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軍事・歴史

柏葉は落ちない

作者: 沼津幸茸

「Arcadia」様でも公開しております。

 罅割れたコンクリート製の壁が剥き出しになった、灰色の部屋がある。家具等は最低限度のものしか設置されていない。中央に尋問者用の机、壁際に記録者用の机、それから人数分の椅子があるだけという、実に殺風景な、管理者である米軍の合理主義を象徴するような部屋だ。

 中央にある粗末な木製の椅子に腰掛けながら、ゲオルク・ミューラー親衛隊大佐は失笑した。自らの境遇の滑稽さから込み上げてくる暗い笑いを、遂に抑えきれなくなったのだ。

 守ると誓った祖国の無惨な敗北。煌びやかな武装親衛隊の制服の代わりに与えられたみすぼらしい囚人服。栄光ある柏葉剣付騎士鉄十字章の英雄から汚辱に満ちた戦争犯罪人への転落。笑うべき理由はいくらでもあった。

 ミューラーの背後には、憲兵が三人、直立不動で控えている。指揮者の将校が一名、部下の下士官が二名だ。彼らは、ミューラーが「馬鹿な考え」を起こさないよう監視に当たっている。

 憲兵将校が怪訝そうな表情を浮かべ、どう取り繕っても粗野な響きの消えない、言語自体に何らかの欠陥が存在するに違いない米語で問いかけてきた。

大佐(カーネル)、何か」

 まだ若い将校は、一時間ほど前に独房にミューラーを迎えに現れた時、「私はダニエル・マクドナルド憲兵中尉です」と名乗った。

「貴官らには関係のないことだ」

 ミューラーは規律正しいドイツ語で素っ気無く答えた。

 突き放すようにそう返すと、マクドナルド中尉は困ったような表情になった。

 それを見てミューラーは、自分がそういう返答を許される立場にないことを思い出した。親衛隊大佐とは言っても虜囚であり、しかも戦争犯罪人としての起訴を待つ身だ。そこに権威など欠片も存在しない。形式上のものとはいえ、「大佐殿」として扱って貰えるだけでも御の字だ。共に虜囚の身となっているある親衛隊大尉などは、監視の上等兵如きに怒鳴りつけられるという屈辱を味わわされたとのことだから、それを踏まえれば親衛隊員としては考えられないほどに恵まれていると言えた。無論、その施しにも似た慈悲を甘受し、感涙に咽んで英米に拝跪するつもりは毛頭なかった。ただ、今は戦うべき時ではないし、マクドナルド如きは戦うべき相手ではない。

 そういった論理によって自らを説得し、渋々ながら付け足す。

「……子供の頃のことを。友人が肥溜めに落ちた時のことを思い出していたのだ」

「そうですか。失礼しました」

 いい加減な返答だったが、マクドナルドは納得したらしかった。律儀に一礼し、再び直立不動の体勢に戻る。

 実に退屈な時間だった。独房を出てから、もう一時間が過ぎていた。未だに尋問担当官が来ないため、待たされているのだ。

 囚人を待たせる。それは極めて有効な手段だ。「いつ来るんだ」という苛立ちは「まだ来ないのか」という不安に変わり、あれこれと余計なことを考える内に、それらは「俺はどうなるんだ」という恐怖に育つ。そうなってしまえば、人間という生き物は実に脆い。

 しかし、そのような手が通じるのは、囚人に覚悟がない場合に限られる。ミューラーはほとんど死刑が内定しているような境遇にある。捕虜虐待及び殺害、民間人殺害の嫌疑をかけられており、その是非はともあれそうした行為自体の存在が事実である以上、将来などありはしない。豚のように撃たれて死ぬか、鶏のように首を絞められて死ぬか。そのいずれかだ。既に覚悟は定まっていた。セップクを控えたサムライの如く、ミューラーはメイキョーシスイにも似た境地に到達していた。

 彼が何度目かの欠伸を噛み殺した頃、ようやく退屈な時間が終わった。扉が開き、何人かの下士官を引き連れた士官が尋問室に入ってきた。ようやく尋問担当者が到着したようだ。

 扉を開けた男は曹長の階級章を着けていた。その後から入ってきた二人は、軍曹と少佐の階級章を着けていた。いずれも白人で、「MP」の腕章を着けている。

 年齢は、曹長が二十歳代後半、軍曹が二十歳前後、少佐が二十歳代後半といったところかと思われた。いずれも階級に比べると比較的若い。何かと昇級の機会の多い戦時中ならではの現象と言えた。

