憎しみの炎
「ひろぉい・・・!」
誰ともなく発せられた声は洞窟内に幾重にも反響して消えた。
広いドーム上の地形。
全体的に暗く、あちこちに設置された明かりが優しい杏色の光で微かに中を照らしていた。
そしてその中央には直径50メートルはあろうかという巨大な穴が不気味に口を開いている。
「これ、どこまで続いてるんだぁ・・・?」
「あまり近づくな、軍の公式記録では最高到達階層の178階層でもまだその穴は確認されている、万が一落ちればいくら勇者と言えど確実に死ぬぞ。」
ライザー中佐の一言で覗き込んでいた数人が穴からスススと離れる。
一つの階層が3メートルだとしても3×178=534メートル。
その中のいくつかがこんな広い階層だとするなら600か700メートルはあるだろう。
しかも、その先にも更に続いているとなれば・・・もはや想像がつかない。
少し離れた位置にいる僕も足がすくんでしまう。
「ブモォォオオオオ!!!」
「「「ひぃ・・・!!」」」
突如、穴から獣の咆哮のようなものが轟く。
何層にも反響して部屋中に放たれたそれは、まるで壊れたチューバのような低い音で僕達の耳を劈いた。
「な、何だよ今の!」
「すぐ下の階層からだな、鳴き声からして大型の・・・ミノタウロスか。」
「しかし、ミノタウロスがこんな上の階層にいるはずは・・・。」
場がなんとも言えない緊張感に包まれる。
なにか良からぬ事が起きている。
それだけは僕にでもわかった。
「マシュは本部に報告、クリスは彼らとともにここで待機、エリーナ、トーマスは俺に続き状況の確認及び必要があれば敵の討伐を行え。」
「「「はっ!」」」
中佐の命令で指導役の軍人の人たちが、さすがと感心せざるを得ないようなてきぱきとした動きで迅速に行動した。
その結果、僕達は状況も理解できないままぽかんと口を開いて立ち尽くすしかなかった。
完全においていかれている。
「はいはい、君達~、大丈夫だから焦らずここで待機ね~。」
クリスと呼ばれた小柄の女性軍人が優しい声で僕達に語りかける。
「っ!」
しかし、問題には問題が重なるようで・・・。
「キシシ・・・。」
暗闇の向こうから無数のゴブリンが現れたのだ。
その数は10や20ではない。
それになにやら様子が違うものまでまぎれている。
他の個体とは一回りも二回りも大きさが違うムキムキのやつや、金属製の防具や武器で武装したものなど、明らかに今までのものとは毛色が違うゴブリンがゴロゴロと・・・。
「これは・・・総員戦闘体勢!・・・あのでかいのはホブゴブリン、普通のとは比べ物にならないほど強いから気をつけて・・・。」
僕の背中につめたいものが走る。
今までにないほど危険な状態だ。
「キシシ・・・!」
ゆっくりと距離をつめられるがこちらもゆっくりと後退するため両者の距離は縮まっていない。
全ての時間がゆっくりと進んでいるような張り詰めた緊張感。
・・・。
・・・。
・・・。
ジリジリと後退していた僕達の位置は、ついに穴の際まできていてこれ以上の後退は不可能になっていた。
小石がいくつか穴の闇に飲み込まれていく。
『そのとき』は、限界まで張った糸がプツンと切れるときのようにいきなり訪れた。
「キィィイイイ!」
ホブゴブリンの中の一体が僕たちめがけてタックルをしてきたのである。
全員回避行動をとったため誰にも被害は出ていない。
しかし、あっという間に陣形は真っ二つに裂かれてしまった。
「はぁ!」
ガキン!
