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この溺愛にはウラがある  作者: 七瀬菜々


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10/19

10:夢の終わり -side エリック-

 幼馴染のコレットはモンフォール家とは繋がりの深い侯爵家の娘で、小さい頃からいつも一緒にいた。

あまりに頻繁に交流があるものだから、俺は幼いながらに、両親が俺か兄かのどちらかとコレットを結婚させるつもりでいることを理解していた。

その当時からコレットの事が好きだった俺は、彼女に選ばれたくて努力した。何とか彼女の気を引こうと、ことあるごとにプレゼントを贈ったり、デートに誘ったりもした。

 正直、兄には悪いが、コレットは俺といるときの方が楽しそうに見えた。

 

 けれど、最後に彼女が選んだのは兄だった。

 

 理由は単純で、彼女は俺に向かってこう言った。

 『だって、お母様が言うんだもの。エリックと結婚しても公爵夫人にはなれないって』と。

 その瞬間、胸の奥がすっと冷えた。

 俺がどれだけ努力しても、結局、肩書きひとつで覆されるのだと知った。

 どうしようもない虚無感に襲われた。俺の想いも、時間も、全部が無駄だったのだ。

 

 エチカと出会ったのは、ちょうどその頃だった。


 今思い返しても、彼女との出会いは衝撃的だった。

 魔法学園の新校舎、特別棟と教育棟をつなぐ渡り廊下でのことだ。生徒がひっきりなしに行き交うあの場所で、俺はいきなり呼び止められた。

 振り返ると、そこにはピンクブロンドの髪をお下げに結った、アンバーの瞳を持つ小柄な女生徒が立っていた。

 彼女は顔を真っ赤にして小さく震えながらも、周囲の視線は気にも留めず、真っすぐ俺を見て言った。


 ーー先輩の美しく緻密で正確な魔法に一目惚れしました!どうか私とお付き合いしてください!

 

 ……と。

 あれは本当に驚いた。いくら学園内では身分関係なく平等というルールがあるにしても、まさか庶民の女の子から告白されるとは思っていなかったからだ。

 これは豪胆というか、無鉄砲というか……。しかも、好きになった理由が、『魔法に一目惚れ』って……。

 容姿とか成績とか家柄とか、そんなものを理由に告白されることはあれど、魔法に一目惚れなんて言われたのは初めてだった。

 正直、変わった子だな、と思った。

 そして同時に、嬉しくもあった。

 彼女が、俺の肩書きではなく、俺の魔法を好きだと言ってくれたことが、まるで『あなたという人間が好きです』と言われたように聞こえたのだ。


 都合の良い解釈だとはわかっている。けれど、どうしようもなく嬉しかった。

 だから俺は、いつもなら冷たくあしらって終わりの告白を、ちゃんと真正面から受け取った。

 気持ちを返すことはできなくとも、エチカの告白には誠実に向き合おうと思った。



 ーー魔法を好きだと言ってくれてとても嬉しかった。そんなことを言われたのは初めてだ。でも申し訳ない。俺は君の気持ちに応える事はできない



 後日、人気のないところにエチカを呼び出した俺は、彼女に告白の返事をした。人気の無いところに呼び出したのは、衆目にさらされながらフラれるのは酷だと思ったからだ。

 俺の返事を聞いたエチカは制服のスカートをぎゅっと握り、涙目で俺を見上げた。


 ーーもしかしてお付き合いしている方でもいらっしゃるのですか?

 ーーいや、そういうわけじゃないけど

 ーーでは、好きな方でもいらっしゃるとか?

 ーー……いいや。いないよ

 ーーそうですか。わかりました。……今日は諦めます。失礼します


 そう言ってエチカは深々と礼をしてから走り去った。


 「今日()」って何だ?

 

 聞き間違いだろうか。俺は走り去る彼女の背中を眺めながら首をかしげた。



 そして一ヶ月後、その言葉は俺の聞き間違いではなかったと知る。

 エチカが再び、俺の前に現れたのだ。

 彼女は覚えたての魔法を披露し、再び俺に告白してきた。それも、よりによって、集めた花びらを宙に浮かせ、『スキ』と描くという手法で。

 俺も隣にいた俺の友人も唖然とした。

 これは一体どういうつもりなのかと尋ねると、彼女は満面の笑みで言った。


 ーー先輩はきっと魔法がお好きなので、魔法を自由に操れる女になれば先輩は私のことを好きになってくれるかなと思いまして!


 意味がわからない。どういう思考回路をしているんだ。


 ーーエチカ・ロアンさん。前にも言ったと思うけど、俺は君の気持ちに応える事はできないんだ

 ーーそうですか……、わかりました。今日は諦めます

 ーーいや、今日()じゃなくて……。俺が君と付き合うことは出来ないって言ってるんだけど

 ーーわかってます。でも、好きな人いないんですよね?だったらこれから私のことを好きになる可能性もゼロではないですよね!?


