輝政の仇討ち
南宮山を駆け下る毛利勢は戦意に満ちていた。特に先頭を走る吉川広家は鬼気迫る勢いだ。彼は毛利のために……というか、毛利を騙していたことを何とか誤魔化すために必死だったのである!
「池田がなんぼのもんじゃー!」
家康が毛利の備えとして配置した軍勢のうち、最前列にいたのが外様ではあるが家康の娘婿でもある池田侍従輝政であった。彼は事前に黒田長政から「広家は信用出来ない。裏切る約束を裏切るかもしれないぞ」と警告されていたので、既に万全の体制を整えていた。毛利の軍勢が迫っていると聞いた彼は家臣達に向かってこう怒鳴った。
「既に舅殿は三成を破られた! しばらく支えていれば援軍がやって来るぞ!」
「「「おおぉぉぉ!」」」
彼の父恒興は信長の乳兄弟だったおかげで織田家の家老になり、秀吉の元でも厚遇を受けた。だから彼は家康の娘を妻にした縁で出世しようと目論んでいた。寄らば大樹の陰! それが池田家の処世術である。
両者は満を持して正面から激突しようとしていた。毛利勢も池田勢も朝から何にもしていないので元気一杯である。
「殿ぉぉ! 一大事でござるぅぅぅ!」
敵を目の前にして駆け込んできたのは、西の主戦場を見張らせていた家臣であった。ついさっき「御味方大勝利!」と報告してきたばかりなのに、大事など起ころう筈も無い。
「一大事なのはこっちだ! お前は舅殿に援軍を頼んで来い!」
「いいえ、此方の方が大事です。その内府様が……討たれ申した!」
「……なに?」
大事すぎて輝政はとっさに理解できなかった。
「ちょ、ちょっと待て! さっき勝ったと言っただろうが!」
「勝ちました! 実際に豊臣方は算を乱して逃げております!」
「じゃあ舅殿は誰に討たれたのだっ!?」
「破れかぶれになった島津が突撃してきたのです! まさか反撃してこようなどとは思いませんから、脇備えが前進して本陣が手薄になっておりました。それで島津勢はあれよあれよという間に本陣を食い破り、ついに内府様を討ち取ってしまったのですっ!」
「…………」
衝撃の展開に輝政は言葉を失った。家臣達も動揺している。負け戦で頑張って戦っても恩賞など無い。それどころか奮戦すればするほど天下の謀反人として処罰を受けるかもしれないのだ!
「と、ととと、殿! いかが致しますかっ!?」
「お、おおお、落ち着け! 仮に舅殿が亡くなったとしても、まだ秀忠殿がいるではないか!」
そう、秀忠はそもそもこの戦場に到着していないので、仮に徳川勢が全滅していたとしても彼だけは確実に無事なのだ! その指摘に家臣達も冷静さを取り戻した。
「そうだ、秀忠様がおられるではないか!」
「うむ、次の徳川の当主は秀忠様だったな」
「……おい、秀忠で大丈夫なのか?」
「…………」
冷静に考えれば考えるほど不安であった。むしろ秀忠も死んでいれば、関東に残った結城秀康(注1)の復権もあり得たのだが。
「し、しかし豊臣方もすでに大崩れです」
「確かに。……そういえば、三成はどうなったんだ?」
「生死も知れません。ただ家老の島左近は討ち取られたそうですから、恐らく三成も無事ではあるまい、と」
「むう……」
輝政は唇を噛んだ。敵は眼前に迫り、味方は動揺している。ここは池田家当主として不動の決意を見せねばならない。輝政はすっくと立ち上がると家臣達に問うた。
「私は……父の仇を討つ!」
「で、では、毛利を迎え撃つのですね」
だが輝政は首を振った。
「思い起こせば16年前……我が父と兄を殺したのは誰ぞ? そう、家康だっ!」
「「「ええええぇぇぇ!?」」」
確かにそれは事実である。16年前天下を二つに割った小牧・長久手の戦いで、家康の本拠地三河を奇襲しようとした父恒興と兄元助が、逆に奇襲されて討ち死にしてしまったのである。だが別段家康が卑怯だったわけでも何でもなく、それを今更持ち出すのはどうにも女々しい話である。だが、一応口実にはなった。
