冬の願いごと(2)
その家の中は広々としていました。とても静かで、誰かが住んでいるような気配はしませんでした。
「すいません、誰かいませんか?」
幸一は叫びましたが、何の返事もありません。幸一はそっと中へ入っていきました。
家の中はとても汚れています。廊下は埃でまみれ、壁は灰色にくすんでいました。幸一はそろそろと廊下を歩き、居間らしき部屋にたどり着きました。
「あの、すいません……」
部屋を覗き込んでみましたが、その中にも誰もいません。
中もとても汚れています。
ソファーは所々破けているし、絨毯は茶色く汚れています。高いところにある窓から、外の光が差し込む作りとなっていましたが、それはただ部屋のほこりを目立たせるだけでした。
「何だろ、この家……」
幸一は少し不安になりました。
父さんから聞いた家とはずいぶん違います。そこには管理人さんもいないし、全く手入れされていないようで、とてもここで暮らせる自信はありませんでした。
しかし、外の吹雪はまだ止みません。せめて吹雪が止む間だけでも休ませてもらおうと、幸一は鞄を置きました。
それから、幸一はじっと椅子に座っていました。雪は来た時よりも強くなっているように思えました。室内でも冬の寒さが幸一の身に堪えます。
このまま雪がやまずに夜になってしまったら。そう考えると、幸一は恐ろしくてたまりませんでした。
「暖房かなにか、ないのかな」
幸一は部屋の中を見渡してみました。
部屋には大きな暖炉がありました。しかし幸一には使い方がわかりません。時間と共に冷え込みは厳しくなり、幸一は凍えてしまいそうになりました。
「うう……、寒いよ、凍えちゃうよ……」
幸一は泣きそうな声を出しました。するとその時、部屋の中から物音が聞こえてきました。幸一は椅子の上で膝を抱えました。
「誰、誰かいるの?」
幸一が呼びかけると、今度は机がガタガタと動き始めます。
そして幸一の目に、あの不思議な光が映りました。
部屋全体が細かい光でキラキラと光っています。たくさんの蛍が飛び交っているような光景でした。その光はソファーの上へ集まっていきます。
またあの変な光だ、幸一は思いました。
それは幸一の家の人だけが見ることが出来る不思議な光です。幸一は嫌になって目をつぶってしまいました。この光が見えることは、幸一にとってマイナスでしかありませんでした。学校で友だちに嫌がられたり、山の中での生活を強要されたり。それが幸一は嫌だったのです。
こうしてじっと目をつぶっていると、幸一の耳に声が響きました。
「ほら、そこのあんた」
それは女の人の声です。透き通った綺麗な声ですが、口調は乱暴でした。
「目を開けな」
幸一が恐る恐る顔を上げると、ソファーの上に女の人が座っていました。
白いワンピースを着た女の人です。年齢は高校生くらいに見えました。女の人は幸一をじっと睨みつけています。
「寒いんだろ。どうしてそこでじっとしているのさ」
「だ、だって、どうしていいかわからないから」
「その泣きそうなしゃべり方はやめな。寒かったら暖炉を使えばいいじゃないか」
女の人は暖炉を指さしました。
「でも、どう使っていいかわからないし……」
「わからない? そんなの誰だって初めはそうさ。何もしなかったらずっとわからないままだよ」
「そうだけど……」
幸一はもじもじとして俯いてしまいました。
こういう風に強く言われるのが、幸一は苦手でした。
幸一はよく「やさしい子ども」だと言われました。人が嫌だと思うことはしないように、なるべく他人が望むように振る舞ってきました。それを見ると、周囲の大人は幸一を「いい子」だと言いました。
でも、それが本当に「いい子」なのか、本当に「やさしい」ことなのかと言われれば、幸一は自信がありませんでした。
だから、こういう風に強い態度で接する人と話すと、それを指摘されそうで怖かったのです。
幸一が黙っていると、女の人は立ち上がり指をパチンと鳴らしました。すると勝手に部屋の戸棚が開いて、そこから薪がゴロゴロと転がってきました。
「まず、煙突の蓋を開ける」
女の人は立ち上がり、暖炉の脇にあったレバーを倒しました。
「次に火付け。いきなり薪を焚いても仕方ないからね。とりあえず小さな火をおこすんだよ」
女の人は暖炉の網を取り外し、足下にあった薪を手に取りました。
そして近くにあったナイフを使って、薪をそぎ落とし始めました。いくつか細かい木片が女の人の足下に落ちています。
女の人はそれを拾い集め、近くにあったマッチで火を点けました。
やがてパチパチと火が燃え始め、女の人は薪を火の横に置いていきます。
そして幸一の方を振り返りました。
「あんた、来な」
女の人は幸一を手招きしていました。でも、幸一はなんだか怖くてその場から動けませんでした。
「来なって言ってるだろ、聞こえないのかい」
幸一はそう言われ、慌てて女の人の所へ走っていきました。女の人は幸一に一本の薪とナイフを手渡しました。
「薪が湿っているとなかなか火が点かないからね。しばらく火の番をするよ」
幸一が戸惑っていると、女の人は言います。
「さっき私がやったみたいに、薪を削って木片を作る。せっかくおこした火が消えちまうだろ」
幸一は怒られている気がして、必死に薪を削り始めました。しかし手が冷たいのと、ナイフを使ったことがないので、上手く削れませんでした。
「大丈夫かい? しっかり出来てるかい?」
幸一はそれを聞いて反射的にこう答えました。
「うん、大丈夫」
それは幸一の悪い癖です。何か言われるとすぐに「うん」と答え、心配されると「大丈夫」と言ってしまう。女の人はしばらく黙ってましたが、見るに見かねて、幸一の手をとりました。
「ダメな時はダメっていうの。何でもうんって答えなくていいの」
女の人は幸一の手を掴み、ゆっくりとナイフを滑らせました。するとまるで魔法のように薄い木片がナイフの先から落ちました。
「ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃなくて、ありがとうでしょ」
女の人は言います。幸一は少し戸惑いましたが、消え入りそうな声でお礼をいいました。
とても不思議な人だと、幸一は思いました。厳しいのか優しいのかよくわかりません。
女の人は削って出来た木片を暖炉の中に投げ入れました。
「やり方がわかったら、ひたすらそれを作ること。火の番は私がするから」
それから幸一は薪を削りました。暗い部屋には火の燃える音だけが響きます。薪を削りながら、幸一は恐る恐る口を開きました。
「あの……」
「人に話しかけるとき、あの……、はいらない。まず要件を手短に伝えなさい」
女の人はぴしゃりと言いました。
「お姉さんは、山小屋の管理人さんですか? 僕は、この山で一週間過ごさないといけなくて、それで……」
幸一が言うと、女の人は始めて笑顔をみせました。
「変な子だね。ここは私の家。あんたが言う管理人じゃあないよ。私の名前は美冬だよ。あんたの名前は?」
「僕は幸一。その、小学校二年生で、お父さんに連れられてこの山に……」
幸一が言うと、美冬さんは少し遠い目をしました。
「小学校二年生……。今年八歳かい?」
「は、はい」
幸一が言うと、美冬さんは黙って薪を暖炉にくべました。
暖炉の火は強くなっていました。その炎は暖かく、見ていると気分が落ち着いていきます。
「これは今日は止まないね」
美冬さんは吹雪を眺めながら言いました。
「どういう理由かは知らないけど、一週間でも何週間でもここにいたいならいればいいさ」
美冬さんはそう言いました。