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王の宝~元亜光速宇宙移民船の疑似人格電脳は人として生きる夢を見るか~  作者: 広海智


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交わす言葉

第二十六章 交わす言葉


     一


 燦々と強い朝日を背で遮り、抱き締めて汗ばんだ腕の中で、最愛が身じろぎする。

「ごめん、暑いよね……」

 顔を上げた宝の、すまなそうな顔と言葉に、アッズーロはにっと笑って応じた。

「そなたの熱と匂いに満たされるは幸福だ。夏は、われが最も好む季節だ」

 ナーヴェは愛らしい両眼を複雑そうに瞬いた。

「きみが、この肉体のことを大好きだということは、知っているつもりだったけれど、そこまで好きだとは理解していなかったよ。きみが夏を好きなのも、泳げる季節だからだとばかり思っていた。ぼくはまだまだ、きみへの理解が足りていないね……」

 しょんぼりと項垂れてしまった宝を、アッズーロは些か乱暴に抱き締め直した。

「確かに、そなたのわれに対する理解はまだ足りておらん」

 思いの伝わらなさが、いつももどかしい。

「ゆえに、よく聞け」

 柔らかな青い髪に軽く口付けてから、アッズーロは最愛に囁く。

「われがこの肉体を愛でるは、そなただからだ。もし、この肉体がシーワン・チー・チュアンに使われておれば、今言うたような幸福感は得られん」

「同じ肉体なのに?」

 宝は眉をひそめる。

「チュアン姉さんがこの肉体を使っていても、熱と匂いにそう変化はないよ? まあ、食べ物の好みによっては、匂いが少しずつ変わっていくかもしれないけれど」

 アッズーロは溜め息をついて、最愛に言い聞かせた。

「そなたとわれの間にある心が幸福を感じるのだ。即ち、この肉体をシーワン・チー・チュアンが使った場合、そなたとわれの間にある心はそこになく、ゆえに、同じ肉体であろうが、幸福は感じられんということだ」

「ああ、成るほど」

 ナーヴェは大きく頷く。

「とてもよく分かったよ。きみは論理的な説明がとても上手だね」

「そなたに褒められるは、いつでも、わが無上の喜びだ」

 窓から差し込み、背に当たっている日差しが暑さを増している。早く身仕度を整えて、今朝戻ってきた際に招集を命じておいた臨時の大臣会議に赴かねばならない。

「アッズーロ、ありがとう。もう大丈夫だよ」

 宝は察しよく、自ら体を離した。

「少しでも不安定になるなら、すぐに言うがよい」

 アッズーロは、必ず無理をしているだろう最愛に念押しして、寝台から立ち上がった。直後、寝室の壁際に控えていたフィオーレとミエーレが、王と妃の身仕度を手伝うべく素早く動き始める。ナーヴェも寝台脇に立ってフィオーレに着替えさせられながら、おもむろに語り出した。

「羊の病を治すために作った薬も、二千一年前に人々を守るために作った薬も、基本は同じで、この惑星の原住民達と共存するためのものなんだ。ぼくの中には、二千年に渡る彼らの情報の蓄積があり、対応策がある。姉さん達に、上手にちらつかせて見せるよ」

 アッズーロは自身も夜着を脱ぎつつ、目を瞠って宝を振り向いた。

「羊の薬と、われらが祖先達を守った手法は、基本が同じということか?」

「うん」

 王の宝は深遠な笑みを浮かべる。

「簡易的に薬と言っているけれど、詰まるところ、あれは言葉なんだ。原住民達と最低限の意思疎通をするためのね」

「薬が言葉?」

 眉をひそめたアッズーロに、宝は朗らかに告げた。

「もっときみに分かり易く言えば、原住民達との遣り取りに特化した自律型の極小機械なんだよ」

 どこが分かり易いというのだろう。昼用の長衣を纏ったアッズーロは肩を竦めた。

「そなたの説明は、大抵、極小機械で片が付くな」

「とても便利で応用の効くものだからね。それに、ぼく達は極小機械を扱い慣れているから」

 ナーヴェは答えると、ぽすりとまた寝台に腰掛けた。フィオーレが洗面用具を取りに暫し傍を離れる。髪を梳かし、歯磨きと洗面をすれば身仕度は完了だ。

「ジャハアズとの交渉は、すぐに始めるのか?」

 アッズーロが歯を磨く合間に問うと、最愛は首を横に振った。

「それは急がない。先手は打てたから、あっちの出方を見るよ。それより急ぐべきは、ゼーロやキアーヴェへの対応だと思う」

「であれば、以前にそなたや大臣達と話した通り、ゼーロのほうは早急に、この城へ招く算段をさせる。キアーヴェについては、十中八九パルーデが素性を知っておるゆえ、あやつに圧力を掛けて捜させよう」

 応じて、アッズーロはミエーレが差し出した木杯と手桶を使って口を濯ぐ。ナーヴェは驚いた顔をしてこちらを見てきた。

「ゼーロを、他の場所ではなく、この城へ招くのかい? きみは、それには難色を示していたのに」

「できれば、そなたを二度と反乱民どもに会わせたくはなかったからな。だが、手っ取り早く決着を付けるには最良の手だ。われが考案した料理を供せというモッルスコの意見も生かし易かろう」

「そうだね。それにしても彼は最近、随分きみに影響されてきているね」

 朗らかに相槌を打った最愛に、アッズーロは歩み寄り、その頬に触れる。最愛の認識はやはり少し足りない。

「確かにモッルスコは変わってきた。だが、影響を与えたは、われでなく、そなただ。そなたがわれを変え、われを取り巻く者達をも変えていっているのだ」

「……いい方向に変わっているかな?」

 自信なさげに確かめてきたナーヴェを上向かせ、アッズーロは口付ける。暫く最愛を味わってから、アッズーロは答えた。

「皆、そなたの気持ちを慮っておる。博愛主義のそなたの気持ちをな」

「それは、とても嬉しいけれど……、身に余る光栄で、ちょっと畏れ多いよ。ぼくは人ではーー」

 アッズーロは再び口付けてナーヴェの口を塞いだ。人ではない、とナーヴェに言わせたくはない。ナーヴェもそれを察したのか、アッズーロがゆっくりと口付けを終えても続きは言わず、別のことを話した。

「……キアーヴェの行方は、ルーチェが追っていると思う。パルーデに探索を命じれば、サーレ達とも協力できて、きっとすぐに見つけられるね。キアーヴェはレ・ゾーネ・ウーミデ侯領出身と名乗っていたから、きみの推測通り、パルーデと繋がりがあるよ」

