5話 戦闘
そして僕の顔は彼女の手にいつのまにか握られていた刃物で引き裂かれ─
なかった。
それより一瞬早く、姉ちゃんが俺の首根っこを掴み、放り投げていた。
顔をかすめる刃物と、丘の下へと転がり堕ちる自分の体。
あ、あぶねえ......真剣に俺を殺すつもりだったのか?さっきまであんなに友好的だったのに?髪が一房持っていかれたぞ......。
「考えるのは後にして、早く逃げなさい!」
緊迫した声で叫び、刃物を構えた美少女と対峙する姉。
「そんな......姉ちゃんをおいて、一人で逃げるなんて俺には出来ない!」
「いや、私も逃げるけどね?」
「逃げるんかい!」
「大阪弁になってるわよ」
「ツッコミする暇があるなら足を動かせ、足を!」
丘の上を振り返ると、彼女は俺たちを追って来ているようだった。
でも......
「彼女......のんびり歩いてるわよ。逃げなくてもいいんじゃない?」
「いや、それはない。さっきのはマジで俺を殺すつもりの動きだった。姉ちゃん助かった、ありがとう」
「お礼なんていいわよ。それより、何で彼女は歩いてるのよ?」
「今すぐ思いつく理由としては二つある。一つ、俺の【地の文】を読めるから。【地の文】が筒抜けとなると、どこへ逃げても居場所が特定される可能性が高い、だからわざわざ走る必要がない」
走りながら考えを整理する。
「逆にそれを利用して、嘘の居場所を教えたり出来ないの?」
「それは出来ない」
「何でよ!」
「【地の文】は、あくまでも小説の一部だ。情景や心理を描いて、読者の為に読みやすく、面白くするための道具だ。......たとえ、主人公が生き延びる為であっても、【地の文】に嘘を書くことはできない」
「ちっ。そりゃそうか」
「二つ、この辺りの地形を知り尽くしているから。彼女には、俺達が違う世界から転移してきた人間だとはっきり教えたわけじゃないけれど......多分きづかれていると思う。頭は悪くなさそうだった」
というか凄い良さそうだった。
「となると、俺達が転移してきたばかりで、この辺の地理に詳しくないってことは容易に想像がつくだろう」
振り返ると、彼女はまだ歩いていた。もう100m以上は離れている。
「【地の文】による居場所の特定と、土地勘も俺達よりはるかにある......と思う。なら当然走る必要はない。むしろ走ることによる体力の消耗と、俺達から不意打ちを喰らうことを考えれば、走らないのが当然だとさえ言える」
「なるほどねー......で、これからどうすんのよ」
「彼女から逃げ切るのは難しい。というか不可能だ」
くそっ。【地の文】が読める奴が敵だとこんなに厄介なのか。語り部殺し......笑えないな。
「つまり、迎撃するしかないのね」
「ああ」
「殺すの?」
さらっと聞くな。
「殺せるのか?」
「無理に決まってるでしょうが。私は何の変哲もない女子高生なのよ」
「何の変哲もない女子高生は殺すの?とか言わない......そして姉ちゃんが女子高生っていう設定を出す場面ここかよ!」
「じゃあ生け捕りね」
「当たり前だ」
走るのを止めて、追ってくる彼女に目をやる。
「異世界イベントその1、美少女の生け捕り、スタートだ」
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場面は変わって美少女側─。
彼女は確かに、主人公である少年を殺そうとした。殺すつもりで刃物を振るった。
しかし、少年を殺せなかったことに彼女は少なからず、安心していた。
「良かった......このまま殺せないといいんだけどなあ」
ため息をついて、逃げていく彼らに目をやる。
「でも、殺せないことを確認するには、殺そうとしなきゃいけないし......」
気を引き締め直す。
「しょうがない、検証続行ね」
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「最優先は刃物を奪うことだ、刃物さえなければ少女の体一つ、押さえ込むのなんてわけはない」
「ま、2対1だしね......」
「ああ。片方が刃物による斬撃を受け止めてる間に、もう片方が押さえ込むっていう作戦でいいか?」
「作戦ともいえないような作戦ね」
「じゃあ他に案があるのか?」
姉が数秒考える素振りをする。
「ま、ないわね。でもどうやって刃物を受け止めるのよ。真剣白刃取りでもするつもり?盾が必要なら、さっき手頃な大きさの木の棒が落ちてたのに......」
「いや、それは必要ない。それより」
