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絶望の夜

短編にするつもりでしたが分割しました。

最初こそ真面目っぽいですが、すぐにコメディになります。

 慶長5年9月15日深夜、石田治部少輔三成は美濃から近江へと続く山中で1人空を見上げていた。午後から降り出した雨は既に上がっていたが、濡れそぼった体に夜風が吹き付け、既に一歩も動けない。空には未だ薄雲が立ちこめていて、星一つ見えなかった。ただ月だけがぼんやりと雲を照らしてその所在を示していたが、木立の中に立ち尽くす三成のもとには一条の光すら届かなかった。


――月とはかように弱きものであったか


 枯れ葉も小枝も濡れていて、火は熾せそうにない。灯りも持たずに夜に出歩いたことなど、果たして何十年ぶりだろうか。山中で一人きりというのも寺の小僧だったころ以来だ。自分は孤独な男だと思っていたが、伴1人いないだけで彼は立ち尽くすことしか出来なかった。何と無力なのだろうか。


――今宵の月は栗名月か。太閤殿下が御健在であったなら、城の灯りを全て消させて月見と洒落込んでいたかもしれぬな


 三成はふふっと小さく笑った。彼の、そして天下の主であった豊臣秀吉は遊び心のある人物だった。人を笑わせるのが好きで、自分が笑うのも好きで、そしてそんな主が笑っているのを見ることが、三成は好きだった。その狂気に満ちた晩年ですら、まるで沈みゆく太陽のように三成を魅了して止まなかった。



 しかし、日は沈んでしまった。



 薄暮の中で三成は懸命に亡き主の残光をかき集め、秀頼という太陽が再び昇る時まで豊臣家を守ろうと努めてきた。そして天下への野心を露わにした徳川家康を倒すため、全国から大軍を集めて決戦に及んだのだ。

 その結果として……彼は1人、山中を漂っていた。


――これで豊臣家も終わりだ。もはや私がこの世ですべきことは何も無い。


 西軍諸将の多くが討ち死にし、盟友大谷刑部は切腹して果てた。大老宇喜多秀家をはじめ残りの諸将も生死は定かではない。全く戦おうとしなかった毛利や島津は生き残ったかもしれないが、もはや彼らは頼りに出来ない。未だ健在で信頼できる者など……上杉くらいだろうか? だがその上杉は徳川と伊達に挟まれて関東から動けない。もはや再起することは不可能だった。


――ならばせめて、佐和山に戻って一戦するか?


 彼の居城である佐和山城はここからわずか1里あまりだが、城に残した兵は少なく、頼りとする家老島左近も討ち死にしていた。というか三成は自他共に認める戦下手だから、むしろ左近が総大将だった。彼に指揮して貰わないと、三成には何も出来そうになかった。ただ醜態を重ねることになるだろう。


――もはやこれまで。潔く腹を切るか……


彼はそっと脇差しに手を伸ばした。



「お待ちくだされ!」


突然闇の中から上がった声に、三成はぎょっと飛び上がった。

「すわっ、何者っ!?」

「石田治部少輔様とお見受けいたします。(それがし)は真田安房守の配下にて、佐助と申しまする」

「真田……?」

暗闇の中でカッカッと石が打ち合わされて火花が散ると、ボッと松明に火が灯った。そこにいたのは腰に頸袋をぶら下げた足軽姿の男だった。実に怪しい。


 まず真田安房守昌幸自身が信用ならない。主家であった武田家が滅びた後、織田家に付いたり、北条についたり、徳川についたり、上杉についたりした挙げ句、独立を志向して勢力を拡大し、天下を制覇した秀吉が服属を命じてもずーーーーっと上洛して来なかった男なのだ。しかも遠く信濃にいて関ヶ原には一兵も派遣してきていない。仮に誰かを派遣するにしても、最低でも騎乗の士だ。何が悲しくて足軽何ぞを送って寄越すのか。そしてそもそも、この足軽も信濃の田舎者のくせに言葉が丁寧すぎた。


 だが三成の訝しげな視線に気付いたのか、佐助と名乗る男は問われもせぬのに素性を答えた。

「忍びの者にございまする。刑部様の陣をお借りしておりました」

「……ああ、そうであったか」


 真田家安房守はとことん信用の出来ない男だったが、その息子左衛門尉(さえもんのじょう)信繁は良い意味で田舎者だった。純朴で性根が真っ直ぐだったので秀吉にも気に入られ、長く側近として仕え官位まで賜った。そして何より彼は、三成の盟友であった大谷刑部(ぎょうぶ)吉継が娘婿に選んだ男である。

 そんな彼から漏れ聞いたところでは、真田では忍びの者が重宝がられ、士分を与えているらしい。大名である三成との話し方を心得ていることも、上方訛りのしゃべり方も、決戦の行方を見守るために派遣されるのも、真田の忍びなら納得できた。


