖に張られ、阿修羅達は天馬により空を飛び迫っていた。帝釈天のいる本陣には側近らしき兵士も数人見える。
「帝釈天! もう無駄な死人を出すのはやめろ! 私と一対一で戦え!」
白龍に乗った阿修羅が叫ぶ。帝釈天は金剛杵を持つ右手を降ろすと、俄かに口元を緩め、こう返した。
「いいだろう。ならば、おまえの兵を退け! ご要望通り、二人きりで戦おうではないか」
「なんだと! 阿修羅、あいつの嘘に惑わさられるな! 兵を退けるなんてできるか!」
帝釈天の返しに、リュージュは猛反発した。同じように前を塞いでいた敵を全て薙ぎ倒し、阿修羅と肩を並べている。龍王ナーガが首を伸ばし、天を切り裂くような雄たけびを上げる。
帝釈天が金剛杵を下げたことで、雨は一旦止んだ。視界が少し開けてきている。
「それならば、貴様の兵を退かせるのが先だろう。ふん、そんなことが貴様にできるはずもないか……。白龍!」
言うが早いか、阿修羅は白龍の手綱を握りしめる。白龍は疲れも知らず翼を思い切り羽ばたかせ、帝釈天の本陣へと弾丸のように飛んだ。同時にリュージュを乗せた龍王も空を滑るように走る。
「! 阿修羅! 危ない!」
凄まじい風圧の中で、リュージュは見た。帝釈天が大槍を手にするのを。それを両手で軽々と構え、今にも阿修羅に向けて放り投げようとしていた。
つづく