4:大親友のルネ
その日の夜、先輩はベッドで横になる私の元に一人の侍女を連れてきた。結婚して以来、ずっと私の侍女としてそばにいてくれたという彼女の顔を見て、私は固まった。
「………え、ルネ?」
腰くらいまであった亜麻色の髪は肩あたりまで短く切り揃えられているが、あのヘーゼルの瞳と、凜とした面差しは間違いなくルネ・ド・ゴーシェだ。
魔法学園のルームメイトとして出会ってからずっと、私の不毛な片思いをそばで見守ってくれた大切な存在。唯一無二の大親友。
私はルネと先輩の顔を交互に見て、説明を求めた。
すると、ルネはどこか気まずそうに顔を伏せた。
「ルネが侍女……、ですか?」
「ああ、そうだよ。驚いたか?」
「ええ、とっても……」
「ルネはな、モンフォール家に嫁ぐ君を心配してついてきてくれたんだよ。それも、わざわざ魔塔を辞めて、俺に雇ってくれと直談判してきたんだ」
「え!?魔塔を!?」
魔塔といえば、魔法学園卒業後の進路としてはエリート中のエリート。優秀なルネなら魔塔に就職できたのは当然だが、まさか私のために辞めるとは。
「そんな……。堅苦しい貴族社会から離れたくて、魔塔への就職を目指して頑張っていたのに……」
私は何だか居たたまれなくなり、ルネの方を見上げた。
「ねえ、ルネ。伯爵令嬢のあなたが私の侍女なんて。ご両親は大丈夫だったの?」
「平気よ。魔塔で働くよりも公爵家の侍女の方が良い結婚相手を見つけられると思うって言えば、あっさり許可を出してくれたから」
「そっか……、あの、ごめ……」
「謝らないで、エチカ。あたしはあたしの意思でここにいるの」
ルネはそう言うと、優しく微笑んだ。その微笑みは学生の頃よりも少し大人びて見え、別人のように思えた。
……当たり前か。五年も経っているのだから。そりゃ、ルネも大人になる。でも、
「ルネ……。ありがとう。大好き……」
私のことを大切に思ってくれているところは何も変わらない。こんなにも親友に思われているなんて、私は幸せ者だ。
「エチカ、ルネは信頼できる味方だ。誰よりも君のことを大切に思ってくれている。だから今後も君の世話は彼女に一任しようと思うんだが、構わないか?」
「はい。もちろんです!」
「よし。では、ルネ。これからもエチカのことをよろしく頼む」
「はい。お任せください」
「記憶喪失のことは、さっき話した通りだ。しばらくは秘密にしておく。本人以外は俺とスタンリーと君しか知らないからそのつもりで」
「別邸の使用人にもですか?」
「ああ、そうだ」
「いずれどこかから漏れると思いますが……」
「その時はその時だよ。こちらから言う必要はない。俺の家族にも今は秘密にしておくから」
「それはコレット様にも、ですか?」
「もちろんだ」
「エチカが目覚めたことを知ったら、コレット様からはお茶会のお誘いがあるかと思いますが、それはどのように対応しますか?」
「本邸の方には社交はしばらく休むと伝えておくから大丈夫だ」
「……かしこまりました」
「あと、エチカは目覚めたばかりだから、今は無理に記憶を取り戻すより、心身の回復を優先してほしい」
先輩はそう言うと、昼間にスタンリー先生から渡されたメモ書きをルネに見せた。ルネはそれを険しい顔で受け取った。
「……エチカの記憶を取り戻そうとするなということですか?記憶は戻らない方が都合がいいと?」
ルネの声は少し低くなった。どこか疑念のこもった声音だ。どうやら先輩の気遣いを悪い方に受け取ってしまったらしい。
先輩は厳しい目を向ける彼女に小さくため息をこぼし、首を横に振った。
「……邪推するな。別に記憶が戻らなくても良いと思っているわけじゃない。ただ今は無理に思い出そうとする必要がないと考えているだけだ」
「……そうですか」
「記憶に関しても、基本的にはスタンリーの指示に従うつもりだ。エチカの負担にならないようにしたいと思っている。だから君もそのように動いてくれ」