「ヴォルペとも、だな。あやつはピアット・ディ・マレーア侯領にただ一つある孤児院で育った。キアーヴェと同じ時期に同じ孤児院にいた」

 手桶で顔を洗う傍らアッズーロがもう一つの推測ーー確信を口にすると、ナーヴェは髪を梳られながら寂しげに微笑んだ。

「ぼくもそう考える。ヴォルペが昨日、大臣会議に遅れてきたのは、もしかしたらキアーヴェと何かあったからかもしれないね」

「気づいていて、言わなかったか」

 アッズーロが手巾で顔を拭きながら不満を零すと、ナーヴェは首を竦めた。

「きみなら、気づくべき時に気づくと分かっていたから」

「われがヴォルペを責めると懸念したか」

 薄く笑ったアッズーロを、ナーヴェは真っ直ぐ見上げてきた。

「きみがヴォルペを責めるのは正しい。それを止めようとは思わない。ただ、ヴォルペは決してきみの不利になることはしないから、大きなことではないと判断したんだよ。寧ろ、恐らく、ヴォルペのほうから、キアーヴェのことを申告してくると、ぼくは予測している」

 淡々と語ってから歯磨きを始めた最愛に、アッズーロは鼻を鳴らした。やはりナーヴェは、アッズーロがヴォルペを糾弾することを心配したのだ。ゆえに、ヴォルペのほうから打ち明けてくるのを待っていたのだろう。確かにそのほうが、アッズーロと臣下達の関係は揺らがない。

「全く、そなたはでき過ぎた妃だ」

 文句を言って、アッズーロは手を伸ばし、歯磨き用の楊枝を咥えた妃の頭を撫でる。

「何事も一人で抱え込むな。これからは、そういったことも相談せよ。われは常にそなたの端っこを持ち歩いているゆえ」

「うん、あいあおう」

 もごもごと礼を述べて微笑んだ妃に軽く溜め息をつき、アッズーロは寝室を出た。控えていたレーニョを従えて会議室へ向かう。

(でき得る限り早く反乱民どもを黙らせ、キアーヴェも捕らえて、ジャハアズに備え、憂いを取り除いてしまわねばならん)

 生い立ちを知ってしまったキアーヴェには、穏便に対処したい気持ちもあるが、最優先事項はこの国を守ること、そしてナーヴェが無事に出産できる態勢を整えることだ。アッズーロは仲夏の日差しが降り注ぐ回廊を足早に歩きながら、レーニョに幾つか指示を出していった。



(さて、ぼくのほうは、王城中のみんなに飲ませる薬を急いで作らないとね)

 洗面を終えたナーヴェは寝台に横になり、掛布を被る。アッズーロが持ち歩いてくれている通信端末越しに大臣会議も傍聴したいが、先ほどの話し振りだと、今回はあまり心配する必要はなさそうだ。ゼーロ達を招く場所についても、郊外に設けた天幕などを検討していたアッズーロが、王城にすると決断してくれたので、ナーヴェも打つ手を絞って行動できる。

「フィオーレ、ぼくはちょっと寝るけれど、体調不良ではないからね。ラディーチェかポンテがテゾーロを連れてきてくれたら、起こしてほしい」

 優しい女官に言い置いて、ナーヴェは本体で作業するべく目を閉じた。



 扉を軽く叩く音に、卓に着いたままエゼルチトは顔を上げた。朝食の皿を下げにきた女官かと思いきや、入ってきたのはラーモだった。

「おまえも牢を出されたのか」

「つい先ほど。この部屋に、じぶんも滞在せよとのことです。ベッリースィモが捕まったのは御存知ですか?」

「ああ、知っている」

「ダーチェともども地下牢に連れてこられていました。その尋問を、おれに聞かせたくないということでしょう」

「ダーチェは、捕まったのではなく、尋問の手伝いだ」

 エゼルチトは微苦笑して、信頼する部下に教える。

「われわれは、ロッソ陛下の御命令で、アッズーロと協力することになったからな」

「そうなりましたか」

 ラーモは神経質そうな眉を寄せた。地下牢内で通信機越しに交わしたロッソとエゼルチトの遣り取りから予想していたのだろう。事態はもっと深刻なのだが、ニードとダーチェがロッソの配下だと知るラーモでも、想像が及ばないのは当然だ。エゼルチトは溜め息交じりに、苦々しい事実を告げた。

「おれが折れたのは、われらがテッラ・ロッサとオリッゾンテ・ブルとが手を携えて対処せねばならん強大な敵が発見されたからだ。沙漠の彼方にな」

「オリッゾンテ・ブルが流した偽情報、という可能性はないんですね?」

 訝しむ眼差しで確認してきた部下に、エゼルチトは笑みを深くした。

「そうであればよかったのだがな。残念ながら真実のようだ」

「一体、何者なのです?」

「王の宝の、もう一人の姉だそうだ」

「敵、なんですね」

 ラーモは暗澹たる表情になった。エゼルチトより十五歳年上の顔に刻まれた皺が、疲れと焦りを滲ませて際立つ。エゼルチトも視線を落として言った。

「シーワン・チー・チュアンとは違って、多くの移民を抱えてきているらしい。われらがテッラ・ロッサを侵略から守るには、オリッゾンテ・ブル、とりわけ王の宝との共闘が不可欠という訳だ。シーワン・チー・チュアンも敵となるか味方となるか、王の宝次第かもしれんしな。ーーいや」

 ふと思い至って、エゼルチトは口の端を上げた。神殿に似たあの巨大な船内で会った幼く尊大な船長。かの船長と親しく言葉を交わしていたロッソの姿が思い浮かぶ。

「ロッソ陛下も、シーワン・チー・チュアンの動向に影響を及ぼせるかもしれん」

「そうなんですか?」

 意外そうに反応したラーモに、エゼルチトは誇らしく笑んで見せた。

「陛下は人誑しだからな。シーワン・チー・チュアンの船長を手懐けられる可能性がある。その方向の作戦も練ろう」

「はい」

 ラーモが深く頷いた時、また扉を叩く音が響いた。

「失礼します。ラーモさんの分の朝食です」

 淡々と言って料理の盆手に入ってきたのは女官ではなく見知った少年だった。

「ボルド」

 元テッラ・ロッサの間諜の名を呼んで、エゼルチトは卓に肘を突く。

「侍従として随分とこの城に馴染んでいるようだな」

「もともと侍従として潜入していましたから」

 無愛想に応じて、少年は持ってきた盆を卓に置き、代わりにエゼルチトが食べ終えた朝食の盆を持った。そのまま退室しようとする少年に、エゼルチトは尋ねた。

「ロッソ陛下から、何か新しく連絡はあったか?」

「少なくとも、わたしは存じません」

 つれなく答えて、ボルドは扉を閉めた。鍵が掛けられた様子はない。監視はあるだろうが、自分達は出入り自由なのだ。

「とりあえず、いただきます」

 ラーモがエゼルチトの向かいの椅子に座る。湯気を立てているのは、先ほどエゼルチトが食べ終えたもの全く同じ料理だった。



 飛んできた鳩の足輪からキアーヴェの手紙を抜き取って読んだヴォルペは、深く呼吸した。

[わたしがアッズーロを討つのを手助けしろ]