 軍曹が録音機を抱えているのに気づき、ミューラーは意外に思った。調書が作成されるのは当然だと思っていたが、将軍でもない自分の供述が、まさか録音されるなどとは夢にも思っていなかった。どうやら米国は、この事件に対し、相当な関心を寄せているらしかった。

 マクドナルドら憲兵達が動くよりも先に、ミューラーは立ち上がった。姿勢を正し、踵を打ち鳴らし、少佐の階級章をつけた士官に向かって右手を勢い良く突き出し、敬礼した。

 かつて総統に謁見した時と同様に、否、それ以上に声を張り上げる。

祖国万歳(ジーク・ハイル)!」

 もちろん、嫌がらせだ。捕虜となったその日、米軍将校に「ナチの敬礼はやめろ。ドイツ語も使うな」と言われてからというもの、彼はずっとこうしていた。相手の米軍人が不愉快そうに顔を歪めるのを見るのが、虜囚となってからの数少ない楽しみの一つだった。

 案の定、入室するなりドイツ式敬礼を浴びせられた少佐は、困惑の表情を浮かべた。

「……まずは着席して貰いたい」

 若い少佐は、しばしの間考え込んでから、ようやくそれだけを、米語に比べればまだ響きに美しさが見られる英語で言った。

 ミューラーが机の前の椅子に戻ったのを確認してから、少佐は机を挟んだ対面に腰を下ろした。机上に調書作成用の紙を置き、ペンの用意をする。

 他の下士官二人も記録者用の席に着いて、録音機を操作していた。

 軽く咳払いしてから、少佐が口を開き、英語で告げる。

「私はジョージ・ミラー憲兵少佐。尋問と調書作成を担当する。そちらの二人はジョン・マクダネル憲兵曹長とヘンリー・バートン憲兵軍曹。彼らは録音を担当する。あなたの姓名はゲオルグ・ミューラー、階級はSS大佐(カーネル)、所属はSS第一師団で間違いないか」

「間違いがある」

 頭を振り、ドイツ語で短く否定した。

 ミラー他、憲兵達が互いに顔を見合わせ、戸惑いの表情を向け合った。ほとんど形式的な質問で、否定されるとは思っていなかったのだろう。

 意識して浮かべた薄笑いと共に、ミューラーは傲然と続ける。

「階級は連隊指揮官シュタンダルテンフューラーだし、名前もゲオルグではない。ゲオルクだ。(ゲー)の発音に気をつけて貰おう。そして、私の所属は第一SS装甲師団『アドルフ・ヒトラー(ライプシュタンダルテ)警衛隊(・アドルフ・ヒトラー)』、略称LSSAH。SS第一師団などという部隊に配属されたことはない。言葉は正確に用いていただきたいものだな、少佐(マヨーア)

 無論、人名はともかく、部隊名はどちらであろうとさして変わらない。「SS第一師団」でもきちんと通じる。これは単なる嫌がらせだ。

 ミラーは顔を顰め、不愉快そうに言い直す。

「真摯かつ誠実な態度で尋問に応じて貰いたい。ゲオルグ・ミュ――」

「ゲオルク」

 ミラーは不快そうにしながらも律儀に言い直し、続けた。

「ゲオルク・ミューラー連隊指揮官」

大佐(カーネル)で構わない」

 ミラーは唇を引き攣らせたが、辛うじて自制心が機能したようで、すぐに平静な態度を取り繕って続けた。

「……我々は寛容と忍耐と慈悲を以てあなた達に接するつもりだが、それにも限度というものがある」

「つまり礼節はないのだね」

「揚げ足を取るのはやめて貰いたい!」

「それはそちらの対応次第だ」軽く受け流し、真剣な顔で言う。「こちらにも譲れない線がある。それだけのことだ。それとも貴官らは、我々に対し、一切合財を投げ出した、奴隷の如き服従を求めているのか……冗談ではないぞ。全てのドイツ将兵とドイツ国民は質において連合国に敗北したのではない。我々はただ貴官らの物量に屈したのみ。同じ戦士として、人間として、ドイツのみならず全ての同盟国軍人及び同盟国民に対して相応の敬意を払って接することを要求する」