「わかりました」
ルネはメモ書きをギュッと握り締め、小さく頷いた。
「じゃあ、そういうことだから。エチカ、何か困ったことがあれば、俺かルネを呼んでくれ」
「は、はい」
先輩は私の方に向き直ると、ゆっくりと近づき、ベッドの端に腰掛けた。そしてものすごく自然に、あたかもそうする事が当然のような顔をして、そっと私の頬に口付けた。
私の記憶ではの先輩はこんなふうに気安く触れてくる人じゃなかった。同じ人のはずなのにどこか別人みたいで、胸がざわつく。触れる手が、唇が、熱い。
先輩の熱を感じ取ってしまった私は、頬を抑えて咄嗟に距離を取った。すると先輩はそんな私の顔を見て、嬉しそうに笑った。
「なんだよ、逃げるなよ」
「な、何をするんですか!?」
「何って、おやすみのキスをしただけじゃないか。いつもしていただろ?」
「いつも!?」
「まったく。頬にキスくらいでそんな反応するなんて、さすがは十七歳だな」
「なっ!?子どもだと言いたいのですか!?」
「可愛いと言っているんだよ。本当に、昔の君に戻ったみたいだ」
「まあ、あながち間違いではないですがね!」
「ははっ。そうだな」
「先輩、もしかして面白がってます!?」
「まさか!ただ、懐かしがっているだけだよ。……じゃあね、エチカ。おやすみ」
先輩は立ち上がり、今度は私の額に唇を落とし、そのまま部屋を後にした。
私は額を抑え、涙目になりながら先輩の背中を見送った。そしてパタンと扉が閉まったと同時に叫ぶ。
「先輩、キャラ違いすぎない!?」
まさか、こんなふうに平然と愛をささやくなんてことができるタイプだとは思わなかった。
なんだか悔しいし、恥ずかしい。私は近くにあったクッションを抱き抱え、顔を埋めた。
「くうううう!」
「……エチカ」
私が奇声を上げていると、背後から遠慮がちに声をかけられた。私はハッとして顔を上げる。
そうだ、忘れていた。
「ル、ルネ……」
私は振り返り、ルネを見た。
すると彼女は瞳を潤ませ、お仕着せのエプロンをギュッと握りしめていた。その姿を見て、私は相当な心配をかけたのだと悟った。
「ご、ごめんね。ルネ」
「あたしの存在無視して、先輩とイチャついてんじゃないわよぉ!」
「ごめんって」
「あ、あたしがどれだけ心配したと思って……!」
ポロポロと大粒の涙を流すルネ。私はベッドを下り、ルネを抱きしめた。
「もしかして、さっきは泣くの我慢していたの?」
「うるさい!わかってるなら聞くな!」
「あはは!いつも凜としたルネを泣かせるなんて、さすが私だわ!」
「調子に乗ってんじゃないわよぉ!」
「うん、ごめんね。心配かけたよね」
「あたしは、もう、あんたが目を覚さないんじゃないかと思って、ずっと不安だったんだからね!」
「うん……」
「ずっと、死んだみたいに眠ってるから……!」
毎日、意識のない私の体を拭くたび、徐々に細くなっていく私の体を見るたび、怖くてたまらなかったと、ルネは泣く。
「エチカ……、エチカ……!!」
「うん、エチカだよ。あなたの大親友のエチカだよ」
「エチカ……!」
「はぁい。エチカですよ」
ルネは私にしがみつき、大粒の涙を流しながら、私の名前を繰り返し呼ぶ。
私は彼女を落ち着かせようと、その震える背中を優しくさすった。
そうしてしばらくすると、ルネは落ち着いたのか、ゆっくりと顔を上げた。
目も鼻も真っ赤な彼女を見て、私は思わず笑ってしまった。
「ルネ、ぶさいくー」
「う、うるさい!」
「嘘よ、可愛いわ。とーっても可愛い」
「もう!揶揄わないで!」
「あはは!ごめんごめん」
ルネはプリプリと怒りながら、ハンカチで涙を拭き、もう一度私を抱きしめた。そして、安堵したように静かに呟いた。
「おかえり」、と。
そう言われたら、私こう返すべきだろう。
「……ただいま」、と。




