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 カーテンが、欲しい。

 この部屋のどこか重々しい雰囲気を、壊す物が欲しい。

 とりあえず私の部屋にぴったりな、カーテンを探さないと。

 そう思いながら、私はベッドに腰かけた。掛け布団はシンプルな黒い物。京子さんが選んでくれた、もの。お母さんが選んでくれたベッドの方が、気に入ってたけど。毎回同じことを思いながら身体を倒して、私はベッドにずぶずぶ沈み込む。

 ベッドの脇に手を伸ばして取り寄せたカタログを、掴んだ。弾む気持ちを抑えながら開く。色とりどりのカーテンがたくさん載っている。同じ形のカーテンでも、色は様々だ。しかし、せっかく自分の部屋を、窓を彩るカーテンだから手触りや光沢も確認したいところ。紙の上だけでは情報が少ない。

 ぺらぺらとページをめくっていく。時折、視線をカタログから外して部屋を見渡した。

 

 白い天井。青と黄色の小鳥のモビールが二つ。エアコンから流れる風でゆるゆると揺れている。一度、京子さんが外してしまったけれど、お母さんがくれたものだから再び吊した。ゆらゆら。

 視線を下へ。

 少し汚れが目立つけれど、元は白色だった壁。美術部だった友人が描いた油絵が、額に入れられてかけてある。うっすらと積もった埃も拭かないといけない。

 視線を下へ。

 掛け布団同様、黒くてシンプルなテーブル。高校の参考書が散らばっている。前の木製の机は汚いからといって京子さんが捨ててしまった。お母さんの作った小物入れと共に。

 視線を下へ。

 暗い赤色のカーペット。所々光沢があって、日が当たると艶々と光っている。汚いカーテンの隙間から、お日様の光が溢れている。カタログの上に顎を置いてぼうっとしていると、そのうちお日様の光りが目の辺りにちらちらと。眩しくて、やっとのことで起き上がった。

 いつもは部屋の扉を開けると漂ってくる朝ご飯の匂い。今日はしない。

 京子さんがいないと、朝ご飯がないから大変。作るのも面倒だ。ありがたかったなぁと実感はする。けれど実感してても仕方がないものは仕方がないから冷凍のご飯をチンして、生卵を割ってお茶碗の中に落とす。醤油をかけて、黄色いぷっくりした黄身をぷつりと割った。黄色と白を混ぜて、口の中へかきこんだ。

 お昼ご飯もないし、外に出よう。カーテンを買いに行こう。

 よぉし。とすぐさまメジャーを片手に部屋に戻る。今ぶら下がっているカーテンの汚れに触れないように手早く計った。途中、部屋に散乱しているごみに足を引っかけて転びそうになった。帰ってきたら片付けないといけない。 

 そして貯金箱の中身を財布に全て詰め込んだ。さらに戸棚を漁って私の名義の通帳を取り出して、財布と一緒に紺色ポーチの中へ放り込む。カーテンって、いくらするのだろうか。考えたことなかった。お年玉とアルバイトのお金は消えてしまうかもしれない。

 そう考えながらお風呂に入る。朝にお風呂に入るのは、なんだか贅沢をしている気分だ。頭からつま先まで隅々洗った。石鹸の匂いが身体にまとわりついて、新しい自分が始まる気がした。洗面所に置いておいたネックレスを首にかけた。市販のチェーンにお母さんの指輪を通したもの。今までは戸棚の奥に隠して、辛くなったときに見ていたけれど、半年くらい前になくしてからずっと首にかけていた。それでもまたなくなって悲しくて悔しくて寂しかったけれど、ようやく昨日見つけたのだ。

