22:真相(4)
「ルネ、どういうつもりだ?エチカを離せ」
先輩はルネを刺激せぬよう努めて冷静に、彼女を諭す。だが、私の背後で腕を絡めるルネは、まるでその怒気を愉しむように、ゆっくりと肩を揺らした。
「いやですよ、先輩。だって……もう全部バレてしまっているんでしょう?」
その声音は妙に静かで、逆に底知れない不気味さを帯びていた。
彼女の腕は細いのに、逃げられないほど強い。
ナイフの刃先が首筋に触れ、ひやりとした感触が皮膚をなぞるたびに私の心臓は跳ねた。
「ルネ、それは自白と捉えていいのかな?」
シルヴァン様の声が少しだけ低くなる。ルネは彼の問いに答えることなく、ふっと笑った。
そして私の耳元へ顔を寄せた。吐息が触れ、背筋がぞくりと冷える。
「ごめんね、エチカ。でも安心して?あたしはあんたを傷つけないから。……あの男と違って」
あの男、とは先輩のことだろう。
ルネの声はとても優しいのに、底に鋭い棘が潜んでいる。少なくとも、今のルネは私の知っている彼女ではない。
「ルネ、どうしてこんなことを……!君はエチカのことを誰よりも大切に思っていたんじゃなかったのか!?」
先輩は、今度はルネの情に訴えかけるように叫んだ。
だがルネは、私を抱きしめる腕にさらに力を込め、冷たく笑った。
「どうして?それはこちらのセリフですよ、モンフォール先輩」
「どういう、意味だ?」
「わからないフリをするんですか?あんなにもエチカのことを傷つけておいて」
「……そ、それは!」
先輩は苦しげに顔を伏せた。何も言い返せないのだろう。その横顔には、後悔と自責が滲んでいる。
「た、確かに俺はエチカを傷つけた。でも……そうするよう仕向けたのは君じゃないのか?君が俺に精神干渉魔法を使ったから……だから……」
先輩の声が弱々しくなっていく。するとルネは、そんな先輩を鼻で笑い飛ばした。
「いやだなぁ、先輩。人のせいにしないでくださいよ。先輩ほどの実力を持つ人が、あの程度の弱い精神干渉魔法で簡単に感情をコントロールされるなんて、情けない。きっと深層心理の部分でエチカのことを信頼していなかったんでしょうね? だからあんなにも簡単に魔法にかかって、エチカのことを疑えたのよ」
「違う……!信頼してないなんてことはない!」
「ハッ!どうだか!……まあそもそもの話、疑ったとしても話し合えば解決したことなのに、それをせず、エチカを傷つける行為をしたのは先輩ですよね?あたしは情報と思い込みを加速させ、視野を狭くさせるように魔法をかけたけど、エチカを傷つける方向に進むようにはコントロールしていないわ」
ルネは先輩に軽蔑の視線を向け、吐き捨てるように言った。
その視線は氷のように冷たく、先輩の胸を刺し貫く。
先輩は言葉を失い、拳を握りしめた。
一瞬の沈黙が落ちる。風の音すら遠のき、世界が止まったみたいに感じた。
ああ、どうしてこんなことになってしまっているのだろう。
胸が締めつけられ、呼吸が浅くなる。
私は問いかけるように、縋るように、ルネの名を呼んだ。
「……ルネ」
その一言に、ルネはぴくりと肩を揺らした。
そして、今度は嬉しそうに、私の耳元へ顔を寄せる。まるで恋人に囁くような、優しい声で。
「ねえ、エチカ。知りたい?あたしがなぜこんなことをしたのか」
「……教えて、くれるの?」
「ええ、もちろんよ」
ルネは懐かしそうに遠くを見つめながら、話し出した。
「……あんたは覚えていないかもしれないけど、結婚してから一度だけ、あたしに手紙をくれたのよ」
「手紙……?」
「そう。魔塔に就職して社交界から遠ざかったあたしと、貴婦人の振る舞いを勉強中のエチカは、互いに社交場にあまり顔を出さないから会う機会もなくてね。会いたいなーって思っていたら、ある日、あんたから手紙が届いたんだ」
ルネ曰く、手紙の内容はただの愚痴だったそうだ。
貴族としての立ち振る舞いが難しいとか、親族の集まりになじめないとか。
淑女教育を必死に頑張ってたのに、突然家庭教師が辞めてしまったとか、そんな内容。
きっと、当時の私はとにかく話を聞いて欲しかったのだろう。だからルネに手紙を送った。
私にとって、そんなことを話せる相手はルネしかいなかったから。
だけど、ルネはそれをSOSと受け取ってしまったらしい。
「エチカは、自分が先輩に呆れられてしまったんじゃないかと不安だって書いていた。あたしの知っているエチカは、こんな風に弱音を吐く子じゃなかった。だから、おかしいと思ったあたしはすぐに先輩に会いに行ったの」
