Chariot
いかにも古めかしい、鉄同士が打ち付け合うような呼び鈴に、カレン・スティアレットは意識を引き戻された。
酷く深い夢を見ていたような心地がするが……二三回瞳を瞬かせて、深呼吸を、新鮮な酸素を取り入れた。
「はい、こちらレーデ五番街、アテナ通り……〝万屋〟」
座っているデスク、脇に追いやられるようにあった黒電話を白く綺麗な手がとった。塗装も所々剥げて、良く言えば年季が入っているが、それでもみすぼらしさが目立つ代物だ。
『やぁ、スティアレット嬢。元気か。今日は良い天気だ、こういう穏やかな日は実に気分が良くなるだろう』
深紅の瞳は、暫しあてもなく宙を眺めていたが、取り直したように一点を注視した。やがて、長い睫毛と、美しい二重瞼がそっと閉じられる。
「あら……カルロスさん。何かご用? 」
『おっと、随分と不機嫌そうだな……さては彼氏の腰使いに欲求不満だな。いや、それとも最中だったのか。掛け直そうか? 』
まだ15歳の彼女だが、ジョークに受け流す余裕は持ち合わせていた。
桃色の少しウェーブがかった綺麗な髪を、そっと手で弄んで口元を緩め。赤いチェク柄のスカートの裾を直して、小さく咳払いを一つ。
「女性に対する態度を、叔父様から習わなかったのかしら」
『これは失礼をした、何分実に気分が良いもんでな』
肩にかからない程度のセミロングの髪を、サッと撫でつける。
左側の前髪を、編み込みのようにして後ろ髪へ。十字架のようなヘアピンを三本ばかり光っている。右側の前髪はそのまま流れるように伸びていた。
『ところで、エリオットは元気か?今度顔見せてくれって── 』
「前置きはいいわ、仕事の話でしょう? 」
『やれやれ……そうせっかちな所は父親そっくりだな。まぁ、いい』
カレンはそっと、室内を見回した。
12畳程度の部屋には彼女以外に人の気配がない。ソファーには枕が一つ、中央にはテーブルが一つ。向かいのブラウン菅テレビは静かに沈黙している。
『お嬢アンタ、桃源郷……って店は知ってるかい』
カレンが電話を切ると同時に、部屋へ1人の男が入って来た。黒いズボンとは対照的に上半身は裸、黄色の肌が露わに。水のしたたる濡れた黒髪をタオルで拭いていた。
「…………」
細身ながら筋肉質な体格で腹筋も綺麗に割れている。壁に掛けてあったワイシャツを乱雑に羽織り、ボタンを閉めた。
20代後半くらいか、琥珀色の瞳が何かを探すように宙を彷徨っていたが、オフィスのテーブルで止まった。
「エル、丁度良かったわ。仕事よ」
「………」
カレンは手元の資料に目を向けたまま、そう口にする。が、男は聞いていないのかスタスタと素通りして、そのままソファーに腰を降ろした。手に持っていたカップ麺を置いて、一息。
「内容は……最近目立ってきたお店の〝撤去〟」
「…………」
「業績の異様な伸びと比例するきな臭い事件……少しオイタが過ぎたみたいね。多分この件には──」
男はカップ麺の蓋を開くと、箸置きから一つ拝借。そのまま両手を合わせて、割り箸をパキッと……した所でいきなり胸倉を掴まれた。見れば、優雅にガンを飛ばすカレンが目の前に。
「エリオット・ノーリッジさん?ガン無視とは良い度胸ね」
張り付いた笑顔には青筋が浮かんでいる。せっかくの可愛い顔が台無しだな、と男はぼんやり思った。と思えば更に強く引き寄せられた。
「アンタねぇ……その顔にもう一つ新しい穴開けたげましょうか?ん? 」
さながらチンピラのごとく。
テーブルにあった果物ナイフを掴んで右目に突き付けるカレン。流石に落ち着け。ギリギリでそれを押し留めて、何とか鎮火させるように首を振る男。
「はぁ……」
呆れたように手を放すと、カレンは胸元のリボンを直して、白いシャツを払った。
エリオットと呼ばれた男も頭を掻きながら立ち上がる。二人を比べてみると、カレンの方が頭二つ分も小さい。
渋々といった具合に、彼はおもむろに口を開いた。
「……夜襲? 」
「えぇ、夜にこそ輝く桃源郷でしょ」
輝くの意味が違うがな。口元を緩めるカレンに対して、肩を竦めるだけの反応を返す。
「それより、今朝の依頼はどうなった?ちゃんと見つかったの、ペンダント」
