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この溺愛にはウラがある  作者: 七瀬菜々


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6/14

6:まだ先輩のこと好きなの?(1)

 あの朝の騒動から、気づけばもう一ヶ月が経っていた。


 朝は毎日同じ時間に目覚め、ルネの手を借りながら身じたくを済ませる。すると、ちょうど良い頃合いに先輩が私の部屋を訪ねてくる。そして先輩と一緒に私の部屋で朝食を取り、そのまま一緒に朝の散歩に出かける。

 散歩は屋敷の庭を三十分程度歩くだけだが、筋力の衰えた私には結構キツい。でも私が辛そうにしていると、毎回先輩が私を抱き抱えてガゼボで休ませてくれるので問題ない。

 問題があるとすれば、それは過剰なほどに優しい先輩の態度だろう。甘い言葉を囁きながら私を気遣う先輩には、いまだに慣れない。

 午後からは、これから社交界に出るための基礎知識をルネから学んだり、刺繍や読書をしたりして過ごす。

 そして夜は先輩が仕事から帰るのを待ち、食堂で夕食を取る。魔塔の仕事は激務だと聞いていたけれど、先輩は毎日必ず同じ時間に帰宅するので、もしかしたら私のために無理をしているのかもしれない。

 夕食の後は、サロンに移動して紅茶を飲みながらゆったりと、その日の一日の出来事を話すのが日課だ。まあ、一日の出来事と言っても、特に何かしているわけでもないので、その日学んだこととか、読んだ本の話しかしないのだが……、それでも先輩は私の話をとても愛おしそうな顔をして聞いてくれる。まるで私に恋をしているかのような眼差しを向けられる度に、私の心臓は壊れそうなほどに早くなる。

 そうしてひとしきり話した後、先輩は私を部屋まで送り届け、必ず額におやすみのキスをしてから自室に戻るのだ。

 ……もはや先輩は、私を殺そうとしているのではないかとさえ思う。心臓がもたない。こんなに優しくされる理由が、どうしてもわからないせいで、嬉しいはずなのにずっと胸の奥がざわついている。


「もう胸焼けだよぉ……」


 甘い。甘すぎる。糖分過多だ。この一ヶ月で致死量の砂糖を摂取している気分だ。

 私は今朝、行ってきますのキスをした先輩の顔を思い出し、恥ずかしさのあまり机に突っ伏した。

 ルネはそんな私の頭を、丸めた資料で叩く。


「……痛い。何すんのよ」

「お勉強中ですよ、奥様。しゃんとしてください」


 それっぽく伊達メガネをかけたルネは、メガネの端をクイッと上げ、私を見下ろす。その姿は、意地悪な家庭教師そのもので、私は苦笑した。


「似合ってないね」

「あんたが『勉強はやる気出ないからハイネ先生の真似して』って言ったんでしょうが!」

「あはは、ごめんごめん。でもまさか本当にその格好するとは思わなかったわ」

「何よ、もう! 今後は絶対こんな格好しないから!」


 ルネはメガネを投げ捨て、近くの椅子を引っ張って来て、私の隣にどかっと座った。


「ほら、無駄なおしゃべりしてないで手を動かす!」

「えぇー。ちょっと休憩しようよー。というか、話聞いてよー」

「話って、どうせ先輩のことでしょ?惚気なら聞かないから」

「惚気じゃないんだってば。真剣に悩んでるのぉ!」


 確かに惚気にしか聞こえない悩みだろうが、それでも私は真剣に悩んでいるのだ。

 私は潤んだ瞳でルネを見上げた。するとルネはぐっと眉間を寄せるも、少し悩んだのちに大きく息を吐いた。

 そして「仕方がないなぁ」と私の額を指で弾いた。


「話してみなさい。少しだけなら聞いてあげるわ」

「ルネ……」

「少しだけだからね?惚気と判断したらすぐに勉強に戻るから」

「大好きぃ」

「……はいはい」


 私は呆れ顔のルネに抱きつき、彼女のスレンダーなくせに豊満な胸元に顔を埋め、今の正直な気持ちを話した。

 

 自分の記憶の中の先輩は、私を少し手のかかる後輩としか見ていなかったこと。後輩として可愛がってはくれていたが、間違いなく恋愛対象としては見ていなかったこと。それなのに、今はまるで私が最愛であるかのように振る舞うから、理解が追いつかないこと。先輩と両思いなのが嬉しいはずなのに、困惑と恥ずかしさの方が勝っていつも先輩のスキンシップを素直に受け止められないこと。

 私は目覚めてからの複雑な心境を語った。

 ルネはそんな私の話を茶化さずに聞いてくれた。そして、母のように温かく両腕で私を包み込んでくれた。

 彼女の心臓の鼓動に、私は心から安心する。


「記憶がないせいで心と体のバランスがおかしくなってるのかしら、私」

「……そうかもね」

「ねえ、先輩ってずっとあんな感じだったの?」

「あんな、って?」

「何というか……、こう、妻を溺愛するような?」


 私の中の先輩は、人を揶揄って遊ぶことはあっても、あんな風に歯の浮くようなセリフを平気で言えるタイプではなかった。もしや、私が知らないだけで実は恋人にだけ見せる顔があったということだろうか。


「先輩は妻を甘やかすタイプだったのかな?」

「……さぁ?」

「さあって……。ルネ、私と先輩ってどんな夫婦だったの?ずっとそばにいたルネなら知っているでしょう?」


 ルネがいようがいまいが、先輩は私を甘やかして愛を囁く。だからルネは私たちの様子を知っているはずだ。そう思ったのだが……、ルネはなぜか険しい顔をして私を見下ろした。


「ルネ……?」

「ねえ、エチカ。エチカは先輩のこと……、まだ好きなの?」

「……?好きだよ?」


 『まだ』とはどういう意味だろう。ルネが一番、私の先輩に対する気持ちを知っているはずなのに。

 不穏な言い方に、私は眉をひそめた。

 すると、ルネは何かを迷っているように唇を結び、しばらく悩んだ後、言いづらそうに言葉を発した。


「あのね、怒らずに聞いて欲しいんだけど」

「う、うん」

「………………あんまり、先輩のことを信用しないで欲しい」

「え……?ど、どうして?」

「……せ、先輩とエチカの夫婦関係は……、その……、は、破綻していたからよ」

「………………へ?」


 私は驚きのあまり、間抜けな声を出してしまった。


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