Re;SOUL
人類は幽霊という不可視な存在を古くから信じてきた。しかし生き物―――とりわけ動物にしかそれが存在しないと決めつけるのは大変愚かで短絡的な思考である。
黒板の前で教師が話しているにも関わらず、そんな下らないことを考えながら窓の外を退屈そうに見つめているのは白石昇人だ。この春、特別偏差値が頭が高いというわけではないが低いというわけでもない、いわゆる中堅高校に入学したての一年生だ。高校に入学してから初めての定期テストが控えているけれど、新しい環境への期待値が大きすぎたからか、なかなか学校生活に馴染めずにいる彼にとってはテスト勉強など身が入るはずもない。
「えー、今日の授業はここまで。初回のテストしっかり頑張るように」
ほとんどの生徒は眠そうな声混じりにありがとうございましたー、と覇気のない挨拶を返した。午後の授業は誰しも眠いようである。
そんな中、ひときわはっきりとした声で挨拶を返す女子生徒が一人いた。彼女の名前は黒沼神奈である。誰とでも仲良く話す明るい性格、入学式では新入生代表で挨拶するほど成績優秀、さらには容姿端麗。一般的に見れば非の打ちどころがない好少女である。そんな彼女のことを何とも言えない目でボケっと見ながら昇人はノートやペンケースをバッグに突っ込んでいた。
「やめとけ、お前じゃ黒沼さんなんかと釣り合わねーよ」
「そんなんじゃねーよ」
昇人が機嫌悪そうにそう答えると、それを聞きながら不敵な笑みを浮かべたその男は判大地である。小学校、中学校と昇人と同じ学校のにさらに高校まで同じで、家も近所なので二人は嫌でも毎日顔を合わせている。否定しようのない腐れ縁だ。
「さっ、俺たちみたいな悲しき高校生は帰ってお勉強だぜ~」
そんな昇人たちを尻目に、教室の右後方の神奈の席の周りには人が群がって、「神奈ちゃん勉強教えて~」とか、「え~今日は帰っちゃうの~」とか、「神奈ちゃんスマホ持ってないから後で聞けないな~」とかいう、いかにも高校生のテスト前風な会話が聞こえてくる。黒沼神奈は今どきの高校生には珍しく、自分の携帯電話を持っていないようだ。
昇人は左後方の座席なので、ここ最近毎日この人の群れを避けて教室を出なければならない。その群れにこんな冷ややかな視線を送るのも、もう何日目だろうか。今日も昇人はそんな視線を送りつつ教室を出ていこうとしたとき、周りのその他大勢に少し困った様子で荷物を自分のバッグの中に詰めていた神奈と一瞬目が合い、昇人はきまり悪そうにすぐ目を逸らした。
昇人たちが教室を出てすぐ、後ろで神奈が「じゃあね!」と言って教室を飛び出していった。神奈は自分の身辺で、何かを探すような仕草を見せていた。
昇人と大地は高校まで自転車で通っている。
「いやー、やっぱ黒沼さんかわいいよなー。人間不平等だぜ」
普段と同じく大地はヘラヘラしながらそう言った。
「んー……まぁ確かに美人だよな」
「なんだよその心のこもってない返答は」
昇人はそんなこと興味ないと言わんばかりに、一応の返事をした。
あんな子とお付き合いしてみて~、と大地が不満気に、割と大きな声で言った。
「でもあいつ、黒沼神奈って、なんか他人と接するとき壁があるというか、そういうのあるよな」
「そうか? みんなに慕われるのは良いことじゃねーかよ」
「うん、それはそうだけど……」
「昇人、つまりお前はどんなこと考えてたんだ?」
昇人はうーん、と少し間をおいて、
「要するに、彼女なにか他の人に言えない秘密持ってそう」
と答えた。
「なるほどねー、さすが昇人だよ」
大地は美人には一つくらい人に言えない秘密があった方が魅力的、なんてことを付け加えて、またヘラヘラと昇人の少し前をこぎ続けた。
高校から一五分ほどのところに昇人の家はある。テスト前だが、昇人にはどんなに忙しくてもほぼ毎日欠かさない日課がある。それは心霊番組や動画を満足いくまで見ることである。彼は小さいころから心霊が好きで、好んで見ていた。その習性は高校生になったいまでも続き、毎日動画サイトで心霊動画を漁ったり、以前録画したテレビ番組を見返すのがほとんど日課のようになってしまった。
昇人は幽霊とか魂とか、見える人には見える概念に興味があるのだが、実際には一度も目にしたことがない。幽霊の正体を科学的に明らかにするというのは、昇人が小学校の高学年くらいからひそかに持っている、数少ない夢である。