 ぐいっと顔を近づけて言うエチカに、俺は目を丸くした。隣の友人は面白がってクスクス笑っている。

 ああ、なんとポジティブな考え方をするのだろう。俺には真似できない。

 呆気にとられているうちに、エチカはまた深々と頭を下げて走り去った。

 

 それから、毎月のようにエチカは俺に告白してくるようになった。何度フラれても、趣向を変えて俺を振り向かせようとした。

 毎回、どこかずれている彼女の告白は正直に言うと、可愛かった。健気に思いを伝えてくれる姿は胸に来るものがあったし、次はどんな風に告白してくるのだろうと、わくわくしてしまう自分がいたことも事実だ。

 俺の友人たちも彼女を可愛がっていたし、何なら「もう付き合ってやれよ」とか「お似合いだ」なんて言っていた。

 けれど、俺の気持ちが変わることはなかった。

 変わるはずがないと思っていた。

 だって俺の心にはまだ、コレットの存在があったから。

 

 ーー何度来られても君を好きになることはないよ。絶対に


 幾度目かの告白の時、俺ははっきりと言った。たぶん、かなり冷たい口調だったと思う。

 もう諦めてほしかったのだ。

 エチカは素敵な女性だ。勤勉で、誠実で、明るく活発で、友人も多く、いろんな人に愛されている。そんな可愛らしい女性だ。

 きっと、俺なんかに公開告白していなければ、今頃恋人の一人や二人できていただろう。だからこそ、これ以上エチカの青春を無駄にしたくなかった。

 しかし、俺の拒絶を聞いたエチカは、不思議そうに目をぱちくりとさせた。


 ーー先輩、世の中に絶対などというものは存在しないのですよ?


 それは、不可能を可能にする魔法を扱う自分たちが一番よくわかっているはずだ。エチカはそう言った。

 ほんとうに、どこまでもずれている。

 だが、その通りだと思ってしまった。

 不思議と笑いがこみ上げてきて、俺はその日、久しぶりに声を出して笑った。

 


 絶対はない――そう思うと、俺の心は少し軽くなった。

 きっと俺は、無意識に初恋に縛られていたのだろう。あまりに長くコレットの事だけを想いすぎていたために、ずっと自分に暗示をかけていたのかもしれない。

 もう、コレット以外を好きになることなどないのだ、と。

 だが、エチカの言葉がその暗示を少しずつ溶かしてくれた。 

 彼女の「好き」に癒やされ、笑顔に癒やされた。

 まっすぐで、ずれていて、でも誰よりも真剣なその想いが、いつの間にか俺の心に染み込んでいった。



 そうして時は過ぎ、卒業を目前に控えた頃。

 兄とコレットの結婚が正式に決まった。


 

 そうして時は過ぎ、卒業を目前に控えた頃。兄とコレットの結婚が正式に決まった。

 だが、俺の心は痛まなかった。

 結婚の報告をする二人を前にして、俺は素直に「おめでとう」と言えた。

 これも全部、エチカのおかげだと思った。彼女が俺の初恋を終わらせてくれたのだと。


 卒業式の日、またエチカが告白してきた。

「これで最後にします」と言って、震える手で、震える声で。


 その時、初めて気づいた。彼女の告白は、毎回本気だったのだと。

 俺はいつの間にか冗談めかして受け流すようになっていたが、エチカは一度たりとも手を抜いたことなどなかった。


 ーーわ、私と結婚しない人生はつまらないものになるはずです!!


 エチカは顔を真っ赤にしながら叫んだ。

 正直、何を言っているんだと思った。

 だが同時に、エチカらしいな、とも思った。

 本当に、見ていて飽きない。


 ーーそうだな。きっと、エチカのいない人生なんてつまらないだろうな


 言葉が自然と口をついて出た。

 こんなおかしくて、可愛らしくて、真っすぐな女の子は、きっとこの先も現れないだろう。


 苦しい初恋を終わらせてくれたのも、長い間縛られていた心を解いてくれたのも、いつも笑顔で、俺に好意を伝え続けてくれたエチカだった。


 だから、俺は彼女の気持ちに応えることにしたんだ。

 



 * * *



 夜。静まり返った部屋の中で、俺はそっと月明かりに照らされたエチカの髪に触れた。彼女のピンクブロンドの髪は細く、驚くほど柔らかい。


「……絆されたんだよ、本当に」


 小さく呟いた声は、静かな空気に吸い込まれていく。

 目を閉じると、あの頃の光景がゆっくりと浮かび上がった。


 俺を見つけると、まるで花が開くように笑って『先輩』と呼んでくれて。

 全力で、真っすぐに、何度でもぶつかってきてくれて。

 その度に、凍りついていた心が少しずつ溶けていくのを感じていたんだ。

 それがどれほど嬉しかったか――きっと君は知らないだろう。


「また、君の笑顔が見られるとは思わなかった」


 言葉にすると、胸の奥が締め付けられた。

 これは不慮の事故で得た、あまりにも大きな幸運。幸せすぎる夢だ。


 けれど、それももう終わり。


 夢はいつか覚める。

 スタンリーは言っていた。記憶の一片でも戻れば、連鎖して思い出すかもしれないと。

 きっと、過去を知ったエチカは少しずつ記憶を取り戻すだろう。

 そしていつか、すべてを思い出し、俺にこう言うのだ。


 ーーあなたと結婚しなければ良かった


 と。

 ああ、想像しただけで、息が詰まるほど苦しい。


 俺は、枕元に置いた革の手帳に視線を向けた。

 それは、ルネの手から、乱暴に取り上げたものだ。

 あの中にはきっと、俺への恨みつらみが書かれているのだろう。


「……怖くて開けられないな」


 自嘲するように、かすかな笑いがこぼれた。

 その笑みは、すぐに闇に溶けて消えた。

 


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