「ん」
ポケットからそっと取り出したのはハンカチに包まれた、銀色のペンダントだった。ロケット
「どこにあったの? 」
「一番街の水路」
「きっと、落として流れてしまったのね……形見らしいから、見つかって良かった。悪いけど、彼女に届けてあげて」
「あぁ」
エリオットはまた丁寧にペンダントを包み、優しくズボンのポケットにしまった。それを見届けて、カレンはデスクに戻ろうとするが何かを思い出したように口を開いた。
「あ、エル。これはボランティアよ、くれぐれも報酬なんて貰ってきたら───」
振り返ると、部屋にはもう誰もいない。ただ開け放たれた窓からは、柔らかい風かレースのカーテンを揺らしているのみだった。
「あー、あの男はホントに……」
叫び出したくなるのを何とか堪え、カレンは疲れたように机へと戻った。
屋根から屋根へ、壁を蹴っては隣の建物へ。薄汚れた壁伝っては、割れかけたレンガの屋根を飛び抜ける。
さながら空を駆けるように、エリオットの身のこなしは軽々しくいとも容易い。
今日はよく晴れていた。太陽が燦燦と輝いて、風は心地よい潮の香りと共に鼻孔をくすぐった。彼はこの匂いが好きだった。この気温とこの空気が好きだった。おのずと軽くなる足は、目的地を忘れるなと注意しなければどこまでも走っていってしまいそうだった。
「…………」
五番街の南に駆けると、次第に白く広がって来たのは二番街の景観だ。白壁造りの一軒家がズラリと、海岸まで伸びているこの景色は壮観の一言に尽きる。
平和を体現したかのような街並みを、先程までとは打って変わって大人しく移動するエリオット。屋根伝いの移動から、地面に降りてゆったりと歩く。
丁寧に白塗りされた石道は、巡礼者の聖路ともいうべき清らかな体を成していた。降り注ぐ太陽光が反射しているから、余計に神聖に見える。荒々しく場所によっては、舗装もままなっていない、五番街の道とは大違いだ。
人通りの多い大通りに出る。車が走り抜け、賑わいが彼を包み込んだ。楽しそうな笑い声や食べ物の匂い。色の付いた空気だった。
何人か、前を通り過ぎた者が汚らわしそうな視線を彼に寄越した。中には露骨に舌打ちをする者もいた。が、そんなことには一切構わずに、エリオットは変わらぬ足取りで目的地へと歩いた。
「あらまぁ、これはお父さんから貰ったペンダント……」
「ん」
住宅地の中でも比較的小さな一軒家。その中から姿を現したお婆さんだ。エリオットがポケットからロケットを取り出すと、彼女は驚いたように、だがすぐに涙を浮かべて受け取った。
「ありがとうねぇ、本当に……ありがとう。見つけてくれて……」
見つかって良かった。しかし、そう口にはせずに、頷くだけにとどめておいた。老婆は何度か優しくロケットを撫でると、穏やかな顔を彼に向けてくれた。
「本当にありがとう……これは、少ないけれどお礼です」
差し出されたのはお札だ。エリオットは、しかし首を振って受け取りを拒否する。別にお金を受け取る義理はないと、
「そんな事を言わないで……こんなことしか出来ないけれど、気持ちですから」
エリオットは、咄嗟に右腕を持ち上げた。捲られたシャツから覗くのは、彼の黄色の肌と……刺青だった。統一性がなく、蛇のような、酷く不気味で歪なデザインだ。
そして、彼はその琥珀色の瞳で訴えかける。
──俺は異端者だ、と。
しかし、老婆はそんな事には全く構わないといった調子でおもむろに首を振ってみせた。
「関係ありませんよ……私達は同じ人間です。遺伝子をいじられても無くても、同じ人間なのだから」
「………」
驚いたのはエリオットの方だった。変わらぬ態度の老婆から、そっと手渡されるお礼を暫く見つめていたが。
「……だったら」
「? 」
「孤児院の方へ、寄付して下さい」
きょとんと、老婆は目を丸くしてみせたが、やがて相好を崩してみせた。必ず寄付しますね、と優しく笑顔を浮かべる彼女に一礼をして、エリオットは立ち去った。
一刻も早くこの付近から離れたい、足は先ほどよりも速まっていた。
「あ、おーい!エリオっちゃん! 」
五番街の屋根を走っている時だった。