そのため幽霊の正体を昇人なりに考えてみるのが、また彼の趣味の一つであった。小学生の時は、『幽霊○○説』を思案しては、大地にそれを話し、相槌を打ってもらうことで満足感を得ていた。話し相手が大地でなければすぐに飽きられていただろう。
今日も今日とてネットで心霊動画を見るのに夢中になっていたので、既に夕ご飯の時間が近づいてきていた。昇人は立ち上がり食卓のあるリビングに向かった。テスト前なのにまた時間を無駄にしてしまった、と思っているようだった。
「幽霊が見える」ということはどういうことか、それはいつも彼の頭の中で巡っている事だった。「見える人間」が見ようとして見えるものなのか、はたまた幽霊側からの干渉によって偶然視認できるのか、そうだとしたら幽霊からの干渉を受けやすい体質の人間が存在するのか。考えることはいくらでもできるけれど、一端の学生にはこんなオカルトじみたことを科学的に検証するなど色々な側面から見ても不可能だった。
夕ご飯を食べ終え勉強を始めようと再び昇人が自分の部屋に戻ってきた時、時刻は七時三〇分を指していた。
「少しはテスト勉強もしておかないと……ん?」
勉強を始めようとした昇人が、バッグの中から道具を取り出そうとした時、必要な教科書類を学校のロッカーに忘れてきたことに気が付いた。別に勉強できない事はあまり問題はないのだが、忘れ物を取りに行くという口実で夜の学校に行くことができるのだから、行かない手はない、と昇人は思ったのだろう。
自転車で片道一五分かかる、いつもより暗い道を昇人は高校に向かっていった。自転車をこいで忘れ物を取りに行く道中でも、彼は「見え」ないかということを期待しているようだった。
テスト期間ということもあり、普段ならまだ部活をやっている生徒が残っている可能性もあったが、学校には職員室の明かりだけが灯っていた。あの退屈な授業をする先生たちの中にもこんな時間まで仕事をしている人がいることを考慮すると、生徒たちの授業態度はいささかひどいものである。
昇人は直接教室のロッカーの忘れ物を取りに行くのではなく、なかなか体験できない夜の学校をふらついた。
そういえば、彼らの学校には夏期でも水泳の授業がない。昔から生徒たちの間では、このことに関して多くの噂がされている。まだ水泳の授業をしていた時代に、その授業中に事故死した生徒が出てしまったのが原因だとか、単に校舎の改装工事をした際にプールのスペースがなくなってしまったのが原因だとか、様々な憶測が飛び交っているが、真相はわからない。
でもこの学校には不可解な場所がある。学校の旧校舎に、地下に続いている階段が一つだけある。しかしなぜか、その階段を下りていくと明らかに後付けされたような板が壁となり、通路を塞ぎ行き止まりになっているのだ。ここにかつてプールがあったのではないかという噂も、もちろんある。
そんなこんなで少し校内を歩き回ってきた昇人は、満足気な様子で自分のロッカーの中から忘れ物を取り出すのを完了した。後は帰って少しの勉強をしなければならないのだ。
昇人が歩きだし、最初の角を曲がったそのとき、誰かと軽く接触した。角だし暗かったから見にくかったのだろう、しかしこんな時間に学校にいる生徒なんているはずがないのだ。
「え、白石くん……? こんな遅くになにやってるの?」
その声の主はなんと同じクラスの才色兼備ガール、黒沼神奈だった。長い髪の毛をポニーテールにし、ミニスカートになった制服のスカートの上からカーディガンを腰に巻き、上半身はブラウス一枚。女子高生としては標準装備だが、彼女のスタイルの良い肢体にはそれがまた映える。神奈は昼間のようにははは、と口元は笑っていたが、何か構えているような雰囲気を出している。
「黒沼さんこそ……俺と同じで忘れ物? スマホ、落としたよ」
「あ、どうもありがとう。うん、忘れ物しちゃったから取りに来たの。ははは」
昇人は心の中で彼女の秘密を暴きたいと考えていたことは言うまでもない。
「優秀な黒沼さんでも忘れ物なんてするんだね」
昇人は続けた。
「今日は急いで帰ってたみたいだけど、昼間は何かに追われていたのかな? 勉強以外でも大変なんだね」
神奈もまずいという顔をしながらも、必死にクラスでのキャラを崩すまいと言い訳を探しているように見えた。
「そ、そうなの! 昼間は少しバタバタしていて……てへへ」
