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この溺愛にはウラがある  作者: 七瀬菜々


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11/22

11:記憶の照合(1)

 柔らかい光が、閉じたまぶたの裏をじんわりと温めてくれる。夜の気配が完全に消えきらない、淡い朝の光だ。

 私はその柔らかさに誘われるようにゆっくりと目を開けた。

 すると、真っ先に飛び込んできたのは、私をじっと見つめる群青の瞳だった。


「先輩……?」


 私がそう呼ぶと、先輩は安堵したように微笑む。


「おはよう、エチカ」


 低く落ち着いた声と、いつもと変わらない優しい眼差し。

 けれどその目の下には、昨日よりも濃くなったクマがくっきりと刻まれている。

 ……どうやらこの人は()()一晩中、私を見張っていたらしい。


「先輩、少しは休んだ方がいいですよ……?」

 

 私は切実に、本当に先輩を心配してそう言った。しかし先輩は、まるで聞き慣れた抗議だと言わんばかりに、穏やかに返す。


「休暇なら取っているから大丈夫だよ」

「そういうことじゃなくて、ちゃんと眠った方が良いと言っているんです。目の下のクマ、日に日に濃くなっていますよ?」

「回復薬を飲んでいるから、寝ていなくとも元気だよ」

「回復薬を多用することは人体に悪影響でしかありません。あれはこんな使い方をするものじゃないです」

 

 回復薬とは本来、怪我や病気の回復を手助けするために使われる品物だ。それも、特に危機的状況に陥った患者に対して投与されるもので、間違っても健康な人間に使う物じゃない。

 それを寝不足の体に鞭を打つために使うだなんて、信じられない。魔法薬法に抵触する行為だ。

 私が眉をひそめると、先輩は少しだけ困ったように笑った。


「俺を心配してくれるのは嬉しいけど、魔塔では一週間、まともな睡眠も取れないなんてことはザラにあるから大丈夫だ。心配はいらない」

「だから、そういうことじゃなくて……」


 ああ、どうしよう。まるで話が通じない。

 私は深く息を吐いた。爽やかな朝なのに、心はずっと沈んでいる。


(……今日で三日目か)


 あの日――精神干渉魔法で強制的に私を眠らせた先輩は、そのまま自分の部屋へ運び込んだ。そして理由も告げずに足枷をつけ、この部屋に閉じ込めた。

 それ以来、私はこの部屋で先輩と二人きりで過ごしている。食事も着替えも、身の回りのことはすべて先輩がしてくれる。

 そのせいで、もう三日もルネと顔を合わせていない。

 

「……ルネに会いたい」


 私はポツリとつぶやいた。自分でも驚くほど小さな声だった。

 けれど先輩は確かに聞き取って、にっこりと微笑んだ。

 もっとも、笑みと言っても形だけのもので、彼の目の奥には一片の温度もないのだが。


「ダメ。ルネは余計なことしか言わないから」

「……余計なことって何ですか」

「俺と別れろとか、この家を出て行こうとか、そういうことだよ」

「ルネはそんなこと言ってません」

「これから言うはずだ。だって彼女は君が一番大切だからね。きっと、こんなところにいても不幸になるだけだと言って、君を連れ出すんだ」

「……それって、先輩といると私は不幸になるということですか?」


 私はゆっくりと体を起こし、先輩を睨んだ。先輩はベッドの脇に立ったまま、感情の読めない目で私を見下ろす。

 視線が交わった瞬間、部屋の空気が、ほんの少しだけ冷えた気がした。


「……俺は君を世界で一番幸せにしたいと思っているよ」

「だったら足枷を外してください。これがあるせいで私は今、すごく不幸……」

「でも俺の知らないところで、俺以外の誰かの手によって幸せになるのなら……、いっそ俺の手元で不幸でいてほしいとも思うよ」

 

 私の言葉に被せるようにして放たれたその一言は、とんでもなく身勝手で恐ろしいものに思えた。


「……先輩の言っていることはよくわかりません。幸せにしたい言ったり、不幸でいて欲しいと言ったり……。矛盾しています」

「わからなくていいよ。どうせ言っても理解できない」

「そういう、突き放すみたいな言い方はやめてください。私はちゃんと先輩とお話しがしたいです」

「……」 

「先輩は、過去を知った私がこの屋敷を出て行くと思っているみたいですけど、私はそんなこと考えてないです。そりゃ、確かに日記の内容には驚いたし、今も混乱してます。でも、同時に日記に書かれている事がすべてだとも思っていません」


 だって、あれは私の視点で書かれたものだ。

 結婚を決めた理由だって、あの日記の書き方だと、私はあくまで誰かからそういう話を聞いただけ。きっと先輩に真偽を確認したわけじゃない。

 コレット様との浮気疑惑だって、結局口論になり、まともに話もしていないようだった。

 

「私たち、会話が足りていなかったんじゃありませんか?それできっと、こんなにも拗れてしまっているんですよ!だから、もっと話を……」


 そこまで言った瞬間、先輩がひどく乾いた笑みをこぼした。


「会話?会話なんて散々したじゃないか。……俺は何度も誤解だと言った。それなのに、俺の言葉を信じなかったのは君だろう!?」

「……え?」


 先輩の荒げた声に、私は思わず息を呑んだ。


「ああ、そうさ。確かに君のいう通り、俺はコレットのことが好きだった。でも、それはもう過去の話だ。君が過去にしたんだ。今は君しか見ていない!君が好きだから結婚した!当たり前だろう!?……それなのに君はずっと俺と彼女のことを疑って……!俺のいうことなんてこれっぽっちも信じてくれない!……ふざけるなよ。自分が浮気してるからって、俺も同じだと決めつけるな!」


 次第に語気が強まり、最後には叫びに近くなる。私はただ、肩で息をする先輩を、困惑したまま見上げることしかできなかった。


「せ、先輩……」


 意図せず、か細い声が勝手に漏れた。先輩ははっとしたように目を瞬かせる。彼の顔には一気に後悔の色が広がった。


「……あ、ごめ……」

「あの……、先輩、私……」

「ごめん。少し、頭を冷やしてくる。ついでに朝食を取ってくるから、もう少し休んでいてくれ」


 先輩は視線を合わせないまま、足早に部屋を出ていった

 扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


 

 

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