姉が着ているパーカーを指差す。
「それを脱いで、俺に貸してくれ」
「危機的状況に陥って、本能が爆発したからって、そういう行為の相手に姉を選ぶってどうなのよ......」
「馬鹿なこと言ってないではやくしろ!」
「はいはい、よっと......」
渡されたそれを腕にグルグルとまく。そして自分のパーカーも脱いで同じようにする。パーカーには金属のチャックが付いている。よほど辺り所が悪くない限り、少女の斬撃程度、受け止められるはずだ。
「俺が受け止める役をやる。姉ちゃんが押さえ込む方だ」
「了解」
もうすぐそこまで彼女は来ている。
刃物を持った右手をだらんと下げ、確かな敵意を持って俺を睨んでいた。
「一応聞いていいか」
ちかづいてくる彼女に呼びかける。
「俺は君に命を狙われる理由に心当たりがないんだ」
「理由を聞かされたら、あなたは納得して、黙って殺されてくれるんですか?」
最もな意見だ。
姉ちゃんに至っては苦笑している。
「馬鹿なことを言っている暇があるなら、私に殺されない方法を考えた方がいいですよ」
言うなり、突っ込んで来た。姉ちゃんのことは、完全に無視して俺の方にくる。
【地の文】が伝わってるから、俺が受け止めて、姉ちゃんが押さえ込む作戦ぐらい理解しているはずだ。
それでも、まるで俺達の作戦に乗るように、俺の方に向かってくるということは─
「殺したいのは、俺だけか......」
なんの迷いもなく、なんのフェイントもなく突き出された刃物を、俺は容易に受け止める。
─はずだった。
刃物が腕に当たる瞬間、なぜか彼女は身を引いた。
そのまま数歩下がって言う。
「違うんですよー。私は、あなたを殺すつもりですけど......傷つけるつもりはないんですよねー」
何言いだしてるんだ?殺すつもりはあるけど、傷つけるつもりはない?矛盾してるだろそれ......。
「だからー、できれば」
「致命傷しか負わないように、殺したいんですよねー」
そんなことを笑顔で言う。
狂ってる......。
姉ちゃんが、「異世界のヤンデレは、中々ハードなのね......」とつぶやくのが聞こえた。
うん。俺の姉ちゃんも同じくらい狂ってるな。
しかし困った。彼女が本気で、殺す気はあっても傷つけるつもりはないと考えているなら、確実に致命傷を負わせられると判断しないかぎり、下手な攻撃はして来ないということだ。
とりあえず刃物を押さえれば勝ちと思っていたのだけど、厄介だぞこれは......
「諦めて、私の前に頭を差し出して下さい。諦めが悪い主人公なんて、今時、はやらないと思いませんか?」
「うん、その意見には賛成だ」
だからそうしよう。
そう言って僕は頭を彼女の方に突き出した。
腕をだらんと下げて。腕に巻きついていたパーカーが、ほどけて地面に落ちる。
彼女はそれを見て、一瞬驚いたように目を見開いたが、
「骨は拾いますからね」
そう言って、俺の顔に刃物を突き刺した。
─ように、見る角度によっては見えたかもしれない。
顔に向かって突き出されたそれを、俺は口で受け止めていた。
「姉ちゃん!」
「はいはい」
姉が刃物を俺の口から引っこ抜こうと躍起になっている彼女の手首を捻りあげ、そのまま綺麗に1本背負いを決めた。そのまま馬乗りになる。
「運動得意なのは知ってたけど、柔道もできんのかよ......いや、助かったけどさ」
「体育の授業でやっただけよ......刃物、拾っときなさいよ」
「ああ...」
地面に落ちた刃物を拾う。
「じゃあ、何で殺そうとしたのか、尋問するか」
「その前に、完全に無力化したいから......」
姉が美少女の肩を持って、思い切り捻る。
ゴキリ。
嫌な音が響いた。
「ああああああああああ!!」
美少女が叫び声を上げる。
肩をはずしたのか......。
「......それも、授業で習ったのか?」
「いや、これはね、自分が脱臼したとき、癖になっちゃってさー。自分のを何回も嵌めてたら外すのも出来るようになったんだよねー」
こええ......。
って、おい。
「姉ちゃん......その子、気絶してる......」
「あら」
驚いて立ち上がる姉。
「やり過ぎたわね、ごめんごめん」
「謝っても聞こえてねーよ」
「ま、私の弟を殺そうとしたのよ、これくらいは当然でしょ。ちょうどいいから今の間に拘束しよっか。パーカーでできるかな......」
やれやれ......。
異世界まで来て、戦闘対戦カードが刃物対素手ってどうなの?と自分でも思います。
月曜日、2月5日に数話更新します。