21:真相(3)
頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。思考が一瞬、白く弾ける。ぐらりと視界が揺れ、足元の感覚が遠のく。
「や、やだなぁ、シルヴァン様。ルネがそんなことするわけないじゃないですか。あり得ないですよ」
そう、あり得ない。
だって、ルネにはそんなことをする理由なんてない。私は自分にそう言い聞かせる。
先輩も同じ考えだったのか、すぐに反論してくれた。
「そうですよ、兄さん。ルネは魔塔を辞めてまで、エチカの侍女になったんですよ?そんな彼女がエチカを傷つけるような真似をするはずがない」
「先輩の言う通りですよ、シルヴァン様!……そ、それに!そもそも、二つの件が関連しているとは言い切れないですよね!?」
そうだ。噂が別邸から流れたという話も、ルネが発端とは限らない。別邸のメイドは私の事を嫌っていた。彼女たちの誰かが噂を流したのかも知れない。
それに、先輩の信頼を得ているというのなら、魔塔の部下が勝手に動いた可能性だって十分にある。
うん。大丈夫。違う。
無理矢理関連付けるから、かえって怪しく見えるだけ。私はそう呟いた。
すると、シルヴァン様は困ったような笑みを浮かべた。
「エチカ、最近ルネが魔法を使ったところを見たことがあるかい? 魔女の秘薬を使っていたのなら、もう魔法が使えないはずだよ」
「そんなの……! そんなの……」
反論しようとした言葉が喉でつかえた。
(あれ……?そういえば、見ていない……?)
いや、違う。
それはただ、日常生活で魔法を使う機会がなかっただけだ。私だって、普段は魔法を使わない。
そう言えばいいだけなのに。……どうしてだろう、声が出ない。
「ち……違います。違う……」
必死に声を絞り出す。自分でも驚くほどに、弱々しい声が出た。
その瞬間、監禁されていた時の記憶がふっと蘇った。
そういえば、どうしてルネはあの時ハシゴを使ってテラスに登ってきたのだろう。
魔法で飛べば、もっと早く、もっと静かに来られたはずなのに。
胸の奥がざわつく。
嫌だ。違う。違う。そんなはずない。
「父上はおそらく、ルネのことなど頭にないだろう。だが、僕は彼女のことを父に報告するつもりでいる。その前に君たちには話しておこうと思ってね。……どうせ魔力痕の照合が終われば、全部わかることだから」
シルヴァン様の声が静かに落ちた。
その冷たさに、私は気がつくと立ち上がり、彼を見下ろすように叫んでいた。
「……違う。違う違う違う! 絶対違う! そんなわけない! 私は……! 私はそんな話、信じません!」
「エチカ、世の中に絶対などというものは存在しない。それは、不可能を可能にする魔法を扱う君が一番よくわかっているはずだ」
シルヴァン様は諭すように言う。
あらゆる可能性を洗い出し、不可能を一つずつ潰していく。それが魔法師の思考だ。
過去の自分の言葉が、皮肉のように胸へ突き刺さる。
私は縋るように先輩を見た。
しかし、シルヴァン様の言葉が響いてしまったのか、先輩は険しい顔をして、ぽつりと呟いた。
「そういえば、ルネはハイネ先生の研究室に所属していたような気がするんだが……」
確かに、治癒魔法師の資格も持つハイネ先生の研究室では、主に精神干渉魔法について研究していた。
「ルネは……成績優秀だった。実技の方も、魔塔に就職できるほどの腕前を持っている……。魔女の秘薬も、魔塔経由なら入手できてもおかしくはない」
心臓がドクンと跳ねた。
嫌だ。違う。疑うから怪しく見えるだけ。
だって、だって……ルネは……
――またフラれた? もう諦めなよ
――ほんと懲りないわね。ほら、今日は甘いもの食べて、自分を甘やかすのよ
――告白もいいけど、あんた次の試験大丈夫なの?