 書かれていた文が、ぐるぐると頭の中を回る。夜中、王の宝の本体たる船が飛び立っては戻り、飛び立っては戻りと、二度も動いていたので、何かあったとは思っていたが、テッラ・ロッサの工作員たるキアーヴェがここまで追い詰められたとは予想外だった。キアーヴェはアッズーロを直接知らない。だから、事ここに至っては、オリッゾンテ・ブル王家への恨みを、アッズーロを討つことで晴らすつもりなのだ。

[奴は今でも、国家のことしか考えていない。奴の視界に国民一人一人の姿はない。奴を討ち、王をヴァッレに挿げ替えるべきだ]

 キアーヴェの考えも理解はできる。確かに国王アッズーロには、そういった面がある。だがヴォルペは知っているのだ。何の後ろ盾もない、孤児院育ちの彼女を大臣へと大抜擢したアッズーロ。あの若き王が、身近に接して認識した相手のことは、実に丁寧に扱うことを。

(陛下が、わたしを認識なさったように、民のできるだけ多くを認識なさったら、きっと更なる善政を敷いて下さる。キアーヴェに、そのことを分からせる。そして、陛下を必ずお守りする)

 ヴォルペは素早く返信を書き、キアーヴェの拠点の内、王城に最も近い王都エテルニタ郊外の邸へ飛ぶ鳩の足輪へ入れた。


     二


 会議室には、既に十二人の大臣達が勢揃いしてアッズーロを待ち構えていた。ヴォルペも遅刻せずにいる。アッズーロは敬礼する大臣達の前を通り抜けて一段高い王座へ腰を下ろすと、手を振って大臣達を中央卓の周りに座らせた。議題は数々あるが、情報共有が先だ。

「まずは、おまえ達に知らせておく。この未明、わが妃の活躍により、反乱首謀者の一人ベッリースィモを捕らえて地下牢に入れた。反乱の全容と首謀者どもの素性を明らかにするため、ジョールノと近衛兵らに尋問をさせている。ムーロ、将軍ファルコに命じて尋問に加わらせよ」

 フォレスタ・プルヴィアーレ・カルダ侯ズィンコの尋問からジョールノが戻ってきたのは、アッズーロ達がベッリースィモを捕らえて戻ってくる直前だったらしい。レーニョから敏腕工作員の帰還を告げられたアッズーロは、休息ののち尋問に当たらせるよう命じたのだった。

「仰せのままに」

 一礼したムーロから、アッズーロはモッルスコへと視線を転じる。

「今一つ。羊一匹分の市場価格の一・五割増しの見舞いを、被害を申し出た全ての畜産世帯に、毒殺された羊の頭数分だけ支払うこととする。見舞いは、王家の生活費を切り詰めて捻出し、小麦で支払う」

「既に侍従レーニョより聞き及んでおります。御英断と存じます」

 財務大臣は恭しく頭を下げた。

「ナーヴェの考えだ」

 アッズーロは言い添えてから、口調を厳しくする。

「更に一つ。ナーヴェの姉であるという船がもう一隻、テッラ・ロッサの赤き沙漠の向こう、緑なす大地に現れたらしい。しかも、シーワン・チー・チュアンより危険であるかもしれんということだ」

 シーワン・チー・チュアンのことは大臣達に周知してある。かつての神殿と同じ姿、同じ力を持ち、ナーヴェに匹敵する知恵を有する存在だと。皆が一様に表情を暗くする中、アッズーロは言葉を継ぐ。

「ゆえに、反乱民をテッラ・ロッサの筆頭将軍エゼルチトが扇動していた遺恨は、扇動を妨害する工作活動をしていたロッソ三世に免じて不問に処し、テッラ・ロッサと協力して、新たな船ジャハアズに対抗する」

 予想通り、大臣達から文句は出ない。アッズーロは方針の結論を伝えた。

「ただ、ジャハアズへの対応は、暫くナーヴェ主導で行なうこととし、われらは急ぎ、反乱の収束に尽力せねばならん。ジャハアズに本腰を入れて相対するためにも、内部の憂いを取り除くのだ」

「陛下、そのことに関してですが」

 間髪を入れず発言してきたのは山林担当大臣ヴォルペ。黄褐色の髪を揺らして、歳若い大臣は緊張した声で述べた。

「わたくしは、ピアット・ディ・マレーア侯領の孤児院で育ったのち、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領の農家に引き取られ、農業を学び、更に林業を学んで事業を起こしたところを、縁あって陛下に大臣として登用して頂きました。その、わたくしの原点とも言える孤児院で一時期一緒に育った友が、今回の反乱を誘導し、あまつさえ、妃殿下がお作りになった薬を飲ませた羊に、毒を盛っていたことが分かりました」

 他の大臣達がざわめくのを、アッズーロは手で制して、目線でヴォルペに続けるよう促す。最年少大臣は、苦しげに告白した。

「彼女キアーヴェは現在、身を隠し、陛下のお命を狙っております」

 更に大きくざわめいた大臣達に苦笑し、アッズーロはヴォルペに問うた。

「おまえは、今後どう致すつもりだ?」

「キアーヴェを説得したいと存じます」

 凛とした答えに、アッズーロは鼻を鳴らした。

「甘いな」

「分かっております。けれど、わたくしの知るキアーヴェならば、わたくしの言葉に、必ず心動かされるはずです」

 ヴォルペは怯まず言い張る。アッズーロは溜め息をついた。

「そもそも、おまえは、そのキアーヴェとやらに会うことが叶うのか」

「彼女は陛下を狙っております。つまり、この城に来る可能性が高い。わたくしはすでに彼女に協力すると返事をしたので、襲撃前に会えるでしょう」

 強張った面持ちでヴォルペは応じた。

「ふむ。つまり、われを裏切ったように見せかけ、敵を招いた訳か」

 アッズーロは不敵に笑う。

「おまえが実際には裏切っていないと、如何にして信じることができる?」

「わたくしを信じて頂く他ありません」

 ヴォルペは強気に食い下がってきた。

「大臣の弁としては失格ですな。しかもそのような重大事を事後報告とは」

 口を挟んできたのは、財務大臣モッルスコ。

「大臣とは、常に国の威信を背負うべき存在。信じろと言うだけで、そう在れるものではない」

 不機嫌そうに言い放った最年長大臣に、最年少大臣は真っ直ぐな眼差しを向け、言い切った。

「信じて頂いたことを裏切らないことで、そう在りたいと存じます」

 アッズーロは目を閉じ、眉間を揉んだ。このヴォルペを大臣に登用したのは自分だ。最初から、自分はこの苦労人を信用している。

「分かった」

 アッズーロは目を開け、ヴォルペを、そして他の大臣達を見回した。何にせよ、ナーヴェの予測通りになったのだ。



 臨時大臣会議を終え、ジョールノ達からベッリースィモの尋問の途中経過も聞いたアッズーロは、足早に寝室へ戻った。真っ先に目を向けた奥の寝台で、ナーヴェは眠っている様子だ。日が高くなり、強烈な陽光は窓下に降り注いで寝台までは届かず、爽やかな風が吹いている。妃へ歩み寄ったアッズーロに、控えていたフィオーレが小声で告げた。