「そうなのか。黒沼さんって携帯電話持っていないんだっけ?」
だんだんと神奈の顔から作り笑いが引いていく。
「う、うん……」
「もし持っていたら、みんな家にいても黒沼さんに勉強教えてもらえるのにね!」
ははは、と昇人はわざとらしく笑って聞かせた後、その笑いを突然遮って神奈に質問をした。
「あれ、でもさっきぶつかった時にスマホ、落としてたよね?」
「それは……」
昇人は必死に笑いそうになるのを堪えた。もはや神奈に弁解の余地はない。
「ははっ。黒沼さん、僕心霊動画とか見るのが好きで、幽霊に興味あるんだよね」
「へ、へー、そうなんだ……」
「黒沼さん、どこかで幽霊見かけたとか、そういう情報持ってたら教えてほしいんだ。僕も是非一度はこの目にその姿を焼きつけたい」
昇人はこの後に、普通の人ならこんな夜に学校まで忘れ物を取りに来たりしない、と加えて神奈を誘った。
「黒沼さんもこんな時間に学校にいるってことは、少しはそういうのに興味があるんでしょ?」
「興味があるっていうか……うん、あるって言うのかな」
彼女は少し迷った後でまた口を開いた。
「白石くん……私に協力してくれるなら私の秘密教えてもいいよ」
昇人は内心やったと思っていた。協力するかどうかなど話を聞いてから決めれば良いことなのだ。
「とりあえず話を聞かせてよ。僕もそこまで人に言えない黒沼さんの秘密を口外するほど性格悪くはないよ」
神奈も全く口外していない自分の秘密を人に話すことには、やはり後ろめたさがあるのか、しばらくの間沈黙が続いた。二人の周りの空間は、まだ初夏で生ぬるい空気で満たされていて、不快な感覚である。
「実は……私幽霊が見えるんだ」
神奈が、いかにも昇人が歓喜しそうな言葉をあらわにした。
「えっ!? それ本当!?」
昇人は考えるまでもなくその話に食いついた。
「うん、でも私は生まれながら『見える』人間ではないの。正確に言うと、ある機械を通して見ているの」
「え……? 幽霊って機械を通せば見えるの……?」
「もちろん特別な機械で、普通の人は持っていない。さっき白井くんとぶつかった時に落としたスマホ型の機械、実はあれを使うことで人間が幽霊を視認できるようになるわ」
頭の中で整理がつかないような顔をしている昇人を尻目に神奈は話を続けた。
「私みたいな、幽霊が見えるようになる特別なデバイス……私たちは『アニマアーク』と呼んでいるのだけど、これを持っている人たちのことを『アニマライザー』と言うわ。アニマライザーがこのアニマアークを所持しているのにはもちろん理由があるわ」
「理由……? その、黒沼さんたちみたいな人の役割はなんなんだ……?」
「そうね……私たちアニマライザーの役割を説明するには、まず幽霊と呼ばれるものの実態について話す必要があるわ。……白石くん、話に追いついてこれてる?」
「いまのところはなんとかな……相当ぶっ飛んだ話だけど」
昇人が興味を持って解明したいと思っている幽霊の実態について、こんな容易く知っている人間がこんなに近くにいるという事実に、昇人は興奮しているようだった。
「白石くんは、『エネルギーと質量の等価性』という話を知ってる? 物理の教科書なんかにも載っている話なんだけど……簡単に言うと、モノがこの世に存在するときには、必ずそこにエネルギーを伴う、っていう内容なの」
「まさか、幽霊の存在もエネルギーを伴うって言いたいのか……?」
昇人は恐る恐る質問してみた。
「話が早いわね、さすがはクラスの中でも頭のキレが良い白石くん。そう、幽霊……より正確に言うとその『魂』がこの世に留まっているときにも、必ずエネルギーを伴っているの。でもなぜ普通の人間に幽霊は見えないんだろうね? 物理的には、確かに存在してるはずなのに」
「……」
「幽霊の魂が持つエネルギーは、普段私たちが見ているモノの持つエネルギーと比べると、格段に小さいの。数字で表すと何桁も小さい。そんな微弱なエネルギーは、私たち人間の目や脳では感知できない、だから幽霊は見えないの。たまに『見え』てしまう人がいるけど、それは体内の微弱電流の持つエネルギーとか、そういうものと『共鳴』したときに偶然見えてしまった代物なの」
「……つまり幽霊は、物理的に世界に存在してはいるけど、人間の構造的に観測できないということ?」