 お風呂上がりはだらだらと怠けたくなってしまうけれど、一日が終わってしまうような気がするから、頑張って支度をした。

 歯を磨いて、髪を整えて、秋らしい、えんじ色のワンピースを纏って、ポーチを肩に掛けた私は外に出る。

 カチャリと鍵をかけると、白い門までの道のりをととことこ歩く。途中、土が盛られたところにお花を置いておいた。半年程前に死んでしまった猫のみぃちゃんが眠っている。

 夏の合間に吹き抜ける涼やかな風が、えんじ色のワンピースをふぅわり揺らした。

 まだ、少しこのワンピースは早かったかなと思ったけど部屋に戻るのは面倒だ。ふむ、と小さく意気込んで




 私はカーテン探しの旅に出る。





 とりあえず家を出てみたけれど、どこにカーテンが売っているのかさっぱりわからない。現代人の味方のスマートフォンを取り出すと、検索。

 どうやら、最寄り駅から五つ先の駅に、カーテン専門のお店があるようだ。案外近くにあるものだ。

 そこに行くことにして、まずは駅に向かって歩いた。

 たたん。たたん。

 電車が規則的に揺れて、合わせて私も規則的に揺れる。周りの人も、規則的に。たたん。たたん。

 どんなカーテンを買おうかな。

 今のカーテンは赤のような黒のような、あんまり気持ちの良くない色。京子さんの好きな物と、お母さんの好きな物は全然違うみたいだ。

 レースのカーテン。窓を開けたら風にひらひらと揺れるレースカーテンはどうだろうか。薄く射し込む光に透けて揺れるカーテン。部屋の中にもんしろちょうが、ひらりひらひら舞っているように見えるだろうか。いつでも春の温かさに包まれているような感覚になるかな。お母さんと行った、ピクニックを思い出しそう。シロツメクサの絨毯ともんしろちょうの踊り、素敵だった。

 黄色のカーテン。レモンのように明るい色で、爽やかな柑橘の香りが部屋に満ちそうなカーテンはどうだろうか。晴れると、お日様の光とカーテンの黄色がちらちらと踊っているように見えるかな。お母さんが私を呼ぶ声を聞いたように心が弾んで、一日の始まりが楽しくなるかも。お母さんの作るレモネードの、色。

  茶色のカーテン。ココアのように、甘くてどこか懐かしい茶色のカーテンはどうだろうか。夏が終わって、少し肌寒くなった頃、レモネードの代わりに出てくるココア。飲むとぽかぽか温かくなって、でもまだ隅っこに転がってる夏のせいで汗が滲んじゃうかな。甘くて、甘い茶色。ココア色。どんなときでも、心が落ち着くだろうね。

 ドレープのカーテン。厚みがあってずっしり重くて、重力に逆らえずにすとんと落ちている、クリーム色にしたら可愛いかな。お日様の光をどのカーテンよりも遮って、部屋が暗くなる。でもお母さんが隣の私も一緒に布団に包んだときのように、きっととっても心が静かになる。凪の湖水のように、心の揺れが小さく小さくなるだろうな。

 た、たん。た、たん。

 ぷしゅう。間の抜けた音がして電車のドアが開いた。ここで降りる人は少ない。カーテンを買う人はあまりいないのかも。いや、他のところで買っているのかもしれない。

 改札でICカードをかざす。ピピッ。

 駅の出口でスマートフォンのマップを表示。指示に従いながら、道を進んでいく。しばらく歩くと、家具屋さんを見つけた。きっとこのお店のどこかに、ずらりとカーテンが並べられているのだろう。そこで気に入ったカーテンさえ見つけることができれば、旅は終わり。

 カーテンを探す旅は、なんだかんだすぐに終わりそうだ。

 