タンッ、と反対方向へ軽く蹴り出して、声のした方向へと飛び降りる。
「よっ、相変わらず走り回ってんね! 」
『PAJESTA』という店の前で、声をかけてきたのは赤いバンダナを目深に巻いた男だ。親しみやすい調子で、エリオットの肩に手をかけた。
「どう?上等な酒が入ったんだけど、一杯やってかない?」
「残念だけど、仕事中」
「だーっ、もうつれねぇなぁ。良いじゃんかよぉ、ちーとばかし骨休めしたってバチは当たらんと思うぜ?何より、俺とエリオッちゃんの仲でしょ」
まぁ言わんとしてることは分からんでもない。と満更でも無さそうな表情になるものの、すぐに振りかぶった。そして、そのまま右手で銃の形を作ってみせた。
「あーっと、お嬢にしばかれんのは勘弁かなぁ。俺も長生きしたいしさ……身体に風穴を開けられたら洒落にならんし」
「全く」
「はっはっ、まぁ飲むのはまた今度ってことで……いやそれよか、コントラクターさん用に聞いて欲しい話があってさ」
そう言うと、バンダナの男、リオ・クレベックは耳を寄せるようにジェスチャーをしてみせた。
(最近、トレーダーの若い女が失踪してるのは知ってるだろ)
(あぁ)
(どうも、失踪じゃなくて誘拐らしい。さっきウチの店に来たお母さんがな、娘が行方不明だって取り乱しててよ)
(アンチ連中の仕業か? )
(いや、どうだろうな……ただ、お母さんの話じゃ家出なんてする娘じゃなかったってよ。この間のアンおばさんの娘さんの件もある、こいつは失踪じゃねぇ)
バンダナの奥の目がギラリと光る。怒り、というよりは哀しみの方が強いような表情を一瞬みせた。
「つーわけだ、多分もうお前さんらには依頼がいってる案件かも分からねぇが……探してやってくれねぇか」
「……」
リオが向けた視線の先には、恐らく泣き疲れたのだろう、グッタリとカウンターに突っ伏した女性の姿があった。まだ小刻みに震えているようで、バーにいる店員も気の毒そうに様子を伺っている。
「あぁ」
五番街は海に面したレーデ市の中でも異質な存在だ。市が誇る、白く清らかで麗らかな街並みに全く似つかわしくない、煩く醜く荒々しく、いびつな美しさを光らせている。人々は怒り、怒鳴り、嘆き、殴り、踊り、はしゃぎ、そして笑う。
静まり返る夜の街に、強烈な明かりを灯すのがこの五番街。活気の中心地でもあり、娯楽と欲望にまみれたここは、眠らない街、夜の街と称されて尚、今も昔も変わらない。
「桃源郷……まさにって感じよね」
カレンはうんざりしたようにそう言った。倣うように頷くエリオット、二人が立っている建物の屋上から遠目には、吐き気を催すほど煌びやかな光を放つ遊郭があった。
彼女はそっと目を閉じる。思い出すのは、昼間の電話だった。
──────
『桃源郷って店は知ってるかい? 』
「えぇ、最近出来た……確か東洋系の経営者の」
『そーだ。黄色い猿が女の身体使ってウハウハしてる。最近経営がうなぎ登りでな、うちの大事な顧客になってくれ始めてんだが──』
カレンは特に気にせずに聞き流す。よくある話だ、大きな鉄板所を除いて、そういう類の店は栄えては消えを繰り返す。つい一年前は全く違う名前の風俗だったと記憶している。
『うちの若いもんが、とある女に入れ込んでてな。まぁ、個人を尊重してるのがうちの家のやり方だから構いやしねぇんだが……家の金に手をつけるとなりゃ話は別だ』
「……穏やかじゃないわね」
『取り敢えず〝優しく〟話を聞いてやったらね、他でもそういうことをしてるらしい』
「そういうこと? 」
『客を使って、店の金に手を出させてる。女の身体を使ってか……いや、多分薬も絡んでる』
眉をひそめる。
『それだけじゃあない、桃源郷には女が大量にいるんだが……そいつがどうも臭いやり方で集めているようだ』
「………」
『最近この街で、失踪事件が増えてきてる。それも、異端者の若い女ばかりだ』
「……そういうことね」
『あぁ、他の所からも多分同じやり方で集めてきてるんだろうな』
思わず唇を噛んで片目を苦しそうに瞑ってみせた。珍しいことでもないが、やはり何度聞いても気持ちの良い話ではない。
