『魔法少女殲滅法』が施行されました
「奴は、ここに封印されるまでの間に、七十万人もの兵士を食い殺したそうだ」
薄闇に輝くモニタを見つめながら、しかめ面をした男が言った。
七十万人。
途方もない数字だ。現実味が全く感じられない。
中堅国家ならば陸海空すべて、大国といえども陸軍や海軍のまるまる一つ分が消滅する計算だ。
それはつまり、国家が一つ、この世から消え去ることを意味していた。
「あれが……ですか? ペトローヴナ少佐」
マルクも一応同じくしかめ面をして見せ、言った。
薄暗い監視室のメインモニタに映し出されているのは、壁床壁面全てに抗魔力処理を施した部屋の様子だ。
殺風景な部屋の中央にぽつんと置かれた机に向かい、少女が一人。なにやら分厚い本を読んでいる。
歳は十代前半、といったところだろう。
髪は肩にかかるくらいのアッシュブロンド、肌は透き通るような白で、しみひとつない。
とても人間とは思えないほど整った容貌で、瞳の色は深い海のような蒼。
儚げな雰囲気の、美しい少女だ。
とても、ペトローヴナ少佐の言うような怪物には見えない。
だがマルクは知っている。
あまりにも存在感が希薄な、奇妙な感覚。
モニタの画像だからという訳ではない。確かに彼女はそこに存在している。
しかしその視覚情報が、彼女を実在するものとして認識することができない。
まるで別次元からの投影を眺めているような、そんな感覚。
「……魔法少女、ですか」
「ああ。封印番号A0021番、人間だった頃の名はヴェロニカ・レナートヴナ・バツィナ。通称、『国墜としのヴェロニカ』。この娘は……おっと、君の部隊の手柄ではなかったか」
「はい。誠に遺憾ではありますが」
マルクはごくりと喉を鳴らした。
身体の芯が熱くなり、鼓動が一段、圧力を増す。
口の中が、あっという間にからからになってゆく。
マルクはモニタから眼を離し、軽く首を振った。
彼女の居る煌々とした部屋に比べて、監視室は薄暗い。
このご時世、国営の施設とはいえども電力の供給は無制限というわけにもいかない。
それでも大量の人員を彼女ひとりのために配置し、最新の魔力計測機器や封印術式を制御するためのコンピュータを設置しているのだ。
薄闇の中、ぽつりぽつりと点在するモニタやコンソールのボタンから発せられる弱々しい光は――この国の、この世界の様相そのものだった。
五年前、世界各地で同時多発的に発生した魔法少女という存在。
数百万人に一人という確率であったものの、ただの人間の少女が、ある日を境に災厄そのものへと変わった。
街頭で、酒場で、居間やベッドの脇で、国営ラジオから流れた緊急放送は、その日、全ての人類の未来を永遠に変えた。
もちろん当時士官学校の学生だったマルクも、その例外ではなかった。
彼女らの圧倒的な力を前に、人類はあまりに無力だった。
世界各国の主要都市の大半がすでに灰燼と帰した。
滅んだ国も、両手の指では足らない。
残る国家や都市は全てを投げ打ち、徹底抗戦に出たものの――前者と同じ運命をたどるのは時間の問題だった。
そして――『深淵の除染及び指定災害封印に関する法律』、通称『魔法少女殲滅法』が施行されたのはつい三年ほど前のことだった。
「ペトローヴナ少佐殿。あれは……あの娘は何を読んでいるのですか?」
彼女はこちらに気を留めることもなく、黙々と本を読んでいる。気付いている様子もない。
だが、こちらからでは手元が影になって、その内容を視認することはできない。
「捕縛時の彼女の持ち物の一部だ。一応全て検めたが、何の変哲もないただの本だったよ。誰かしらの伝記小説だ……私の知らない人物だったが」
「魔法少女はその魔力を行使するため、媒介として杖や剣、はては黒猫などを使います。彼女の本がそうだったとしても、おかしくはないのでは?」
「マルク大尉。貴官の心配は理解できる。だが彼女は通称『魔法少女殲滅法』第三七五条第六項第四号、及び同規則第四条第二項に則り、最高ランクの封印術式を三重に掛けたうえ、魔力減退効果のある呪力光を二十四時間体勢で照射している。つまり、この体制が維持される限り、我々の安全は保証されているのだよ」