「先ほどまでは、テゾーロ様がいらしていて、いつものように歌っておられました。体調不良で眠る訳ではないとも仰っておられました」

「そうか」

 頷いて、アッズーロはナーヴェの寝台に歩み寄り、端に腰掛けた。いつものように青い髪に指を絡め、目覚めるかどうか、寝顔を窺う。けれど、ナーヴェはすうすうと寝息を立てているばかりだ。アッズーロは無理に起こす気にもなれず、溜め息をついて寝台を離れた。寝台脇の卓には、フィオーレとミエーレによって既に昼食の用意が二人分なされている。ナーヴェが食べられなければ、また用意し直すのだーー。

 蟹の身と卵と香菜を絡めた麺をアッズーロが黙々と食していると、不意にナーヴェが動いた。むくりと起き上がって、こちらを向く。

「いい匂いがすると思った」

 ふわりと微笑んだナーヴェのほうが余ほど美味しそうだと思いながら、アッズーロは席を立った。寝台から両足を下ろした最愛の額に口付け、目元に口付け、唇に口付ける。

「アッズーロ?」

 呼びかけてきた宝をそっと寝台へ押し倒して、アッズーロは更に味わっていった。

「……ちょっと、アッズーロ、味見は、もう充分だから、ぼくも、食べたい」

 口付けで、蟹の麺の味が多少分かったらしい。アッズーロは名残惜しく体を起こした。髪を乱れさせ、顔を紅潮させ、両眼を潤ませた妃は本当に美味しそうだが、身篭もっている体にこれ以上のことはできない。優しく手を貸して、アッズーロは宝を起き上がらせ、卓まで誘った。

「蟹と香菜の麺だね? 命達よ、頂きます」

 ナーヴェは腹が減っているのか、肉叉と匙を手に、早速食べ始める。幸せそうに麺を咀嚼する顔に、アッズーロも満ち足りた気分になりながら、自らも椅子に戻って食事を再開した。

「きみに飲んで貰ったのと同じ、身を守るための薬を」

 ナーヴェは食べる合間に話す。

「この城のみんなの分、作り終えたから、できるだけ早めに、みんなに飲ませてほしいんだ」

 成るほど、その作業を本体でするために肉体を眠らせていたのだ。 

「分かった。レーニョに予定を組ませよう」

 請け負うと同時に、アッズーロはフィオーレに目を向けた。

「レーニョにその旨、伝えよ。予定を組んでから戻って参れ、と」

「仰せのままに」

 フィオーレはすぐに寝室を辞していく。レーニョは王城内の自室で昼食中だ。ゆっくりさせてやれないが、最優先事項だと分かって食べながらも頭を巡らせて急ぐだろう。

「食事中に、申し訳ないね」

 ナーヴェが心底すまなそうに呟いた。しかし、可及的速やかに薬の摂取を完了させたいのは、そもそもナーヴェ自身なので、フィオーレを引き止めることはしなかったのだ。

「気に病むな。頼られるは、あやつの誇りとなろう」

 慰めて、アッズーロは手を伸ばす。最愛の口元に付いていた蟹の身の欠片を取って自身で舐めた。考え事をしながら食べるナーヴェにはよくあることだ。まだ肉体の感覚に慣れ切っていない部分があるのだろう。

「いつもありがとう」

 最愛は気恥ずかしそうに礼を述べる。可愛らしくて堪らない。アッズーロは再び席を立ち、卓を周って妃に歩み寄ると、その華奢な顎を支えて口付けた。

「んっ……」

 ナーヴェは驚いた様子ながらも、素直にアッズーロを受け入れる。その愛らしい舌を舌で些か乱暴に愛撫して、アッズーロは気持ちの昂りを何とか遣り過した。セーメが無事に産まれるまでは我慢だ。余韻たっぷりに口付けを終えたアッズーロを、ナーヴェが息を乱しつつ見上げてくる。

「……アッズーロ、ごめん、きみには自制ばかりさせているね……」

 この程度の生理現象などお見通しの宝に、アッズーロはにっと笑った。

「これもまた愛ゆえの試練だ。娼館行きを勧めぬようになった辺り、そなたの成長も喜ばしい」

「きみが一つ一つ丁寧に教え諭してくれたお陰だよ。本当に、いつもありがとう、アッズーロ」

 純真な返事に、また昂りが来てしまう。アッズーロは軽く頭を振って理性を働かせ、自分の椅子へ戻った。ナーヴェは嬉しげに残りの麺を平らげていく。食欲があるのは安心材料だ。

(夕食には羊肉と胡桃、二種の月餅を指示したが、玉葱の丸焼きと燻製の鮭の薄切りも添えさせようか)

 毎日毎食好きなものを好きなだけ食べさせて、テゾーロとともに幸せに過ごさせたい。何の憂いもなくセーメの出産に臨ませたい。最愛には、ただ幸福であってほしい。だが、そのためには片付けねばならない案件が多過ぎるーー。

「アッズーロ」

 声を掛けてくると同時に、最愛が椅子を降りていた。急いでその体を支えようと自身も椅子から立ったアッズーロに、ナーヴェは自ら抱きついてくる。左手を上げ、アッズーロの後頭部に添えた。

「積極的だな」

 口付けを強請られたのかと身を屈めたアッズーロの眉間へ、ナーヴェの柔らかな唇が触れる。ちゅ、ちゅっと優しく口付けられて、アッズーロは皺を刻んでいた眉間ごと心の底から解されるように感じた。

「ナーヴェ」

 最愛を抱き竦めて、アッズーロはナーヴェの寝台へ、ともに倒れ込む。

「わが最愛」

「アッズーロ」

 癒しの口付けを終えたナーヴェが、深い青色の双眸で微笑みかけてくる。アッズーロはその額へ口付けを返し、囁いた。

「そなたは、わが全てだ。全てはそなたより始まるのだ」

「ぼくは、きみ達みんなの始まりだよ」

 神秘的に、ナーヴェは囁き返してきた。


     三


「まさか、あれが本物であったとはな」

 ベッリースィモの苦々しい囁きに、地下牢の壁の向こうから、少女は抑揚に乏しい声で言った。

「あんたは、あれを殺すべきだった。だが、機会はまだある。後は好きにしろ」

 壁の煉瓦の隙間で僅かな灯りが動く。秘密の地下道があるのだ。何でも、テッラ・ロッサの工作員が建設当時、紛れ込んで密かに作った地下道だという。それを告げにきた工作員の少女は、油皿の灯りごと去っていこうとする。ベッリースィモは低い声で引き留めた。

