第99話 くしゅんっ!
王都への招待という前代未聞の騒動から数ヶ月。コレットの町は、すっかりその時の喧騒を忘れ、穏やかで平穏な日常を取り戻していた。
季節は移り変わり、町の空には冷たい鉛色の雲が広がり、雪がちらつき始めている。コレットの町はもうすぐ、静寂に包まれた銀色の雪景色に変わるだろう。
キスティーの家では、暖炉の前に置かれた大きな揺り椅子が、彼女の特等席となっていた。外から帰ってきたばかりの彼女は、頬を真っ赤に染め、厚手のコートに付いた雪の結晶を溶かしながら、炎の温かさに身を委ねていた。
おばあちゃんは、暖炉のそばでハーブを乾燥させながら、穏やかな顔で言った。
「雪の季節は、この場所が天国だね。しばらく温まって、キスティー。今日は特に寒いよ。」
薪がパチパチと爆ぜる音と、ハーブの優しい香りが、部屋を満たしている。キスティーは、炎に照らされた笑顔で応えた。
「うん!あったかいね、おばあちゃん!」
しかし、彼女のじっとしていられない性分は、暖かさに満たされすぎると、すぐに外の世界を求める。数分も経たないうちに、彼女は立ち上がった。
「おばあちゃん!私、アリシアのところ行ってくるね!」
キスティーは、勢いよく厚手のコートを再び羽織り、マフラーをぐるぐる巻きにすると、暖炉の温もりから冷たい外の世界へと飛び出していった。
おばあちゃんは、その活発な背中に、優しく声をかける。
「気をつけるんだよ。風邪ひかないようにね。」
キスティーが向かった先は、町の中心にあるアリシアの家、代々続く薬屋さんだった。
薬屋の中は、外の寒さとは対照的に、暖炉と、乾燥した薬草や香辛料の匂いが混ざり合い、独特の温もりが漂っている。しかし、この季節特有の事情で、店内はひっきりなしに出入りするお客でごった返していた。
カウンターの奥で店番をしているアリシアは、暖炉で暖かいはずの店なのに、厚手のウール素材の服を重ね着し、さらにカシミヤのショールにくるまって、丸くなっていた。彼女の銀色の髪は、いつもより幾分力なく見えた。
「はぁ…、この季節は本当に苦手だわ…息が白いって何?寒すぎよ。」
アリシアは、青白い顔で、小さくため息をついた。
お客は多く、皆、咳をしたり、鼻をすすったりと、風邪気味な人ばかりだ。アリシアは、手早く薬を調合し、温かいお茶を勧めていた。
「こちらは、風邪のひき始めに効くハーブティーです。身体を温めて、ゆっくり休んでくださいね。」
そう言って、薬を渡したところで、アリシアは自分の額にそっと手を当てた。
「はぁ…私も風邪ひいたのかしら…頭が重たいわ…」
病人の集まる場所で、彼女もまた、微かな不調を感じていた。
その時、勢いよく店のドアが開いた。外の冷たい風が、店内に一気に流れ込み、薬草の匂いを一瞬吹き散らす。
「おはよう!アリシア! いる?」
雪がちらつく中、頬をバラ色に染めたキスティーが、店を見回した。
カウンターの奥で丸くなっているアリシアを見つけたキスティーは、思わず笑い出した。
「あはは!アリシア!もうそんなに着込んで丸くなって!雪だるまみたい!」
その無邪気な笑い声に、アリシアは頬を膨らませたが、すぐにその表情は寒さによる不調に取って代わられた。
「キスティー…おはよう。寒すぎるのよ。無理だわ、この季節…」
アリシアは、鼻を赤くし、可愛らしいくしゃみをした。
「くしゅんっ!」
そして、ショールに隠れるようにして鼻をすする。
キスティーは、すぐに笑うのをやめ、アリシアの顔色の悪さに気づいた。
「アリシア、風邪ひいた?大丈夫?」
アリシアは、軽く微笑んで、無理に平静を装う。
「ええ、大丈夫よ…この季節はいつもこんなものだから…」
彼女はそう言い終わる前に、再び強いくしゃみをした。
「くしゅんっ!」
ティッシュを取り出して鼻をかむ。その様子は、いつもの優雅さからは程遠いものだった。
キスティーは、アリシアの丸まった姿と、くしゃみの連続を見て、少し心配そうな顔になった。
「それならいいけど。ねえ、店番終わったら出かける?遊び行く?」
「そうね…もう少しね。待ってて。このお客さんで最後だから。」
アリシアはそう言って、カウンターに積まれた薬草の袋を指さした。キスティーは、大人しくカウンターの隅に座り込み、アリシアの仕事が終わるのを待った。
その時、店の奥から、アリシアのお母様が優雅な足取りで現れた。彼女は、温かいスープの匂いをさせながら、優しい笑顔を浮かべた。
「あら、キスティー来てたの?おはよう。」
お母様は、キスティーに挨拶をすると、アリシアの顔色を心配そうに覗き込んだ。
「アリシア?もういいわよ。顔色が悪いわ。疲れた?無理しないの。店番はもういいから。」
母親の的確な判断と優しさに、アリシアはホッと息をついた。
「ありがとう、お母様。」
彼女は、寒さによる不調が、何かに影響しないかと言う不安を持ちながらも、遊びに行くことにした。
「キスティー待ってて、急いで支度するから。」
アリシアは、ショールを脱ぎ捨てようとして、再び大きなくしゃみをした。
「くしゅんっ!」
キスティーは、心配そうな顔でアリシアを見つめたが、すぐに遊びへの期待で笑顔になった。
「わかった!私、外で待ってるね!」
そう言うと、キスティーは再び冷たい外の空気の中に、勢いよく飛び出していった。彼女の背後で、アリシアは「くしゅんっ!」と大きな音を立てていた。