「なるほど。つまり、その封印のおかげで、彼女は誰からの邪魔をされることなく、毎日気ままに読書に耽ることができるというわけですね」
マルクの言葉に、ペトローヴナはいささかむっとしたような様子を見せた。
「かつては前線で指揮を執っていた貴官のことだ、よく知っているだろう。『魔法少女殲滅法』などという、勇ましい通称は飾りである、と」
「ええ。彼女達は我々の攻撃手段では殺すことはできません。せいぜい足止め、幸運に幸運を重ねても、封印することで手一杯です。それも、大量の弾薬と、大量の犠牲を彼女達に支払った上で、です」
「そういうことだ。あまり、我々の仕事を貶めないでくれ」
「失礼いたしました。最前線に長くいたせいで、つい口が悪くなってしまったようです」
マルクは慇懃に頭を下げた。
ペトローヴナはそれを一瞥して、ふん、と鼻息を立てた。
「それにしても、研究のための素体が欲しいとは、一体どういう風の吹き回しだ? 前線部隊が必要なのは、弾と兵ではないのか?」
「もちろん、それらはあればあるだけ助かります。ですが、やはり魔法少女に対して有効な攻撃手段を模索するには――魔法少女が必要なのです」
「……『崇高な任務』、というわけか。反吐が出るな」
「ご同情、痛み入ります」
「しかし……七十万もの兵士を喰った化け物を相手を、一体どこへ、どうやって移送するというのかね? そもそもそのような施設が存在するなど、私は上から何も聞いておらんぞ」
「それは――」
「七十七万七千七百七十六名よ」
突如、監視室内に女性の声が響く。
マルクとペトローヴナは互いに顔を見合わせた。
「オペレーター? 何か言ったか?」
「いいえ、私ではありません。ですが……モニタをご覧下さい」
言いよどむオペレーター。
二人はメインモニタに視線をやった。
煌々と輝く四角い光の中で、少女――ヴェロニカがこちらを見ていた。
読んでいた本を閉じ、そっとその上に手を添えている。
「七十七万七千七百七十六名。戦死者数は正確に。でないと、参加いただいた皆様方に申し訳ないでしょう?」
薄紅色の薄い唇が吊り上がり、白い歯がのぞく。
桜色の小さな舌がゆっくりと蠢き、上唇を舐めた。
「こちらの会話を聞かれている……? おい! マイクのスイッチを入れたのは誰だ!」
「こちら側のマイクは入っておりません」
怒鳴り声を上げるペトローヴナに、困惑の声でオペレーターが応答する。
「一体どうなっているんだ!」
「分かりません。モニタ上では、魔力値はゼロを指しております」
魔方陣と魔力灯からなる封印は、深淵から彼女を完全に断ち切っているはずだった。
マルク達のいる部屋と彼女のいる部屋が近くにあるとしても、話し声が聞こえるとは思えない。
「ですが、彼女は我々の会話を盗聴しているようですね」
「あら。盗聴とは、人聞きが悪いわね。私も会話に参加したいだけなの。せっかくの、懐かしいお客さんですもの」
ヴェロニカは口に手を当てるとくすくすと笑い声を立てた。
「懐かしい? 彼女は何を言っている?」
「そうですね。旧友……いいえ、戦友との旧交を温めたいという気持ちは私も同様でして」
言って、マルクは首もとから一つのペンダントを取り出した。
深海を思わせる、昏い蒼色を湛えた鉱石が、ゆらりと揺れる。
「それは……深淵鉱!? まさか盗聴は……マルク大尉、今すぐそれを放棄しろ! 貴官の行為は『殲滅法』第五七条二項に抵触している! オペレーター、何をしている! 早く警備兵を呼べ!」
「やあ、ヴェロニカ。久しぶりだね。少しだけ待っていてくれ」
「もちろんよ。ずっと待っていたのだもの。それに比べれれば、数分なんてあっという間だわ」
モニタに、ヴェロニカの朗らかな笑顔が映し出される。
マルクはそれを見て、顔をほころばせた。彼女の、この顔をずっと見たかった。そのためにここまでやってきたのだ。
「き、貴様ッ! 一体何をしているのか分かっているのかッ!? これは……国家反逆罪だぞ!?」
半狂乱のペトローヴナが叫ぶ。腰に吊ったホルスターに手を掛けた。