 ミューラーが恫喝紛いの言葉を返すと、ミラーは一瞬だけ口ごもった後、素っ気無く答えた。

「善処しよう……それよりも、だ。貴方は英語が話せるのだろう。英語を話して貰えないか。録音の都合もあるのでね」

「断る」ミューラーは言下に拒絶した。「ここはドイツだ。ドイツ語を話して何が悪い」

 ここは、かつてドイツ統治下にあり、今は英米仏ソの分割統治下にあるオーストリアの捕虜収容所だ。

 LSSAHは、カーン攻防戦で壊滅した第十二SS装甲師団「ヒトラー青年団(ヒトラー・ユーゲント)」残存部隊などと共に第六SS装甲軍を編成し、西部戦線における「ラインの守り」、東部戦線における「春の目覚め」の乾坤一擲の両作戦に参加した。しかし、反攻作戦は米ソの頑強な抵抗によって無惨な失敗に終わった。そのため、LSSAHを始めとする第六SS装甲軍はオーストリアへと移動し、部隊の再編を行うこととなった。しかし数ヶ月後、再編が完了するよりも先に、ドイツ本国が無条件降伏してしまったため、装甲軍とは名ばかりの敗残兵集団となっていた第六SS装甲軍は米軍に降伏し、ミューラー戦闘団を含むLSSAHの残存将兵はほぼ全員がこの地に抑留されることとなった。

 他の下士官達にも視線を向け、欠片の躊躇も示さず、ミューラーは堂々と続ける。

「それに貴官らはドイツ語がわかるのだろう。何か不都合でもあるのか」

「それは……ない。しかし、英語を話せる以上は英語を話して貰いたい」

「断る。私はドイツ語以外では何も喋らない。認められるまで何も言わない」

 それきり、ミューラーは口を閉ざした。ミラーが翻意させようとあれこれと話しかけても、一切無視した。貝よりも固く口を閉ざして、決して開こうとはしなかった。ただ黙ってミラーの目を見つめ続けた。

「わかった……認めよう」

 結局、ミラーが折れることで決着がついた。当然の結果だった。一度こうと決めた筋金入りのドイツ軍人を翻意させられる者はこの世にいない。

「ご配慮に感謝する」

「あなたに異存がなければ尋問を開始したいと思うが、どうか」

「その前に一つよろしいか」

「何か」

「私と貴官は奇遇なことに同じ名の持ち主で、しかも同じ軍人、それも将校同士だ。そして階級も年齢も私が上だ」

 ミューラーはふてぶてしい笑みを浮かべた。未熟で生真面目な若き将校をおちょくってやるつもりだった。

「どうだろう、『貴官(ジー)』などという堅苦しい人称ではなく、『(ドゥ)』と呼ばせて貰えないだろうか」

「構わない、ミューラー大佐」

「ほう、それはそれは……」恫喝か沈黙といった反応を予想していたミューラーは、意外な返答に目を丸くした。「では、遠慮なく――」

「しかし」ミラーがミューラーを遮り、挑発的に微笑した。「それは私が軍服を着ていない時に限定していただこう。勤務時間外に街で出会った時なら、単なる市民同士だ」

「なかなかに手厳しいな」

 ミューラーは苦笑した。勤務時間外のミラーと虜囚のミューラーとの間にいかなる接点があるというのか。

「他に何かあるだろうか」ミラーが冷ややかに言った。「なければ始めたいが」

「構わない。始めてくれ」

「では尋問を開始する」ミラーが録音を担当している下士官達に命じた。「録音を始めろ」

 かくして尋問が始まった。

 尋問の始まりは様々な確認と説明だった。録音が行われることを説明され、それに同意したか。尋問担当者が姓名と階級、所属を名乗ったか。人定確認が行われたか。尋問の目的が説明されたか。尋問中の権利と義務について説明されたか。裁判等において供述記録を使用する際に揉めることのないよう、これが本人の同意の下に作成された証拠能力のある記録であることを示すためだ。

「……この写真を見て欲しい」

 一通り確認が済んだところで、ミラーが証拠物件らしい一枚の写真を見せてきた。やや不鮮明なその写真には、骸骨のように痩せこけた無数の死体と、その中で何かの作業をしている黒衣の一般親衛隊の姿が写っていた。