「それに三成も家康もおらんのなら、次の天下は毛利の物だ。いざ、毛利殿の先駆けを致さん!」
寄らば大樹の陰! これこそが本音である。そもそも彼が家康に付いた最大の理由はやっぱり三成が嫌いだったからだ。福島正則や加藤清正と一緒に三成を暗殺しようとしたこともある。だがその三成が死んだというなら、彼が西軍を嫌う理由も無かった。
「……うむ、御先代の無念を晴らさねばなりませんな」
父の代からの老臣が頷くと、若い者達も次々に賛意を示した。
「これは天下のためでござる」
「徳川を討ちましょう!」
口実さえあれば現金なものである。
話を聞いた三成は唖然としていた。
「ま、まさか、輝政は裏切ったのか? 今更?」
「はい。やはり決め手は、治部少輔様が死んだと思ったことのようです」
「いや、家康だろっ!? 家康が死んだと思ったからだろ!」
「まあ、どちらでも同じ事です」
「…………」
三成的には全然同じではなかったが、とにかく敵が敵を裏切って味方になったのだ。……たぶん。三成が生きてると知ったらまた裏切るかもしれないけど……。
「だが池田勢だけが裏切ったところで……」
「いえ、毛利に対峙していたほぼ全員が裏切りました。もともと毛利との戦いは無いと踏んでの布陣でしたから、あのあたりは外様大名ばかりだったのです。きっと池田侍従様が説得なされたのでしょうな」
「…………」
その時はさすがに「家康が死んだ」と言って説得したのだろう。きっとそうだ。そうに違いない!
そもそも大軍の毛利が動けば彼らの数では対抗できるはずもなく、かといって毛利が動かねば手柄を上げる機会も無い。そんな貧乏くじみたいな配置で満足していたのは、たぶん血縁だけで栄達が見込める池田輝政くらいだろう。その輝政が先頭を切って裏切ったのだ。吹けば飛ぶような小大名たちは、我が身可愛さに裏切っても不思議は無い。実際に小早川の裏切りに呼応した脇坂、朽木、小川、赤座らがそれを証明していた。(注2)
「あ、でも山内対馬守様は裏切りませんでしたよ」
「おお、さすがは古強者の山内殿だ! やはり武士たる者はそうでなければ!」
山内対馬守一豊はたったの5万石なのに、単身で毛利の大軍を阻もうとしたのだ。敵ながら天晴れである。というか、もはや敵だからこそ天晴れである!
「何でも徳川方の勝利を確信して所領を明け渡しちゃっていたそうです。何が何でも徳川に勝って貰わないといけなかったのですね」
「…………」
逆に言うと戦う前から三成が負けると確信していた訳である。何故だろうか。
「しかし対馬守様の軍勢はわずかに二千足らず。その上前後から挟まれ、毛利勢が加勢するまでもなく打ち破られました」
「だ、だが、徳川勢はほとんど無事だったはずだ。三河衆も本陣に戻ったのであろう?」
「ええ、そこからは毛利勢と徳川勢の正面からのぶつかり合いとなりました」
「良しっ!」
三成は膝を叩いた。もはやどちらが彼の味方なのか良く分からない。
注1 結城秀康は家康の次男ですが、幼少期は家臣に育てられ、次いで秀吉の養子となり、更に北関東の大名であった結城家(10万石)の婿養子になりました。
そのせいで徳川家中では親豊臣派と目され、尚且つ所領が北関東にあるせいで上杉への牽制役として関東に残されました。
しかし関ヶ原の戦いの後彼の功績は高く評価され、越前68万石の大大名になり松平姓を名乗ることも許されます。めでたし、めでたし。
でも、あくまで「徳川」ではないんですよねぇ……
注2 脇坂、朽木、小川、赤座の4隊の裏切りは、前もって藤堂高虎と密約があったという説が有力なようです。ていうか、例によって三成嫌いで愚痴りまくってたようです。
とはいえ合計4000ぽっちだけで裏切れる訳も無く、小早川の裏切りが無かったらどうしていたんでしょう?