 そこかしこに散らばる夏の残骸に怯えているのか店内は涼しかった。少し、寒いくらいだ。秋色ワンピースを着てきて、正解かもしれない。

 店内をとことこ歩く。目につくのはたくさんの、家具。どの家具もぴかぴかで、持ち主を探している。残念だけど、それは私ではない。私の目的は、カーテンなのだ。

 店の奥へ進むと、カーテンがずらりと並んでいた。色とりどりで、おぉと思わず声を発する。私がカーテンの前を歩くと、ゆるゆると揺れる。ワンピースも揺れる。ゆらゆら。

 たくさんの種類の色のカーテン。レースカーテンも、レモネード色のカーテンも、ココア色のカーテンも、ドレープのカーテンもたくさんあった。レースカーテンは一種類ではなく、何種類もあって目移りしてしまう。レモネード色のカーテンも、一色ぱぁっと眩しいものや、白とレモネード色のグラデーションのものもある。ココア色のカーテンも、ココアに、ほんの一滴の木イチゴのジャムを混ぜたように赤色の線が引かれていたり、甘ったるそうな濃いココア色のものがある。ドレープの質感も様々。

 くるくるくるくる視線は移る。

 さらさら、つやつや、ざらざら、つるつる。

 カーテンに触れる指も楽しそうだ。

 


 ふと、一つのカーテンに意識が向いた。

 厚いカーテンとカーテンの隙間に、所狭しと潜んでいた

 吸い込まれるような、青。

 はっとするほど鮮やかな、青。

 遠くの海を切り取ったかのような深い、青。

 お母さんの名前、あおいの、青。



 触れると、さらりと落ちる。

 お母さんの髪のように、滑らかで。

 息を、飲んだ。

 これだ。これにしよう。

 お母さんを家の中に取り戻すことができるだろうか。

 京子さんに父を、家を塗り潰された私の、最後の最後の抵抗手段。

 店の中で笑顔を撒き散らしながら、革靴を高らかにならして歩く店員さんを発見した。呼び寄せて、この清々しいほどに青いカーテンを買うことを言う。

 カーテンのサイズを書き記した紙を渡すと、ふむふむと店員さんは頷いた。

 そして、業者さんに搬入してもらってからカーテンレールに取り付けて、それからそれから……と話を続ける。よくわからなかったし、これ以上他人に部屋を荒らされるのも嫌だったから全て断った。即日持ち帰り、を頼む。既製品にサイズがあれば持ち帰れるとのこと。私の背丈より頭一つ分くらい長い、一般的なものだと思うから、おそらくあるだろう。隣の家の誠くんの部屋とも同じサイズであるし。

 少し困った顔をしていたけれど、私を近くのソファーに座らせるとにこやかな笑みを残して店員さんは倉庫へ向かった。

 値段を見るのを忘れたなぁと値札に目をやる。ポーチを漁って財布の中身を覗いた。大丈夫だ。予想より安くすみそうだった。

 店員さんが戻ってきた。サイズはあると言った。梱包するからと言ってしばらくソファーで待機。もう一度、業者さんを呼ばなくていいかと訊ねられた。退屈だったのでスマートフォンを取り出すと、何件もの不在着信が残されていた。お父さんからだった。店員さんに了承を得ると、折り返しの電話をした。

 お父さん、家に電話をかけても誰もでなかったことを心配して、私のスマートフォンにかけてくれたようだ。京子さんは一緒にいないよ、と質問にちゃんと答えた。

 次に私の居場所を訊ねる。カーテンを買いに来てるのと言うと、京子さんの選んだものがあるだろうと疑問を含んだ声で。どう答えようか黙っていると、娘にしかわからない事情があるのだと勝手に解決してくれた。いつものように。

 そして、いつ届くのか聞かれた。今日持ち帰るの、と答えるとお昼に会社を抜け出すから車に乗せてやると朗らかに言ってくれた。幸運だ。一週間の出張帰りに会社で働くお父さんは疲れているはずなのに、と少し罪悪感を抱いてしまう。

 梱包が済んだと、店員さんが私に言った。案内されたレジでお金を支払う。財布がだいぶ軽くなってしまった。しかし、私の心はぽかぽか暖かくなった。えんじ色のワンピースもふわふわひらひら、揺れる。