「そうね、その認識で正解よ。そして現代の科学でも観測することは不可能よ。白石くん……あなたは幽霊と言われたらどんなものを想像する?」
「髪が長かったり……足がなくて浮いていたり……そういう類のものかな……」
「それが人間が古くから抱いてきた幽霊像であるのは事実ね。でもそれは実は大きな間違いなの。そもそも、幽霊が生き物、さしあたっては人間限定なんて、おこがましいと思ったことはない?」
昇人は呆気にとられた。まさか今日の昼間に考えていたことが……。
「それ……今日の授業中にふと考えてた……本当に幽霊って生き物にしかない概念なのかって」
「……白石くんは頭が良いと思っていたけど予想以上ね。そうよ、幽霊という概念は生き物にしかないわけじゃなくて、物にも幽霊というものは存在するの」
「やっぱり……そうなのか。自分が考えていた途方もないロマンに満ちた仮説が本当だったなんて変な気持ちだな」
「普通の人ならその仮説まで辿り着きさえしないよ。それで……このアニマアークを使って視認することができるのは、実は物の幽霊限定なの。白石くんは、なぜ既に死んでしまった生き物や物の魂がこの世に留まり続けていると思う?」
神奈に問われた昇人だが、もうこのとき昇人には、神奈の話が真実だと信じ込んでいた。もちろん彼女の言葉の内容に偽りはない。
「うーん……単純な考えだが、生前の怨念とか、そういうものなのか……?」
「その通りよ。生前ひどい扱いを受けたり、無様な最期を遂げた生き物や物は、死んで魂になった時にこの世への怨念から、魂が留まりやすいの。逆に生前良い扱いを受けていたり、充実していた生き物や物が死んだときは、魂はしっかり向こうの世界へ旅立つわ。これが俗にいう『成仏』ね」
「そうか……怨念のこもったかわいそうな魂たちがこの世で彷徨っているんだな……」
「もちろん例外もあるわ。例えば生前にどうしても伝えたかったことを伝えられなかったりした場合も、この世への未練から魂が留まってしまったりするわ。でもこういう魂は全く害はないの」
「害……? 悪い魂は何か人間にも悪い影響を及ぼすのか?」
「そうなの、生き物の幽霊はあまりないんだけど、こういうものは物の幽霊に多いの。例えば突発的に起こる、要するに人為的じゃない火災なんかは火系統の魂が引き起こしたっていう場合があるわ」
神奈は間髪を入れず、そして、とさらに話を続けた。
「そういうことを防ぐために、この世界に留まってしまった魂たちを成仏してあの世へ送り届けてあげるのが、私たちアニマライザーの役割」
「なるほど……そういうことだったのか……」
昇人はここまでの話をすべて理解し、すべてを納得した。
「そうね……ここから先は実際に見てもらった方が早いかも。白石くん、ちょっと私に付いてきて」
そう神奈に言われた昇人は、黙って後ろを付いていったが、これから何が行われようとしているかは彼にはわからない。しかし、神奈の話を聞いて、それは余りにも現実離れした内容だったにも関わらず、妙に信憑性がある話し口だったので、それが事実なのか昇人は自分自身の目で確かめたいという奇妙な好奇心に満ち溢れていたので、付いていかざるを得なかった。
「おっと……早速いたわ」
そこは昇人たちの教室から少し歩いた、学校のゴミ捨て場の付近だった。
「いたって……もしかして幽霊の魂が!?」
「そうよ。白石くん、ちょっとアニマアークの画面を見てて」
そう言って、神奈は、夜の貴重なシチュエーションの学校を、アニマアークの画面から眺めつつ、その画面のある箇所をタッチした。
すると、その瞬間“analyzing”の文字が光る画面に浮かび上がり、神奈の持つ得体のしれない機械は何かを探索しているようだった。浮かび上がった文字を真剣に見ていたので、昇人はとても無防備な状態だった。
しばらく、といっても数秒だっただろうが、“analyzing”の文字が“refrigerator”に変わり、画面の中に映し出されている学校の映像の中に、突如一つの人魂のような光が表示された。
「わかる? この人魂みたいな光がこの世に留まった魂よ。これは……調理室かどこかで用済みになった冷蔵庫の魂かしら?」
「魂って……こんな形をしてるのか……」
人間が想像する魂の形と、そう離れていない格好に、ある一種の遺憾さを昇人は覚えた。
「それで、この魂はどうしたら成仏できるんだ……?」