「しかし、さすがは治部少輔様。某の気配に気付いて刀に手を伸ばされるとは、やはり並の方ではございませんな」

「む……ま、まあな」

武芸の腕がからっきしだった三成は、勘違いとはいえ褒められてちょっと嬉しかった。

「信繁様から病的なまでの神経質だと伺っていましたが、まさかこれほどとは!」

「…………」

真田信繁という男は、悪い意味でも率直な田舎者だった。


――とはいえ、信繁は信頼できる男だ。それに安房守と家康は不倶戴天の敵だ。敵が家康である以上、反って信頼できるかもしれぬな。


 真田は徳川にを目の敵にされている。味方になっては裏切りを繰り返し、北条・上杉を巻き込んで散々に引っかき回した挙げ句、徳川の金で作らせた上田城を居城として乗っ取ったのだから仕方無い。その折の戦いでも徳川は煮え湯を飲まされたのだが、つい先日信濃で行われた戦いでも真田軍は4万近い徳川軍を散々に翻弄し、痛撃を加え、ついには今日の決戦に間に合わないように足止めすることに成功していた。敗れた秀忠だけではなく、家康も相当に怒っていることだろう。今更寝返って三成の首を献上したとして、彼らが真田を許すとは到底思えなかった。


――だが、いずれにせよ既に終わったことだ。今更話すことなど何も無い。


「勝敗は見ての通りだ。()く信濃へと帰るが良い」

「もちろんでございます。されど治部少輔様の御無事をお確かめせねばなりませんでしたので」

「私の……?」


――ひょっとして、真田はまだ戦えると踏んでいるのか?


何と言っても真田安房守は徳川の大軍を2度も破った天下の名将だ。三成はその一縷の希望に目を輝かせた。


「刑部様亡き今、治部少輔様にまで亡くなられては、我が主安房守に甲斐・信濃を与えるという約束も反故になりかねませんので」

「…………」

非常に直裁的な要求に、三成は返す言葉も無かった。確かに三成はそれを約束した。約束したのは事実だが、今更どうしろというのだろうか? 単に嫌みを言いに来たのか? 三成は力なく首を振った。

「しかし見ての通り、今の私は明日をも知れぬ身だ」

「なんと! どこぞ深手を負われたのですか?」

「いや、そうではなく……」

「では実は不治の病を患って……」

「いや、そうでもなく!」

「はて? 傷を負われたのでも病でもないのなら、何が問題なのでござろう?」

物分かりの悪い佐助にいい加減三成も激高した。

「だ・か・ら、今日の戦いを見たのであろう!?」

佐助はぽんっと手を打った

「ああ、なるほど。確かにおいそれと兵は整えられぬでしょうな。

 ですがご安心くだされ。真田家と致しましては、お墨付きさえ頂ければあとは自力で切り取る所存にござりますれば」

「……へ?」

今日の戦いで天下は徳川家のものになったというのに、真田は1人で戦い続ける気なのだろうか?

「ですので、秀頼君に拝謁された折りに守護の件を言上して戴きたいのです。今日はこのまま大阪に上られるのですか?」

「い、いや、それは……」

確かに秀頼に拝謁して謝罪するのが筋かもしれなかったが、おめおめと帰れるはずも無かった。大阪に居るはずの毛利輝元には恨み言でも言ってやりたかったが。

「それとも一旦佐和山の城で毛利宰相様が凱旋なされるのをお待ちなされますか?」

「いや、確かに佐和山城は目と鼻の先だが、たとえ籠城したところで……ん?」

何か話が噛み合っていないことに気付き、三成は眉根を寄せた。


「……凱旋、だと?」


「ええ、さすがに徳川方を追撃するのは諦めたようです。今宵は関ヶ原に陣を置かれておられますが、数日中には発たれることでしょう」

飄々と宣う佐助の言葉に決定的な齟齬を見つけ、三成は愕然とした。


「ちょ、ちょっと待て……徳川方()、追撃だとぉ!?」


「ええ。本来であれば逃げる徳川方を追撃して一兵でも多く屠るべきなのでしょうが、生憎秀忠の軍がそろそろ岐阜に入る頃です。それに備えねばなりませんから」

「…………」


当然のことのように話す佐助の言葉が理解できず、三成は再び空を見上げた。雲が薄くなったのか先ほどより空が明るくなっていたが、月は相変わらずぼんやりとしていた。彼の頭もぼんやりしている。


「つまり我らは……ひょっとして……勝った、のか?」


三成に覗き込むようにじっと見つめられ、佐助は困ったように視線を逸らせた。

「えーと、何を以て勝利と為すかは見方によって異なります故、どちらが勝者かというのは一概には言いがたいものです。例えばかの川中島の戦いも、信玄公と謙信公の何れが勝者也哉と口論は絶えませぬ。ある者は兵の損害の多寡を論じ、ある者は土地の確保に重きを置き、ある者は策の成就だけを論じます。故に川中島の戦いは……」


 佐助は唸りながら勝敗の定義を論じ始めたが、三成が聞きたいのはそういうことではない。そういうことではないのだが、どういうことかは分かった。何しろ彼の知る戦場の最後の光景は、誰が見ても西軍の負けであって、どんなあまのじゃくでも口論する余地は無かった。ということは、その後に何かとんでもない事が起こったということだ。


「いったい……何があったのだ? 私が戦場を後にした後、いったい何が起こったと言うのだっ!?」


三成の絶叫を受け、佐助もようやく勘違いに気付いた。

「なんと、治部少輔様はその後のことをお知りでは無かったのですか?

 ……分かりました。私の知る限りのことをお話ししましょう」

佐助は松明を地面に立てかけると、石の上に腰を下ろした。


「全ては家康の油断と、島津勢の思いがけない行動から始まったのです」


ゴクリとツバを飲み込むと三成もその場に腰を下ろした。その後佐助の口から語られた話は驚くべき内容だった。

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