『うちはオジキの別件で動けないんだが、ここいらで集め始めたって』
「夜逃げの準備は万端……」
『そういうことだ。金よりも面子の問題でね……報酬は好きにしてくれて構わない』
「えぇ、分かったわ」
続いて受話器から聞こえてくる住所やお店の様子に、カレンは素早くメモを取っていく。
「警察へのリークは? 」
『こっちでやっとくよ、然るべきタイミングで』
「私達に頼むってことは……〝トレーダー〟絡みってこと? 」
『……さぁ、どうだろう』
────
「段取り通りよ、余計な寄り道はしないこと」
こくり。エリオットが頷くと同時に小突かれる。
「声に出して返事をしなさい、少なくとも私の前では」
「分かった」
「よろしい」
そう言うが早いか、エリオットは建物を飛び降りて夜の闇へと姿を消す。その後ろ姿を見つめてから、もう一度目を閉じた。
桃源郷。その名に相応しい部分は、この店内の中にあるのかと聞かれれば10人が10人首を横に振るだろう。ねっとりと甘い香水の香りと、淫靡な灯りが闊歩する。狂ったような女の嬌声と狂気に満ちた男の罵詈雑言があちこちに響き渡る。ドロドロとした、歪な幻想郷である。
エントランスホールでは、欲に飢えた男達の群れ。そして、壇上には紫のスーツに身を包んだ小太りの男の姿があった。
「さぁ、御来賓の皆様!今宵はよくぞおいで下さいました。今回、特別永久会員の皆様に相応しい趣向をこらした、素晴らしい催しを用意しております!」
ホールの真ん中には黒い布を被せられた大きな何かがあった。男は黄色の頬で、ニタリといやらしい笑みを浮かべると、仰々しく布を引っぺがした。
露わになったのは、檻。閉じ込められた、少女達だった。
どよめきが走る。下衆な笑いは伝染する。
少女は皆、腕に刺青の模様が入っている。20人はいるだろう少女達は、恐怖に目が見開かれ震えていた。これからここで、行われるであろう地獄を、嫌でも想像してしまうのだ。周りを取り囲み、ケダモノのようににじり寄る男達の姿を見れば。
「異端者の若い女達です。皆様、普通の人間とは違う肉体をお楽しみ下さい」
言うが早いか、檻が開いた。男達は自らの服を脱ぎ捨てて、少女達の服へと手を伸ばす。恐怖に駆られ、身動き一つ出来ない、無抵抗な彼女達は……
──悲鳴が上がった。
しかし、それは少女の悲鳴では無かった。男の醜く聞くに堪えない汚い悲鳴だ。一つ、二つ、連鎖のように悲鳴が起きる。やがて一人、また一人の倒れ込んだ。
続いて、ガラスが砕けるけたたましい音が響き渡る。次の瞬間、エントランスの灯りが消え去った。
「何だ⁉︎ 」
焦ったような声が壇上から。しかし、そんな疑問に答えることなく、観音開きの入り口から、コツコツと優雅な足取りで入店して来る少女の──
「万屋よ……ここを完全撤去します」
リボルバーの銃口を向けて、立ち塞がるカレンの姿があった。
銃身にして8インチ、木製のグリップのコルト・パイソンだ。獲物を目にして、壇上の男は勿論、周りの男達も愕然としていた。
間を置いて、雪崩のように男達が逃げ出した。エントランスの窓を打ち破り、服も着ることなく、ただ恐怖に慄いて逃れようとする。先程までの自分達の醜い姿顧みず、ただ生き残ろうと必死に。
「……何者だ⁉︎ 」
壇上からは激昂が。
「おイタが過ぎたわね……あまり、この街を舐めない方が良いわよ」
「貴様……さてはエルダリオ一味の回し者? 」
「違うわ……そんな、〝生易しい〟連中じゃない」
中央にあった檻。未だに状況が飲み込めていない少女達が、それでも何とか外に出て、ホールの端に移動していた。
「トレーダーの誘拐、人身売買にしても……やり過ぎたわね」
「ふん!異端者の連中なんぞ、この世に存在していい生き物じゃあない!そんなゴミ共は、我々人間に媚び諂っていれば良いのだ。人間を愉しませる光栄を与えてやったんだ‼︎ 」
「アンタ……」
ギリっ。グリップを強く握りしめ。噛み締めた歯が軋みをあげた。
「ここはレーデ。平和と中立を愛する市」
「はっ、ほざけ小娘。そんな建前なんぞ、最早過去の遺産だ。異端者は支配されるべき存在だ。忌まわしい改造人間など、我々の足元にも及ばん」