「なっ・・・!」
仲間のうちの一人が、そのホブゴブリンの隙だらけの背中に剣を振りぬく。
確実に決まると思っていたのだろう。
だが、無情にもその攻撃はたやすく弾かれてしまい、当の本人は戸惑いの声をあげた。
「「「キシィイイ!!」」」
最初の突撃で引き裂かれた陣形の隙間にゴブリンが流れ込んでくる。
そのしゃがれた悲鳴のような声を聞いていると頭が痛くなってきた。
「もう!うっとうしい!」
「くっ・・・!」
パニックになった仲間はとにかく一体でも倒そうと焦って、でたらめに武器を振るばかりだ。
「だめ!一回陣形を立て直すわよ!」
しかし、こんな状況でもクリスさんだけは冷静に状況を把握していた。
クリスさんの一言で僕達もゆっくりではあるが冷静さを取り戻す。
「迷宮の出口側でもう一度陣をひく!相手を穴側に押し込みつつ後退!」
「「「はいっ!」」」
・・・。
ああ、なんてことだ。
最悪なことになった。
僕の頭は焦りに支配される。
皆は勇者だ。
敵を倒すことではなく敵の攻撃をいなしながら後退することだけに集中すればそんなこと容易にできるだろう。
それに彼らは助け合っている。
それに比べて僕はどうだ・・・。
経験もない、レベルも低い・・・そのうえただの凡人だ。
おまけにこの中に僕の味方なんて一人もいない。
また、迷惑をかけてしまうのか。
僕はまた、みんなに・・・三人に・・・。
「キシシ・・・!」
カキンカキンカキンッ・・・!
「くっ・・・!」
敵の攻撃から必死に身を守る。
だが、僕にはそれだけで精一杯だった。
周りのゴブリンも僕から殺そうとゾロゾロ集まってくる。
「はぁ・・・はぁ・・・!」
すぐに体力の限界が来る。
でも手を休めれば死ぬだろう。
限界を迎える恐怖だけが迫ってくる。
もし防御を一回でもミスったならやつらの武器が僕を貫く。
何度も何度も・・・。
そうなれば僕は抵抗など許されず死ぬ。
こういうときに限って嫌な想像ばかりが頭によぎってしまうのはなぜだろう。
「やつらの足元に高威力の魔法を撃ってください!」
迷宮内に男の声が響く。
聞き覚えのある・・・シンの声だ。
「えっ?」
「いいから!死にたくなければ撃って!」
「わ、我が名を呼ぶは汝、汝が名を呼ぶは我なり・・・我、汝に理の契約を以って命ず、我が道を塞ぐ障壁のことごとくを破壊せよ・・・ソーサリーボム!」
ドンッ!!!
杖から放たれた光の球体は地面に当たると爆発し、その場の土を抉りとった。
今撃ったのは声からしてマリサだろう。
「・・・我が名を呼ぶは汝・・・。」
「我が名を・・・。」
「我が・・・。」
それに続いてみんなが次々に詠唱を始める。
ドンッ!
キュイーン!
ズガガガガガ!
まるで工事現場のような騒々しさでどんどんと地面が削られていく。
「まさか・・・。」
「なっ・・・!」
この状況にあってなぜかクロナの囁いた声が鮮明に聞こえた。
そして僕はあることに気がついた。
シンは・・・。
あいつは・・・。
僕ごとゴブリンを奈落のそこに落とすつもりだ。
バキバキ、メキメキ・・・ドゴゴゴゴ・・・。
・・・。
「あ・・・。」
ズザァァアア!!!!
気付いたときにはもう遅かった。
地面についたひびは一気に広がる。
そして地鳴りのような音ともに僕の足元は崩れ去った。
地すべりのように穴の中へと流れ込んだ地面に流されるように僕とゴブリンたちは宙に投げ出される。
・・・違うな。
『僕ごとゴブリンを』ではなく『ゴブリンごと僕を』だ。
クソッ!クソッ!クソォオオッ!!!
クソみたいな人生だ。
お前らはそこまで・・・。
ただ・・・ただ、僕がお前らより少し弱いだけで。
そこまで僕のことが嫌いか!自分の立場を守るためだけに人一人を殺すことが出来るくらいに!!
穴の下へと吸い込まれる僕の行き場のない怒りが心の中で爆発する。
「ぐふっ・・・!」
穴の側面からたまに突き出ている岩に何度も体を打ち付けれる。
楽には殺してくれないようだ・・・。
骨は折れ、あちこちから血が吹き出る。
あいつらにも同じ苦痛を味合わせてやりたい。
全身を突き抜ける痛みを。
ただ死を待つ悲しみを。
仲間に裏切られ心をバラバラに引き裂かれる苦しみを。
でも、今の僕がこんなことを考えたって無駄だ・・・。
どうせもう少しすれば僕は地面に叩きつけられてその場にこびりつく肉の塊に成り下がる。
もう・・・いいや。
何もかもがどうでもよくなった僕の心には小さな・・・それでいて全身を焦がすような憎しみの炎がくすぶっていた。