「そうね、まずはこの魂をアニマアークに保存して所有する必要があるわ。ちょっと見ててね」
そう言って、神奈は画面に映った人魂のような光の上をタッチすると、今度は浮き上がる文字が“capture”に変化した。神奈と昇人は一緒にその文字を凝視し、程なくして今度はその文字が“complete”に変わった。
「成功よ。この冷蔵庫の魂は私のアニマアークに保存された」
「これで完了か? アニマライザーも意外と楽なもんだな」
お気楽そうにそう言った昇人の言葉とは裏腹に、神奈は真剣な顔で続けた。
「この魂を成仏させてあげるにはここからが本番よ。大体、こんな風におとなしくキャプチャーされてくれる魂なんてほんの一部」
「もうこの時点で成仏完了じゃないのか……?」
「まだ全然よ。今回はたまたま簡単にキャプチャーできたけど、いつもそうはいかない。凶暴な魂たちもたくさんいるわ」
「そういう暴れ狂う魂も、キャプチャーしないといけないんだよな?」
「それは当然。そういう凶暴な魂をキャプチャーしたいときには、まずその魂と戦闘をして、その魂が潜在的に持っている力『霊力』を弱める必要があるの」
「そうなのか……でもアニマライザーとはいえ、人間が幽霊の魂に干渉して弱らせることは物理的に不可能なんじゃないのか?」
「白石くん……なんのために魂をキャプチャーするのかしらね?」
「! そういうことか……!」
「そう、アニマアークの中にある、キャプチャー済みの魂を利用して戦闘するの。それも……戦えるのはその魂を利用したアニマライザー自身なの」
「やっぱり、アニマライザーも自分の身体を使わなければいけないんだな……戦闘をする際のルールはどうなっているんだ?」
昇人は、ここまで見せられたらもう神奈の話が嘘であると疑う余地はなかった。いまは、アニマライザーと魂の関係の方に既に興味が湧いている。これを利用すれば昇人自身の目的にも近づけるかもしれないのだから。
「アニマライザーはキャプチャーした魂の霊力を纏って戦闘することになるの。でも一度の戦闘……いや、一度の干渉体への換装で使うことのできる霊力には上限があって……」
「何度か魂との戦闘を繰り返して、アニマアーク内にキャプチャーし、戦闘に利用した魂の霊力がゼロになれば成仏か?」
「ご名答、その通りよ。生前のやるせない意志でこの世に留まってしまった魂の、もて余った霊力を私たちアニマライザーが消費しきってあげるの」
昇人はアニマライザーと魂の関係をほとんどすべて理解したようだった。もはや次元の違う話であるのに、彼が理解に苦しむような素振りは一度も見せなかった。
「アニマアーク内にキャプチャーしてある魂の残霊力はこんな風に表示されているわ」
そう言って神奈はアニマアークの画面を再び昇人に見せた。先ほどキャプチャーしたばかりの“refrigerator”の横には一〇〇%の文字が見える。他には“lighter”という魂の横には七四%の表示が、“wall”の横には四一%の表示が、どうやら神奈は他にも多くの魂をキャプチャーして保持しているようだ。
「大体一回の換装でどれくらいの霊力を消費するんだ?」
「そうね……使用者によっても違うけれど、二〇%から三〇%くらいかしら」
「なるほど、同一の魂は多くて四、五回ほど使えば成仏か……」
「もちろん、たくさんの霊力を使って干渉体を生成した方が能力は強くなるんだけど……」
「やはりリスクが?」
「これも使用者による個人差があるけれど、約五〇%以上で出力してしまうと、使用者が……耐え切れずに魂になってしまう恐れがあるわ」
やはり科学、そして人智を超えたものを扱っているのだから、それなりにリスクもあるようだ。さっき神奈が昇人に頼んだ協力に応じるには、恐らく昇人もこの得体の知れない機械を手にしてアニマライザーになることは避けられないだろう。
「なるほどな……」
昇人は神奈とそんな会話をしている間、ずっとそのアニマアークをいじりながら眺めていた。
すると突然、昇人の持っていたアニマアークから大きな警告音が発せられた。
「ちょっと白石くん返して!」
神奈はいかにも焦った様子で昇人からアニマアークを取り上げ、画面を凝視した。
「なにかあったのか!?」
「こんなときにこんなでかいやつが……! この警告音は近くに凶悪な魂が表れたっていう警告よ、すぐに向かわなきゃ!」
神奈は走り出した。その方向は学校の旧校舎がある方角だ。