「………」
「人間の役に立てないゴミ共なぞ、何の価値もない。せいぜい身体で貢献してもらうほかなかろう」
相手が少女一人とわかって、途端に余裕が出てきたのか、嫌みたらしい声で高らかに笑う男。それだけで、吐いてしまいそうなほど、醜く汚らしい。
「互いが利になる為に、理を持って接すること」
「あん? 」
「五番街の掟よ……アンタのようなクズには、勿体無いくらいのねっ! 」
引き金を引く。大きな銃声と共に、放たれた銃弾は真っ直ぐと、正確に男の右足を貫く……はずだった。
「っ⁉︎」
銃弾を身に受けていたのは、身長2メートル半はあるだろう巨大な、大男。高さもさることながら、巨漢な体格。圧巻な体格差の化け物が、獣のような息遣いで彼女を睨み付けていた。
「おっと、そう言えば紹介していなかったね……私の用心棒、いや下僕だ。筋肉の収縮関係をいじられていてね、肉体改造に特化した異端者だよ……こいつは良い、役に立つ良いゴミだ」
弾丸は大男の肩を抉って、しかしビクともしていない。その巨大な身体には、蚊に刺された程度にしか感じないのだろうか。
男の首には緑色の首輪が。どういう仕掛けかは分からないが、これで支配しているのか。カレンは舌打ちして拳銃を構え直した。
「ふむ……本当ならばこのまま、異端者の女共を餌に夜逃げするつもりだったが……君のせいで売り上げが台無しになってしまったな」
男は顎に手を当てて、品定めするようにカレンをじろじろと眺めた。
「しかし……かなり良い素材ではないか。どうかね、もし今の非礼を詫びるなら殺すのは勘弁してやらんこともない。うちの店でなら、良い穴になれるぞ? 」
「くたばれこのクズ」
「そうか、死がお望みか」
忌々しそうに吐き捨てたカレン。男は目を閉じて、巨漢の男へ静かに命ずる。
「殺れ」
大男が駆けた。その身体からは考えられない程素早いスタートダッシュ。その動きは目で追うことがやっと、僅か一瞬でカレンとの間を縮めた。
気付いた時にはもう遅い。既に振りかぶられていた右腕が、唸りを上げて大気を震わせる。
「残念だ、せっかく可愛い娘を見つけたと思ったのだが……」
轟音と共に叩きつけられた右腕。地鳴りのような揺れと共に、エントランスの壁にもヒビが。
やれやれ、と男はため息をつく。今日でこの店は閉めるから良いようなものを……
「お褒めに預かり光栄だわ……アンタ以外に言われたら、ね」
ゾクリ。男の背筋に悪寒が走った。
幻聴か。聞こえるはずのない声が後ろからしていたのだ、男は恐る恐る振り返った。
「な……どうして? 」
そこには、傷一つないカレンの姿があった。いや、正確にはもう一人、隣で短刀を構えている男。
「き、貴様……一体」
エリオット・ノーリッジの黒髪は返り血で濡れ、ワイシャツにまで飛び散っていた。そこに一切構うことがなく、琥珀色の瞳が、冷淡に燃ゆるその瞳が男をしっかりと捉えていた。
「うちにも用心棒くらいいるのよ……って」
ギロリと。
カレンは睨みつけた勢いそのままに、右足で隣の脛に蹴りをかます。
「アンタねぇっ、この服いくらしたと思ってんのよちょっと‼︎ 」
「……っ‼︎ 」
「せっかくこの前──」
落ち着けっ。そんな場合かアホ。
必死に頬を引っ張り訴えるも、ご立腹の彼女は胸倉をつかみ恫喝。裾を濡らした血は、それでもカレンの怒りよりは赤くなかったはずだ。
「………」
男は唖然とその様子を見ていたが、ハッとしたように入り口の方を振り返った。
大男が拳を叩きつけたまま固まっていた。否、力が抜けたように立ち尽くしていた。
やがて、グラリとその巨体が揺れるも、そのままひっくり返るようにして崩れ落ちる。
大男の胸元は大きく裂かれており、いや、胸だけでなく、腕や足、あらゆる箇所が切り裂かれていた。……返り血というのは、あの大男の異端者の。だとすれば……それを浴びていたあの短刀の男は。
「貴様ぁ、異端者か⁉︎ 」
男の怒号に、揉み合いになっていた二人が動きを止めた。カレンは手を放し、エリオットはようやく立ち直す。捲られたシャツから覗く腕には、刺青がまざまざと。
「……うちの、付き人よ」