 大きな大きな袋を店員さんは出入口まで持ってきてくれた。

 よいしょ、とそれを受け取ってお父さんの車を探す。赤色のぴかぴか光る外国車を見つけた。お父さんは窓を開けて、こちらに手を振っている。

 後部座席にカーテンを置いて、助手席に乗り込んだ。何か良い物はあったかい、とお父さんは私に聞いた。だけど、私の表情を見ると、お父さんも表情を緩めて車を発進させた。

 カーテンは、私にはつけられないからってお父さんが設置してくれることになった。部屋を片づけていないけれど、きっとお父さんなら許してくれるはず。

 お父さんは好き。甘ったるいお父さん。この甘ったるさを京子さんにも注いでしまうから、そこは好きではない。

 どうかお母さんにも残してあげて欲しい。





 家に着いた。

 白い門を開ける。玄関までの小道の途中にある猫のみぃちゃんが眠っている土にお父さんと一緒に手を合わせた。お父さんはこの場所を通る度に、悲しそうな顔をする。みぃちゃんはお母さんが飼っていた猫だから。京子さんが、あんなことしなければ良かったのに。でも、お父さんはことの顛末を知らない。

 私は首に下げていた指輪を、人差し指で弄った。

 家に入ると、一応掃除はしたのだけれどやはり臭いは残っていた。首を傾げるお父さんに、微笑んだ。やっぱりお母さんがいないとなにもできない娘だ、と思われていたら恥ずかしくなってしまう。恥ずかしくて、頰が熱くなっているのがわかった。

 青色カーテン。

 青色のカーテンを買ったんだ。お父さんに言う。袋の隙間からちらりと色を見せる。お父さんは、ほぉいいじゃないか、と言った。それだけ。

 私はお母さんを思い出したよ。お父さんに言わなかった。今のお母さん──京子さんが悲しむだろう、とどうせまたなだめられてしまうから。死んでしまった人のことは、どうでもいいのかもしれない。そうは思いたくないけど。

 だめだよお父さん、娘の部屋に口出ししたらと念押ししてお父さんを部屋に招く。何年ぶりだろうか。京子さんが来てから、お父さんは私の部屋に来なくなった。お母さんの面影が残る、私の部屋を無意識のうちに居心地悪さを感じていたのだろう。お父さんの中身も、私の部屋以外の部屋も全て京子さんが上塗りしていったから。

 私が高校に行っている間に、私の部屋も少しずつ変えていってしまったから、きっと今の私の部屋はお父さんにとって居心地が良いはずだ。

 充満する京子さんの匂いを、肺いっぱい吸い込むといい。





 キイ。蝶番の鳴る音。

 カーテンを付け替えるときって、何を用意すればいいのかな。お父さんが持ってくるからと言って、先に私に部屋に行かせた。カーテンの包装を取っておこう。

 散らかっている部屋。お父さんが来るけれど、すぐにばれてしまうから放っておいた。

 黒々としてがさつくカーペットを踏みしめて、今度は転ばないように窓に近づく。

 袋を近くにあったカッターで破ろうとするが、錆び付いていた難しい。何度か引っかいたら、やっと破れた。汚れないように、慎重に取り出す。蛍光灯の下でも鮮やかに、深く、青く。見ていると海を見ているかのように、落ち着いた。さらりとした質感。お母さん。これを見たら、きっとにこりと笑う。あったかい、笑顔だ。

 もう二度と見ることはないお母さんの笑顔を思い浮かべながら、青いカーテンに頰を寄せた。

 ようやく、お父さんが階段を上ってくる音が聞こえる。

 扉を開けたお父さんの視線は、私には向かなかった。恐怖を貼り付け。見たこともないような表情でお父さんが、やっと私を見る。喉が腫れたように声が出ていないけれど、陸に打ち上げられた魚のようにぱくぱくと口を動かした。

 なにが、どうして、なんで、お前がやったのか。

 掠れた音が言葉となって私の耳に這いずりこんだ。








「京子さんが、悪いんだよ」

 


 




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