「白石くんは危ないから付いてこないですぐに帰って! ここは私がなんとかしなきゃいけないから!」
「お、おう……わかった、気をつけろよ」
神奈の忠告を表向けでは承諾したが、昇人がこんな状況で、あんな話を聞いた後に忠告を聞くはずがない。昇人は神奈に気付かれないように細心の注意を払いながらその後を追った。昇人の心臓は知らず知らずのうちに飛び跳ねていた。
神奈の行く先にはやはり旧校舎があった。旧校舎と言えば生徒が噂する、昔プールが設置されていた場所だ。昇人はこの凶悪な魂の正体に感づいていた。
凶悪な魂はこちらの世界にも影響を及ぼすらしいが具体的にはどうなるのだろうか。プールだから川が氾濫するとか? この時期だし、水遊びするような子はいないだろうし、このあたりに目ぼしい川なんかはないから何が起こるのかも気になる。乾いた生ぬるい空気は外に出るといっそう身体にまとわりつく。
神奈はさっきやったように、アニマアーク越しに旧校舎のある箇所をタッチする。なんの魂なのか気になるが近づいて気付かれるわけにはいかないから、昇人は引き続き神奈の様子を物陰から観察し続ける。
ソウルプレイヤーの“analyzing”が終了したのだろうか。しばらくして神奈の顔色が明らかに変わった。
「“pool”……? この異常な数値はなに……?」
すると突然、神奈の身体の自由が奪われ、彼女の顔には苦悶の色が浮かんだ。見えない何かが神奈の身体を束縛しているようだ。昇人の頭には出て行って助けた方が良いのではないかという考えが浮かんだが、それはやはり一瞬にして却下された。まだ様子を見ていたいし、アニマライザーの戦闘を観戦できる超貴重なチャンスなのだから。
「こいつは……やるしかないみたいね……!」
その神奈の声と意志に呼応するよう彼女の手の中にあるアニマアークの画面が光りだした。周囲の空間の雰囲気はこの世のものとはかけ離れており、この世界に足を踏み入れてしまいそうになっている昇人に対して疑念の感情を持たせるのに、それは十分だった。
「使用者の霊体を認証。出力する魂の任意選択、干渉体への換装準備完了」
アニマアークから機械音にしては流暢な言葉が発せられる。彼女の気合も禍々しく感じられる。
「おおおおおおお!!」
幽霊の魂やアニマライザーの使う力が現実世界に影響を与えないという話が嘘なのではないか思えるほど、辺りはピリピリしている。いや、強大な力は影響を及ぼすこともあるんだったか、と昇人は思い出したりもした。そんなことに思案を巡らせる中、神奈はある言葉を叫んだ。
「リ……ソウル!!」
恐らくあれが換装の鍵となる掛け声なんだろう。神奈のその掛け声とともに魂に干渉できる身体への換装は終わったようだ。彼女の姿には、見たところ変わりはないのだが。
何かを避けながら神奈は見えない魂との距離を詰めていく。彼女のアニマライザーとしてのキャリアは知らないが、素人目には凄まじい動きをしているのは確かである。避けた部分はかすかに湿っているようにも見えた。水の塊のようなものが飛んできているのだろうか。
「いつまでもこっちの世界に残ってんじゃない! 私があっちにきっちり送り返してやる!」
そう言いながら神奈は空に舞うと、大気以外何もないように見える空中に拳を握って殴りかかるような仕草をした。あれを一人でやっているのだとしたら相当痛いし、やはり何かと交戦しているようだ。
昇人が呆然とその様子を眺めていると、突然昇人の足元のコンクリートが疼き始めた。
「ちょ……何が起こってるんだよ……!?」
その声と、昇人足元の地面の違和感に、はっと神奈は音のする方、すなわち昇人の方に振り向いた。
「やっぱり追いかけてきてたのね! 危ないから戻ってって言ったじゃない!」
やがて足元から水が溢れ出してきた。どうやらコンクリートの地面が崩壊したのは、地中の水道管が破裂したのが原因のようだ。
「まずいわね、もうこっちの世界にも干渉し始めてるわ……」
「“pool”だから……近くの水を巻き込んでいるのか……?」
そう会話をしている間にも、あっという間に昇人の足元から湧き出ている水は大きな塊となり、なんと空中に浮遊しだした。
「早く逃げて! こいつは思ったより相当危険よ!」
昇人はさすがに恐ろしくなって、神奈と浮遊する水塊に背を向けておろおろと逃げ出した。
ゴッ!