苦虫を噛み潰したように歯ぎしりが溢れる。まさか異端者がいるとは予想外だった。素早く距離を取ると、天井へ向かって声を張り上げてた。
「計画変更だ! 降りてこい貴様ら‼︎ 」
同時に、男を取り囲むように短刀を持った男達が五人、上から着地してみせた。全員が緑のフードを被り、首輪を着け、腕には刺青。
「アイツ!まだトレーダーを! 」
カレンも苦い表情で銃を構えようとする。が、それを隣の彼がそっと制した。
「貴様ら、時間を稼げ。二人ともバラして構わん! 」
そのまま、男はホールから奥に続く通路へと逃げていく。その後ろ姿を睨み付けて、エリオットは追いかけるようにカレンへ促した。ここは自分が何とかする、と。
「五分稼げ。追いつく」
「……分かったわ」
カレンも一気に地面を蹴って、男の後を追いかける。
「逃がすか! 」
フードの一人が彼女に向けて短刀を振りかぶったが、あっさりエリオットに受け止められた。
「くっ……」
軽いフットワークで距離を取る。
だが、エリオットに目を向けて……本能が警告した。それは男にとって、初めての感覚だ。それが恐怖だと、知らしめられるのに時間はかからなかった。
「…………」
ニヤリと。彼は笑っていた。
手にした、くの字に湾曲した独特の刀身が鈍く光り、窓から差し込む月明かりが異様な不気味さを持って、彼を照らしているのだった。
「待ちなさい! 」
「ちっ、連中は何をしているか! 」
通路を駆ける男。それを追うカレン。追っ手がくることに腹を立てた男だが、彼女の姿しか見えないことに、多少の安堵感を覚えようやく立ち止まった。
「……小娘一人か」
「舐められたものね」
拳銃を構えるカレン。だが、同じように男も銃を構え返した。互いに銃を向け合い対峙する形に。
「よく考えれば、私が逃げる必要はなかったか」
「どういう意味よ」
「こちらは異端者が五人……お前の付き人がどれ程のものかは知らんが、勝負にはならんだろう」
鼻で笑ったのは男……ではなく、カレンの方だった。
──アンタ、馬鹿でしょ。
「ッ⁉︎ 」
ヤバい。ヤバいヤバいヤバい。
フードの男は最早それしか考えられなかった。こんなはずではなかった、と。
周りには、微動だにせずに倒れた同胞が四人。死んでいるのか、まだ息があるのかもわからない。そんな余裕など、残されていない。
一瞬だった。何が起こったのか理解する前に、一人、また一人と潰されて、遂には一人が残るのみとなった。いつもの通り、統制された動きだった、落ち度なんて無かったはずだり
相手の男は、変わった形の短刀一本であらゆる攻撃を防ぎ、そしてどこから繰り出しているのか、チェーンのようなものを、飛ばしては距離を詰めたり、離したり。
近距離から中距離の対応が見事だった。フード達の攻撃の選択肢をナイフとチェーンで確実に潰し、一瞬の隙をねじ込んでくる。
「あっ」と思った時にはもう、彼らは身体が動かなくなっていた。
一生詰めることの出来ない差を。
最早死を直感しているからか、敵を讃える考えすら浮かんでしまう。渾身の力で引いた男の短刀は、容易くチェーンに絡め取られた。
「があっ⁉︎ 」
足に焼けるような痛み……かと思えば最早それも感じなくなり。
腹部に、強烈な蹴りを叩き込まれて。男は成す術もなく、意識を手放した。
「小娘……貴様、この私に向かって馬鹿だと。そう言ったのか」
「言ったけど? 」
「ふむ……状況が呑み込めていないようだな。良いか?この後すぐに、私の下僕共がこちらに来る。お前はもう数分の命だ」
男は握りしめた銃をゆらゆらと揺らして、余裕のあるアピールをしてみせる。一方のカレンは冷淡は瞳のまま、下品さをばらまく男を睨み付けている。明確な怒りが赤い炎ならば、青い炎が彼女の瞳を煌めかせていた。
「どうだ?うちの女にならんか?お前はかなり良い看板になるぞ、極上の売り物として」
「……」
「さっきの暴言も許してやろう、どうだ?こんなとこで死ぬよりも、ずっと素晴らしい生き方が出来るぞ?その気があれば──」
突如響いた発砲音。銃弾は男の頬を掠め、後ろの壁に食い込んだ。
それが、彼女の答えだった。