「これは?」

「SSであるあなたが知らないはずがないだろう」

 ミューラーは戸惑うばかりだった。この写真の中の情景には、全く心当たりがなかった。一般親衛隊が何らかの作業を行なっているとしかわからなかった。

「私は武装親衛隊の一指揮官に過ぎない。一般親衛隊の行動など知らされていない」

 そうしてミューラーは、最初に組織された「親衛隊」から武装親衛隊が派生したこと、それ以後、区別化のため、かつての「親衛隊」が一般親衛隊と呼ばれるようになったこと、一般親衛隊と武装親衛隊は上層部が重なるだけでそれ以外はほぼ別物の組織であること、などを微に入り細に入り説明した。

 最初の内、ミラーはミューラーの関与を疑っていたものの、熱心な説明を続ける内に、ミューラー個人が無関係であることについては納得した。しかしながら、親衛隊の区分については、「SSはSSだ」と最後まで納得する気配を見せなかった。

「この写真は?」

 説明が済んだところで、ミューラーは逆に質問した。

「ダッハウで発見された記録写真だ。我が軍がここを解放した際、焼却されずに残っていた記録の中で発見したのだ」

 ミューラーはその話からあるおぞましい推測をし、思わず胃の上を押さえた。歴戦の軍人であろうと、純粋なドイツ人として、嫌悪感を覚えずにはいられなかった。

「もしや、その写真の死体は……」

「連行されたユダヤ人だ。彼らは虐殺された」

 ミラーは忌々しげに、第三帝国(ドリッテライヒ)に対する軽蔑の色も露わに、強制収容所の実態を語った。全ては国民と兵士達の知らない所で行なわれていたのだった。

 ドイツ人としては、その話が真実だとは思いたくない。しかし、信じないわけにいかなかった。敵国人の説明である以上、ある程度の捏造や歪曲が行なわれ、プロパガンダと化していることは間違いなかったが、ある程度の真実が含まれていることもまた、間違いなかった。第三十六SS装甲擲弾兵師団「ディルレヴァンガー」という「親衛隊の面汚し」、第三SS装甲師団「髑髏(トーテンコープフ)」という「悲劇の師団」の前例もある。また、連行されたユダヤ人に関する不穏で下世話な噂の数々もある。

 ミューラーは憤慨した。ドイツの名誉はドイツ自身の手によって泥に塗れた。

「……薄汚れた民の血で、世界に冠たるドイツの誇りは穢された。従事した者達は万死を以て償うべきだろう。しかし……」ドイツ人がそれを悔いるのは当然としても、アメリカ人に弾劾されるのは心外だった。「それを貴官らに非難される謂れはない」

 ミラーの表情が険しくなった。

「……どういうことだ、大佐」

「人種差別は貴国でも行なわれている」ミューラーは端的に断じた。「何でも、黒人には公民権がないという話ではないか。しかも、KKKと言ったか、ああいった野蛮な団体が黒人を襲撃しているそうだな」

「KKKはSAやSSとは違う。合衆国が公認した組織ではない」

 本来、憲兵が容疑者と政治的な議論を交わすことは褒められた行為ではない。しかし、ミラーがそういった話を始めても、他の憲兵達は一向に気にする様子を見せない。つまりは、ミラーはこういったやり方で成果を挙げるタイプなのだろう。

 相手方の事情を分析しつつ、ミューラーは冷徹に攻め立てる。

「では、アメリカ合衆国が、誰にも否定しようがないほど明確に国策として行なった大虐殺を指摘しようか。ドレスデンやトーキョーなどはどうかね。無差別爆撃でどちらも何万、何十万と死んだぞ。しかも大半が民間人だ」

「ドレスデンは……ソビエト航空部隊への支援のため、トーキョーは軍需工場破壊のためだ。日本野郎(ジャップ)――失敬、日本人(ジャパニーズ)は自宅で軍需物資を生産しているから、そうするしかないのだ」

 ミラーは苦しげに答えた。しかし、憲兵だ。本心がそのまま顔に出ているとは限らない。

「……ゲルニカを焼いたのはどこの国の部隊だったか」

 強張った表情のまま、すかさず切り返してきた。

「フランコ支援のためだ」ミューラーは何ら動揺することなく答える。「死者数もせいぜい数十から数百、多くとも千は超えまい。大したことはない」

「命を数字で捉えるのか!」

 ミラーの非難がましい目にもミューラーの心は動かされなかった。

「それが最も公平な評価だ。感情は人それぞれだが、数字は万人に共通だ。この未曾有の大戦争のあらゆる参加者の思想と行為の是非を巡る議論に万人共通の結論が出ることはまずなかろうが、仮に正しい死傷者数や損害額が提示されたとすれば、その多寡の比較で揉めることはあるまいよ」