空気を切り裂く音とともに、あろうことかふわふわと宙に浮いていた水塊は昇人めがけて一直線に襲ってきた。
「やばい……! こんなところについてきた俺が馬鹿だった……」
「未関係の人間を狙うとは良い感じに凶悪な亡霊ね!」
神奈は走って逃げている昇人を守ろうと、飛来する巨大な水塊の前に立ちふさがった。
「おい、黒沼お前も危な……」
「凍れ!!」
裂帛の気合こもったその一声とともに、飛んでくる水塊は刹那にして氷塊と化して地面に落ち、バラバラに砕け散った。自分を襲う恐怖から解き放たれたことで昇人は安堵してしまった。
「ふぅ……良かったわね、助かって」
「あ、ああ……ありがとうな」
「さて多少霊力も弱まっているだろうし、あとはアニマアークにキャプチャーしておしまいだわ」
昇人たちはもといた場所から十数メートルほど離れてしまっていたので、既に干渉体の換装を解除したのだろうか、神奈は魂をキャプチャーしようとすたすたと歩いていった。
「さて、おとなしく私のアニマアークに入ってもらうわよ」
そう言いながら、神奈が水道管が破裂して崩れた地面にできた水たまりの横を通り過ぎようとした時だった。
その水が不意に、まるで触手のように不気味に動き出した。完全に虚をつかれた神奈はそのムチのように動く触手に身体の自由を奪われてしまった。
「くっ……まだ十分に弱ってなかったのね……息が……」
顔も水の触手の覆われてしまった神奈はとても苦しそうに悶絶している。
「おい! 大丈夫か!」
たまらず昇人は捕らわれた神奈の方に走り出していた。
「白石くんは……逃げて、危ない……わ……」
「でもさっきの借りがある! いくら俺が普通の人間でお前が特別な力を扱えようと助けられた借りは借りだ!」
そう叫ぶと、昇人は意を決したように捕らわれている神奈の手の中からアニマアークを奪い取った。
「ちょっと白石くん……何……するつもり……? やめな……さい」
「こう……だよな?」
アニマアークの画面がついさっきの、神奈のときと同じように光りだし、機械音を発する。
「使用者の霊体を認証。出力する魂の自動選択、干渉体への換装準備完了」
「そうか……選ばなければこいつが出力する魂を自動で選んでくれるのか」
「白石くんダメよ! それは素人に扱える代物じゃないわ!」
「へへ……行くぜ……!」
いまさら昇人に食い下がることなどできない。そして昇人は叫んだ。
「リソウルッ!!」
次の瞬間昇人の目の前にはさっき飛んできたものとは比べ物にならない大きさの水塊(正確に言えばプールの魂)が蠢いていた。
「そうか……あれを使うとこんな感じに見えるのか……」
さっきまで神奈はこんなものを相手にしていたのか……。なぜこいつがこの世界に留まってしまったのかはわからない。しかしいま昇人がしなければいけないことは、これをアニマアークの中に放り込むことだ。
「いくぜ、俺に少し力を貸してくれ“lighter”!」
アニマアークが自動選択したのは、“pool”の水塊には明らかに分の悪い“lighter”の魂だった。
「なんで……あの魂が……」
神奈は意に反しながらも昇人を巻き込んでしまったことに大きな責任を感じていたが、彼女は見ている事しかできないどころか、だんだんと意識が遠のいてゆく。
そんな昇人に構うこともなく、容赦なく多数の水塊が再び昇人に襲い掛かる。
「多少は身体能力も強化されてる……はずだよなぁ!?」
干渉体は生身より、少し身体能力も強化される。攻撃を受けても痛くなかったり、より跳べるようになったり、物理的なパワーが強化されたり、ということだ。生身でさっきの神奈のような人間離れした動きはさすがに無理だろう。
その強化した身体能力のお陰で激しく飛び交う水球を容易く避ける。
しかし間を開けずに今度はその水球に加えて神奈を束縛しているようなムチが襲ってくる。水のムチは動きが読めない上に消滅しない。
「厄介だな……」
近づいて一撃加えたい昇人だが、なかなか近づけない。そもそもなぜ炎系統の魂が選択されたのかが謎である。
「でも火で水に勝つには一つしかないよな……!」
昇人は自分の掌に念を込めると、拳に炎が灯った。能力も使っている本人にしか視認不可能なようだ。
「こいつで水を蒸発させながら近づく!」
昇人は水球やムチの発生源である巨大な水塊に向かって、一直線に走り出した。襲い来るそれらをひらりと上手くかわし、時には炎で蒸発させながらどんどん進撃していく。