ルネはそう言うと、先輩の方へと視線を向けた。
「先輩は覚えてませんか?あたしが魔塔で先輩の研究室にお邪魔したこと」
「覚えているが……」
「あたしはその時、最近のエチカの様子はどうですかって聞きましたよね?そうしたら、先輩はなんと応えたか覚えてます?」
「それは……、覚えていない……」
「先輩はね、『エチカは昔と変わらずに元気にしているよ』って言ったんです」
ルネの声がまた冷たくなった。先輩に対する軽蔑と怒りが、隠しきれず滲み出ている。
「あたし、それを聞いて落胆したのよ。この人、何にも見えていないんだなって。……だから私は魔塔を辞めた。エチカを支えるためにね」
魔塔に辞表を出し、その足で先輩の元に行ったルネは、『家庭教師も護衛も侍女も、全部できるから雇ってくれ』と頭を下げたらしい。
先輩はその時のことを思い出したのか、苦しげに目を伏せた。
「そして侍女になってしばらくして、あたしは重大なことに気づいたの。エチカが元気をなくしていた最大の原因が……コレット様にあるって」
その言葉に、先輩の顔色が変わった。きっと、そんな会話をしたことを思い出したのだろう。
ルネはその変化を見逃さず、また、嘲るように笑った。
「今更思い出しましたか?」
「……ああ」
「エチカはずっと陰でひとりで泣いていました。でも、先輩の前でもあたしの前でも、強がって何も言わない。だからあたし、先輩に進言したんですよ。コレット様がエチカに嫌がらせしているからなんとかしてほしい、と。その時、先輩はなんて答えたか覚えてますか?」
「……」
「その顔、覚えてますよね?そうですよ。『コレットがそんなことをするはずがない』って言ったんですよ!」
ルネの語気は怒りからか、少し強まる。私の肩に置かれた手がかすかに震えている。
先輩は唇を噛みしめた。言葉にできない後悔が彼を襲う。
「その時、私は完全に先輩に見切りをつけました。そしてエチカをこの屋敷から連れ出そうと決意した」
ルネはまず、私が先輩から離れたくなるように、コレット様と先輩の関係を誤解させるような情報を私の耳に入れた。
けれど、先輩のことが好きすぎた私はなかなか先輩を諦めきれず、離婚に踏み切れなかった。
だから、ルネは方向性を変え、ターゲットを先輩へと移した。
「……それで先輩に精神干渉魔法をかけて、私とシルヴァン様の噂を流したってこと?」
「そうよ。先輩の方からエチカに離婚を切り出してもらえたら、エチカも諦めるだろうと思って。……でも先輩もなかなか離婚してくれなくてね。あんなにもエチカの事を疑っていたのに、全然手放そうとしないの」
ルネは苦笑した。
「あたし、見誤っていたみたい。先輩ってあたしが思っていたよりもずっとエチカに執着していたの。だから、もうこうなったら最後の手段だと思って……」
そう言って、ルネは胸元からネックレスにした小瓶を取り出した。
不気味な緑色の丸薬が一つ、光を吸い込むように沈んでいる。
それを見た瞬間、シルヴァン様が顔を青くした。
「それは……魔女の秘薬……!」
「そうですよ。魔女の秘薬です。……実はあたし、まだ完全に魔力を失ったわけじゃないんです」
「なっ……!?」
「あははっ!もうあたしが魔力を失っていると思って油断していたんでしょう?残念でしたね。まだ、ほんの少しだけど残っているんです。あたしはそれを大事に取っておいた。今のあたしは魔法を使えないんじゃなくて、あえて魔法を使っていなかっただけ」
ルネは高笑いを浮かべ、嬉々として話した。
その笑い声は明るいのに、どこか壊れた音が混じっている。
新年会の日、魔女の秘薬を飲んだルネは、私に何らかの禁忌の魔法を放とうとした。
だが、直前で私が防御魔法を発動したため、魔法は不完全なまま消滅。
そのせいで、本来なら完全になくなっているはずだった魔力が、残り火のような状態でルネの中に残っているらしい。
ルネは器用に片手で小瓶を開け、丸薬を口に含んだ。
その瞬間、背後で魔力が膨張していくのを感じた。
「……ルネ、何をするつもりなの?」
「エチカ、次は拒絶しないで。どうか受け入れて」
「ねえ、答えてよ。ルネ……!」
「たいしたことじゃないわ。エチカを苦しめる存在をエチカの中から消すだけだよ」
その言葉で、私はピンときた。
胸の奥が冷たくなり、呼吸が止まる。
そうか。
だからルネはあのとき、あんなふうに聞いたのだ。
ーーまだ、先輩のことが好きなの?
と。
「ルネ、あなた……、私の頭の中から先輩の存在を消そうとしたわね?」