「……ナチの悪魔め」

「軍人である時点で同じ穴の狢だ。私は将校として、そうやって敵味方の死を処理してきた。貴官も将校である限りは、遅かれ早かれこういった決心に関わることになる。覚悟は早めに決めた方がいい……実際、我々の殺人は小休止となるが、貴官らはまだまだ殺さねばならないのだから。ご苦労なことだ。腑抜けたローマは降伏せり。西の首都ベルリンも陥落せり。されど東の首都トーキョーは健在なり。難儀なことだな、諸君」

 ミラーは否定も肯定もしなかったが、ミューラーは構わず続け、粘着質な声で問いかける。

「更に原子爆弾、これも使うのだろう」

「何のことだ」

 ミューラーは無視し、淡々と続ける。

「情報部から聞いた。もっとも、我が国と違って防諜がしっかりしている貴国のことだ、我々の士気低下を当て込んでわざと情報を漏らしたのだろうが。貴国の原子爆弾開発は順調のようだ。早ければ六月、遅くとも年内には完成するらしい。日本はそう簡単には降伏しないだろうから、記録を取るため、またイワン共を威圧するため、貴国は使うだろう。投下場所は……」難しげな顔で考えながら続ける。「そうだな、まずホッカイドーやトーホクは違うな、あそこはイワンに近すぎる。トーキョーも違う、破壊すると泥沼になる。キョートも違うだろう、文化財が多い。勝利が確定している今、そこまで形振り構わずにやりはすまい。オキナワは遠いし、破壊するには惜しい。ユーラシアを見据えたいい戦略基地になる……そうだな、比較的害がない、キューシュー、シコク辺りだろう」

 ミラーは全てを無視したが、その態度から、ミューラーは自身の推測の正しさを察した。彼の「推測」が米軍の機密に属する領域にまで及んでいるため、職務熱心な憲兵少佐は返事をすることそれ自体ができないのに違いなかった。

 答える代わりに、ミラーは別の写真を何枚か差し出してきた。

「……これを見て欲しい」

 次の写真には懐かしいものが写っていた。そこに写っているのは複数の全裸死体だった。暴行の限りを尽くされた挙句、一本の長い針金で掌を刺し貫かれて数珠繋ぎにされた、無惨な姿を晒している。顔は激しい殴打によって潰され、身体は創傷による出血や打撲による紫斑、寒さによる凍傷、そして生命活動が停止した証である死斑などで、紫と赤と黒の斑模様に塗り分けられ、本来の肌の色など判別不可能となっている。

 ミューラーは頷き、問われる前に答えた。

「これは東部で私が処刑したイワン共だな、間違いない」

 ミラーが意外そうな表情を浮かべた。

「これがあなたの命令によってなされたことだと認めるのか」

「認める。これは私が大尉だった頃の出来事だ。誰をどのように処刑するか、私が逐一指示した」そして付け足す。「部下達に罪はない。私が機関拳銃を向け、『拒否する者はイワンの協力者と見做す』と恫喝したから、彼らは従ったのだ。あれは彼らにとって、ある種の自衛行為だった」

「その判断を下すのはあなたでも私でもない。検事と判事だ。それに、あなた一人の証言だけでは信憑性に欠ける。他の者の証言も聞かねばならない」胡乱げな視線を向ける。「……ところで、非常に素直だが、減刑を狙っているのか、大佐」

「私は先ほども述べた通り、放免や減刑など求めていない」投げやりにそう言ってから、躊躇い勝ちに切り出す。「……これが裁判後に破棄されてしまう一時的なものではなく、後々まで残されるものだと言うのであれば、私がイワン共を殺した理由を説明させていただきたい」

「当然だ。全てを聞き出すのが私の仕事だ」言って、ミラーは表情を心持和らげた。「あなたの希望通り、この記録はこの空前の大戦争における重要な史料の一つとして保管され、いずれ時が来れば、大勢の研究家の目に晒されることとなる」

「ありがたい」

 ミューラーは目を細めた。心中にあるのは安堵と感謝の念だった。しかし、そうした穏やかな心情も、これから話そうとする出来事への怒りと悲しみによって、すぐに掻き消されてしまった。

