第90話 芸術なのよ!
騎士団詰所からの帰り道、三人の足取りは、先ほどの極度の緊張と疲労から解放された安堵感に満ちていた。空にはすでに夕暮れの色が差し始め、日中の喧騒が落ち着き始めた王都の大通りを、三人は並んで歩いていた。
アリシアは、心の底から漏れるため息をついた。彼女の顔色は、先ほどの蒼白な顔からようやく血の気を取り戻していたが、その表情には、人生の終わりを覚悟した恐怖がまだ残っている。
「はぁ…捕まるかと思ったわ…」
ギルは、脇に抱え直した鉄鉱石の重みを確かめながら、アリシアに釘を刺した。
「今回はアリシア反省な!あれ、さすがにヤバすぎたぞ。家、跡形もねえんだから。」
キスティーは、この騒動の原因が自分にあること、そして親切にしてくれたおじさんが悪い人だったというショックから、まだ少し立ち直れていない様子で、下を向いたまま、小さな声でつぶやいた。
「私…変な人について行ってたんだね…ごめんなさい…」
アリシアは、その言葉を聞くと、自身の破壊行為の記憶は薄いものの、キスティーが危険に晒されていたという事実に強い責任感を感じ、勢いよく彼女を抱きしめた。
「そうよ!知らない人について行ったらダメよ!もう、心配したんだから。」
その抱擁は、アリシアがこの騒動で負った心労と、キスティーへの純粋な愛情の現れだった。キスティーは、アリシアの強い抱擁に包まれ、ようやく安心しきったように、嬉しそうに笑った。
アリシアは、抱擁を解き、改めて気を引き締めた。
「さあ!キスティーのお皿探してから帰りましょう!お腹空いたけど、帰ってご飯ね!」
ギルは、もはや限界を迎えた自分の腹をさすりながら、強く反論した。
「途中で串焼き肉買って食べながらいくぞ。俺、もう一歩も動けねえくらい腹減ってんだよ!」
キスティーは、自分たちのせいで皆が疲弊したことを気に病み、再び下を向いた。
「ごめんね…遅くなって。」
アリシアとギルは、顔を見合わせ、同時に笑い合った。その笑顔は、すべての困難を乗り越えた仲間としての、深い信頼の証だった。
「いいよ!」
その屈託のない笑顔に、キスティーもつられて満面の笑顔になった。
ギルは、宣言通り、活気のある屋台街に入ると、豪快に串焼き肉を買い、その場ですぐに食べ始めた。ジュウジュウと焼ける肉の香ばしい匂いが路地に広がり、彼は満足そうに串にかぶりついた。
「やっぱこれだ!美味え!」
アリシアは、行儀の悪さに苦笑しながらも、串焼き肉の香ばしい匂いに食欲を刺激されていた。
ギルが串焼き肉を頬張り終えた頃、三人はメインストリートから少し入った、落ち着いた通りにある高級食器店にたどり着いた。
店の名は『銀の月桂樹』。古都の石畳によく馴染んだ、白壁と濃い木材でできたその建物は、控えめながらも品格を漂わせている。
特に、通りに面したショーウィンドウは、まるで美術館の展示ケースのようだった。夕暮れの茜色の光がガラス越しに差し込み、陳列された綺麗なお皿たちを照らし出す。
アリシアとキスティーは、その輝きに一瞬で心を奪われた。
「うわぁ…綺麗…!」
二人は、顔を窓に近づけ、吸い込まれるように見入った。ショーウィンドウに並ぶ食器は、ただの陶器ではなく、職人の魂が込められた芸術品だった。
縁に繊細な金色の月桂樹のレリーフが施された、透けるように白い陶磁器のディナープレート。
鮮やかなコバルトブルーの釉薬がかけられたティーカップは、光を反射して深い湖の底のように輝いている。
