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秀秋の翻意

 池田輝政が(実の)父の仇討ちを宣言して山内勢に攻め掛かっていた頃、本多忠勝、井伊直政らは孤立した島津豊久の軍勢を取り囲み激しく攻め立てていた。例え家康が留守であろうと本陣を襲われたのは誇れたことではないから、こうして敵の血で以て雪がねばならないのだ。島津兵もがむしゃらに抵抗したが、やはり多勢に無勢。豊久をはじめ全ての薩摩兵は敢えなく戦場の露と消えてしまった。

 だがそうして一息吐いたところに毛利勢が迫っていると知らせが入った。輝政が寝返る前に発した遣いである。本陣の立て直しは直政に任せ、忠勝は三河衆を率いて南宮山の北、池田輝政らの布陣する谷へと向かった。狭い谷では大軍も有効に活用できない。だから忠勝はそれほど急がずとも、輝政は十分に持ち堪えられる……はずであった。


「池田侍従様、浅野左京大夫様、それに刑部卿法印様、御謀反!」

「何だとっ!?」

這々の体でその知らせを持って来たのは山内家の遣いだった。名が挙げられていないのも山内対馬守だけ。つまり山内家以外の全てが裏切ったのである。忠勝は慌てて足を速めたが、彼らが谷の入り口に到着する前に、裏切り者達は谷から溢れ出してきた。こうして忠勝は裏切り者達と盆地の中で戦うはめに陥ってしまった。


 池田輝政も浅野行長も豊臣七将に数えられる武闘派である。猛る三河勢を前にして一歩も退かなかった。そして何より有馬刑部卿法印則頼は小勢とは言え戦歴五十余年の古強者であった。……今は七十近いただの茶坊主なので、大人しく隅っこに引っ込んでいたけど。


「恩知らずの輝政め! 義理の父に槍を向けるとは何事か!」

「うるさい! 本当の父の仇だ!」

「……いつの話だ?」

「うるさい! 細かいことを言うな!」

だが所詮は地力が違う、数も違う。忠勝の率いる三河衆に半包囲され、ジリジリと押され始めた。

「もう少しだ! あの谷間に押し込めてしまえ!」

忠勝はここぞとばかりに兵を叱咤したが、池田勢の背後から新手が現れた。

「今度こそ、徳川がなんぼのもんじゃー!」

毛利の先鋒、吉川勢である。


 一方本陣に残った井伊直政は、関東勢の再編成と掌握に努め本陣を立て直しつつあった。残りの問題は家康の無事を確認することである。

「誰ぞ大殿の所在を知る者はおらぬのか!?」

「母衣衆の一団が北に向かうのを見ました」

「よし、ではその集団を追って……」

だが直正が言い終わらぬうちに他の者達が次々に声を上げた。

「おや? 私は南に行く一団を見かけましたぞ」

「私は西に……」

「いえいえ、東に行かれました」

「…………」

どうやら家康は、万が一敵が本陣に攻め込んできて万が一影武者だということがバレて万が一家康が本陣を離れていることまでバレてしまった時に備え、追っ手を捲くために囮まで放っていたらしい。なんて用心深いのだろうか! これではどこに行ったのか直正にも見当が付かない! だがそこまで家康を追い込んだ(?)のは何を隠そう直正自身である。

「むむむ、やむを得ぬ。大殿が戻られるのを待つとしよう。この状況ならすぐに戻って来られるはずだ」

新たに毛利が襲いかかってきたとはいえ、西の戦いは終わったも同然である。既にこの関ヶ原盆地の中に敵はいないはずだ。ならば家康の無事は保証されたも同然であった。


 一方そのころ、小早川中納言秀秋の元にもようやく家康討死の誤報が届いていた。

「徳川内府様、島津某に討ち取られたとのことです」

「な、なななな、なんだとーーーーっ!?」

汚名を覚悟して裏切ったというのに、知らない内に総大将が死んでしまったのだ。これでは何のために裏切ったのか分からない。だが続けてやって来たのはそれすらを超える恐るべき知らせだった。

「東では毛利勢が徳川勢に襲いかかりました! 先鋒は吉川勢!」

「きゃーーーーっ!?」

 東軍に寝返れと誘ったのは広家だというのに、何がどうなったらこんな状況になるのだろうか!? 木に登らせておいてハシゴを外すようなものだ。これでは悪いのは秀秋だけってことになってしまう。助けを求めて家臣達を見回せば、裏切りを奨めた親徳川派の者達が呆然とし、反対だった者達は怒りのあまり顔が真っ赤になっていた。

「殿、どうされるのです! まさか毛利家に対して刃を向けなさるのかっ!?」

 秀秋は豊臣家からの養子だからむしろ自分こそが毛利の主筋にあたるという意識があるが、小早川家の大半の家臣にとっては毛利こそが仕えるべき主だった。毛利宗家に刃を向けるくらいなら、外からの養子に過ぎない秀秋を殺した方がマシ……と考えても不思議ではない。

「ま、待て待て! 私は小早川家の当主として、同じく毛利両川と言われる吉川殿の御指図に従ったまでだ!」

「ですがその吉川様が徳川と戦っているのですぞ!」

「うぐぐ……」

 実のところ秀秋は別に家康贔屓だった訳ではない。三成のことは確かに苦手だけど、そもそも人間全般が苦手なので家康だって同じくらい苦手だ。だが親三成派の恵瓊と親家康派だった広家の意見の対立に巻き込まれて小早川家家中の意見も二分されてしまい、その間で迷いに迷っているところを家康に鉄砲でせっつかれ、「えーい、もうどうとでもなれ!」とやけっぱちに寝返っただけなのである。だが今や家中の空気は一変していた。

「だ、だからその……そう、これより我らも徳川と戦うのだ!」

「「「…………」」」

あまりにも場当たり的すぎて、両派どちらの家臣達もさすがに呆れてしまった。だが寝返りを奨めた方も毛利と戦うことには反対なのだ。だったら徳川と戦うしかないではないか!

