冬の願いごと(3)
それから、幸一と美冬さんの生活が始まりました。
幸一は美冬さんが用意してくれた寝袋を使いました。少し埃っぽい寝袋でしたが、暖かさは抜群です。寝袋と暖炉のおかげで、幸一は凍えずにすみました。
美冬さんは、寒さを感じない体質なのか、ソファーに座って寝ました。
食べ物は、幸一が鞄に詰めてきた缶詰を食べました。母さんが鞄にいろいろ食べ物を入れてくれたのです。幸一はお腹が空いたら鞄から食べ物を出して食べていました。
美冬さんは、何も食べずに平気な顔をしています。幸一が尋ねると、実冬さんはこう言いました。
「あまりお腹が空かないんだよ。食べなくても平気だから気にしなくていいよ」
変わった人だと、幸一は思いました。しかし特に気に留めずにその家での生活を続けました。
それから幸一はこの家で過ごすためにいろいろなことをしました。
この家には電気も、水道もありません。だから朝起きると、川まで桶を持っていき、水を汲んでくるしかありませんでした。川は遠く、何度か往復するだけでへとへとになります。
それが終わると、次は家の掃除です。掃除機などはありません。ほうきとちりとり、そしてぞうきんを使って幸一は汚い家を綺麗にしました。
他にも、この家で過ごすためのたくさんのことを、美冬さんから教わりました。
こうして美冬さんと一緒に過ごす雪山での日々が過ぎていきました。
一日目、二日目と、何事もなく過ぎていきます。
その頃には、幸一が美冬さんに対して抱いていた警戒心はすっかり無くなっていました。両親とも、先生とも、学校の同級生とも違う。不思議な親近感をおぼえていました。
美冬さんを知るにつれて、幸一は次第に美冬さんに対していろいろ興味を持つようになっていました。
美冬さんは普段何をしているんだろう。
どうしてこんな大きな家に一人でいるのだろう。
どうして何も食べなくても平気なのだろう。
幸一はそれらのことを聞いてみたくてたまりませんでした。しかし、それは聞いてはいけない気がして、心の中に留めておきました。
そしてそのまま数日が過ぎました。
幸一はこのまま何事もなく一週間が終わるんじゃないかと思っていました。
しかし、六日目の朝に、それは起きてしまいました。
◇◇◇
その日、朝起きた幸一は、いつものように鞄から食べ物を出そうとしました。
しかし、鞄をいくら探しても缶詰は出てきません。来る時はパンパンだった鞄も、すっかり小さくなっています。
もともとバッグに入りきる食べ物では、一週間、子どものお腹を満たす量は入れらなかったのです。鞄をひっくり返してみましたが何も出てきませんでした。
これには幸一も困ってしまいました。
さらに悪いことに、たくさんあったと思った薪はあと数本しかありません。これでは今日の夜を過ごすことは出来そうもありませんでした。
幸一は美冬さんに相談しました。すると美冬さんはこう言います。
「それなら森へ行くしかないね」
「森?」
「森で枯れ枝を拾うんだ。それをたくさん集めれば一晩過ごせる火はおこせる。それに冬の山でも探せば食べられる木の実もあるかもしれない」
美冬さんはそう言います。しかし幸一は気が進みませんでした。
外は寒いし、一晩炊ける枯れ枝を集めるなんて、想像しただけで大変そうです。それに冬の山に本当に木の実がなっているとは思えなかったのです。
「大丈夫、がんばれば出来るさ」
美冬さんは言います。しかし幸一の表情は曇ったままでした。
美冬さんは何も食べなくても大丈夫だし、寒さも平気なので、大変な思いをしなければならないのは幸一だけです。幸一がぶすっとしていると、美冬さんは立ち上がり、家の扉を開けました。
「仕方ないね、一緒に行こうか」
美冬さんはこの家に来て初めて、外の扉を開けました。
扉の外から眩しい光が差して、美冬さんの体が透けて見えました。幸一は一瞬だけ、目を疑いました。しかしすぐに美冬さんはいつもの美冬さんに戻りました。
幸一は少しだけ不思議に思いましたが、気にせず外へ出て行きました。
◇◇◇
家の外は、いつかの吹雪の時と違ってとても穏やかな天気でした。
透き通った空に太陽が輝いています。一面の雪は眩しく光り、幸一は満足に目も開けていられないほどでした。
それから幸一は森を歩いて枯れ枝を拾いました。しかし、雪の上を歩いて、木々を拾い集めるのは大変でした。
美冬さんは木陰に座って休んでばかりいます。外に出てから、あれこれ幸一に口を出すだけで何も手伝ってくれませんでした。それが幸一には少し不服でした。
それに木の実を探しても全然見つかりません。やがて幸一は空腹のあまりその場に座り込んでしまいました。
「美冬さんの嘘つき。木の実なんていないよ」
「そりゃ、簡単に見つかりはしないよ。他の動物だってご飯探しに必死なんだから」
「お腹、空いたよ」
幸一は半べそをかいています。
「幸一、すぐに泣かない。食べ物があればいいんだね」
美冬さんがそういうと、辺りを見渡しました。そしてパチンと手を叩きます。すると木の枝から、小さいリスが落ちてきました。
「これで少しは飢えは凌げる」
美冬さんは言います。幸一はそれを見て、首を振りました。
「そのリス、食べちゃうの?」
「幸一がもし飢えに耐えられないならそうするしかない。幸一は空腹を我慢できるかい?」
「そんな、でも……」
「それなら仕方ないよ」
「でも、そんなの残酷だよ」
幸一が言うと、美冬さんは静かに首を振りました。
「幸一、それは違うよ。人も含めて、動物はみんな生きるのに精一杯なんだ。昨日幸一が食べていた缶詰だって、いつか誰かが手を下したものなんだよ」
「でも」
いつもは「うん」しか言えない幸一でしたが、美冬さんにはそうなりませんでした。それが両親や学校の同級生と接するときの大きな違いです。
それなのに「でも」を繰り返していると、自分自身がとても嫌な子どもに見えてきて、また悲しくなるのでした。
「我慢するか、どうするかは、幸一が決めていいよ」
「わからないよ……」
「わからないじゃダメだよ。どうするか決めなきゃ」
美冬さんに言われて、幸一は大声を出しました。
「美冬さんはお腹も空かないし、寒さも平気だからいいじゃない! でも僕は違うんだ!」
幸一はそう言ってしまいました。
美冬さんは驚いた顔をしていました。その言葉が、美冬さんを傷つけてしまったことがわかります。
その顔を見ていたくなくて、幸一は川の上流に向かって走り始めました。
「幸一、あまり奥へ行くと……」
美冬さんの声が聞こえましたが、幸一は無我夢中で走りました。
気がつくと、幸一は森の奥深くへ足を踏み入れていました。