「……これだからガキは」
忌々しそうにそう吐き捨てて、男は引き金を引いた。
無情にも、銃弾はカレンの目前に。しかし彼女は微動だにせずに、目を閉じて──
「2秒遅刻よ、エル」
「………」
目の前で──銃弾を叩き切った男に、文句をぶつけた。
「お、き、貴様ぁ……⁉︎ 」
既に男の懐に。薙ぎ払われた短刀は、腹部を綺麗に裂いた。致命所にはならないものの、今まで経験したことのない激痛が彼の全身に走った。よく見れば、腕や足にも切り傷がある。
「ま、まっでぐれぇ……じ、死にたくない」
「…………」
「ぞ、そうだ、金をやる……いや女か!いくらでもやる。さっきホールにいた異端者もいくら犯しても構わない、だから──ごあぁぁっ⁉︎ 」
首を絞め上げて、そのまま床に叩きつけた。大きく見開かれたエリオットの瞳、手の短刀がそのまま男の喉を突き破──
「そこまで」
「………」
「刀を引いて……私に銃を撃たせる気? 」
小さくため息を吐くと、エリオットは手を放す。男は既に気を失っており、口からは泡を吹いていた。
遠くの方で聞こえたサイレンの音に、二人は振り返る。
煌びやかな光を放った桃源郷は跡形もなく、崩れ去っていた。
「まーた随分と派手に暴れてくれましたねぇ……スティアレット嬢」
「暴れたなんて、人聞きが悪いわね」
一夜にして廃墟と化した桃源郷へ、スーツ姿の男性達が忙しなく出入りしていた。怪我人を運んだり、被害にあった女性達を保護したり。違う意味で、店の周りは賑わっていた。
「あまり怪我人を増やされると、我々としても後始末の方がですね……」
「最小限の被害の筈よ」
建物の入り口付近では、若い刑事の前にカレンとエリオットが座らされていた。
「最小限って……エリオットさんも、もうちょっと加減して下さい。今日初めて現場入った新人なんて、即リバースしてましたよ」
「…………」
申し訳ないと頭を下げて謝るエリオット。苦い表情から、素直に反省しているようだ。
「この街の警察なのに、そんなんでやっていけるのその人」
「彼は平和な一番街の署から来たんですよ、勘弁してやってください」
「はぁ」
カレンは立ち上がった。ぐっと伸びをして、少し眠たそうに目を擦った。
「私達は自分の依頼をこなしただけ。もう良いかしら? 」
「まぁ……こちらとしても今回は、あのボルゾイを逮捕出来ましたし」
「あの男、他の国でも似たようなことを? 」
「えぇ、拉致監禁誘拐。それから、強烈な媚薬系の薬物を使って、店員や客を洗脳までしていたようです……」
正真正銘の極悪人。若い刑事は渋い表情で、拳を握りしめた。温和そうな物腰だが、秘めた正義感が強く、その態度に現れている。
「ここで逃がしていたら、我々の失態だった所です」
「なら、感謝こそすれ注意される謂れはないわね」
「いや、ですが……まぁ今回は良いです。いつも助けられてますし」
刑事は深々とため息をつくと腰に手を当てた。対して満足そうなカレン、流石と茶化すように笑って見せた。
「上にはテキトーに言っておきます。けど、あまり大暴れはしないで下さいね、僕にも立場ってものがあるんですから」
「分かってるわ、じゃあそろそろ──」
行きましょう、と言いかけた所で。彼女に向かって、一人の女の子が駆け寄ってきた。一回り小さく、まだ12歳にもなっていないくらいの少女だ。真っ赤になった目に、まだ震える身体を引きずって。それでも、カレンの側に寄ってきたのだ。
「……ありがとう」
それは多分、心の底からの言葉だった。カレンは、そっと膝をつくと、そのまま少女を抱きしめた。
「大丈夫……もう、大丈夫よ」
優しく、子守唄を聞かせるように、耳元で囁いてあげる。背中をさすりながら、ゆっくりと。女の子は次第に感情を取り戻したようで、せきを切ったように泣き始めた。
カレンは、背中を摩りながら、ずっと抱きしめてあげていた。
「……あ、ありがとう、ございます」
泣き止んだ少女は、少し元気になったようだった。そんな彼女の両手に、エリオットはお札の束を乗せてあげた。
「え?えぇ? 」
店が客を洗脳して集めさせていたお金をいくらか、依頼の報酬として受け取っていた。その中の半分以上だ。困惑する少女の頭に、そっと手を乗せる。