――え? お菓子作りを手伝って欲しい? まったくもう、エチカはほんとに、仕方がないなぁ
――エチカはあたしがいないとダメなんだから
――大好きよ、エチカ。あんたはあたしの一番の友達だわ
過去が、波のように押し寄せてくる。
ルネはいつだって私のそばにいた。そばで私を見守ってくれて、優しく微笑んでくれた。
時には喧嘩もしたけど、すぐに仲直りして……本当にいつも一緒だった。
私の恋をいつもそばで応援してくれて、私がフラれたらその度に慰めてくれて、私の告白のためにお菓子作りに付き合ってくれて、試験前は自分の勉強もあるのに、私の勉強まで見てくれた。
私の親友。一番大好きな友達。
「違います。そんなはずない。だって、私が先輩のこと好きなの、ルネが一番よく知ってる。そんなルネが、私の恋の邪魔をするなんてあり得ない。絶対、違う!!」
「エチカ!待って!!」
先輩が叫んでいる。だけど、私は構わず部屋を飛び出した。
(違う、違う!ルネじゃない!)
私は陽光が差し込む赤絨毯の回廊を駆け抜け、突き当たりの大窓から下を覗き込んだ。
するとそこには、正門の前でオリビア様たちを見送るルネの姿があった。
馬車が見えなくなるまで、深々と頭を下げ続けるルネ。それは本来なら、貴族令嬢である彼女がするような仕事ではない。
(やっぱり、あり得ない)
どこの世界に、たかが平民の友人のためにそこまでできる人がいるというのだ。
窮屈な貴族社会から抜け出したいと言っていたルネが、それが叶う魔塔をやめてまで私のそばに来てくれた彼女が、そんなこと、するはずがない。
「ルネ……!!」
私は窓を開け、外へ飛び降りた。
魔力を身に纏い、ふわりと体を浮かせる。
そして、ゆっくりと地上へ降り立ち、ルネの目の前に着地した。
ルネは驚いたように目を見開いた。
「……エチカ? どうしたの? 先輩たちと話をしていたんじゃないの?」
「あ、あのさ……」
「エチカ?」
何を言えばいいのかわからない。
心の奥で、言葉が形になる前に砂のように崩れ落ちていく。
「……ねえ、ルネ」
「何?どうかした?」
「ま、魔法!魔法を見せてよ!ひ、久しぶりにルネの魔法が見たいな……」
自分でも、何を言っているのかわからなかった。
疑っているわけじゃない。信じているはずなのに。
なのに、声は震え、喉の奥がひりつく。
「ルネ、屋根の上に登ろうよ。昔みたいに、お日様の下で久しぶりに寝転んでさ……話がしたいな」
そう言った瞬間、ルネはどこか諦めたように、乾いた笑みを浮かべた。
「……だから言ったんだよ。こんなところ、早く出て行こうって」
「ル、ルネ……?」
「モンフォール公爵が何か調べてるのはわかったけど、私のことは頭になかったみたいだから油断してたわ。警戒すべきはシルヴァン様の方だったのね」
「な、なに……言って……」
理解が追いつかない。
その言い方では、まるで、シルヴァン様の言っていたことが本当だったみたいじゃないか。
「エチカ……いいよ。行こっか。屋根の上でもどこでも、付き合ってあげる。でも、ごめんね……?」
ルネは魔力を纏い、さっきの私のように体を浮かせようとした。
けれど――
彼女の体は一ミリも浮かない。 纏った魔力は、はじけるように霧散した。
「…………嘘。嘘よ」
「エチカ。あたしね、もう飛べないんだ。……だから、エチカが連れて行ってくれる?」
ルネはそう言って、寂しそうに笑った。
白魚のように細く美しい彼女の手が、そっと私へ伸びてくる。
だが、その次の瞬間、 空気が弾ける鋭い音がして、ルネの手が跳ね飛ばされた。
「っ……!」
ルネは痛みに顔を歪め、私の背後を鋭く睨みつける。
「エチカ……!!」
呼ばれた声に反射的に振り返る。
すると先輩とシルヴァン様が、血の気の引いた顔でこちらへ駆けてくるのが見えた。
足音が石畳に響き、空気が一気に張り詰める。
ルネは小さく舌打ちをし、私の腕を乱暴に引き寄せた。
そのまま背後から抱きしめるように、強く、逃がさないように羽交い締めにする。
そして
私の首筋に、小型ナイフの刃先を当てた。
ひやりとした感触が皮膚をなぞり、背筋が凍りつく。
「近づくな!」
ルネの叫びが、空気を震わせた。
先輩たちは、まるで見えない壁にぶつかったように、その場でぴたりと動きを止める。
空気が重く沈み、誰も息をするのさえためらうような静寂が落ちた。




