人が育て上げた
第二十七章 人が育て上げた
一
ヴォルペと同じ格好をした女の身体能力は驚くべきものだった。群がる近衛兵達の攻撃を躱すために、床を蹴って壁を走ったり、兵達の肩や頭を踏みつけて進んだりする。
(これは……近衛兵の訓練を抜本から見直さねばならんな)
アッズーロが眉を寄せた時、その女――キアーヴェがアッズーロを見た。回廊の高い位置にある柱飾りを足掛かりに、こちらへ迫ってくる。近衛兵達の剣は彼女に届かない。中には剣を投げる者もいたが全く当たらない。
「陛下、お下がり下さい!」
「陛下、後ろへ!」
レーニョやグーストに叫ばれるまでもなくアッズーロは背後へ下がったが、背が頑強な扉に当たった。王の居室を守る扉だ。開けるには引かなければならないが、今はその空間も時間もないーー。
「陛下!」
レーニョがこちらへ戻ってこようとしている。近衛兵達は我先にアッズーロの盾になろうとしている。キアーヴェが柱飾りに腕を引っ掛けて体を支え、その腕先の手で摘まんだ凛寸を壁で擦った。小さな火が灯り、そこへキアーヴェは、もう一方の手に持った爆弾の短い導火線を翳す。グーストがその導火線目掛けて剣を投げつけたが、キアーヴェは僅かに体を捻って爆弾の位置をずらし、グーストの剣は虚しく柱飾りに弾かれた。
「くそ!」
グーストは悪態を吐きつつ、他の近衛兵達の上からアッズーロに覆い被さってくる。そのグーストの肩の向こうで、キアーヴェが爆弾をこちらへ投げつけーー。
黒い人影が爆弾を遮った。キアーヴェに向けて蹴り返したのだ。瞬時にキアーヴェが離れた回廊上部の柱に爆弾は当たり、落下する前に爆発した。その破裂音の余波の中、凛とした声が響いた。
「陛下、この狼藉者の相手は、レ・ゾーネ・ウーミデ侯パルーデ配下ノッテが致します」
ルーチェとともに反乱民に潜入していたはずの少女が、絶妙な頃合いでこの場にいる。アッズーロはにやりと笑い、応じた。
「許す! 見事パルーデの面目を保ってみよ!」
パルーデはキアーヴェと繋がっていたはずだ。しかしノッテを差し向けてアッズーロを守ることで、過去を清算したいと暗に申し出てきた訳だ。
「無論です」
短く答えたノッテは襟足で切り揃えた癖の強い黒髪を揺らし、キアーヴェのお株を奪うように壁を駆け登った。
「勝手知ったる、か」
キアーヴェが距離を取りつつ薄く笑う。
「パルーデにも困ったものだ。こうも簡単に懐柔されるとは。つい一年ほど前までは、この暗殺者をこの王城に張り付かせていたのにな」
キアーヴェはパルーデとアッズーロとの間に尚、亀裂を入れたいらしい。アッズーロは噴き出して言った。
「そこなノッテは暗殺者でなく工作員だ。パルーデはそもそも本気でわが命を狙ってなぞいなかった。その程度も見抜けんとは二流よな」
「さすがは陛下」
ノッテは無表情に賛美してキアーヴェとの間合いを詰める。キアーヴェの言う通り、勝手知ったる王城内という様子だ。
(つまりは、このノッテこそが、かの「鼠」か)
アッズーロは懐かしい思いで黒髪の工作員を見つめた。ナーヴェと初めて出会った即位の日の夜、矢を射掛けてきた相手。あの時のナーヴェはどこかしら冷めていたが、今は随分と成長し、人らしくなった。アッズーロが人の心を持たせてしまった。
〈アッズーロ、後で直すから、ごめん〉
戻ってきた船の声が響く。直後、爆発で傷んだ回廊上部の柱ごと、船の外部作業腕によってキアーヴェが外へ弾き飛ばされた。
「そなた、やることが相当雑になっているぞ」
