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何とも言えない奇妙な膠着状態を破り、先に口を開いたのはペンギンだった。
「……失敬、私の顔に何か付いているかな?」
姿に見合わぬ落ち着いた声色と口調で、彼は尋ねてくる。別に因縁を付けているわけでもなく、純粋に疑問なようだった。
「あ、いえ……その……お気になさらず」
その老成した雰囲気に俺は思わず気圧され、敬語になってしまった。……ペンギン相手なのに!
「ふむ、そうか……いや、紳士たるもの、身だしなみが整っていなくては話にならないからね。率直に指摘してくれる人がいると大変助かるのだ」
そう言うと、彼は鞄から几帳面に折りたたまれた新聞紙を取り出す。そして翼で器用に広げると、興味深そうにそれに目を通し始めた。
(新聞読んでいる……ペンギンが!)
俺は驚きの連続で、言葉を失っていた。新聞を読んでいる以前にペンギンが言葉を話している時点でびっくりするべきなのかもしれないが、俺の神経はそう言ったまともな感性を一時的に失っていたらしい。
ポカンと口を開ける俺を余所に、ペンギンは懐(どこだよ)から取り出した眼鏡をかけつつ、パラリと新聞をめくる。……あの眼鏡、弦の部分どうなっているんだろう。
「なるほど……選挙に、戦争……新商品の開発にスポーツ……実に結構なことだ。素晴らしく皆頑張っているな」
ペンギンは何やら嬉しそうだった。
「あ、あの……」
「ん? 何かね?」
ペンギンは新聞から顔を上げる。
「あなた……ペンギンですよね?」
考えなしに聞いてから、俺はしまった、と思った。例えば、俺が初対面の相手からいきなり「お前は人間か?」などと聞かれたら絶対にムッとするだろう。確かに彼は見た目ペンギン以外の何物でもないが、だからと言って紳士的な言動を崩さない彼に不躾な疑問をぶつけていい道理はない。
しかし、ペンギンは俺の無礼さなどまるで気にしていないようだった。
「いかにも。私こそ誇り高き肯定ペンギンの一族だ」
「コ……コウテイペンギン?」
俺がオウム返しに口にすると、なぜかペンギンは翼をピッピと振って訂正した。
「ノンノン……君が言っているのは、いわゆるエンペラーペンギン……またいとこのコウテイペンギンのことだろう? 私は、肯定ペンギン。肯じて、定めるペンギンだ」
「は、はぁ……」
俺にはペンギンが何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
「出身は南極。種族はペンギン。仕事は他人を肯定すること。あ、名刺はいるかね?」
「これは……どうもご丁寧に……」
ペンギンが差し出した名刺を、中腰になって思わず受け取る。
その名刺には、『南極一番地 肯定ペンギン』とだけ記されていた。
(……駄洒落かよ!)
衝動に任せて名刺を床に叩き付けたくなったが、何とか我慢して席に戻る。ちょっと会話をしただけだが、なぜか酷くぐったりしてしまった。
「お疲れかね? 南極名物南極飴はいかがかな? 故郷を思い出すスッキリした冷たさだよ」
「……いただきます」
やぶれかぶれな気分で、ペンギンの翼から飴の包みを受け取る。なんで南極名物が飴なのか、なんてことを気にしている余裕もなかった。
飴を口に含むと、確かに彼の言う通りスッキリとした清涼感と爽やかな甘さが口いっぱいに広がる。
要するに……ただののど飴だった。
(…………)
もう、俺は何も考えられなくなっていた。酷い悪ふざけか何かかとも思ったが、しがないフリーターにそんなものを仕掛ける理由もわからない。それに、飴を受け取る時に触れた翼は間違いなく血の通った生物のそれだった。精巧なロボットだったりということもないだろう。
電車は俺とペンギンを乗せて、次の駅へと滑り込む。俺の降りる駅ではない。ペンギンも、降りる支度はしていなかった。まだまだこの奇妙な2人旅は続くのだろう。
『次は~東桜井~東桜井~』
いつも通りの乗降案内が、俺にはなぜか酷く滑稽に聞こえた。