「皆で分けて、だって……貰ってあげて」
彼の言いたいことを、代わりに伝えるカレン。暫し、目を瞬かせてた女の子だが、ハッとしたようにお辞儀をして、トテトテと駆けていった。
「それじゃあ、今度こそ帰るわよ、エル」
「あぁ」
刑事へ会釈をして、二人はのんびりと歩き始める。
「ねぇ、疲れたわエル。帰ったら肩揉んで頂戴」
「……」
「仕方ないわね……じゃあ、特別に胸も揉ませてあげるわ」
「……」
「ちょっとアンタ、今胸揉んでも無駄だとか思ったでしょ⁉︎」
「……」
「笑った⁉︎今鼻で笑ったわねっ⁉︎馬鹿にしてられるのも今のうちだからねっ、これでもあと二年したら───」
ギャーギャーと。
賑やかに、遠くなってゆく二つの背中を見つめながら、やれやれと、クリス・レオナルド刑事は口元をおもむろに緩めてみせた。
「せんぱい、もう俺無理っすこんな現場……ってせんぱい? 」
「いや、何というか……戦車みたいなコンビだなって思ってさ」
「戦車……すか? 」
クリスとその後輩は建物を振り返る。
「二人が通った後は、歪んだ栄光なんて一瞬で崩れ去る」
「あぁ……な、なるほど」
ほら、何て言ったかな。古代ギリシアで使われてた、戦車の名前……確か、えーと、そうだ。アレだよアレ。
────Chariot チャリオット
という訳で、短編chariotでした。
あのジャンプの某漫画に影響を受けて、何でも屋系が好きになったのは本当にいい思い出です。
久々の短編ですが、長編よりはまだ自分に向いてるのかなって思いました。街の役割や人々の役割などまだまだ世界観も不明瞭なままですね、1話完結だとぼかしばかりで、こういう世界観は難しいですね。
てかそもそも異端者ってなんぞやって話ですよね、ぼんやりとしか説明出来ませんでした……
また次弾やら、その次を書くことができたら、その中で少しずつ説明出来たら良いなって思います。このコンビをまた活躍させられたらなーって。いつか。
最後に、簡単なプロフィールをば。
・カレン・スティアレット
15歳の女の子。白色人種。身長は150ちょっと。ピンク髪ですが淫乱ではありません。ディソードも出しません。でも銃はぶっ放します。割と短気です。
愛称はお嬢。これは、お家柄に関係しているからです。エルは「カレン」と呼びます。今回は呼んでないけど。
コルト・パイソンという物騒なリボルバー拳銃を使います。8インチの銃身に木製のグリップ。大切な代物だそうです。射撃の腕前はそこそこあるのですが、戦闘用というよりは護身用ですね。
性格は勝気で負けず嫌い、カッとなると後先を考えないで行動してしまうタイプです。危険を顧みない大胆な行動で、お付きのエルを困らせます。情にほだされやすく義理堅い一面もあります。
女の子なので成長気にしてます。特に胸です。現状は年相応より小さめです。小さな方が僕は好きです。
あと負けず嫌いの女の子って可愛いと思いますマジで。
・エリオット・ノーリッジ
カレンのお付き人。異端者です。改造人間みたいなもんです。非常に身体能力に長けた存在です。
ガンダムSEEDのコーディネーター的な……この例えマズイかな(笑)
色々あってカレンに付いてます。
年齢は26から28くらい。アラサーです。東洋系に人種ですが、名前は全く違いますね。
黒髪は特に手入れはしていませんが綺麗です。返り血を吸って栄養を蓄えてます。嘘です。身長は180後半、長身です。
愛称はエル。カレンが大体そう呼んでます、他はエリオ、エリオっちゃん、ノーリッジさんなどなど。本人は何でも良いと思ってます。
短刀とチェーンを使います。中距離タイプです、格ゲーだと牽制と位置操作に長けるキャラになります。崩し技も豊富そうなので画面端キャラになりそう。
寡黙です。ほとんど喋りません。コミュ障です。過去のアレ的な設定です、多分。
そのせいでよくカレンと喧嘩してます。でも楽しそうだから良いかな。
主要キャラはたった二人でした。
いつかまた、このコンビを書ける日が来たら良いななんて高望みしてます。ありがとうございました。