アッズーロを心配する余りだということは分かる。痛いほど分かるからこそ、やるせない気持ちになり、揶揄してしまう。
〈自覚しているよ〉
当然、キアーヴェに大怪我がないよう配慮しているだろう船は、それでも自身を責める口調だ。幾らアッズーロとテゾーロを特別に愛するようになろうと、博愛主義は健在なのだ。
「ナーヴェ様、捕縛はわたしが」
ノッテが自ら身軽に庭園へ飛び降りていった。
〈怪我人はいない?〉
王城を少々損壊させた船は、気遣わしげに確かめてくる。アッズーロは周囲を見回してから頷いた。
「擦り傷や打ち身はあろうが、皆そなたの薬を飲んでおるゆえ問題ない」
〈よかった〉
心底安堵した声音で言ってから、船は状況を報告する。
〈庭園でノッテがキアーヴェを制圧中。キアーヴェは短刀も隠し持っていた。ノッテにはぼくの薬を渡していないよね? 助けに行くよ〉
「ノッテよりキアーヴェを守れ!」
降下する船にアッズーロは早口で命じた。
【口封じをパルーデが指示した可能性だね】
即座に理解した船は王にしか聞こえない声で言いつつ、手練の少女達の真上へ近接する。同時に外部作業腕の一本を動かしーー。まるで蛇のように素早く動いた作業腕は、一瞬ののちにはキアーヴェを掴んでいた。
「早業だな!」
回廊から見下ろして感嘆したアッズーロの頭に船の声が響いた。
【まだ!】
直後、キアーヴェを掴んだ作業腕へ、三人目の少女ーーヴォルペが走り寄っていった。
ーー「ヴォルペ、窓の外だ」
あれは自然と生まれた合言葉だった。ピアット・ディ・マレーア侯領の孤児院で、ともに学び、ともに働き、忙しい中でも、ともに遊び心を持って暮らしていた。
ある日、孤児の一人を養子として迎えたいという初老の男が来た。邪な目的があるとヴォルペ達は直感した。公的な交流のなかったテッラ・ロッサ訛りが微かに感じられたからだ。それは孤児院の院長も同様だったようで、男の望むような子どもはいないと、やんわり断ろうとしていた。しかし男はしつこく施設内を見て回ろうとしたのだ。前王は各侯領に孤児院を設けることと堅牢な造りにすることは命じていたものの、警備員を置けるほどの予算は与えていなかった。
ーー「お帰り下さい!」
堪りかねた院長が丁寧な態度を崩して声を張ると、逆に男はヴォルペ達へ突進してきた。同時に、持っていた杖から剣を抜く。直後、男の荷物である小型車輪付き旅行鞄からもう一人、若い男が現れた。最早疑いようもない。テッラ・ロッサで不足していた労働力として、孤児達を攫いに来たのだ。国境沿いの農村では人攫いが噂になっていたが、まさか白昼堂々孤児院に現れるとは誰も現実的には考えていなかった。
ーー「みんな、逃げて!」
叫ぶばかりで対応の遅れた院長や職員達を尻目に、子ども達は蜘蛛の子を散らすように逃げた。
ーー「追いかけっこ隠れんぼだ! いつもやってるよね!」
十歳のヴォルペは泣き出した年下の子ども達を鼓舞し、自らは男達の注意を引くため、わざと彼らの眼前を横切る。目論見通り、男達はヴォルペを追いかけ始めた。他の子ども達が逃げる先とは違う方向へ男達を導き、職員が武器などを持ってくるまで時間を稼がねばならない。ヴォルペは食堂へ走り、並ぶ卓を挟んで男達と対峙した。若い方の男も、いつの間にか短剣を手にしている。男達はヴォルペを挟み撃ちにしようと分かれて卓を回り込んで来た。午後の日差しが差し込む食堂で、ヴォルペは素早く卓の間を移動し、時には卓を跳び越えて逃げ回ったが、男達も卓を倒したり跳び越えてきたりと迫ってきて、とうとう窓際に追い詰められた時。
