第97話 次の…場所?
夜が深まり始めた王都の喧騒を離れ、王族専用の馬車は静かにコレットへの街道を進んでいた。豪華な弁当を平らげた三人の子供たちは、満腹感と、そして昨日からの極度の緊張と疲労から、深い眠気に襲われていた。
キスティーは、座席の柔らかさに身を委ね、隣に座るアリシアの温もりを求めた。まぶたは重く、抗うことなく、アリシアの肩にもたれかかった。まもなく、規則正しい寝息が馬車の中に微かに聞こえ始めた。
アリシアは、その重みに気づき、姿勢を崩した。微笑みを浮かべると、そっとキスティーの頭を自分の膝に乗せ、柔らかな枕にしてあげた。キスティーの髪を優しく撫でるその手つきは、限りなく穏やかで、まるで母親のようだった。彼女の表情は、王都の騒動から解放された、純粋な安寧に満ちていた。
やがて、アリシア自身も睡魔に襲われた。膝の上のキスティーを抱きかかえるようにし、そのまま頭を深く垂らし、穏やかな寝息を立て始めた。二人の銀色の髪と金色の髪が混ざり合い、寄り添う姿は、まるで一枚の絵画のようだった。
ギルは、相変わらず奔放な姿勢で、窓枠に頭をもたせかけ、口をわずかに開けて熟睡していた。その寝顔は無防備で、昨日までの騒動が嘘のように見える。
レイエスは、その光景を静かに見守っていた。規格外な力を持つ彼らが、今、ただの疲れた子供として、無邪気に眠り込んでいる。
「こうしていれば、かわいい子供たちなのだな…」
彼はそう呟くと、心底安堵したような微笑みを浮かべた。彼らの力を恐れる気持ちはまだ残っているが、この純粋で愛らしい姿が、彼らの本質であり、守るべき未来の希望だと、改めて確信した。
馬車は、石畳から舗装された街道へと移り、その揺れはさらに安定し、軽快なリズムでコレットの町へと向かって進んでいった。
陽が傾き、夕闇が迫る頃、馬車はコレットの町へと差し掛かった。
アリシアは、その振動でゆっくりと目を覚ました。最初に視界に入ったのは、膝の上で眠るキスティーの安らかな寝顔。そして、窓の外に広がる、見慣れたコレットの町の光景だった。
「…着いたわ。」
彼女の顔に、深い安堵の色が広がる。王都での極限の緊張から解き放たれた、心からの「帰宅」の感情だった。
ふと、膝の上のキスティーを見ると、小さなよだれが口元から垂れている。アリシアは思わず微笑み、懐から取り出したハンカチで優しく拭き取ってあげた。その仕草は、愛情に満ち溢れていた。
馬車は、町の中心部、噴水広場へと滑るように到着し、静かに停車した。広場には、王族の馬車を一目見ようと集まった群衆と、子供たちを心配して待っていた家族たちの姿があった。
アリシアは、優しくキスティーに声をかけた。
「キスティー、着いたわよ。みんな、迎えに来てくれてるわよ!」
「着いたの?」
その声に、キスティーは飛び起きた。まだ寝ぼけ眼だが、目を擦りながら、馬車の中からキョロキョロとおばあちゃんを探した。
アリシアも、窓の外の群衆の中に、最愛の母の姿を探す。
「きっと迎えに来てるわよ。」
そう言いながら、彼女の心臓は高鳴っていた。
「…あ?着いたのか?」
ギルも、と目を擦りながら、よく寝たな…と言った顔で大きく欠伸をした。
レイエスは、馬車の深紅の座席から立ち上がり、堂々とした風格で声をかけた。
「さあ、到着だ、降りようか。」
その言葉と同時に、外から騎士団長の手によって、重厚な扉が開けられた。
レイエス殿下が最初に優雅に馬車から降り立つと、広場の群衆は一斉に頭を下げた。
続いてキスティー、アリシア、ギルの三人が馬車から降り立つ。
キスティーは、群衆の奥に、おばあちゃんの姿を発見すると、嬉しさで顔を輝かせ、一直線に走り出した。
「おばあちゃん!ただいま!」
彼女は、勢いよくおばあちゃんの胸に飛びついた。おばあちゃんは、安堵と愛情に満ちた顔で、小さなキスティーを力強く抱きしめた。
アリシアもまた、群衆の中に最愛の母の姿を見つけ、優雅さを忘れ、まるで獲物に飛びつくかのように駆け出した。
「お母様、ただいま帰りました。」
彼女は、母の胸の中で、安堵と感動の涙を流した。母の温もりは、王都での壮絶な戦いの全ての恐怖を洗い流してくれた。
ギルは、広場の端に立っている父ちゃんの姿を見つけると、少し照れくさそうに走った。
「ただいま、へへ…」
二人は、無言で固く拳をぶつけ合い、その短い動作の中に、父子の信頼と安堵が凝縮されていた。
レイエスは、駆け寄る子供たちとその家族の感動的な再会を静かに見つめ、温かい微笑みを浮かべた。彼は、群衆と家族に挨拶をした後、子供たち三人に近づいた。
「王都に来てくれてありがとう、また次の場所が決まったら…」
レイエスは、そう言い残すと、ニヤッと意味深な笑みを浮かべ、馬車に乗り込んだ。
「え?次の…場所?」
三人は顔を見合わせ、首を傾げたが、今はそれどころではない。とりあえず無事に家族の元へ帰ってこられたことに、心底安堵した。
騎士団長の疲労困憊の号令で、馬車は静かに王都への帰路につく。騎士団長は、心労と疲労で鉛のように重い体を、職務への義務感だけで支え、子供たちに背を向けていく。彼は、できれば二度と子供たちと関わりたくないという、心の叫びを押し殺していた。職務だ、これは生きていくのに必要な職務なのだと言い聞かせながら。
三人は、馬車と騎士団長が土埃の中に消えていくのを、それぞれの家族と共に見送った。