「えーと、日暮れも近うございます。それを理由に刃を収められては?」

「おお、その手があったか!」

秀秋は手を叩いて喜んだ。それで家中が一致するなら秀秋としてはそれで良い。彼はほっと溜め息を吐き肩の荷を下ろした。

「あ、でも、今戦い始めたばかりの毛利勢が、日が暮れたからってあっさり戦いを止めるかな? そんなつもりなら初めから戦わないと思うけど」

「「「…………」」」

優柔不断なくせに他人事だと鋭い指摘をするのが秀秋である。家臣達は顔を見合わせた。毛利宗家が浮沈をかけて戦っているのに、小早川家が座して待っていて良いのだろうか? もし毛利が勝てば……小早川家は裏切り者と罵られることになるだろう。では、徳川が勝てば? 主家の滅亡に手を貸したと末代まで悪名を残すことになるだろう。

「「「…………」」」

「あ、でも関係ないよね。僕らの戦いは終わったんだし」

家臣達は一斉に声を上げた。

「いえいえ、やはり殿のお考えが正しゅうございます!」

「そうです! 毛利宗家に御味方いたしましょうぞ!」

「え……そうなの?」

「そうです! おのれ家康、我らの手を討ち果たしてくれましょう!」

「そうだそうだ! もう死んでるけどな!」

何だか良く分からないが、家中の意見は一致したようだった。

「よし、では西に向かった兵を呼び戻せ! 徳川勢に攻撃を仕掛けるぞ!」

「「「はっ!」」」

それが何であれ、家中がまとまるのなら秀秋としてはそれで良いのだ。とかく婿養子とは気を遣うものである。



 話を聞いた三成は、怒りを感じるより衝撃の余り愕然としていた。

「そ、そんな……小早川はそんな軽いノリで裏切ってたのか!」

「裏切ったというか寝返ったというか、表返ったのですね」

「どっちでも良いわっ!」

彼の裏切りの結果として死んだ刑部のことを考えると、思わず涙が出そうだった。

「こうして小早川勢までが戦いに加わり、徳川勢は東西から挟撃されることとなりました」

「しかも南北は山だ。袋の鼠だな」

もっとも袋の方の西軍は裏切り者だらけである。完全に潔白なのは、ずっと蚊帳の外だった長束正家と長宗我部盛親くらいだろう。

「日が暮れてもこの戦いはしばらく続きましたが、変事を悟った福島、加藤らが西から引き返して来ました」

「まさか……奴らまで寝返ったのか?」

だが佐助は首を振った。

「いえ、彼らは最前線で追撃していましたから、反って治部少輔様が死んだという確信を持てなかったのです」

「……おい、どういう意味だ?」

「ですから、例え家康が死んだと思っていても、まだ治部少輔様が生きているのなら……」

「もういい、分かった!」

三成はちょっと涙を潤ませていた。きっと不運な刑部のことを思ったからだろう。


「小早川勢がそれに備えて兵を西へと下げたところ、それをきっかけとして徳川勢が南の伊勢街道方面へと撤退を開始しました。毛利勢はそれを追いましたが、盆地の出口で殿軍の井伊直政の反撃を受け、それ以上の追撃を諦めました。一方、福島、加藤らは北国街道を北に向かって退いております」

「なるほど、それが今の状況か……」


 全く驚くべき展開だった。だがその全ての発端は、家康が不用意に影武者などを使ったことにある。それさえ無ければ豊久の無謀な突撃も防げただろうし、毛利の参戦も、秀秋の裏切り……はあっただろうけど、表返りは無かっただろう。

「それにしても、なぜ家康は戦場で影武者など使ったのだろう。味方まで混乱するのは目に見えていただろうに」

その言葉は答えを期待したものではなかったが、意外にも佐助は即答した。

「家康は影武者に頼りすぎ、慣れすぎていたのです」

「……どういうことだ?」

「なぜ某がここにいるとお思いか? 無論、家康の首を獲るためです」

「……そうなのか?」

三成はてっきり連絡係だと思っていたのだが、そうではなかったらしい。

「家康が江戸を発ってここに至るまで、某は五度家康の首を狙いました。しかし一度は徳川方の忍びに防がれ、残りの内三度までもが影武者でございました」

「なんと!」

警戒厳重な家康の身辺に5回も忍びよるとは凄まじい手練れである。それでは確かに家康もおちおちとしていられまい。彼が影武者を用意していたのは、実は佐助のせいだったのだ!


「……む? 5度のうち1度が防がれ3度が影武者だと? ということは……まさかっ!?」


三成はとんでもない勘違いにようやく気付いた。大名たちが悉く影武者を家康本人だと思い込んだことを内心嗤っていながら、なぜ三成は最初にいた家康が本物だと思い込んだのだろうか! 大きく開かれた三成の目をじっと見つめながら、佐助は重々しく頷いた。


「左様、最後の一度は影武者ではなく……全然関係ない人でした」


「…………」

「申し訳ないことをしました。成仏して欲しいものです」

合唱して念仏を唱える佐助を見て、三成はがっくりと崩れ落ちた。

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