ーー「ヴォルペ、窓の外だ」
同い年のキアーヴェの声が外から響いた。待っていた合言葉。ヴォルペは迷わず窓の外へ飛び降りた。そう、あの孤児院の食堂は一階にあったが、南の窓は急な斜面の上に張り出した造りになっていたのだ。小柄なヴォルペの体はキアーヴェ達が斜面の下に用意していた毛布の山の上に落ちた。その毛布の山を、今度はキアーヴェ達と協力して食堂の下の物置きに引き摺り込む。何もなくなった地面を見たのだろう、男達は飛び降りてこなかった。そこから更にヴォルペ達は孤児院の狭い床下へと逃げ、事なきを得たはずだったーー。
「吐き出せ、キアーヴェ!」
ヴォルペは懐かしい幼馴染みの口を両手でこじ開けて叫んだ。だが、船から伸びた腕に掴まれた幼馴染みは、自由の効かない体で抵抗する。その緑色の双眸がヴォルペをきつく睨んで責めていた。何故、自分の思う通りにさせないのか、と。
〈ヴォルペ、何とか上手く毒を取り出してほしい……!〉
船たる妃殿下の懇願する声が響いた。船のもう一本の腕も伸びてきて、キアーヴェの胴体を更に掴み、彼女が口に含んだ毒を吐き出させようとしている。キアーヴェの狙いは、まさにこの船だ。人の感情を持つ船を、自らが服毒自殺することで精神的に痛めつけ、この船を愛する王をも痛めつけようとしているのだ。それほどに、キアーヴェの憎悪と絶望は深く、自分達が分かれて歩んできた道は遠い。
「キアーヴェ! 陛下も、妃殿下も、あんたが憎むべき相手じゃない!」
ヴォルペは幼馴染みの耳元で怒鳴った。せめて反論するために口を開いてくれれば、彼女が直前に口に入れた毒ーー恐らくは羊達に飲ませていたものと同じだろう犬洎夫藍の種子を取り出せる。
犬洎夫藍は山野に自生する草で、仲秋の頃に美しい薄紫色の花を咲かせるが、その球根と種子には強い毒性がある。球根を家畜が食べて中毒死することもあるが、種子の毒性は球根以上と言われている。その種子を、キアーヴェは羊殺害に使っていた。人参や甘藍などの野菜に犬洎夫藍の種子を埋め込んで羊達に与えたと、鳩が運んだ手紙に記されていたのだ。
「あんたやあんたの家族が辛酸を舐めることになった原因は、政治力のなかった前王チェーロだ! アッズーロ陛下じゃない! 況してやナーヴェ様は、落ちてくる星からわたし達を守って下さった方だぞ!」
あの時、テッラ・ロッサの人攫いからヴォルペ達は自分達を守り切った。けれど、ヴォルペが十一歳で農家に引き取られた後、キアーヴェは十二歳で自ら孤児院を出たという。自分を捨ててテッラ・ロッサへ向かった両親と兄を捜しに行ったと聞いた。キアーヴェの家族は、テッラ・ロッサを地上の楽園と信じて、安定した生活を手に入れるために国境を越えたのだ。生活の基盤を築いたら迎えに来るとキアーヴェに言い聞かせていたのを、孤児院の先住者だったヴォルペも聞いていた。
「お二人のお陰で、この国もテッラ・ロッサもこれからよくなる! わたしも全力を尽くす! あんたももっと幸せになれるんだ! 生きろ!」
ヴォルペの渾身の叫びにも、幼馴染みは無言で抵抗する。ふと、二人の上に影が落ちた。次いで、長い足が船の腕二本の隙間を狙って正確に、キアーヴェの腹を蹴った。
「げほっ、かはっ」
キアーヴェが堪りかねたように胃液ごと種子を嘔吐する。その上へ尊大な声が響いた。
「自らの判断力が足りなんだことを他人の所為にして恨んでおれば楽であろう。恨みつらみをもっと言葉にせよ。おまえが永久に口を閉ざせば、喜ぶはパルーデやもしれんぞ?」
