後編
十二月に入る頃には、栗目村の様相は一変してしまっていた。
村人は皆一様に件の黒帽子と白い衣を身につけ、毎日教会に集まって礼拝をするようになった。四人の男たちのうちはじめに現れた一人、兵吾という男は集まった村人たちを前にしてこう説いた。
「私たちはこの地において創世の神話をいま一度やり遂げたいと思っておるのです。実際に復活が成し遂げられることで、あらぬい教は後代にまで脈々と受け継がれていくことでしょう」
かくして栗目村には祭りを執り行うための磔台が建てられ、あらぬいの人形を載せた巨大な山車の制作も急遽計画された。これらは全て兵吾の指示によるものであり、今や村人は彼のいうことなら何でも信用するといった有様だった。
太助はといえば、狂騒の中にある村人たちをひとり醒めた視線で眺めていた。
兵吾の説く思想はひどく幼稚なもので、それにうまく乗せられている彼らが滑稽に思えて仕方なかったのだ。
また太助はそうした村人たちに嫌悪感を感じ始めている自分に気付いてもいた。簡単に男たちに取り込まれ、自分の頭で考えるということを棄て、一度自分が正しいと信じたものに対しては恐ろしいまでの固着をする。
(夕闇の向こうからやってきたあの男たちに、村は乗っ取られてしまったのだ)
太助は暗雲たれこめる思いを胸の中に押し込め、夕焼けの赤に染められた村の畦道を急いだ。
道行く皆が、橋で出会った兵吾と同じ格好をしていた。帽子も服も不揃いでおまけに継ぎ接ぎだらけのぼろ物で、それが余計に太助の恐怖心を煽るようだった。
稲穂が綺麗さっぱり刈り取られた寒々しい田んぼの傍を通り、太助は家へ急いだ。いくら歩いても同じところへ戻ってきてしまうように感じられ、次第に焦燥を感じ始めた頃合、ようやく太助の家の茅葺屋根が見えてきた。
心の底から安堵し戸口に手をかけた時、奥からぼそぼそとした話し声がきこえてきた。
「それでは、お宅の太助くんをあらぬいの役として使わせてもらうということで……」
「ええ、よろしいですわ」
答えたのは太助の母で、もう一方の声は兵吾のものだった。
太助は全身に藤壺のごとく鳥肌がびっしりと立つのを感じて、思わず後ずさった。意に反して、耳は二人の声を聞きとろうと鼓膜をそばだて始めていた。
「……光栄ですわ。うちの太助があらぬい様の役をやらせて頂けるなんて」
「では、祭りの日には太助くんを磔にするということで……」
太助は大声を上げたくなった。足が震えて両膝がぶつかり、こつんこつんと音をたてている。
心臓は脈を跳ね上げてどくんどくんと波打ち、太助は焦燥と小便が漏れそうになる感覚が体の下の方から湧き上がってくるのを感じた。
太助は、まるで夢の中で走っているように足をもつれ合わせて駆け出した。庭の敷石をざくざくと踏み分け、畦道へ出た。
日は既に沈んでいて、村は不気味な静寂に包まれている。
黒い輪郭だけになった家々が、見慣れた風景が、ぐるぐると回りながら追いかけてくるようだった。太助は何度も転びながら、鼻水と涙でぐちょぐちょになった顔を肘で拭って走り続けた。
太助は夜の奥に沈みゆく村道を駆け続け、やがて木立がまばらに生える斜面を登って山に入った。
夜の山には同じものなどひとつもない、様々な音が響き渡っていた。ざわめく梢、やかましく喚く野鳥の鳴き声、どこからか聞こえてくる川のせせらぎ。そういうものが実体を持ったひとつの「音」として押し迫って来るようで、太助は身震いした。
しばらく右も左もわからぬ闇の中を走り続けて、太助はようやく開けた土地に出た。周り一帯樹木の幹が黒い縞模様のように連なって見えていて、隙間からは栗目村が見下ろせた。
(ああ、結局おれは最後までどっちつかずのままだったのだ。そんな野郎に、幸せが訪れるものだろうか。例え奴らの味わったそれが仮初の幸せであったとして……)
太助は夜露にしっとりと濡れた学生服の裾を握り締め、必死に泣くのをこらえていた。
翌朝、栗目村は蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれた。
太助の父母は目を腫らして泣き叫びあらぬい神に助けを求め、高見の婆さんはとえいば白目を剥いて悪霊「でもん」が太ちゃんを連れ去ったのだ、などと吹聴して回っていた。太助は出来のいい子供だったし、あらぬい神の役の件もあって、すぐに山狩りが敢行された。
それからほどなくして、栗目村から離れた遠くの谷で頭の割れた少年の死体が見つかった、との知らせが村に届け出られた。足をすべらして岩底に頭を打ち付けたのが死因らしく、太助と思われるその死体は蓆に包まれて村へと送り届けられた。
そして太助の死を惜しむ暇もなく、数か月後村では祭りが催された。
あらむとえむをあしらった小さな山車が村道をのろのろとねり歩き、公民館前では遠方から呼ばれてきた楽団がラッパを高らかに吹き鳴らしていた。
ふたつの人形は石膏で固めた素体に藁や麻の衣を被せてつくったもので、あらむの衣は鎧に似せた風情となっている。
黒い山並みを背景にして、ふたつの山車はまるでそこだけ切り取ったかのように日光を浴びて白く光り輝いていた。
そんな華やかな光景の中にあって、兵吾は苦虫を噛み潰したような表情で教会の二階に面した露台に立ち、村の外れに建てられたお粗末な磔台を見据えていた。
村では数少ない若者の太助がいなくなってしまい、代わりにまだ十にもならぬ彦野という小僧をあらぬいの役に仕立て上げることになったのだ。
兵吾はそれが気に食わなかった。あの日夕暮れに染まる橋の上で太助と対面した時、これだ、と神憑りにも似た確信を抱いていたのだ。聡明そうな面持ちといい、知性を感じさせる謙虚で勤勉な姿勢といい、兵吾の思い描くあらぬいの像と寸分も違わないものだった。
これでは、人々に絶大な印象を与えることはできないだろう。栗目村全体をあらぬいの復活と共に豊穣に包まれたかの土地に例え、その村を網目のように走り抜ける畦道をあらぬいの血の流れとする。
彼は、計画は失敗したも同然だと頭を抱えた。彦野をご神体として担ぎ上げたところで、それは最早自分の思い描いていたあらぬい教ではない。
兵吾はため息を吐き上げ、黒いほどに濃く晴れた空を仰いだ。
太鼓の音に合わせて、金色に光る衣を纏った鬼がゆっくりと村道を歩いてきた。その後ろを、黒い帽を被り袖長の衣を纏った数十人の村人たちがうじゃうじゃと、地を這う蟻のごとく埋め尽くしている。