「キアーヴェ、ニードは今どうしている」

 最も厄介な相手は、ロッソ三世の間諜だとキアーヴェが明かした、あの青年だ。自分が騙されたダーチェという女もニードの配下だったという。あのニードの動向を把握しておかなければ、自分はまた足元を掬われてしまう。

「彼はまだゼーロ達とカテーナ・ディ・モンターニェ侯領にいる。ゼーロの判断を誘導しようとしているんだろう」

 キアーヴェの答えに、ベッリースィモはほくそ笑んだ。離れたところにいるなら邪魔はできまい。

「ダーチェはどうしている」

 重ねて尋ねたベッリースィモにキアーヴェは些か面倒臭そうに告げた。

「彼女はこの王城にいる。仕返しするつもりか」

「最も奴らが嫌がる方法でな」

 低く言ったベッリースィモを残し、工作員の少女は音もなく立ち去った。

(さて……)

 ベッリースィモは独房の壁に改めて凭れ直し、思案する。脱出口を知った。だが、見張りはすぐそこにいて、ベッリースィモの様子を随時確認している。

(わざわざ脱出口を教えに来たのだ、おまえもわたしに逃げて欲しいのだろう?)

 長くは待たされなかった。半時もしない内に外から怒鳴り合う声が聞こえてきた。

「侵入者だ!」

「王城に入れるな!」

「回り込め!」

「入り口を全て固めろ!」

「黒い外套を着ている! 小柄な奴だ!」

 近衛兵だという見張り達もざわめき始めた。

「応援に行ったほうがよくないか?」

「どこまで侵入を許してるんだ!」

「陛下と妃殿下の守りは万全なのか?」

 口々に囁き合いながらも、見張り達はなかなか持ち場を離れようとしない。

(もう一手必要だぞ、キアーヴェ)

 ベッリースィモが思った途端、轟音が響いた。



 湯気を立てる蟹と香菜の麺に手を付ける直前だった。

「爆弾だ」

 揺れた室内で低く呟いたエゼルチトに、ラーモも深刻な顔で頷いた。

「キアーヴェですな」

 爆弾に必須なものも鉄砲と同様、火薬だ。火薬の原料たる硝石、硫黄、木炭の内、硝石はテッラ・ロッサ王国で多く産出されるが、硫黄と木炭はオリッゾンテ・ブル王国で多く産出される。そしてフェッロが暗躍する以前から、鉄砲生産のために硫黄と木炭はレ・ゾーネ・ウーミデ侯領から大量に密輸され、備蓄されてきたのだ。工作員として爆弾作りの技能も有するキアーヴェにとって、準備は容易だっただろう。

「目的は直接アッズーロの暗殺か、おれに対する脅迫か、或いはベッリースィモの逃亡幇助か」

 眉をひそめたエゼルチトに、ラーモは軽く肩を竦めて告げた。

「あいつなら、その全てを視野に入れているでしょう。欲張りですからな」

 笑えない事実だ。エゼルチトは椅子から立ち上がった。

「どちらへ?」

 自分も立ち上がったラーモへ、エゼルチトは不敵な笑みを見せる。配下として育ててきたキアーヴェだが、今となっては敵に等しい。

「小手先の脅迫がどういう結果を招くか、よく知らしめてやろう」

 するりと部屋から出たエゼルチトに、ラーモは音もなくついて来た。



「アッズーロ」

 緊迫したナーヴェの声に、寝室を出ようとしたところで爆発音を聞いたアッズーロは踵を返し、寝台に戻った。

「狙いはわれか?」

 問えば、寝台で起き上がった宝は軽く眉間に皺を寄せた。

「きみも含まれるかもしれない。でも恐らく、エゼルチトやベッリースィモも狙いの内だ。そして、もしかしたらぼくも」

 アッズーロも、ナーヴェに解された眉間に再び皺を寄せた。

「そなたはこの寝室から出るな」

「きみはどうするんだい?」

 瑠璃色の双眸が真っ直ぐにアッズーロの顔を見据える。

「きみに何かあれば、ぼくは確実に暴走する。それは悲しいかな、実証済みだよ?」

 まるで脅迫するような物言いにアッズーロはふと目を瞬いた。

「そうか、脅迫には脅迫だな」

「確かに今の爆発だけなら脅迫とも取れるけれど、ぼくの予測では次の爆発が」

 懸命に注意を促そうとする最愛の唇に、アッズーロはちょんと人差し指を当てた。

「次の爆発前に脅迫するのだ」

 人差し指一本で黙らされた宝は両眼を丸くする。その両頬をアッズーロは左右の手で優しくつまんだ。

「今すぐ、そなたの本体から大音量で敵を脅迫せよ。王に何かあれば暴走して、地震を起こすだけでなく、今度こそ星を降らす、とな」

「え、でも」

 戸惑うナーヴェに、アッズーロは傍らへ腰掛けながら励ます笑みを見せる。

「今こそ嘘をつけるようになった、即ち成長したそなたの真骨頂を示すのだ!」



〈全ての人に警告するから、よく聞いてほしい〉

 王城の庭園に鎮座する白い船体から響き渡った声を、キアーヴェとヴォルペは山林担当大臣室の中、睨み合ったまま聞いた。向き合った二人は全く同じ背格好と服装、同じ髪色と髪型だ。ただ窓際のヴォルペの周りには配下の官僚達がいて、扉側のキアーヴェは片手に導火線の短い爆弾、もう一方の手に火の点いた油皿を持っている。黒い外套はどこかに脱ぎ捨て、ヴォルペの扮装で近衛兵達の警戒を躱わし、ここまで侵入してきたのだ。

「協力するという返事だったが、そういう雰囲気でもなさそうだな」

 淡々としたキアーヴェの言葉に、ヴォルペは懸命に言い返した。

「アッズーロ陛下は、一人一人の民を大切にできる方だ! わたしはそれを間近で見てきた! わたしなどを取り立てて大臣にして下さっていることもその一例だ! あんたは、陛下の本当の姿を知らないだけなんだ!」

「本当の姿なら今から見にいく。王はいつも通り寝室だな?」

 キアーヴェの素っ気ない返事にヴォルペは顔をしかめて黙ったが、官僚達は小さくざわめいた。国王が狙われている事実に驚くのは無理もない。沈黙したヴォルペを揺さぶるように、キアーヴェは呟いた。