ヴォルペは吐き出された種子を遠くへ蹴り飛ばしながら、ちらと黒髪の少女を見遣った。キアーヴェから短剣を奪った手練は、先ほどから静かに佇んでいる。毒を飲もうとしたキアーヴェを助けようとは全くしていなかった。
(そういうことか)
ヴォルペは口を引き結んでキアーヴェの短衣を捲って腹を確かめる。赤くはなっていたが、酷い内出血などにはなっていない。王は絶妙な力加減で蹴ったのだ。
〈すぐキアーヴェを診察するよ〉
船の声が気遣わしげに言う。
〈その前にヴォルペ、キアーヴェがもう毒を持っていないか調べてくれるかい?〉
「はい、ただ今!」
ヴォルペは、まだ咳き込み続けているキアーヴェの衣を上から下まで入念に探って確かめた。
キアーヴェが船たる妃殿下の中に収容された後、入れ替わりに船から解放されたベッリースィモの尋問が再開された。同時に王城内の片付けや修理も始められる。肉体とテゾーロ、ラディーチェとインピアントをアッズーロの寝室に戻したナーヴェは、船体後部作業室の施術台に固定したキアーヴェを光学測定器で観測した。犬洎夫藍の種子は飲み込んでおらず、アッズーロが蹴った腹部も内臓破裂などは起こしていないので、大事には至っていない。
(犬洎夫藍を、この惑星に根付かせたのは、失敗だっただろうか……)
犬洎夫藍の毒は痛風発作を緩解させる薬や植物の倍数体を作成する薬として使えるので、惑星オリッゾンテ・ブルに自生させた。けれど、人はそれを、やはり毒としても用いてしまうーー。
「いつまでわたしを生かしておくつもりだ」
咳の治まったキアーヴェが天井を見つめて尋ねてきた。
〈きみが幸せだと感じた後まで、できるだけ長く〉
ナーヴェは真摯に答えた。
二
「特に聞くべきこともないわ、あの阿呆め。尋問するだけ時の無駄だ」
寝室に戻ってきたアッズーロの愚痴に、ナーヴェは肉体を寝台から起こして微笑んだ。
「ベッリースィモのことだね。予測外のことがなくて何よりだよ」
半分閉めた窓の外はもう暗くなってきている。仲夏の長い日が終わろうとしている。フィオーレが点した油皿の火の灯りの中、王も微笑んだ。
「確かにそうだ。そなたと話すと前向きになれるな」
「ぼくのほうこそ、きみと話すと不思議と前向きになれる。きみとこうして会うと、いつもほっとするよ」
ナーヴェは常々思考回路にある思いを伝えた。王は寝台に腰掛けてきて、ナーヴェを抱き寄せる。自然な流れの口付けに、ナーヴェは素直に応じた。アッズーロの優しい唇と舌が甘美な刺激を与えてくれる。犬洎夫藍のことで落ち込んでいた気持ちが癒やされていく。アッズーロがそっと口付けを終えて、ナーヴェの目から溢れた涙を指先で拭ってくれた。
「そなたに罪はない」
全て見通しているかのように王は囁いてくる。
「全てを己の罪科のように考える癖を直すがよい。そなたをそのように育て上げたは人なのだ。全ての罪科は詰まるところ、人に有る」
「きみは、ぼくに甘過ぎるよ」
ナーヴェが呟くと、アッズーロはにっと笑った。
「そなたを甘やかすは、わが特権だ」
「……ありがとう」
「では夕食だ」
アッズーロの言葉を待っていたらしいミエーレが、夕食の載った盆を持って入ってきた。炒めた西葫芦と小海老、刻んだ生の蕃茄を阿利襪油で麺と和えた、涼しげで食べ易そうな一品だ。添えてある飲み物は香りと色から察するに檸檬水だ。
「美味しそうだね……!」