(白石くん……あの水をすべて蒸発させつつ進んでいる……? 属性的には不利なはずなのに、あんなの潜在的な霊力が相当な量ないと無理だわ、もしかしたら彼は逸材なのかも……)
神奈をも驚かすほど上手く魂の力を借りつつ、ようやくあと少しで親玉に手が届きそうだ。
しかし、この未知の力を使いながらの疾走は、素人の昇人を困憊させるのは十分だった。
「ちくしょう……あいつ底なしかよ……」
あと少しの距離を、水球とムチを避けつつ走る昇人は、やはり当初の勢いはなかった。その隙を見逃さなかったかのように、幾本もの、太い水のムチが彼を取り囲んでしまった。
「白石くん! それは物理的な水ではないから換装を解除すれば私のように捕らえられることはないわ! 早く解除するのよ!」
昇人はその声が届いていないのか、みるみるうちにそれらによって身体の自由を奪われ、神奈のように水の檻に閉じ込められてしまった。
「終わった……」
神奈はもう観念した。魂との交戦に敗れたとしても、命を落とすとか、そういうことはない。神奈のように物理的なものに縛られてしまっているのなら話は別だが、少なくとも昇人が命を落とすようなことはない。巻き込んだ彼女としては、それだけでもまだ良かった。
(私はここで息ができなくなって死ぬのね……)
神奈が諦めかけた。しかし、昇人の計算通りであった。
昇人の身体からとてつもなく強大な炎が発せられ、そして瞬く間に昇人を包んでいた水の檻はすべて蒸発し、消滅してしまった。
「お前は……俺が責任持ってあっちの世界まで送ってやるからな」
アニマアークに浮かぶ“capture”の文字が“complete”に、そっと変わった。
物理的な水に捕らえられていた神奈も、“pool”がアニマアークにキャプチャーされたことによって解放された。
「白石くん……あなた……」
「助けてもらった代わりに、黒沼さんのことも助けただけだよ」
「それにしても……あいつはいままで戦闘してきた魂の中でも強力なやつだった。それを初めてアニマアークを使った白石くんが……」
「……そうなのか」
昇人はなんと返せば良いのかわからず、適当な相槌を打った。
「うん、決めたわ」
「な、なにを?」
「さっき、私に協力してくれるっていう条件で幽霊の正体を話したの、覚えてる?」
「ああ、そうだったな……」
すっかり忘れていたなんて言えない。
「そのアニマアークを使って……私と一緒にアニマライザーになってほしい……! それだけの霊力を持っているなら、私に協力してほしい!」
やはり神奈自身も危険なのは承知のようで、やや後ろめたそうにそう昇人に頼んだ。
「黒沼さんの……目的は?」
万が一それが太刀の悪い野望だったりしたら困るので、昇人は恐る恐る尋ねてみた。
「私の目的は……アニマライザーとして経験を積んで、いまは物の魂しか扱えないけど、生き物の魂まで扱えるアニマアークを……」
さらに神奈は少し間を開けて続けた。
「そして……この世界の、絶対にどこかを漂っているはずなの。私の父の魂が」
「なるほど、そういうことか……」
しかし昇人には一つだけ引っかかることがあった。
「でもこれを俺に渡したら、もうこの力は使えなくなっちゃうんじゃない?」
「それは心配ないわ」
そう言って神奈は羽織っているパーカーのポケットからもう一つ似た機械を取り出した。
「これは父の使っていたアニマアークよ。私はこれがあるから」
少し切なそうな顔をした神奈だったが、すぐにいつもの凛とした顔に戻った。神奈がこんな顔をすることもあるのかと、昇人は多少驚いた。
「だから! 改めてお願いする! 私に協力して!」
「わかった、俺もこれを使ってアニマライザーになる」
「ほんと!?」
「これは、さっきこのアニマライザーを貸してくれた借りとしてね」
借りなんて本当は出まかせだった。神奈の目的にも昇人は恐らく興味がないだろう。しかしこれで昇人は昔から抱いている密かな夢に一歩近づいた。
さっき死にかけたにも関わらず、好奇心には敵わない、と昇人はつくづく思い、雲のない夜の空を見上げた。
初めまして、初投稿です。おにぎりと申します。大学生になってから小説を書き始め、このRe;SOUlが第一作目です。拙い文章ではあると思いますが、改善点などどんどんと指摘してくださるとうれしいです。よろしくお願いします!