最も目を引いたのは、銀彩で星屑のような模様が描かれた小皿だ。夕日の光を反射して、銀彩がダイヤモンドダストのようにキラキラと輝き、アリシアの銀色の髪と瞳の色を、さらに鮮やかに引き立てていた。
ギルは、串焼き肉を食べ終え、二人の横に立ち、その無関心さが逆に目立った。
「ふんふん…どれも同じ皿じゃねーか。早く選んでくれ、腹減って動けねぇ。」
アリシアは、その鈍感さに呆れ、突っ立ってるギルを小突いた。
「もう!ギルにはわからないわよ!芸術なのよ!」
意を決して、三人は『銀の月桂樹』の重厚な木の扉を押し開けた。
扉を開けると、外の喧騒は遮断され、店内はまるで別世界のような静謐な空間が広がっていた。店内に漂うのは、陶器の微かな冷たさと、展示棚の木材の落ち着いた香り。
内装は、壁一面に落ち着いた緑色のベルベットが張られ、展示されている食器の色彩と輝きを際立たせていた。中央には、磨き上げられたマホガニーの大きな陳列棚が設置され、そこには、世界各地から集められた宝石のような食器たちが、スポットライトを浴びて静かに輝いている。
三人が足を踏み入れると、店員がすぐに笑顔で迎えてくれた。彼女は、品のいい中年の女性で、子供たちにも丁寧な態度だった。
「いらっしゃいませ。今日はお嬢様、大切な方への贈り物をお探しでいらっしゃいますか?」
キスティーは、少し緊張しながらも、店員さんの優しい目元に安心し、自分の目的を伝えた。
「はい!おばあちゃんへのお土産を探しにきたんです。お皿が好きなんです!」
アリシアが、店員に事情を付け加えた。
「はい。綺麗なものがいいのですが、おばあちゃんが毎日気兼ねなく使えて、使い勝手の良いものがいいんです。あまり凝りすぎたデザインだと、逆に使わないかもしれないので…」
店員は優しく微笑み、アリシアの実用性への配慮を汲み取って、頷いた。
「なるほど、毎日使っていただくための、普段の食卓に溶け込む美しさですね。承知いたしました。」
店員は、二人の好みと予算を聞き出しながら、棚を案内し始めた。
「では、こちらの王都の窯元で焼かれたシリーズはいかがでしょう。こちらは軽量で、耐久性に優れています。この薄紅色のグラデーションが美しい小皿は、縁がわずかに立ち上がっているため、汁気の多い煮物にも使え、収納の際にも場所を取りません。」
店員が取り出した小皿は、触れるとひんやりと軽く、光にかざすと桜の花びらのような淡いピンク色が、白い釉薬の下から浮かび上がってくるようだった。その縁は、洗いやすいよう滑らかにカーブしている。
アリシアとキスティーは、顔を近づけ、その繊細な色彩に歓声をあげた。
「うーん…でも、もう少し食卓で映えるものがいいかな?おばあちゃん、明るい色も好きなんです。」
キスティーが、真剣な顔でおばあちゃんの好みを伝えた。
店員は、再び一つ頷くと、奥の棚へと導いた。
「では、こちらの花びら型の小皿はいかがでしょう。この皿は、おばあ様がお漬物やちょっとしたお菓子を乗せるのに最適です。縁の金色が食卓を明るくし、それでいて手のひらにすっぽりと収まる大きさで、とても扱いやすいと評判です。」
彼女が差し出した皿は、縁が太陽のような鮮やかなオレンジ色で彩られ、花びらを象った形状になっていた。華やかさがありながらも、高台は低く、食器棚に重ねやすいよう配慮されたデザインだった。
キスティーの瞳は、その皿の光を放つような輝きに、きらきらと輝いた。優雅さと実用性を兼ね備えたその皿こそが、探し求めていた一枚だと直感し、彼女はそのオレンジ色の皿に手を伸ばした。
手にとって、おばあちゃんが喜ぶ顔を想像し、笑顔になった。