「そうか。予定通りだな」

〈ぼくは王の宝ナーヴェ〉

 王妃の言葉が続く。

〈王に何かあれば、ぼくは暴走してしまう。以前より酷い地震を起こすだけでは済まない。今度こそ星を降らせてオリッゾンテ・ブル王国だけでなく、テッラ・ロッサ王国までも滅ぼしてしまうだろう。だから、みんな〉

 中性的な声が必死な口調で訴える。

〈自分を守ってほしい。自分を守るために、王をーーアッズーロを守ってほしい。王を傷つけようとする人を捕まえてほしい。お願いだから、みんな、ぼくから自分を守って〉

「ヴォルペ、窓の外だ」

 キアーヴェは一言言って手にした爆弾の導火線に火を点け、ヴォルペ達へ投げつけてきた。飛んできた爆弾を、ヴォルペは体を捻って窓の外へ鋭く蹴り出す。大きく開かれた窓から空中へ上がった爆弾は、緩く弧を描きーー。

「伏せて!」

 ヴォルペが叫んだ後に地面に落ちたが、いつまで経っても静かなままだった。

(不発ーー)

 ヴォルペは悟るや否や窓の下から立ち上がり、扉のほうを見たが、キアーヴェが留まっているはずもない。

(導火線の火が蹴った勢いで消えたのか、もともと火薬を入れていない模擬弾だったのか)

ーー「ヴォルペ、窓の外だ」

 鳩でばかりやり取りしていて久し振りに聞いた幼馴染みの声が耳に谺する。

(止めないと)

 キアーヴェが向かった先は王の寝室に違いない。幾らヴォルペが沈黙を通そうともキアーヴェは読み取ったことだろう。

「皆さんは、ここで待機していて下さい! 但し、危険が迫っていると感じたら自らの判断で逃げること! いいですね!」

 配下の官僚達に言い置いて、ヴォルペも通路へ飛び出し、王の寝室へ向かった。



「見事な嘘がつけたではないか」

 笑顔で褒めてくる王に、ナーヴェは笑みを返す気にはなれず、ただ肩を竦めた。

「上手く嘘がつけたかどうかは、まだ不明だよ」

「われが保障する。騙された者は多いぞ」

 王は不安など微塵も感じていないかの如く言う。

「まだ二度目の爆発が起きておらんのがその証だ」

「今すぐ起こるかもしれない。きみは、ここから逃げることは考えないのかい?」

 ナーヴェの提案に、アッズーロは笑んだまま首を横に振った。

「われが今この寝室にいることは、この王城に勤める者達皆が知るところ。皆がわれを守るために動いておろう。ならば、われは動かぬほうがよい」

「確かに。でも、相手もきみがここにいることを知っている可能性が高い。爆弾で攻撃されたら、きみもみんなも危険だ」

「この城ごと吹き飛ばす気なら、疾うにそうしておろう。そうではないなら、やりようはあるということだ」

 あくまで強気に言い、アッズーロは宥めるようにナーヴェの頭を撫でてくる。

「そう案ずるな。最後の逃げ場はそなた本体だ。その窓の外に横付けしてくれればよい」

「分かった。緊急浮揚」

 ナーヴェは頷いた。成るほど自分の本体ならば爆弾程度何ということもない。即刻、窓の外へ本体を浮揚させたナーヴェに、アッズーロは付け加えた。

「セーメを身篭っておるそなたは、テゾーロとともに先に本体に避難しておくがよい」

「それなら、インピアントとラディーチェも。子ども達には、ここにいる責任がそもそもないからね、心身ともに全力で守るよ」

「助かる」

 満足げに頷いたアッズーロの背後で、レーニョの部屋から戻ってきていたフィオーレが小走りに通路へ出ていく。本当に優しく気の効く女官だ。

「できれば城の他のみんなも全員ぼくの中に収容してしまいたいんだけれど、今の本体では不可能だ。せめてみんなに薬を飲んで貰えた後だったらよかったのに。怪我人が出たらすぐに収容して治療するからね」

「心強いことこの上ない。そなたは最高の妃だ」

 アッズーロは一手遅かったナーヴェを微塵も責めず、そっと額に口付けてきた。そのあえかな感触をしっかりと記録して、ナーヴェはアッズーロに押しやられるままに離れ、フィオーレに呼ばれてやってきたラディーチェ、テゾーロ、インピアントとともに窓から本体へ乗り込んだ。



 庭園から浮き上がって王の寝室の窓へ横付けた船を、ヴォルペは回廊を走りながら見た。仲夏の深い青空に映える白い船体には親しみと頼もしさを覚える。だが王妃にばかり頼る訳にはいかない。

(キアーヴェは、わたしの責任で止める!)

 ヴォルペは王の居室が連なる二階へと階段を駆け上がる。そこへ階段下から鋭い声が掛けられた。

「お待ち下さい! 不審者がヴォルペ様に扮しているとの情報があったのです! そこで止まって頂きたい!」

(ああ、おまえを一番よく知るわたしを足止めする、最善手だな)

 幼馴染みへ称賛を送りつつ、ヴォルペは振り向く。配下の官僚達には敢えて大臣室での待機を指示し、爆弾犯の扮装を他へ知らせるようにとは言わなかったのだが、誰かが伝えたらしい。その情報も大切だが、結果、ヴォルペ自身が動きにくくなる。

「わたしは本物です!」

 階段を上がってくる近衛兵達に言い放ち、ヴォルペは止まらず二階へ行った。

「お待ち下さい! われわれが確認を致します!」

 予想通り近衛兵達は追ってくる。それで構わない。捕まりさえしなければ、王の許へ多くの近衛兵達を連れていける。ヴォルペは構わず王の寝室へ急いだ。



「陛下!」

 寝室の入口から足早に入ってきたレーニョは、一枚の草木紙を握り締めている。

「ナーヴェ様お手製のお薬を城内の皆に配布する段取りを練り直して参りました! とにかく、陛下の居室近くに来た者に片端から飲ませ、この名簿に印を入れていくのです!」

〈いい考えだね!〉

 アッズーロより早く、上着の隠しから通信機でナーヴェが答えた。

「うむ。すぐに実行に移す」

 アッズーロが承認すると、開けた窓の外に浮揚したままのナーヴェの前部扉が開く。一本の機械の腕が伸びてきて寝台の上に、とさりと白い布袋を置いた。

〈そこに薬が入っている。この城で働く人達全員分だよ。飲み込み易いように改良した。テゾーロとインピアントとラディーチェにはこっちで飲ませたから大丈夫〉

「うむ」

 アッズーロは白い布袋を取り上げ、中から白い麦粒のような薬を二つ摘み出す。

「レーニョ、フィオーレ、まずはおまえ達だ」

「御意」

「ありがとうございます」

 二人は気持ち悪がることなく薬を押し頂いて飲み込んだ。さすがの忠節だ。アッズーロは白い布袋をレーニョに渡した。

「後はおまえに任せる」

「御意」

 幼馴染みは袋を丁寧に受け取り、通路へ出ていった。王の寝室と執務室、テゾーロの居場所となっている休憩室、その向こうの沐浴場の入口に扉はないが、それらを繋ぐ通路は重厚な扉によって他の区画から隔てられている。王の居室を守るその扉の外には既に大勢の近衛兵達が詰めているはずだ。