銃声、銃声、銃声。怒号、銃声。悲鳴。
全てが終わると、沈黙が訪れた。
◇
「すまないヴェロニカ。存外手間取ってしまった」
封印を解いたマルクは、ヴェロニカを抱きしめてからすまなさそうに言った。
「気にしていないわ。それより、元気にしていたかしら? 連邦陸軍第七猟兵連隊隊長――マルク・ヴァシーリエヴィチ・タラノフ大尉殿」
「よしてくれ。今はしがない傷痍軍人さ。今までの戦功と経験で、何とか後方の研究職にありつけたけどね」
マルクはそう言うと、左足をすぽん、と取って見せた。
「まあ」
片足立ちのまま、いたずらっぽく微笑むマルク。
それを見たヴェロニカは目を丸くして言った。
「男ぶりが上がったわね。素敵よ、『魔法少女狩り』マルク」
「ありがとう、『国墜とし』――いや、『魔王』だったか。おっと、僕らの間では『魔法少女殺し』ヴェロニカ、と言った方がいいのかな」
「どれでもいいわ。同じ事よ」
「……僕は――君が君であるための手助けをしに、ここに来たんだ」
少しの間を置いて、マルクは言った。
「……分かっているのかしら? その意味するところを」
今度はヴェロニカが、たっぷりの沈黙のあと、言った。
「無論さ。もう、決断したんだ。僕はまた、君と一緒に戦いたい」
「……そう。『決断』、ね」
マルクは最敬礼をしたまま、彼女の返答を待つ。
ヴェロニカはマルクの言葉をかみしめるように繰り返したあと、深い蒼色の眼を伏せた。
それから数秒ほどうつむいて――少し寂しそうに笑った。
「あなたみたいなひと、私は好きよ」
◇
大量の氷雪を含んだ暴風が、真っ白な大地を吹き抜けてゆく。
今日の予報は、地吹雪だったかしら。ヴェロニカはぷうっと頬を膨らませたあと、風になぶられ乱れた髪を、そっと抑えた。
前方は吹雪に覆われて見えない。だが、彼女は二キロほど先に三つの魔力源を感知していた。
それらは互いに一定の間隔を保ったまま、こちらに接近してきている。
「くすくす。たったの三体でどうしようというのかしら」
ヴェロニカはひとしきり笑ったあと、なんとはなしに後ろを振り返った。
彼女より少し背の高い、太く育った樹氷が、背後に一本、目に入る。
ヴェロニカはそれを慈しむように眺めてから、言った。
「ありがとう、そしてさようなら。マルク大尉、あなた方のことは、決して忘れない。もっとも、忘れたくても忘れることなんてできないのだけれども」
ヴェロニカは手に持った分厚い本を開いた。
暴風にあおられ、ばらばらとページがめくられてゆく。
「――深淵の主アンラ・マンユに請う。その力を以てこの世の理を断ち切らん」
詠唱とともに、ヴェロニカの持つ本から大量の魔力が湧出を始める。
魔力はどんどんと虚空に放たれてゆき、大気全体がぼんやりと光を発し始める。
「――我と、我が軍勢に祝福を与え賜え」
やがて大気中の魔力が飽和点を迎え、火の粉の形をもって顕現する。
魔力の火はヴェロニカの上空、空を埋め尽くすほどの無数の魔方陣を描き出した。
「――我と彼の盟約は永遠なり」
魔方陣から、蒼く燃えさかる魔獣が、何体も、何体も、何体も――姿を現してゆく。
翼を生やし、鋭い牙と爪、長い尻尾。悪魔、ドラゴン、ワイバーン、ガーゴイル、あるいはグリフォン。伝説上の魔獣達がこの世に産み落とされてゆく。
やがて、七十七万七千七百七十七体全てが顕現し終わると、ヴェロニカは大きく天を仰いだ。少しだけ声が震えたが、詠唱を途切れさせることはできない。
「――その力を以て、我らが怨敵に――」
ヴェロニカのすぐ側を飛ぶ悪魔が、彼女に向けて敬礼をした。
その姿を確認した彼女は深くうなずいたあと、最後の呪文を口にする。
「――絶望を与え賜え」
魔獣達が咆吼が白い大地を揺るがす。
地獄の蓋は開かれたのだ。
ヴェロニカは薄く笑い、三体の魔法少女のために祈りを捧げた。
読了ありがとうございました!
お気に召したなら幸いです。
カクヨムにも同じのを掲載中。
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