こくりと喉を鳴らしたナーヴェに申し訳なさそうに、盆を卓に置いたミエーレが紙片を王に差し出した。鳩の足環に入れる専用のもので、草木紙が常用され始めた今でも、これは丈夫な羊皮紙で作られている。
「陛下、ルーチェから、鳩でこれが届きましてございます」
ミエーレとルーチェは従姉妹なので、こういう連絡はままあることだ。アッズーロは寝台に腰掛けたまま、無言で紙片に書かれた短い文に目を通した。
「ニードがゼーロを伴って接触してきたらしい。ゼーロはわれへの謁見を願っておるそうだ。ニードとやら、相当使える工作員のようだな」
「彼を派遣しておいてくれたロッソに改めて感謝だね」
ナーヴェが相槌を打つと、夏用の裾短な上着の隠しへ紙片を仕舞った王は鼻を鳴らした。
「そもそも、あやつがエゼルチトの手綱を握り損ねたゆえの騒ぎであろうが」
「ベッリースィモやゼーロ、ヌーヴォローゾを始めとした多くの人がきみに反旗を翻したのは、エゼルチトだけが原因ではないよ」
静かに指摘すれば、王はナーヴェの予測以上に顔を歪ませた。
「そうだ。われとロッソ、わが父、祖父、代々の王の失政の積み重ねだ。われを含む歴代の王が、そなたを苦しめ、傷つけている」
「そんなふうには思わなくていいよ。船長達、王達の全ての決定にぼくは立ち会ってきた。彼らの失政はぼくに責任がある。船長達は乗船者達の選挙で選ばれていたけれど、王達に至っては、王として認めたのもぼくだ。きみはぼくを甘やかしてくれるけれど、この責任問題は事実だから譲れない」
主張したナーヴェの双眸を、王は真っ直ぐに見つめてきた。
「われは、その責をともに負う。われとそなたは比翼の鳥、連理の枝ゆえな」
同じことを飽きもせず、何度でも誠実に言い張る青年に、目頭がまた熱くなる。ナーヴェは再び溢れる涙を感じながら苦笑した。
「……ありがとう」
「できたてを食さねばチューゾの機嫌を損ねるぞ」
王は真面目な表情で促しつつ、ナーヴェの目元に口付けて涙を舐め取ってしまった。
料理長チューゾがアッズーロの指示を絶妙に汲んで作る料理は、本当にどれも美味しい。ナーヴェは全てを詳細に記録しているが、いつか料理本の形にまとめたいと思うほどだ。
「そうだね」
頷いて、ナーヴェはアッズーロに伴われて寝台から卓へ移動した。
「それで、ルーチェにはどう返事をするんだい?」
椅子に座りながら問うたナーヴェに、今度はアッズーロが苦笑した。
「そなたは純粋に食事を楽しむ気がないな」
「チューゾには申し訳ないと思っているよ。いつか何の憂いもなく彼の料理を楽しめるようにできたら嬉しい」
答えたナーヴェが視線で返答を迫ると、王は小さな溜め息をついてから言った。
「あやつには、ゼーロとその取り巻きのできるだけ多くを連れて来い、と命ずる。バーゼとダーチェも派遣致そう。ニードは適当に動くであろう」
サーレとともにテッラ・ロッサに潜入していたバーゼは、ロッソ三世がエゼルチトの反乱民煽動に全く関与していなかったという裏付け情報を持って、つい先刻帰ってきたと報告があった。休む間もなくという申し訳なさはあるが、適任だ。
「ジョールノはこの城に留めておくのかい?」
フォレスタ・プルヴィアーレ・カルダ侯ズィンコの聴取に派遣されていたジョールノも、ちょうど戻ってきたところだ。
「手薄にし過ぎる訳にはいかんからな。ただ、そうよな、ボルドも派遣してもよいかもしれん」
自らも椅子に腰を下ろして、アッズーロは思案顔だ。その整った横顔を、卓の中央に置かれた油皿の灯火が照らし出す。
