終わりの始まり
「・・・。」
周りに人はいない。
廊下に僕だけが立ち尽くしている状況だ。
緊張で震える右手には、部屋番号の書かれた紙が握り締められていた。
そう。
僕はマリサたちの部屋に来たのである。
もう外はすっかり暗くなっているから早く帰りたいし、話す話題なんかも思いつかないから気まずい空気になるのは目に見えている。
だからとても気が重い。
「・・・適当に話し合わせて帰ろ。」
そんなことを誰に言うわけでもないが呟いて少し気持ちを楽にしてから、恐る恐る手を伸ばす。
ガチャ・・・。
「ひぃ!」
ノックしようとした扉が急に開いたので情けない声をあげてしまった。
本当に心臓に悪い。
「君ですか・・・入ってください。」
開いた扉から顔を覗かせたのはシンだった。
どことなくクロナと似た雰囲気を持っている。
無表情で、何を考えているのかよくわからない。
「・・・お邪魔します。」
一呼吸置いてゆっくり部屋の中に入った。
同じ宿なので、内装は僕達の部屋と同じつくりだ。
「マリサが君を呼んだらしいですね、マリサの部屋はそこ・・・悪いけど僕は先に寝させてもらいます。」
シンはそれだけ言って自分の部屋へと消えてしまった。
ルドもメルも寝ているのかその場にはいない。
もうここまで来てしまったのだ。
勢いで行くしかない。
そう自分に言い聞かせて、シンに教えてもらった部屋の扉をノックした。
「だれ~?」
扉の向こうからはマリサの声が聞こえてくる。
それにより寝ていてくれればそれを言い訳に出来るという僕の儚い希望はその場に散ることとなった。
「あ、僕・・・ユウ。」
「あー、来てくれたんだ、入っていいよー。」
マリサの声はどことなく嬉しそうだった。
しかし、それはどこか不気味で背筋に冷たいものが走る。
嫌な予感を心の奥底に押し込み、ドアノブに手をかけた。
ガチャ。
「お邪魔しま・・・す。」
ドアノブをひねり扉を開ける。
中にはほのかに甘い香りが漂っていた。
だが、そんなことはどうでもいい。
今問題なのはマリサだ。
「・・・。」
動揺のあまり言葉が出ない。
マリサは。
マリサは・・・。
なぜか服を着ていなかった。
その綺麗な白い肌に、黒い下着をつけているだけ。
そんな姿のマリサがベッドにちょこんと座っていた。
「いらっしゃ~い。」
「あ・・・え・・・いや、僕・・・。」
僕も男だ。
年頃の女の子の下着姿を見て、全く何も思わないなんてことはない。
もちろんドキドキもする。
でも・・・嫌な感じがする。
わからないけど、今のマリサの笑顔はとても嫌な感じがする。
動揺でうまくまわらない頭を無理やり動かして、たじたじではあるが文章を作る。
「ぼ、僕・・・あの、今日のことも全然気にしてないし・・・だからお詫びとかそういうの、ほんと大丈夫で・・・・・・だ、だから僕、帰るね!」
そのまま扉をしめて帰ろうとする。
そうだ、このまま自分の部屋に帰って寝てしまえば大丈夫。
明後日になれば関わることもなくなる相手だ。
忘れてしまおう。
なかば逃げ出すようにその場から歩き出す。
「だ~め。」
「ひっ。」
しかし僕の歩みは耳元で囁かれたマリサの声によって止まる。
もうここまでくると僕の心臓の鼓動が恐怖によって早まっているのか、何かを期待して早まっているのかわからない。
ただ、今はとにかくここから離れたかった。
だが、そんな僕の気持ちなどお構い無しのマリサは僕の手を引っ張って、僕を部屋の中へと引きずり込んだ。
「特別にぃ・・・触らせてあげる・・・。」
「いい!・・・いい!」
僕の右手を掴んで、自分の胸へと誘導するマリサの手を振りほどこうとするがダメだった。
思いのほか力が強いのだ。
とにかく頭をブンブンと横に振って拒否するが、その抵抗もむなしくついに触ってしまった。
マリサは僕の右手を自分の左手で覆うようにするとゆっくり揉みほぐすように動かす。
「ね?怖くないでしょ・・・?」
「・・・。」
僕はわからなかった。
マリサが何でこんなことをするのか。
マリサは吐息がかかるほど顔を近づけて楽しそうに笑っている。
その笑顔がぞっとするほど醜悪なものに変わったのはそれからすぐのことだった。
「きゃぁぁぁああああああああ!!」
「えっ・・・。」
突如、宿中に響き渡るような声で悲鳴をあげたのだ。
ただでさえ混乱していた僕の頭はその瞬間真っ白に染まった。
バンッ!
「どうした!」
誰よりも早く駆けつけたのはルドだ。
勢いよく開かれた扉は壊れそうなほどの勢いで壁に当たり大きな音をたてる。
「ユ・・・ユウが・・・昼間の腹いせに私の服を脱がして・・・無理やり胸を・・・。」
「え、ち、ちがっ・・・!」
「おまえぇ!」
バキッ・・・。
マリサがわけのわからないことを言い出す。
そして僕は弁明の余地もなく、振りかぶったルドの全力の拳の餌食となった。
その拳は見事に僕の頭にクリーンヒットし、僕は激痛の中でなってはいけない音を聞いた。
「・・・ぁぁあああああ!!」
軽く吹き飛ばされた僕の体は重力のまま地面に落下し、更なる痛みをもたらす。
僕はその場に倒れこみただただ頭を抑え悶え苦しむ。
ガンガンと頭が割れるような苦しみ。
何事かと飛び出してきたメルが心配そうに今の状況を見つめ、それに続いてシンが落ち着いた様子で歩いてきた。
メルとシンとマリサはルドの後ろに隠れている。
ぁあ・・・そういうことか。
くらくらと歪む視界の中でそこに立つ四人の顔を見て全てを理解した。
おそらくルドとメルは何も知らないのだろう。
だが、マリサとシンはその後ろでこちらを嘲り笑うような表情をその顔に貼り付け、楽しそうに僕を見下していた。
あれだけの大きな悲鳴だ。
すぐに他のチームのメンバーや宿の職員が様子を見に来た。
そこにはクロナたちの顔もあった。
僕の姿を見た三人は目を丸くして僕のほうに来ようとするが、人ごみに遮られて来れない。
そんな大勢の前でマリサは、今何があったのかということを事細かに説明した。
声を震わせ、目には涙をため・・・さも本当にあったことかのように。
僕だけなのだろう、たまにチラリとこちらを見る目が楽しそうに歪んでいるということを知っているのは。
僕はクロナたちに視線を送る。
「・・・。」
しかし、三人は目を合わせてはくれなかった。
僕と視線を合わせないように俯いている。
ああ・・・三人は僕を信じてはくれないんだ。
そんな事実が、何よりも僕の心を抉った。
弁明したい・・・。
だが声が出なかった。
今話せば確実に非難をかう。
信じてはもらえない。
そんな恐怖から僕の喉は一切の音を生むことを拒んだ。
宿の職員が二人係で僕のことを運び出す。
上手く体に力が入らない。
ただ冷たい視線だけがズキズキと僕のことを貫いた。