 ふと思いついてアッズーロは栗毛の女官を振り向いた。

「フィオーレ、レーニョを手伝うがよい。名簿に印を付けながら薬を渡すには二人のほうが早かろう」

「仰せのままに。ありがとうございます!」

 フィオーレは栗色の双眸を煌めかせ、一礼して足早にレーニョを追っていった。

〈粋な図らいだね〉

 ナーヴェが通信機から楽しげに言う。薬を飲んだフィオーレの身の安全には絶対の自信があるらしい。アッズーロは満足して頷いた。

「うむ。王たる者、ありとあらゆる機会を捉えねばな」

〈アッズーロ〉

 ナーヴェが口調を変える。

〈一つ努力してほしいことがある〉

「敵も死なせるな、か?」

 アッズーロは溜め息交じりに確認した。

〈うん。さすが、よく分かってくれているね〉

 ナーヴェは嬉しげに、けれどすまなそうに言う。

〈難しいことは理解している。でも、お願いしたいんだ〉


     四


ーー「ヴォルペ、窓の外だ」

 あの言葉の意味を、幼馴染みは正しく受け取っただろうか。あの孤児院で交わしていた言葉を覚えているだろうか。

(覚えているからこそ、大臣にまでなったんだろうな)

 キアーヴェは幼馴染みの焦った表情を真似ながら近衛兵達の間をすり抜けていった。

「待て!」

 とうとう近衛兵達の中から声が掛かる。

「爆弾犯がヴォルペ様に扮しているとヴォルペ様配下の官僚達が言っていた! そいつを止めろ!」

「わたしは本物だ!」

 キアーヴェは叫んだが、近衛兵達は止まらない。

「近づくな!」

 キアーヴェは手製の爆弾を掲げた。大臣室で失敬した油皿は疾うに階段の下へ置いてきたが、そもそも火を点けるために燐寸ーー黄燐を先に塗りつけた一寸の棒を持ち歩いている。その燐寸を壁で擦って、キアーヴェは火を点けた。思惑通りに近衛兵達がざわめいて止まり、中には後退る者達もいる。

「これを爆発させれば、この王城は崩れるぞ」

 はったりである。ただ、あの船がいる以上、王の一家へ危害を加えるのは難しいだろう。ならば、王の住まいたるこの城について脅すことが手っ取り早い。城が破壊されることを易々と看過する近衛兵はいないはずだーー。

「その程度の爆弾で大した被害は出ない」

 朗々とした声が近衛兵達の背後から響いた。

(エゼルチト)

 的確な指摘はさすがだ。

「キアーヴェ、もう観念しろ」

 命じてきたかつての上司を、キアーヴェは傲然と見据えた。

「被害なら出るさ。これだけ人間が密集していればな。一手遅い」

 近衛兵達の足元を縫って密やかに近づいてきていたラーモの吹き矢を、キアーヴェは軽く躱す。エゼルチトが注意を引いてラーモに攻撃させる連携も、知っていればどうということはない。毒を塗りつけた吹き矢も、当たらなければ児戯に等しい。

「ここは人質だらけだ。王でなくとも、そこの近衛兵一人だとて、あの宝は見捨てられないだろう?」

 一様に黙る兵達の姿が答えだ。

「それどころか、大した被害でなくとも、この城の飾りだろうが絵だろうが全て、おまえ達は可能な限り守ろうとする。わたしにとっては滑稽なことだ」

「だから、おまえは今、ただ一人だ。おまえの味方は誰もいない」

 エゼルチトが重ねてきた言葉に、キアーヴェは冷笑で応じた。

「味方など足手纏いになるだけだ。わたしには、使い捨てできる手駒があれば充分だ」

 直後、裏庭のほうから叫びが上がった。

「脱走だ! あいつだ、ベッリースィモだ!」

「反乱民の頭目が脱走した!」

「あそこだ! こっちだ! 裏庭だ!」

 キアーヴェは近衛兵達を見回した。

「あちらにも人手を割かなければ、何をするか分からないぞ? あいつにも爆弾を持たせているからな」



〈まずいね〉

 ナーヴェの呟きに、アッズーロは通信機を握り、窓の外の船を振り向いた。

「如何した?」

〈ベッリースィモが脱走して裏庭にいる。爆弾も持っている。そっちに行っている近衛兵のみんなはまだ薬を飲んでいないのに〉

「呼び戻させる」

〈それでは遅いから、ぼくが直接行くよ。ただ、その間、きみの守りが手薄になる。きみもぼくの中に一時避難してーー〉

「それには及ばん」

 アッズーロは即答する。

「われはここから指示を出し続ける。そなたはわれに飲ませた自身の薬の効果を信じよ」

 船は黙った。葛藤しているのだろう。本当に人らしくなったものだ。アッズーロは重ねて諭した。

「われは王だ。ここに詰めた者達は、われを守るために集まった。われが身勝手に動けば多少なりとも惑う者が出よう。それはわが一枚岩を砕く最初の傷となる。その愚を冒す訳にはいかん」

〈理解したよ〉

 ナーヴェは割り切った声で応じる。

〈できるだけすぐに戻るからね〉

 言いたいことの半分以上を飲み込んだ口調で言い置き、船は更に上へ浮揚していった。王城の上を越えて裏庭へ行くのだ。

「うむ」

 短く返事をして、アッズーロは通路へ出た。王の居室を守る扉の内側にも、近衛兵が五人詰めている。薬を渡したレーニョとフィオーレは扉の外の回廊だろう。

「陛下?」

 驚く五人の近衛兵達の前を通り過ぎて、アッズーロは扉を開けた。

「レーニョ、近衛兵一人に十人分の薬を持たせて裏庭へ行かせよ。ベッリースィモが逃亡中で裏庭にいる。爆弾も持っているそうだ」

「御意」

 頷いたレーニョは即座に一人の近衛兵を呼んだ。

「ブイオ、聞いての通りだ。頼む」

「了解です」

 黒髪の青年が、すぐにレーニョに近づいて薬を受け取り、アッズーロに一礼して回廊を走り去った。



〈ベッリースィモを可及的速やかに捕らえる。ちょっと乱暴な舵取りになるから、みんなしっかり肘掛けを握っていてほしい。テゾーロもね〉

 四つしかない座席には、操縦席にナーヴェの肉体、その後席にラディーチェ、助手席にテゾーロ、その後席にインピアントを座らせている。テゾーロとインピアントのためには、可動式の肘掛けと背凭れを動かして、それぞれの体の大きさに合わせた上で座席帯を締めていた。