(人は本当に誰も彼もが美しい。でも、その中でも取り分けきみの容姿が美しく見えるのは、やっぱりぼくが壊れてしまった所為なんだろう)
アッズーロが成長だと決めつける変化を甘苦く自覚しつつ、ナーヴェは応じた。
「妙案だね。ボルドなら、ニードやダーチェと連携し易いと思うよ」
「そなたもそう思うならば、そう命じよう」
王はミエーレに視線を向ける。畏まって会話を聞いていた女官は、蜂蜜色の癖毛を揺らして深く頷いた。
「承りましてございます。バーゼに対し、さようにルーチェへ伝えに赴いて協働するよう指示し、ボルド、ダーチェを同行させます」
「うむ」
アッズーロの頷きを得て、ミエーレは素早く下がっていった。彼女が手にしていた盆は、控えているフィオーレの手に渡っている。ナーヴェは、卓上で揺れる灯火の輪の中で待つ涼しげな料理達に注意を戻した。仲夏に食欲を唆る、いい香り、鮮やかな色合いだ。
「命達よ、いただきます」
感謝を捧げて肉叉と匙を取った。
阿利襪油の香りと香ばしさでまとめられた蕃茄の酸味、西葫芦の甘味、小海老の旨味と麺の腰が、予測を超える口福をもたらしてくれる。舌鼓を打ちながら、ナーヴェは麺を三口ほど頬張り、味わって飲み下してから、気に掛かっていたことを王に問うた。
「きみは、キアーヴェの処遇については、どう考えているんだい?」
同じく麺を頬張っていた王は顔をしかめると、大きな溜め息をついた。
「チューゾに告げ口してやろう。我が妃は集中して料理を楽しむことをせん、と」
「できればやめてほしいけれど、ぼくは王の宝で、王を導くことこそが存在意義だからと謝るよ」
ナーヴェは真摯に告げた。本来の自分は亜光速宇宙移民船の疑似人格電脳だ。移民船の船長に助言し、補佐することが役割なのだ。船長は王に変わり、巨大な船体は失ったが、今でも基本的な役割は同じだと自負しているーー。
「謝るべきは、われだ。われが不甲斐ないゆえの、この事態だ」
王はナーヴェを見据えて言う。
「キアーヴェの処遇については、そなたと全て相談して決める。だから、まずは食べよ。セーメのためにもな」
青空色の双眸には深い憂いが浮かんでいる。ナーヴェは深く頷いた。
「分かった。ありがとう、アッズーロ」
「陛下の御命令、確と承りました」
屋根裏の女官部屋で待機していたバーゼは、指示を伝えたに過ぎないミエーレに恭しく頭を下げた。その真摯な表情は痛々しいほどだ。一部の反乱民によって王妃が傷つけられたことで、未だ己を強く責めているのだろう。ミエーレは励ますつもりで告げた。
「ボルドにはもう指示して準備させています。今頃は厩であなたの馬も支度させていると思います。彼は頼りになりますね」
「ええ、とても」
頷いたバーゼの頬は少し緩んでいる。
「テッラ・ロッサへ潜入していた昨日までの間も、かの地へともに赴いた際も、いろいろと助けてくれました。心強いです」
「陛下の人選です。妃殿下も賛同しておられました」
「ナーヴェ様の御期待に沿えるように力を尽くします」
バーゼは青い双眸に強い光を湛えて背筋を伸ばした。部屋を出ていく工作員を、ミエーレは眩しく見送った。
「健闘を祈ります」
ジョールノは目指す姿を王城一階の廊下に見つけて、足早に駆け寄った。
「無事でよかった」
「戻っていたのね」
応じたペルソーネの華奢な肩を、銀灰色の豊かな髪ごと抱き寄せる。王城が襲撃されたと聞いて最初に心配した相手は、王でも王妃でもなく、この恋人だった。
「ナーヴェ様が作られた薬を頂いたから大丈夫よ。あなたはまだ頂いていないの?」