「端的に言えば報復だ」彼は心の中に苦い何かが渦巻くのを感じながら語り出した。「部隊がまだ自動車化歩兵師団であった頃、イワンの虜とされた忠勇なる擲弾兵が、幾人も、先ほどの写真にあったような状態で発見されたのだ。暴行の限りを尽くされ、人間の尊厳全てを毟り取られていた。彼らの、特に若年の擲弾兵達の無念、苦痛は推し量ることすら不可能だ。夢と希望と祖国への忠誠に満ちた純真なドイツの青少年達は、豊かな未来を奪われたのだ。証拠はある。当時親衛隊大将で師団長だったヨーゼフ・ディートリヒを通じ、記録写真を添付した報告書をベルリンに提出した。野蛮なイワンか臆病な役人共に焼かれていなければ、連中の戦争犯罪の証拠はまだ閲覧できるはずだ」

「だから殺したのか」

 証拠云々には触れず、ミラーは問いかけた。

「そうだ」

「なぜ国際法に則って彼らを裁かなかったのかを聞きたい」

「同じことをしただけだ」ミューラーは冷徹に言い放った。「それに、その点についても貴官らに説教されるのは心外だ。イワンに限らず、復讐の念に駆られた連合国の将兵もまた、多くのドイツ軍人を虐殺しているではないか。直接、間接を問わず。間接というのは、卑劣な暴徒(パルチザン)共が捕虜の中から武装親衛隊と降下猟兵を選んで連れ出し、私刑にかけて惨殺するのを黙認したことだ」

 ミラーは顔を顰めたが、反論はしなかった。その代わりに、彼は新たな写真を取り出し、更に問いを重ねてきた。

「では、抵抗組織(レジスタンス)の人員を虐殺したのもそういう理由からか」

 そこには明らかに民間人であると思われる男女の死体が写っていた。こちらはソビエトの捕虜達とは違い、後頭部を撃ち抜かれていたり、吊るし首にされていたりするだけで、それ以外の外傷はない。これもまた見知った光景だった。

「違う」ミューラーはきっぱりと否定した。「復讐心による殺戮ではない。放置しておけば深刻な被害がもたらされる可能性が高かった。自衛行為だ」

 その殺戮に個人的感情が存在していなかったと言えば嘘になる。しかし、歴とした任務であったことは紛れもない事実だ。実質的にソビエトの下部組織と化していた暴徒達は、ソビエトの指令の下、ドイツ将校を片っ端から殺して回った。それも、民間人に偽装した工作員が忍び寄り、隠し持った拳銃やナイフによって背後から殺害するという卑劣な手口によって。

「彼らは兵士ではない。ただの犯罪者であり、ただの暴徒だ。『ハーグ』中の規定に則れば、彼らは交戦者資格を持たず、従って捕虜となる権利もない、ただの殺人犯だ。彼らを処罰したことが弾劾の対象となると言うのであれば、それは国際法に何らの法的拘束力が存在せず、したがって捕虜殺害に関する罪など存在し得ないことを意味するぞ、少佐」

「ならば、なぜ無関係の民間人をも殺害したのだ、大佐」

 ミューラーの言葉の後半を無視し、ミラーが追及を重ねた。

「無関係? 無関係な者などいるものか!」ミューラーは吐き捨てるように答えた。「誰もが何らかの形で関わりを持っていた。直接間接を問わず支援する者、それから我々に密告する者、あそこにいたのはそのどちらかだった。女子供も例外ではない。子供に話しかけられた擲弾兵が、答えるために屈み込んだ隙を狙われ、子の母の手で背中を刺される。そんなことは茶飯事だ」

「それは……」ミラーは困ったように口籠もった。「確かにそれは卑劣な、非難されるべき行為だ……だが、だからと言って証拠もなく、疑わしいというだけで灰色の住民を大量に処刑していい理由にはならない。判事ならぬ私に正誤を判定する権限はないが、しかし、個人的意見としては、それは何らあなた達の正当性を立証する証拠となり得ないと思う」

 しばしの沈黙の後、ミューラーは静かに問いかけた。

「……憲兵少佐。我々は何を間違えたのだろう。我々の罪とは、本当のところ、何なのだろう」

 ミラーは真剣な顔で考え込んでから、決して答える義務など存在しない問いに、静かに答えた。

「戦時国際法その他、戦争に関する明文法、不文法についての種々の違反行為だ」

 その答えはミューラーの望む答えではなかった。

「ならばなぜ貴官らは裁かれないのか」嘲るように問いかけた。「私が求めているのは建前ではない。我々だけがなぜ裁かれるのか、その真の理由を聞かせて貰いたい」

 ミラーは答えなかった。それは彼の立場では絶対に認められない結論だからだ。

「言えないか。では私が代わりに言ってやろう」ミューラーは嘲りを籠めて言った。「我々が敗者であり、貴官らが勝者であるからだ。……最大の罪は敗北だ。そうだろう。違うとは言わせないぞ、少佐」