〈城の上を越えて裏庭に降りる〉

 主にラディーチェに告げつつ、ナーヴェはベッリースィモの姿を確認する。以前、病の羊を連れてきた時同様、庭木を傷つけて庭師を泣かせることになってしまうが、今は致し方ない。

(トルナード、ごめん。きみが悲しみで暴れる時は、ぼくが後片付けをするから)

 芸術家肌の庭師に電脳の回路内で詫びて、ナーヴェは王城の裏庭へ急降下した。庭木の小枝を弾き飛ばしながら外部作業腕を伸ばしてベッリースィモを追う。

「この化け物め!」

 ベッリースィモは吐き捨て、長い栗色の髪を乱して木々の間を逃げていく。駆けつけた近衛兵達もベッリースィモを追って、徐々に包囲を狭めていった。

〈みんな、あんまり近づき過ぎないで〉

 ナーヴェは近衛兵達に注意を促す。

〈彼は爆弾を持っている〉

 ベッリースィモに爆弾を差し入れたキアーヴェは、全く優秀な工作員である。

(燐寸も持っているだろうか)

 ベッリースィモが右手に爆弾を握っているのは見えるが、燐寸については確認できない。

(燐寸がなければ、爆弾も大した危険性はないんだけれど)

 キアーヴェが持ち込んだ爆弾は火薬が詰められた筒状のもので、中から出ている短い導火線に火を点けなければ爆発しない構造だ。

(キアーヴェなら、ベッリースィモに燐寸も差し入れた可能性が高い)

 彼女は大いなる混乱を狙っているはずだからだ。

(早くベッリースィモを捕らえて、アッズーロのところに戻らないと)

 ナーヴェはやや強引にベッリースィモとの距離を詰めた。その分、庭木の枝を余計に折ってしまったが、トルナードには地球の樹木医達の記録を教えることで許して貰うと決めた。

「この化け物め!」

 ベッリースィモは逃げながら歯を剥いて怒鳴ってくる。その左手に燐寸が摘ままれているのが見えた。

「人でないものが人の歴史に干渉するな! 王の宝はただ王権の象徴であればよい! しゃしゃり出てくるな!」

〈きみの、その意見は全く以て妥当だよ〉

 ナーヴェは応じながら、外部作業腕の指で素早くベッリースィモの手から爆弾を叩き落とし、胴を掴んだ。

〈でも悲しいかな、その意見の発端も終着も、詰まるところ、きみの私利私欲という情報しかないから賛成できないんだ。拠って、きみを再度拘束する〉

「私利私欲だと? アッズーロこそ私利私欲だろう!」

 ベッリースィモは作業腕の指を叩きつつ怒鳴り続ける。

「奴は王座を欲するあまり、先王に毒を盛って王位を簒奪したのだ!」

〈いずれ王位はアッズーロのものになった。簒奪する必要なんてなかったはずだ〉

 ナーヴェはただそれだけを言い返した。周りにいる近衛兵達に、アッズーロの罪を信じさせたくはない。

(事実だけれども、アッズーロは私利私欲ではなく、王太子の責任と自負とを以てそうした)

 アッズーロにそこまでさせた最大の要因は、パルーデや、このベッリースィモなどの国内の憂いとテッラ・ロッサという国外の憂いとが繋がり始めたことだ。先王チェーロに、その国難に対応する力はなかった。

「まさか、おまえは、奴の罪を知らぬのか」

 ベッリースィモはナーヴェの抑制した言葉を曲解したらしい。意外そうな表情から、歪んだ笑みが滲み出た。

「ならば、呆れ果てたであろう! 構わぬ、誰にでも過ちはあるもの。今からでも遅くはない、このわたしを王と認めるがいい! 血筋も問題なかろう? わたしは神ウッチェーロの血を引いている。青い瞳も持っている。足らぬというなら、ヴァッレと婚姻してやろう。どうだ、これで完璧ではないか!」

 初代フォレスタ・プルヴィアーレ・カルダ侯アペは、ウッチェーロの娘だった。ベッリースィモはそのことを言っているのだ。その上、ヴァッレとの婚姻まで考えているらしい。

(成るほど、それでみんなにヴァッレを支持させていたのか)

 ナーヴェは幻覚の溜め息をついて告げた。

〈ぼくがきみを王と認めることはない。永遠にね。きみには、周りの人から好かれる要素が少な過ぎるから。為政者にはね、人望が必要なんだよ〉

 代々の王を認める際には、必ず先代の王とともに見てきたその為人を重視した。当然、今仕えている王の意見も参考にしたが、時には王を粘り強く説得して王太子を変えさせたこともあった。ただ、アッズーロの場合は、父王チェーロが鉛毒を盛られたので、ナーヴェも迷ったのだ。だが、当のチェーロがアッズーロの王としての資質を信じていたため、ナーヴェ自身も、成長を見てきた王太子の為人を信じて王と認めたのである。

「アッズーロのどこに人望があるのだ!」

 ベッリースィモは作業腕の指の間から反論してきた。

「大ありだ!」

 反論に反論したのは、落ちた爆弾を素早く拾ってくれた近衛兵ブイオ。

「陛下は、おれ達を大切にして下さる! 誰一人、軽んじたりなさらない! 今も、われわれ一人一人に妃殿下お手製の薬を下さった! 一人一人が身を守れるようにとな!」

「ああ、そうだ!」

 他の近衛兵達も口々に言う。

「陛下は日夜、国のために身を粉にして働いて下さっている。民の一人一人を幸せにできるよう努力して下さっている!」

「陛下はテッラ・ロッサとも良好な関係を築こうとして下さっている! テッラ・ロッサの赤い沙漠の向こうに現れた新たな脅威に対して、有効な手が打てるのは陛下だけだ!」

「おまえのような血筋だけ口先だけの者は百害あって一利なしだ!」

〈みんな、ありがとう。アッズーロも得意満面で、きみ達の信頼に対する責任を感じると思うよ〉

 ナーヴェは礼を述べて、ベッリースィモを掴んだまま船体を急速浮揚させた。そのアッズーロの傍へ、一刻も早く戻りたいのだ。薬という名の極小機械は飲ませたが、至近距離の爆発には対応し切れない場合もある。そしてキアーヴェの狙いはアッズーロただ一人だ。ナーヴェは後部扉を開いてベッリースィモを放り込み、監禁した。同時に王城の上を越えてアッズーロの寝室の窓へ戻る。直後、王の居室を守る扉の辺りで爆発音が響いた。

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