 理不尽の極みであるその回答こそが、ミューラーが望んだ通り、求めた通りのそれだった。ミラーの口から引き出すことができなかったのは残念だったが、その悔しそうな表情だけで、それなりに気分も晴れた。

「つまるところ、私と貴官の差などは、その程度のものでしかないのだな。貴国の言うところの『戦犯』(ブラック)『無罪』(ホワイト)の差など、所詮その程度のものでしかない」

 ゲオルク・ミューラー親衛隊大佐は、ジョージ・ミラー憲兵少佐に向かって、親しみと嘲りの混じり合った笑い声を立てた。最終的な目的は嫌がらせだ。全ては録音されている。

「先ほども言ったと思うし、あなたも承知の上だと思うが、私に是非を論ずる権限はない。したがって、裁判の進行には何の影響も及ぼさない。せいぜい、こんな問答に応じた私の査定に響く程度だ。もっとも、あなたにはそれで充分なのだろうが」

 不機嫌な声音でミラーは言い、小さく肩を竦めた。

「何のことか理解しかねるな」

 ミューラーは口元を小さく歪めた。



ゲオルク・ミューラー(一九〇八‐一九九〇)の略歴

 一九〇八年 ニーダーザクセン州エルクスハイムで誕生。

 一九二七年 メックレンブルク州警察入隊。

 一九三四年 第一SS歩兵連隊〈アドルフ・ヒトラー警衛隊〉に移籍。

 一九四四年 柏葉剣付騎士鉄十字章受章。親衛隊大佐に進級。

 一九四五年 ドイツ無条件降伏、オーストリア抑留。

 一九四六年 ジョージ・ミラー米陸軍憲兵少佐(後、憲兵大佐で退役)、ハインリヒ・エーベルバッハ独国防軍退役装甲兵大将、パウル・ハウサー親衛隊上級大将らの熱心な嘆願により絞首刑からの減刑で終身刑。

一九六二年 恩赦により釈放。以後、パウル・ハウサーらと共に武装親衛隊員の名誉回復運動に従事しつつ、各国を放浪。

 一九六六年 自伝『我が戦争』出版。以後、続々と著作を発表。作家として活動を開始。

 一九八九年 帰郷。

 一九九〇年 死去。



参考文献

アーサー・ミラー、ヨアヒム・ミューラー共著、田沼悟郎訳『Dear George und Georg 父達の肖像』朝霧新聞社、二〇〇〇年

アルブレヒト・ヴァッカー著、中村康之訳『最強の狙撃手』原書房、二〇〇七年

浦澤剛一『よくわかる軍事裁判―勝者の論理―』大亜書店、二〇〇二年

クルト・マイヤー著、松谷健二訳『擲弾兵:パンツァー・マイヤー戦記』吉本隆昭監修、学研M文庫、二〇〇四年

ゲオルク・ミューラー著、前川大輝訳『我が戦争』朝霧新聞社、一九八三年

ゲオルク・ミューラー著、前川大輝訳『拒絶された愛国者達―我々は同志ではなかったのか―』朝霧新聞社、一九八八年

ジョージ・ミラー著、田沼悟郎訳『憲兵として』朝霧新聞社、一九八七年

ジョン・キーガン著、芳地昌三訳『ナチ武装親衛隊』、サンケイ出版、一九八五年

デビッド・M・グランツ、ジョナサン・M・ハウス共著『詳解 独ソ戦全史』学習研究社、二〇〇五年

山田信明『原爆を知っていた男達』天城書房、一九七四年

パウル・カレル著、松谷健二訳『焦土作戦』フジ出版社、一九七二年

パウル・カレル著、松谷健二訳『バルバロッサ作戦―独ソ戦史』(上中下)吉本隆昭監修、学研M文庫、二〇〇〇年

パウル・カレル、ギュンター・ベデカー共著、畔上司訳『捕虜』学習研究社、二〇〇七年

ハンス・ウルリッヒ・ルーデル著、高木真太郎訳『急降下爆撃』学習研究社、二〇〇二年

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